第57話 長谷川小夜
今から数年前の話である。
そんな彼女の運命が変わったのは、とある人物と出会った時である。
「―――――――、今日は何を教えてくれるの?」
「小夜は熱心だね。今日はVAのことを僕なりの考察を交えて教えるよ。特に強化系VAにはまだまだ改善の余地がある」
「さすが、――――! やっぱり、すごいね! 武芸科なのにそんなに知識がある何て!」
「はははは。まぁ、趣味みたいなもんさ。それでさっきの話だけど」
その同級生の男子生徒は武芸科にも関わらず、小夜以上の知識を有していた。また考え方も革新的なものが多かった。
ある日、そのことについて彼女は尋ねてみた。
「ねぇ、―――。論文は書いたりしないの? 絶対に世界で認められると思うんだけど」
「僕はね、小夜。もっとこの世界を良くしたいんだ。今はまだ目立つ時期じゃない。今はしっかりと地盤を固める時期なのさ。だからこそ、もっと勉強しないとね」
「ふーん。そうなんだ」
彼女はこの時から彼に恋をしていた。
自分よりも知識があって、頭も良い。今まで賢い人間は何人も見てきたが、彼は別格だ。彼こそが真の有識者だ。彼女はそう考えていた。
その思考が、誰かに操作されてるが故に考えているとも知らずに。その恋慕すら、偽物と知らずに彼女は深淵へと近づいていく。
「―――! 私はあなたのことが好きなの! 進学先は別々だけど、それでも好きなの!! 付き合ってください!!」
そして、卒業式当日。小夜は彼に告白をした。小夜はICUへ、そして彼は海外に行くことになった。彼女は彼が海外で何をするかは知らない。でもきっとすごいことだと思い込んでいた。
その彼は小夜の気持ちを利用する。何の罪悪感も感じずに、他人の心を踏みにじるように。
「あぁ。そうだったのか、小夜。いいよ、僕も君のことは気に入ってたんだ。海外から帰ることはあまりできないけど、それでもいいなら付き合おう」
「本当に!! 嬉しい!!!」
小夜は嬉しさのあまり、彼に抱きつく。一方、彼は何を考えているかわからないような、そんな表情をしていた。
こうして二人の交際は始まる。そしてそれは、悲しい結末への始まりでもあった。
「ごめん小夜、今回も帰れそうにないんだ。でもあの件はよろしく頼むよ? 七条歩くんは僕たちの組織に必要なんだ。それじゃあ、よろしくね」
「うん! またね!」
そう言って、デバイスのモニターを消す。付き合い始めてから小夜は彼となかなか会えないことに疑問を覚えなかった。
たまにふらっと帰ってくると、デートをしてくれたり、そして抱いてくれたりもする。だが、彼女の心を支えているのは彼そのもの。
彼の理想を叶えるために生まれてきたのだと小夜は錯覚していた。しかし、それが偽物の想いでも彼女は幸せだった。
所詮、幸せなど主観的なもの。偽物か本物かなど、どうでもいい。小夜は真実を突きつけられてもそう言うだろう。
終わらないハネムーン期。とめどなく溢れるPEAが彼女をさらに駆り立てる。
そして、とうとう最愛の従姉妹である、長谷川葵に手を出してしまう。
「ねぇ、―――。葵は大丈夫なのよね? こうすれば葵は幸せになれるのよね?」
「もちろんだよ。きっとみんな幸せになれるさ」
小夜は葵を利用している自覚はあったが、それでも彼女には幸せになって欲しかった。幼少期から両親のおもちゃにされてきた葵はやはり救いたい。しかし、彼の理想を果たすのも大切。
揺らぐ心。しかし、最後には彼の理想に傾いてしまう。脳がそのようにプログラムされているのだ。
小夜の
そんなことも知らずに彼女は、さらに進んでいく。幸せな未来などない、さらなる深淵へと。
「こんなんじゃダメだ・・・ もっと、もっと頑張らないと・・・ 彼の理想を果たすために・・・ もっと、葵をうまくコントロールしないと」
虚ろな目でデバイスを操作する小夜。もう彼にほとんど会っていない。時々通話はするものの、それだけ。
しかし、彼女の想いは日に日に増していく。
そして指示されてもいないのに、葵への精神干渉をさらに強く行う。
「ねぇ、私が
「うん・・・ ずっと愚痴を聞かされてきたけど・・・」
「実は、誰にでも後天的に使える方法がわかったの」
「え・・・ すごいね、それは。世界レベルの話じゃん・・・」
「葵はさ、今ちょうど校内戦をしてるし使ってみない??」
「私が
「そう。そうすれば、彼はもっと葵のことを見てくれるよ」
「歩が・・・ 私を見てくれるの・・・? 本当に・・・?」
「私が保証するわ。それに葵にピッタリなやつがあるの」
「なら、使ってみたいかな・・・」
「じゃあ、ちょっとそこに横になって目をつぶって」
「うん・・・」
「ほら、だんだんと眠くなってきたでしょ・・・?」
「確かに、なんか眠い・・・ 眠い・・・ よ・・・」
葵を眠らせると、
彼女の脳へと意識を集中させる。
「葵は・・・ なるほど。
彼女の頭に触れている手が突如、発光し始める。
現在、彼女は無理やり
だが、やるしかない。あの七条歩を手に入れるにはこうするしかない。
そう思うと彼女はさらに精神干渉を強めていく。
もともと、
そして、彼女は微笑む。
葵の
「アハハハハハハ! 葵ぃ! やっぱり、あなたは最高よ! あぁ、試合が待ち遠しいわね・・・・・・」
寝ている葵の頬を撫でる彼女は、うっとりしていた。
もうすぐ、もうすぐ彼の理想が果たされる。あと少しで、あと少しで私は報われるのだ。
だが、その想いが果たされることはない。
「どうして!!!? あいつは何なの!!?」
デバイスのモニターで歩と葵の試合を見ている彼女は焦っていた。
序盤の流れは完璧。これは確実に勝てると思っていた。
だが、今はどうだ。あの男はワイヤー使いなのに素手で
どういうことだ。彼が欲しがっているあの男は一体何なのだ。
彼女は初めて疑問を抱いた。自分はもしかしたら、とてつもなくヤバイものに手を出しているのではないだろうか。
そう考えても、もう遅い。すでに、賽は投げられた。もう止めることはできない。深淵に向かう彼女はもう手遅れだ。
彼女は初めて恐怖を感じた。
今までやってきたことは何だったのか。しかし、そう考えるとすぐに彼のことを思い出す。
あぁ、そうだ。私は彼の理想を果たすのだ。そうだ。それこそが、たった一つの私の願い。
小夜の
「葵が、負けた? あの葵が? 私があそこまで
呆然。理解ができない。あの男は勝ってしまった。これでは彼の理想は渡せない。そうだ、こうなったらアレをしなくては。
無意識にそう思い彼女はラボを出ると、そのまま葵の収容された病院へと向かう。
その先に何が待っているとも知らずに。
――――――――――――――――――――――――――――――――――――
「――――
紗季が短刀を小夜に向けると、意識が暗闇に呑まれる。そこから先のことを彼女ははっきりと覚えていない。唯一はっきりしているのは、痛みだ。全身が尋常ではないくらい痛い。
精神が発狂するほどの痛み。それだけが彼女の感覚として残っていた。本来ならばここで意識を失うはずだったのだが、小夜は暴走してしまう。
今までの蓄積してきた、
「アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!」
そして、彼女の身体は氷に支配される。禍々しく、そして凶悪に小夜の身体を氷がコーティングしていく。
しかし、彼女はこれは好機だと思った。これならばこいつらを倒せる。きっと、大丈夫だと。
「椿ッ!!!
歩は異常事態をすぐさま把握し、椿にそう告げる。
「――――
槍を地面に突き立てると同時に、何万もの真っ赤に燃え上がる紅蓮の蝶が生成される。
あまりにも鮮やかで美しい光景。
椿は、
そのため、
完全に火属性に特化した真っ赤に灼ける蝶は、二人を守るには十分すぎるほどだった。
「おぉ、何度見ても綺麗だね。椿ちゃんの技は」
「ありがとうございまーす! じゃあ、お兄ちゃん頑張ってね!」
二人はそのまま後方へと下がるのだった。
「――――
大量のワイヤーを体内に取り込む。一本一本が筋肉に、そして神経に馴染んでいき、四聖の発動準備が完了する。
「七条歩うううううううううううううううううううううッ!!!!!!!!!」
叫びながら突撃してくる小夜を、彼はその身一つで対処する。
「四聖――――
彼女が放つ氷の棘を全て砕き、そのまま脳天に脚を思い切り振り下ろす。
「ハッ!!!!!!」
「あああああアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアッ!!!!」
地面に頭がめり込み、さらに彼女自身の体を覆っている氷が全身に突き刺さる。
歩はそのまま彼女の身体を力強く蹴り、後方へと吹き飛ばす。
そしてさらに追撃を行う。相手が転がっていく方向に圧倒的なスピードで回り込み、全身に拳を叩き込む。
「――――
もう一段ギアを上げ、さらに高速で拳を叩き込む。全身の氷という氷を粉々に砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。砕く。どこまでも、葵の時と同様に砕いていく。
一方、小夜は朦朧とした意識の中であることを考えていた。
あぁ、私はどうして。どうしてここにいるのだろう。
彼に、彼の理想を果たすために今まで頑張ってきた。どんなに悪いと思えることでも私は実行してきた。
最愛の妹である、葵にも手にかけた。しかし、今の状況は何だ? どうして、私は闘っているのだろう。どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? どうして? なぜなのだろう? なぜ、こんなことになっているのだろう?
いくら問うても答えは出ない。まるで何かに意図的に妨害されているように、思考がこれ以上できない。
あぁ、葵。葵には幸せになってほしい。彼女に罪はない。私のために利用しただけなのだから。
砕かれていく氷、飛び散る私の血液。痛い、すごく痛い。
でも、それよりも心が痛い。軋むように、悲鳴をあげるように、心がすり減っていくのを感じる。脳の錯覚なのかもしれない。でも私はきっと、後悔していたのだ。
本当はただ私も、葵と同じように誰かと笑い合えるような、そんな人を欲していた。葵の心は何度も視た。それに当てられたのかもしれない。でも、私たちは少なくとも血のつながりがある。
冗談のように本当の妹のように接していたけど、望むものまで一緒だなんてやっぱり私と葵は姉妹だったのね。
あぁ、もうきっと、きっと私はここで最期だ。分かってしまう、なぜかそう思う。あぁ、私の人生は・・・・・・
そう考えている間に、氷は全て砕け散った。
歩が本気を出すまでもない。彼女はすでに限界を迎えていた。心も身体もボロボロ。満身創痍の彼女はそのまま地面に倒れこむ。
「長谷川小夜さん。もう、終わりにしましょう。葵に謝罪して、罪を償うべきです。今ならまだ戻れます」
「七条くん・・・ わ、私はね・・・ もうダメなの・・・ もう・・・」
なんとか声を絞り出すも、彼女はすでに意識が朦朧としていた。だが、突如、ある人物がこの場へとやってくる。
「葵、どうしてここに!?」
歩は
歩はそのまま葵が小夜の前に立つのを許してしまう。それだけの確固たる意志を持った雰囲気を、葵は纏っていた。
彼女は病室から抜け出てきた。まるで何かに呼ばれるように、何かの慟哭を感じたように。彼女はこの場に導かれた。既に、
「姉さん。姉さんの仕業だったのね・・・・・・」
「葵ぃ・・・ ごめんなさい。私は、私は・・・・・・」
「許さない! 私は許さない! だからちゃんと償いなさいッ!」
「葵ぃ・・・・・・」
葵はどこまでも優しい。ここでCVAを展開して自分を痛めつけてもいいのに、それだけのことをしたのに彼女は言葉でそう言ってくれる。
だが、もう遅いのだ。もう既に始めっているのだ。もう戻れない。そのことを思うとさらに涙が溢れてくる。
「正直、私にも問題はあった。歪んだ心がわたしにはあった。でも、人の心を、それを利用するなんてことは許されない。これからはそれを人の役に立てなさい。私のように、苦しんでいる人のために」
「葵ぃ・・・ 私は・・・・・」
もう彼女は以前のような人間ではない。心には、強くて堅い想いが確かにある。そしてその目は、未来を見つめている目だ。葵はやっと解放されたのだ。彼女はもう自由だ。
自分のVAも万能ではなかった。一時的に操ることはできても、本質を書き換えることはできない。人の心は、人の意志はここまで気高く、そして輝いて見えるものなのか。
昔の葵を知っているからこそ、私は感動せずにはいられない。
もう、思い残すことはない。彼の理想を果たすことはできなかった。でも、私は満足だ。葵はこれから幸せになる。自分自身で、そして彼らと一緒に。七条歩達と一緒に未来へと歩んでいくだろう。苦しいことも、悲しいこともあるかもしれない。だが、もう大丈夫だ。安心した。ありがとう、葵。本当にありがとう。
最後にあなたに会えてよかった。本当に嬉しいわ。
どうか、どうかあなたに溢れんばかりの幸せが訪れますように。
「葵、さよならは言わないわ。ありがとう」
そう思いながら言葉を発すると、次の瞬間――――
小夜は右手に隠し持っていたスイッチを押したのだった。
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