第35話 踏み出す勇気

 見上げた空に、かすかに残る光の粒子。消えないで、と優香は願った。


 流れ星に願い事を言っていた幼い頃の友人は、こんな気持ちだったのだろうか。

 星に願うなど合理的な行為では無い、と切り捨てた過去の自分を叱ってやりたい。そう、優香は未熟であった自分を恥じた。


「こんなこと、考えてる場合じゃないのに」


 思えば、彼に会ってから過去を振り返ることが多くなっていた。もちろん、昔の自分を超えるために分析したことなら何度でもある。しかし、こんな風に意識が他に向かっているというのに昔を思い出すことは無かった。

 このままでは父に捨てられる。そんな弱い自分を主観的に見ないようにふたをしてきた。無意識に、目をそらし続けていた。あの日、遊園地で、父への誤解を生んでからは、前しか見ないようにしてきた。


 それが、どうだ。

 今は、制御するのも大変なほどに思い出があふれ出てくる。


(でも、今は遠慮してほしいわ)


 鍛えてきた成果か、走り続けても息を切らすことは無い。こうやって他事を考えていても足は動く。

 しかし、今はできるかぎり脳を目の前の事象に使っていたい。

(久しぶりに、この道を通るわ。いつ以来かしら)

 それでも否応いやおうなしに周囲の情報が入ってくる。その感覚が、優香の記憶を揺り起こす。


 ライツの痕跡を見つけ、家を出て、すぐに感じた違和感。それが確実なものとなって、優香の目の前に現れる。

「やっぱり、そうだった」

 優香は足を止めた。分かれ道だ。もちろん、進む方向は光の導く先に決まっている。しかし、優香の足は無意識にそちらとは違う方へと行こうとしている。


「そうね。ずっと、こっちに行っていたものね」


 夜天に残る光の粒子は濃くなっている。見失う心配は無い。その前に、優香は己の心と向き合うことを選択した。

「もしかしたら、ライツちゃんはそこにいるかとも思ったんだけれど」

 ライツを追っていた進行方向。そちらとは違う方を見れば、懐かしい道が伸びていた。記憶にあるのは明るい道。今は夜だから、その表情はもちろん違っている。しかし、見間違えようが無い。


 なにせ、三年間。毎日欠かさず通った道だ。この先を行けば、優香が卒業した中学校がある。


「……毎日、じゃなかったわね」

 優香は自分の想像に指摘する。毎日と言ってしまうとうそになることを思い出した。


 そうだ。一日だけ、休んでしまった日がある。ライツと出会い、洋介と初めて話した夕暮れの教室を優香は昨日のように思い出せる。休んだのは、その翌日だ。

「色々なことが起こりすぎたのよね」

 父が倒れたと聞き、お見舞いにいって動かぬ父を見た。そうしたら、ずっと張っていた気がプツンと切れてしまった。病魔に立ち向かう精神力も無くなって、動けなくなってしまった。


 今でも、その失態を思い出せば顔が熱をもつ。

 しかし同時に、その日こそが、優香にとって忘れたくない日。洋介に、迷子になって泣き続けていた幼き日の自分を救ってもらった日である。


 あの一瞬ではあるも輝いた日を。それを大切だと思っているから、優香は今を何とかしたいのだ。


「よし」


 優香は一声、気合いを入れ直す。ここから先は、自分の知らない領域だ。あの日、経験できなかった時間が残されている。

 カーラが起こした事件の結末を見届けることができず、ライツという新しい友達(たち)に直接別れを告げられなかった。その時とは違う。まだ、自分にやれることが残されている。


 再び、夜空に残った光の帯を追って優香は走り出した。


 この意気込みがなければ、きっと足を踏み出すことができなかったであろう。後々、優香はそう思い出すのであった。


 しばらく闇を駆ける優香。空に残っていた軌跡は、真っ直ぐまっすぐに地に落ちている。この先にいるはずだ、と道を曲がったところで急にその足を止めた。

(見つけた……のよね)


 目標は、そこからわずかな距離にいた。優香が想像していたよりも、あっさりと見つけ出すことができた。

 しかし、問題は別にある。


 あれは、本当にライツなのだろうか。


 優香の本能が、目の前の存在を否定してくる。心臓が強く動いているのを感じる。間違いなく、緊張している。その姿を一目見たときから、足がすくんでいた。

 幸運にも彼女は優香に気づいていない。いや、気づくつもりもないのか。自分の世界に入っているかのように、ただ一点を見つめていた。


 優香は、荒れる呼吸を整えつつ一歩ずつ近づいていった。


 街灯の少ない町中の道。闇の中で、彼女はぼんやりと浮かび上がっていた。彼女自らが発する光だ。優香の知っている彼女も、そんな輝きをまとっていた。

 それなのに、その光を見ていると不安になってくるのはなぜだろう。優香は自身の奥底から浮かび上がってくる得体の知れない感情に首をかしげる。


「……ふぅ」


 優香は小さく息を吐く。考えがまとまらない。

 こうして一息ついて見てみれば、確かにライツなのだ。一度だけ、彼女が大人になった姿を優香は見たことがある。あれは状況が許せば、ずっと見ていたかったほどに美しかった。虹色のはねからこぼれる輝きが、彼女の金色の髪をいろどっていた。


 忘れるわけがない。忘れるわけがないのに、気を抜けば優香の記憶が汚されていく。過ぎ去った日々が、直面する現実のために揺らいでくる。黒の混ざった濃い虹色が、記憶の中にある淡いうるわしき虹色を塗りつぶしていく。


 おかしくなっているのは世界か。それとも、それを見ている己の心か。疑心暗鬼に陥りそうになる。非日常には慣れたというのに、眼前のそれは優香の認識能力を超えていた。


――ボクは、アレをライツだと思いたくなくて目をそらした。偽物かもしれない、と妄想に逃げようとしたんです。洋介殿がいなければ、きっとライツの苦しみも分かってあげれなかった。従者失格ですよ、ほんと。


 胸に手を置くと同時に、ルーミがこぼした嘆きが優香の頭で再生された。

(そうね、ルーミさん。あなたの気持ち、よく分かるわ)

 立場と思考は違っても、おおむね同意だと優香は思う。


 アレを、ライツそのものだと確信できる自信が優香には無い。強く意識を持たなければ、彼女の顔すら優香は直視できない。優香の目は、眼前の光から逃れようとしている。その光は、暴力的なまでに優香の心を打ちのめしてくる。否応なしに(いやおうなしに)、人間自分とは違う存在なのだという事実を突きつけてくる。手の出せないものなのだ、手を伸ばせば火傷やけどしてしまうと本能に訴えかけてくる。


 優香も、ルーミたちの話を聞いていなければ逃げ出していたかもしれない。前に踏み出そうとすると、優香の足はぐっと踏みとどまろうとするのだ。それでも、自らを奮い立てて足を動かす。


 近づくほどに、異質な空気は濃くなっていく。優香の心臓は、痛いほどに高鳴っている。自己主張が激しすぎて、喉までやってきているようだ。そのせいだろうか。呼吸は苦しく、吐く息はますます荒くなってくる。

(苦しい)

 閉じかけた目を、優香は全力で頭を振ってから、力一杯こじあけた。

(でも、ライツちゃんはもっと苦しいの!)


 皆から聞いた意見をまとめれば、この嫌な気配はライツ自ら発しているものである。そして、こうなってしまっているのは彼女を縛り付けている何者かの力による。今、優香の目には、はっきりと映っていないが、ライツの首にまかれた黒い鎖。それが元凶である。

 それを何とかしなくては。自分には何もできないかもしれない。それでも、何もしないわけにはいかない。


「そうだ、全力で」

 優香はかつて、大切な友達ともだちから聞いた言葉を思い出す。


 全力でぶっ飛ばす。


 ぶっ飛ばすのは自分の役目ではないのかもしれない。それでも、自分ができることを全力でやりとげなければならない。


(ああ、ようやく)

 優香は、濃密な気配のせいで消えかかっていた虹色の軌跡を思い出す。ライツの虹色は、もっと鮮やかだった。あんな、くすんだ色ではなかったと。


 あとは、確信だけ。それも、もう問題ない。


 ルーミの嘆きを聞いた優香は問うた。本当に偽物である可能性はないのか、と。そう言ったら、ルーミははっきりとした意志を持って首を横に振った。


――洋介殿が、あの子をライツと呼びました。


 それだけだった。しかし、それがどれぐらい大きな意味を持っているか、優香にだって分かる。

(そうね、あの人がそう言うなら間違いないんでしょう)

 そこに論理的な意味は無い。それでも、これ以上の答えは無いと優香は思う。


 一歩、また一歩。思い出を勇気に変えて、恐ろしいほどに濃くなる暗い気配にあらがって優香は足を進める。


「こんばんは、ライツちゃん」

 そして、決定的な一歩を優香は踏み出した。


 くるりと振り返るライツ。

「……」

 感情の無い瞳で優香を見据えていた。その目の色に、冷たいものを背筋に感じたが優香はもうひるまない。


「どうしたの。澤田さわだくんのところに行かなくていいのかしら」


 優香の声は若干震えている。それでも、いつも通り、幼いライツに話しかけるように優しく声をかける。そんな彼女の質問に帰ってくる答えは無い。ライツはただ、その冷たい瞳で優香を見つめている。

 それでも逃げてしまわれないだけ幸運だと、優香は思った。夜天に去ってしまえば、優香には追う術が無い。


(それにしても、本当にどうしてここに?)

 ライツは、優香が近寄るまで微動だにせず、ただ一点を見つめていた。そして、今もこの場所を動こうとしない。何かがこの地にあるのか、考えてみたが優香には見当もつかない。


 優香は知らなかった。

 ここがライツと洋介の出会った場所だということを。地上界にちたライツを洋介が救った場所であるということを。


(ここまで来たけれど、どうしようかしら)


 無計画、というわけではない。しかし、優香が最後の行動を決めかねているのも事実だった。

 できるなら気づかれずに最後まで近寄りたかった。しかし、ライツに近づいたことで、さらに濃くなった気配に意識が飛びそうになったことで計画を変更せざるをえなかったのだ。

 考え続け、諦めない。自分にできることを模索する。それ故に、消極的ではあるが、一つだけ優香にできることが残されていた。


 それは、ライツに敵意をぶつけること。そして、ライツの標的になることだ。

(我ながら、ひどい策ね)

 洋介の自己犠牲の精神を叱った手前、あまり選びたくない選択肢ではあったが、現状これしか思いつかなかった。目標は、ライツに一度でもいいから力を使わせることだ。そうすれば、次の展開が予測できる。


 問題は、どう敵意をぶつけるか、だが。

(迷っている時間は無いわ)

 いつ、ライツが飛び立ってしまうか分からない。気まぐれに、今は地上に立っているが、空に去られては手だけでなく声まで届かなくなる。


「ねぇ、ライツちゃん。私、あなたに言いたいことがあるの」


 優香は、ライツのはねにらみ付ける。

 今から言い放つのは、本心から来るもの。実際に行うには支障はあるものの、そんな暴力を思いつきたいくらい怒りを持ったのも事実だ。故に、本物の敵意となってライツにぶつけることができるだろう。


「私、今のあなたのはね、大っ嫌い。今すぐに、むしり取りたいくらいよ」

 美しい思い出を汚してきた、くすんだ虹色のはねを握りつぶす。そんなイメージを右手に込めて、優香は眼前で振り下ろすのだった。

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星使い ティンクル・ライツ ~願いは流星とともに~ 想兼 ヒロ @gensoryoki

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