エピローグ

 八月の海は、照りつける太陽を反射してギラギラと強く輝いていた。


 陽光は容赦なく、切り立った崖に立つリィルの白い肌に突き刺さる。彼は目を細め、水平線の向こう側を見つめている。

「南の海よりは全然マシだけどさ。下手をすると溶けるぞ、コレ」

 本当に溶けるわけではないので比喩なのだが、温度調節を間違えたら一瞬で過熱オーバーヒートしてしまう。それだけの熱気が、リィルを包み込んでいた。


 リィルの言った南の海。それは、つい先日まで滞在していた赤道付近の島、そこをを取り囲む青色のことだ。


 失った仲間と似た種族が生息していると聞いたリィルは「もしかしたら同族がいるかもしれない」と微かな希望を持って、先月はそれを目標に旅をしていた。

 残念ながら、そこにはリィルのような同族の存在はなかった。よちよちと岩肌を歩く、泳げない鳥達しかいなかったが、リィルはその姿を懐かしい思いで眺めていた。


 かつて共に生きた仲間を思い出し、チクッと胸に棘が刺さったがリィルはその痛みごと飲み込んだ。

「さすがにもう、取り乱したりはしないよーだ」

 五月、文字通り我を失った教訓はリィルの中に生き続けている。


――おにぃちゃん、わたし、泳げるようになるね。


 三ヶ月前、ずっと共に生きてきた妹、ロォルと別れる決断をした。自分とよく似た黒い瞳、そして、自分とは違った強い輝きがそこに宿っていたことをリィルは思い出す。

 泳げずとも、彼女の能力があれば海での狩りも移動もできるのだから別にいいのに、とリィルは思ってしまった。しかし、その、諦めを含んだ妥協こそが前に進む力を阻害そがいしているのだと、ロォルの決意表明はリィルに教えてくれた。


――そして、地震も克服する。


 彼女の目標の一つ。それは、リィルが避けられるのであれば避けたい心の傷だ。彼女はそれに挑むのだと、真正面から乗り越えてやるんだと言っていた。

 そんな彼女が、正直、リィルには眩しく感じられた。


 「なんで、そこまで」とリィルは口に出してしまう。彼女の決心に水を指すような失言をしてしまった。言った瞬間に後悔して、何か弁明をしなければいけないと焦った。

 しかし、ロォルはリィルの言葉をあまり気にする様子はなく、何か別のものを気にしている風だったので、リィルはとりあえず何も言わずに彼女を注視してした。


 真っ白な肌を、真っ赤に上気させて彼女は恥ずかしそうに周囲を見渡していた。その行動の意味、ロォルが誰の所在を確認しているのか、リィルにはすぐに分かってしまった。

 そのくだんの彼には聞かれたくないんだろう、近くに姿がないことを確認して彼女はそっとリィルに理由を述べた。


――だって、日本この国に住もうと思ったら地震は避けられないでしょ? わたしは、できるならずっと、ようすけさんの側にいたいから。


「いつ、どこで、うちの妹を落としたんでしょーかね。にぃさんは」


 ケラケラと笑いながら、どこか納得している自分がいることをリィルは自覚していた。

 初対面の洋介に対して、彼はつがいとして理想的だと語ったのは他ならぬリィルだった。自分の恋愛対象の性別が男だったら、という条件付きだったが。


 なぜ、こんなことを思い出したかといえば、話題にしているロォルの気配が明らかに日本に向かっているのをリィルが感じ取っていたからだ。

 有言実行。お互いの旅の導線が重なって久しぶりに会ったロォルから聞いた通り、彼女は語っていたことを洋介相手に実行するつもりらしい。


「まぁ、ねぇさんには悪いけど、応援するくらいはいいだろ」

 これが略奪愛になってしまう状況なら、自身の経験上、絶対にやめておけとロォルに言うのだが、その助言は必要ないだろうとリィルは思っている。


 洋介と優香は、お互いを思い合っているが、どうも一方通行同士で交わっていないようにリィルは感じていた。特に優香の洋介に向けている感情は清くありすぎて、リィルが心配になるほどであった。

 もしかしたら、失ったことすら気づかずに心を壊してしまうかもしれない。そんな未来を想像してしまうくらい、リィルは彼女の行く末を案じている。


 ロォルを間に突っ込んだら、何が起こるのか。観客席で見ているような気分が、リィルの中で昂揚こうようしてくる。


「おっ」

 そんなことを考えていたら、リィルが待ち構えていたものが視界の中に入ってきた。


 リィルはそっと目を閉じ、右手に意識を集中させる。

さぁ、狩りを始めようビィリヤ・アズ・ヴェイザ


 リィルを覆っていた真夏の空気が一瞬で冷える。周囲の水分が凝結し、彼の右の掌に集まってくる。形作られた長い棒のような氷を、リィルは握りしめて大きく振った。

 そこに現れたのは白金のマスケット銃。リィルの相棒、自身の身の丈ほどもあるそれを、彼は鉛筆のようにクルクルと回して、銃身に力を充填させる。


 そして、左手でその回転を抑え、そのまま照準を合わせて即座に撃ち放った。


 静かだった海に白い光がきらめく。

「うしっ、大漁っ!」


 海面に命中した散弾は、周囲に氷の膜を貼る。その氷が、そこを通りかかった魚群を閉じ込めた。リィルはこの魚達を実際に食べる量だけ残して、あとは解凍して元に戻すつもりだ。


「だいぶ慣れてきたな」

 最初、自分の意志でこの銃を使った時、その威力で照準が合わなかった。ここにきてようやく、自分の手足のように扱うことができるようになった。


「頭真っ白になったオレにこき使われたのが初陣じゃあ、納得しないもんな」

 銃はリィルの呼びかけに応えるかのように、陽光を浴びて白く輝いていた。


 これなら、優香や洋介、そしてライツに何か有事があれば、自信をもって助けにいくことができる。

 彼女たちには助けてもらった恩がある。その借りを返す義務がリィルにはある。それらも当然、リィルの考えにあることだが、大事なのはそれだけではない。


「大切な、『仲間』だもんな」


 今度は、絶対に失わない。リィルは、その想いを心に刻みつけていた。

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