第47話 譲れぬ信念

「あはっ。すごいっ、すごぉいっ」

 絶賛語彙力ごいりょく低下中のライツは上空で手を叩いていた。


 眼下では真っ白なきらめきが宙に舞っている。

 ロォルの放った術の効果の余波か、急にひんやりとした冷たい空気が周囲に広がった。その空気を浴びると同時に、ライツは気にもしていなかったが、優香が感じ取っていた全身を圧迫してくる冬のような気配が徐々に薄れていっている。

 白い霧の中央、リィルはその氷結した空気の中で閉じ込められている。彼が周囲の空間に撃ち放った術の効果は、ロォルによる、性質は違っても同じ意思を持つ術によって封じられた。そのため、リィルの結界は徐々にだが消え去ろうとしていた。この圧迫感がなくなっていく感覚はそのせいだ。やんわりと、じんわりと消えていっている。


 それでも、本格的に術が解けるのには時間はかかる。リィルの『喰らえ、我が氷雪の城郭よシュノウ・キャスタラ』はかなりの広範囲を飲み込んでいるし、水の神による加護が上乗せされているから強固である。

 しかし、いずれは結界は消失する。リィルによって時を止められた人達も動き始め、元通りの時を刻むようになるだろう。


「あんだけ止まっていれば、何とかなりそうだよね」


 ライツの視線の先にいるリィルは完全に機能を停止させていた。肉眼では動きが確認できないほどだ。

 ライツの目に映る彼も、人間の認識とあまり相違はない。まだ、その内に力がうごめいているのをライツは感じ取っているが、それが再び表に出てくる前にはリィルと切り離すことができそうだと、ライツは心を踊らせた。


「ん?」


 しかし、そんな彼女の心を曇らせる気配が一つ。ライツはその気配の出処でどころを探って、すっと視線を動かした。


「これじゃあ、だめ……止めないと……もっと、しっかり……わたしが、やらないと」


 ぶつぶつと、うわ言のように言葉を吐きながらロォルがハンドルを回していた。その力強さは、ぎりぎりとハンドルが音をたてるほどだ。

 彼女のクロスボウに込められていく意思は、ライツが「きれいだな」と感嘆した氷の霧が放たれたそれとは、まるで方向性が異なっている。


 今度こそ、リィルの命そのものを停止させよう。


 そんな残酷な意思が、ロォルの手にしているクロスボウに築き上がっていくのが見えてライツは焦った。


「このままだとまずいよね」

 尋ねる相手は空にいない。それでも、自分自身に問いかけるように呟いてみればライツ自身が警笛を返してくれる。


「よし!」


 気合の言葉とともに、ライツは両腕を大きく上に振り上げる。ぶん、と振られた腕の勢いに比例してライツに重力と同じ方向の力が働いた。彼女の体はどんどん加速していって、一直線にロォルの目前へと向かっていく。

 ライツが着地すると同時に、どぉんと大きな音がした。突き刺さるかという速度で地面に激突したライツの周囲から、土煙が上がっていた。


 そんな、まるでアクション映画のような光景を、ロォルは表情も変えずに眺めている。


「だれですか、あなたは」


 土埃つちぼこりの中から現れたライツに、ロォルは冷ややかな目で見つめていた。


 ライツのことはロォルの視界に入っていたはずだ。しかし、ロォルはライツのことをまるで認識していなかった。

 ロォルはリィルの近くにいる者が見えなくなるくらいに視野が狭くなっていた。リィルに対して責任を果たすことしか考えられないほど、思考が矮小になっていた。同じ思考を繰り返す度に、ロォルの心もすり減り、傷つき、砕けそうになっていた。


 そんな、ある種の凄みすら感じさせるロォルの視線を受けても、ライツはニコニコと満面の笑みを見せていた。


「あたし、ライツ」

「ライツ……?」


 どこかで聞き覚えがある、とロォルは思った。その名前を聞いて、ロォルに不可思議で、それ以上に心地よい感情を与えてくれた人間の顔を思い出す。


――外に、ライツっていう星妖精の子がいる。


(ようすけさんが言っていたのは、この人?)

 洋介の名前がロォルの記憶から出てくると、彼と関わっていた時の優しい気持ちが蘇ってくる。冷たく凍った彼女の心に、暖かな風が吹き込んでくる。


 一瞬、ロォルの眼に光が戻りかけたが、吹き消されたロウソクの火のようにすっと消えてしまった。


(でも、いったい何ができるって言うんですか)


 そんなロォルの心の声に応えるように、ライツはほがらかに笑う。

そんなこと・・・・・しなくてもいいよ」

 ロォルがリィルに対して何をしようとしていたのかも察して、それでもそんな暗い気持ちを吹き飛ばすかのような自身に満ちた表情で胸を叩いた。


「あたしに任せて。ちゃんと、リィルのことを戻してあげるから」


 ライツにも不安はあった。しかし、それ以上にロォルの不安は根深いことをライツは感じ取っていた。

 彼女の心を護るためにも、自分にできることがあるのなら精一杯やろう。

 洋介と出会ったことで知った自分の願いを貫くために、ライツは己を縛ろうとする負の感情を、彼等を護りたいという陽の感情で吹き飛ばす。


「戻してって、どうやって?」

 もし、今のリィルを何とかできるとすれば、それは神に抗うという所業だ。そんなことができる存在が、この世にいるというのだろうか。


 その難度の高さはライツにだって分かっている。それでも、胸を張っていうのだ。

「大丈夫。あたしが何とかするから」


 (どうして、そこまで)と面識のない少女の満面の笑みを見てロォルは戸惑う。その戸惑いのまま、「だれですか、あなたは」とすでに問うたはずの問いを再びロォルは口に出す。


「あたし、ライツ」

 ライツも同じように名を答えたが、今回はさらに続けた。

「リィルの友達っ」


――あいつなら……きっと、ロォルの助けになってくれるはずだから。


(あっ)

 その、ライツの声に記憶に残っていた洋介の穏やかな声が重なった。今度こそ、ロォルの固く凍りついた心の氷が打ち砕かれた。


 すっ、とロォルの頬に温かな涙が伝う。

「あぁ」

 その一滴が、ずっと我慢してきたロォルの強い感情を呼び起こす。彼女は、せきを切ったように大きな声で泣き出した。


「あ、うぐっ、よかった。ほん、とうによかった」

 本音を言えば、ロォルはリィルを命がけで止めることなどしたくなかった。そんな選択をする自分が許せないほどに嫌だった。

 それでも、自分がしなければいけないことなんだと言い聞かせて、心に傷を負いながらリィルを撃ち続けていた。


(もう、そんなことしなくていいんだっ)


 ロォルの泣き声は、徐々に暖かさを取り戻していた青空に向けて、どこまでも遠く広がっていった。

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