第32話 星使い
扉に駆け寄って身を乗り出すカーラ。自身が無意識にとった行動に彼女自身、驚きを隠せないでいた。
(待て。私は今、何をしようとした?)
確かに命を奪うまでは考えておらず、冷静ではなかったが故に起きた事故のようなものだ。それでも、なぜ自分は落ちていく洋介を助けようとしたのか。
糧となる人間が一人減るだけなのに、今も焦りで冷たい汗を流している自分がカーラには理解できなかった。
動くことも立ち去ることもできず、じっと遠ざかる洋介をカーラは見つめている。その目に、チカッと刺激を感じた。カーラは少し顔をあげる。
「あれは」
こちらに向かって光の尾が伸びていた。まるで、虹のように色がくっきりと分かれた跡を残し、突端は異質な速さで近づいてくる。
その光は、カーラの眼下で洋介を包み込み、一気に弾けた。
「くっ」
その眩しさに、カーラは目を閉じる。瞬間、カーラと繋がっている妖精達の知識から莫大な情報が彼女に流れ込んできた。カーラの感じ取った危機感が、敏感に反応した結果である。
「なんだ、この、むちゃくちゃな話は」
しかし、そのあまりの量にカーラは混乱する。その内容も、カーラにとって恐るべきものであった。
カーラは再び身動きがとれなくなっていた。
洋介が目を覚ましたのは、それから少し経ってからだ。
「あれ?」
落下の途中で、暖かい何かに抱きとめられたのは覚えている。その穏やかさで緊張が緩んだのか、気を失ってしまった。
座っているアスファルトから冷たさが伝わってくる。どうやら死なずにすんだようだ。怪我もなく、段々と体に血が通っていく感じがする。
ぼやけていた視界がはっきりとしてくる。特に意味もなく、己の右手を見つめていた。そこに一つ、掌にふわふわと舞い降りる光を洋介は見た。
手に当たった瞬間、パチリと弾けた。暖かさが、洋介の全身に伝わっていく。先程、自分を抱きしめた熱とよく似ていると洋介は感じた。
(これは?)
洋介はその光の出処を知りたくなって、ゆっくりと顔をあげる。
「あっ」
洋介は息を呑んだ。目に飛び込んできた光景があまりに美しくて、その衝撃で洋介の頭が勢いよく動き出す。
「大丈夫?」
自分を心配そうに見下ろす少女がそこにいた。うっすらと輝く粒子をまとった彼女は、洋介が動き出したことに安堵したようで小さく息を吐いた。
背中には透き通った二対の大きな羽根が生えている。洋介の手に落ちてきた光は、そこから零れてきたものらしい。羽根は常に輝いて、その光が
輝きは、今こうして見ている時も色が変わっていく。玉虫色というのはこういう色のことだろうか、と洋介は国語の教科書に載っていた話を思い出す。
おそらく、それよりも繊細で神秘的な光が彼女と洋介の周りを包んでいた。
「あ、ありがとう」
しばらく、洋介はその姿に見とれていたが口を開こうとする。
どれだけ姿が変わろうが、その紫の混じった鮮やかな青色の瞳を洋介は覚えている。いや、忘れることなどできはしない。
どれだけこの純粋な視線に救われたか。今回は物理的に助けられたらしい。
彼女の保護者気分なところがあった洋介は少し恥ずかしさを感じていた。照れながらも、洋介はいつものように彼女の名前を呼ぶ。
「ライツ」
ライツは、返事の代わりに花が開いたような笑顔で応えたのだった。
――じゃあ、お母さんは大きいんだ。
思い出すのはライツと初めて合った時。彼女の話から洋介はライツ達星妖精のサイズの違いを感じて尋ねてみた。ライツは自分の母は洋介よりも少し大きいと答えたことを覚えている。
眼の前のライツも、今の洋介より身長が高かった。大きな羽根が彼女の存在感を増しているから、もっと大きく見える。単純に彼女の容姿も洋介の感覚では高校生くらいに成長していた。
ああ、これがライツの本来の姿なんだなと洋介は微笑んだ。それでもライツの中身があまり変わっていないようなのが愛らしかったのだ。
そんな微笑ましい光景を、上空からカーラは苦々しい表情で見下ろしていた。
「……星使い」
その言葉を口にした瞬間、再び膨大な情報量が頭に流れ込んでくる。カーラはぐっ、と奥歯を噛みしめた。
星使いの伝説。
長く妖精界にいる者で、その伝説を知らない者はいない。
かつて、妖精界はその存在の危機に陥ったことがある。灰色の存在と呼ばれる、変容した妖精達が各領域を襲ったのだ。各妖精王は絶大な力を持つものの妖精の宿命からか、多くの弱点を抱えていた。灰色の存在は、そこを巧妙に突くことで彼らの力を奪っていったのだ。
領域は妖精王が生み出している。彼らが弱れば、それは領域の縮小、つまりは妖精界の崩壊に繋がる。
そのまま、妖精界はなくなるのではないかと
彼女は、まだ領域を持っていなかった星妖精の一人だった。
光と闇、その両方を併せ持つ星妖精だからこそ生み出された奇跡の存在。妖精特有の弱点をもたず、そしてどんな属性の術も使いこなす。
金色の髪に、虹色の羽根。羽根から零れ、彼女の周囲を舞う輝きは、その一つ一つが本来妖精達が術の行使の度に毎回作り出す力の結晶。
彼女は、その輝きを操って灰色の存在を追い払った。その姿から、ついた
それが目の前の彼女だというのだろうか。
「いや、そんなわけないだろう」
カーラは首を振って、その考えを否定する。
確かに特徴は合致する。しかし、星使いというのは現在の星の妖精王のことだ。帰る場所がなくさまよっていた星妖精をまとめあげ、領域を作り出し、今もその維持に努めているはず。こんな場所に現れるわけがない。
それならば、彼女は何者だというのだろうか。
「ああ、そうか」
そこで、ようやく
洋介の側にいた小さな妖精族。その体躯から、彼女のことを光妖精だとカーラは思っていた。しかし、それは間違いだったようだ。
「あれは星妖精の幼体だったのか」
その考えに至ったことで、情報が徐々に整理されていく。
星の妖精王には、自分の力を受け継がせた子どもが一人いると聞く。彼女は生まれて数年しか経っていないから情報は少ない。それでも、星使いの特質を持った者がいるとしたら可能性はそれしかない。
「星の姫」
カーラはライツを睨みつけて、その拳をぐっと握りしめた。
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