ツッコミガール

鶴丸ひろ

ツッコミガール

 ツッコミに最も必要なのは、豊富な語彙力ではなく、回転の速い頭でもなく、よく通る声だと木原きはら桃風ももかは思う。


 昔から声には自信があった。もともと容姿もぱっとしないし、頭だってそんなに良いほうではないし、運動も得意ではなかったが、とにかく声はよく他人から褒められた。

「桃風ちゃんって、声は良いよね」

 そんな失礼な言葉を、一体何回言われただろう。実の母にすら言われたのだから、生まれてからの累計を取ったら百ではすまないかもしれない。

 とはいえ、こういう言葉のあしらい方を、桃風はきちんと心得ている。

「——だけってなによ! 他にも良いところいっぱいあるから!」

 それだけで良い。変に気のいたコメントなんてしようとしたら、狙ってる感じが出てしまって、却って笑えなくなる。相手の発言の違和感をそのまま指摘すればいい。あとは、それが相手に伝わるように、よく通る声で言えば良いだけ。

 そうすれば、その場にいる連中はゲラゲラと笑うのだ。バカだなあと思う。バカだなあと思うし、何よりそうやってその場が和むことを喜んでいる自分自身が、一番のバカなのだと桃風は思う。

 そんな十六歳の木原桃風であるが、もう容姿のことなんてあまり気にしていない。こんなキャラクターだから、人からいじられることはあっても、本気で口説くどかれたことなんて一度もない。けれど、別に桃風は気にしていない。

 可愛いね、よりも、面白いね、の方がよっぽど嬉しかった。

 確かに容姿は、周囲の可愛い女の子たちには劣るかもしれない。仲のいい学校のマドンナ、山本春子なんかを見ているとそれを痛感させられる。彼女は女の子の可愛い要素をぎゅっと凝縮して詰め込んだような愛くるしさがある。もう顔を見てるだけで自然とため息が出てくる。どうして世の中には美醜という概念があるのかと哲学ちっくな疑問で頭をかかえてしまいそうにもなる。

 だけど、と桃風は思う。

 確かに春子はかわいい。——だけど、春子には絶対に自分みたいにツッコミをすることは出来ないのだ。それだけは、譲れない。こっちにだって負けられない誇りと自信があるのだ。

 自分のツッコミで、誰かが笑ってくれる。

 それだけで、自分は幸せ。——そう思う、高校一年生の木原桃風だった。

 


 けれど、高校二年生になった木原桃風はひと味違った。

 恋をしたのだ。

 相手は中村という男で、身長が高くて、運動神経抜群で、サッカー部のキャプテンだった。

 六月を過ぎた頃、その中村から頻繁に着信が来るようになったのだ。

 これには桃風も舞い上がった。間違いなく脈在りだと思った。しかしいざ思い切って告白してみると、「ごめん。付き合うのはあれだけど、でも声だけはずっと聞いていたいから、電話だけ毎日してもらってもいいかな」となんとも図々しいお願いをされた。悔しかったので本当に毎日電話してべらべら話し続けてやった。半年後、「ごめん、彼女ができたからもう電話しないで」なんて抜かすので、これはさすがに文句の一つでも言ってやろうと腹に力を込めたら、「でも、やっぱり桃風ちゃんの声、すてきだったよ」なんてぬけぬけと言うものだから、結局、桃風は静かに受話器を置いたのだった。「まったく、声が素敵すぎるってのも問題ね」ため息交じりに呟いたその言葉は、少しだけ湿っていた。


 そんなわけで、木原桃風はこれまでの自分から変わることを決意したのだ。

 声だけ褒められる、——そんな現状が、嫌になった。

「それで、もうモモちゃんはツッコミをやめちゃうの?」

 クラスのマドンナ兼、親友の山本春子は、相変わらずほんわかした雰囲気を醸しつつ、喫茶店の向かい側の席で言うのだ。

「あんなに、ツッコミを入れるのが好きだったのに?」

「そう、もうやめるの! 私これからはすっごくほんわかして、可愛らしくて、愛くるしい女の子になるの! ツッコミみたいなね、そんな場を和ますムードメーカー的な存在はやめるの。いじられるよりも、口説くどかれたいの。春子みたいに可愛いねって言われる女の子になりたいの。——ねえそんな目するのやめてよ! 私はやるって決めたんだから!」

「んー、できるのかなぁ」

 ふわふわと舞う綿毛のような緩さで、春子は首をかしげた。

「だって、モモちゃん、ツッコミしてないと死んじゃう病気だし」

「どんな病気よそれ! ——とにかく、私は今日から春子みたいな女の子になるって決めたんだから! 絶対もうツッコミなんてしないんだから。ほんわか柔和にゅうわな女の子になるんだから、見ててよねっ!」

「そっかぁ。わかった。がんばってね」と春子は笑った。



 とはいえ、木原桃風はけっこうストイックな女であった。やると決めたらとことんやるのだ。

 家では柔らかい声を出せるよう発声練習をしたし、鏡の前で柔和な笑みを浮かべる練習もしたし、化粧だって研究した。「愛くるしい振る舞いとはなんぞや」と疑問に思って、丸一日、春子の振る舞いを観察し、それを逐一ちくいちノートに書き込んだりもした。春子の一歩後ろについて、まるまる同じ動きをするようまねてみたこともある。

 最初こそ「なんか、ぶりっこっぽいなあ」と桃風も思っていたが、一週間も実践していると、次第になじむような気がしてくるのだった。だんだん、柔和な笑みを浮かべて、話をすることもなれてきた。

「なんか最近、桃風つまんないよね。ぜんぜん話に乗ってこないし」

「昔はきちんと返してくれたのにね」

 クラスメイトの心ない会話だって知ったこっちゃない。

 目標があるのだから、他者からの目なんて気にしてられない。変化に対する違和感は、時間とともに薄れるのだからそんなことは気にしなくてもいい、と桃風は割り切っていた。



 そんなこんなしているうちに、あっという間に木原桃風は高校三年生になった。

 いまの木原桃風は以前とは全く違っていた。顔には嫌みにならない程度の化粧がのり、髪の毛も緩いウェーブをかけてほんわかした印象を持たせていた。

 クラスメイトからいじられることもなくなった。

「面白いね」は、いつしか「かわいいね」に変わっていた。

 山本春子と並んで、ふたりともゆるふわな雰囲気を醸し出していることから、「春風コンビ」として名の知れるようにもなった。

 そしていま、木原桃風は新しい三年A組の教室で、新しいクラスメイトとガールズトークに花咲かせることに忙しい。

「えー? クラスで一番かっこいい男子? うーん、わたしはねぇ、横井君がすきかなっ。きゃ、言っちゃった。恥ずかしぃよぉ」

 桃風は頬を両手で押さえた。こういう動作が、「可愛らしい」振る舞いであるというのを独自の調査で知っていた。

 一緒にご飯を食べていたクラスメイトの女子は目を丸くした。

「ええ? 横井って、あの横井秀一? あのサッカー部の? なんで? あいつアホじゃん」

 桃風は人差し指を口元に当て、天井を仰ぐ。

「んー、アホだけどぉ、でもそんな抜けてるところがかわいくない?」

「そうかな。でもあいつだったら、桃風ちゃんから行けばすぐ付き合えそうじゃない?」

「えー、そんなことないよぉ」

 もうそこには、クラスのお調子者でツッコミが大好きな木原桃風の姿はないのだ。

 


 唯一、そんな桃風に難色なんしょくを示していたのは、春風コンビのもう一人であり、桃風の親友、山本春子だった。

「なんかぁ、やっぱり無理してるような気がする」

 行きつけの喫茶店で、春子は言うのだ。

「愛くるしい女の子になるって言ってたけど、いまのモモちゃん、やっぱり間違えてるよ」

「そんなことはないよぉ。もう、はるぴー、そんな怖い顔しないで」

 両手を振りながら、笑って桃風は言った。

 春子は笑わなかった。大きくて黒目がちな瞳でじいっと桃風を見ていた。

「なんか違うよ、やっぱり。キャラが合ってない。だって、いまのモモちゃん、ぜったい無理してるもん」

「でもぉ」桃風は答えた。「前は応援してくれてたじゃん、はるぴーも」

「それは、……してたけど」

 春子はアイスのカフェラテをストローですすった。

「でも、なんか思ってたのと違うっていうか……。いいの? 今のまま、もしそういう振る舞いで男子から好かれたとして、それでつきあったりしてさ、それでも良いの? モモちゃんは、それで満足できるの?」

「で・き・る・よっ。もう心配しすぎだよぉ、はるぴーってば。おてんばさんっ」

 ぱちっとウインクを飛ばす桃風。

 春子は笑わない。

「私は、昔のモモちゃんの方が、よっぽど生き生きしていたと思うな」

「いまも生き生きしてるよぉ。すっごく楽しいもん」

 桃風がそう言うと、春子はムスッと唇をとがらせた。不機嫌なときの春子の癖だ。ちゃんとノートにもメモしてある。

「まあ、いいけど。でも私は、昔のモモちゃんの方が好きだったなぁ。今のモモちゃん、本気で笑ってるようには見えないもん」

「えー? そう?」

 よくわかんないや、と小首をかしげて、その場は流すことにした。



 ラブレターをもらったのは、その一週間後のことだ。

 火曜日の面倒な時間割をこなし、帰ろうと思って下駄箱のふたを開けると、自分のローファーの上に一枚の便せんが乗っていたのだ。

「……え?」

 三度、まばたきをして、桃風は靴箱のふたを静かに閉めた。きょろきょろと周りを見渡して誰もいないことを確認し、もう一度ふたを開いた。

 ある。

 間違いない、ある。

「——ええっ!?」

 桃風は持っていたカバンをスノコに落とし、便せんを手に取った。周りに誰もいないのを確認したにもかかわらず、小さく背を丸め、隠すようにしてその便せんを読む。


 木原桃風さん。あなたのことが好きです。体育館裏に来てください。


 名前の欄には、「横井秀一」と書かれている。

 横井秀一といえば、三年から同じクラスになった男子だ。喋るとあれだが、黙っていたらそれなりに格好良いし、サッカー部だから運動神経だっていい。アホだとよくクラスメイトの男に言われているが、そういうアホっぽい言動も、——実は、好きだったりする。

 にしても、

「——いまどき靴箱にラブレターって、ベタすぎでしょ!!」

 あまりの嬉しさに思わずツッコんでしまう。

 ——ああ、だめだめ。

 頭を振り、桃風はおしとやかな表情をつくる。こういうときは、どうしたらいいだろう。あの山本春子ならどうするだろう。彼女なら、きっと、

「えぇ、ど、どうしよう。はずかしい……」

 顔を染めて、ぼそっと桃風はつぶやいた。うん、こんな感じ。

 とはいえ、それは全くの嘘の感情ではない。これまでクラスのお調子者として生きてきた桃風にとっては、こんなこと初めてのことなのだ。

 ——あなたのことが好きです。体育館裏に来てください。横井秀一。

 桃風はその便せんを穴が空くほど凝視ぎょうししている。

 ついに、

 ついに、ここまで来た。

「——あー、もうっ!!」

 桃風は全身にぎゅうっと力を込めた。嬉しくて、恥ずかしくて、どうにかなってしまいそう。これから自分は、どうなってしまうんだろう。横井秀一に自分は何をされてしまうんだろう。もう、これまで知らなかったことを、たくさん教えられてしまうのだろうか。体育館裏で、自分は一体どんな目に遭わされてしまうのだろう。お前のことが好きだ、とか言われるのだろうか。目をつむって、とか言われたらどうしよう。もしかしたら、今日ついに、は、初き、きききききききき——

「モモちゃん?」

 不意に声をかけられて、桃風は飛び上がった。

「そんなところに突っ立ってどうしたの? 靴でも隠された?」

 山本春子がカバンを手にしてすぐ横に立っていた。あの日以降、ちょっぴり言葉にトゲがある山本春子である。

「あ、はるぴー。なんでもないよぅ」

 桃風はとっさに手紙をポケットに隠し、両手を振った。顔が赤いのを見られたくなくて、すぐに靴を履き替えた。

「ごめんねっ、わたしこれから用事があるから。じゃあまたね」

 そう言って桃風は昇降口を飛び出した。



 念のため、校舎横の公衆トイレで口紅だけは落とした。

 体育館裏まで、足取りは軽かった。遂に自分も、告白されてしまうことになるのか。初めてだから、どんなことになるのか、全然分からない。けれどまあ、なるようになれだ。とにかく秀一の言うことに乗っかっておけば良いはずなのだ。君が好きだ。そんな、恥ずかしいよ。そんな恥じらってる君も可愛いよ。もう……ばか。ほら目を閉じて——

「きゃ——————————っ!!」

 走る。走る走る。今の自分なら百メートルを十秒で走れる。空だって飛べる。火照ほてった頬に、向かい風が心地良い。ああダメダメ、と思う。こんなところを見られたら、去年までの自分に戻っちゃう。こういうとき、可愛いクラスメイトはこんなに走ったりしない。舞い上がったりなんてしない。こんな姿をしていたら、きっと横井秀一は驚いちゃう。もっと、おしとやかに、頬を染めて、可愛らしい振る舞いをしなきゃ、

 可愛らしい振る舞いを、……しなきゃ、

 ——無理してる気がするもん。

 ふいに、春子の声が頭をよぎる。

 ——いまのモモちゃん、無理してる気がするもん。

 桃風の足が、止まる。

 自分は、いま、無理をしているのだろうか。

 もしも、——もしも今日、横井秀一の彼女になったとして、そうしたら、このさきもずっと可愛い子を演じ続けなくてはいけないのか。少しでも変なところが出たら、そうしたら、また、フラれたりするのだろうか。

 考えてみたら、声を褒められることが、最近はなくなってしまった。

 ——なんか間違えてるよ、やっぱり。

 自分は、間違えていたのだろうか。こうやって、可愛い子になろうとすることは、ダメだったのだろうか。



 横井秀一は、本当に体育館裏で待っていてくれた。

「あ、木原さん」

 桃風の姿を見た途端、ぱあっと秀一は顔を明るめた。

「よかった。来てくれないんじゃないかって思った」

 恥ずかしそうに笑う横井秀一を見て、桃風はふたたび罪悪感にかられた。こんな中途半端な気持ちで、ここに来てしまったことを、後悔した。いっそ、さっきまでの舞い上がった気持ちでいた方が、良かったはずだ。

「あの、……どうかしたの?」

 横井秀一は、心配そうに顔をのぞき込んで、

「大丈夫? ごめんもしかして迷惑だったかな」

 普段の、——最近の桃風なら、ここで柔らかく笑って、「迷惑じゃないよぉ、すっごくうれしい」と言っていたかもしれない。

 けれど、今はもう、無理だった。ずっと正しいと思ってやってきたつもりだったのに、こうやって迷ってしまったら、もう出来なくなってしまった。

 桃風はまっすぐに秀一を見た。

「迷惑だなんて、とんでもないです。すっごく嬉しかったです。ただ、私が、……ちょっと私の問題で」

 もうキャラも振る舞いもどうでも良かった。こうして自分をここまで呼び出してくれた秀一に、誠実に答えなくてはいけない。やっぱり、ふわふわした振る舞いなんて、自分には無茶だった。

「あのね、私、横井くんが思っているような女じゃないの」

 桃風はすべてを話した。自分がかつて、ツッコミしか能のない女であったこと。好きでもないのに、無理にキャラクターを演じていたこと。実は、それに疲れていたこと。

「だから、私、たぶん横井君をがっかりさせるから、……その、ごめんなさい」

 桃風は頭を下げて、そのままきびすを返そうとした。

「——待って」

 横井秀一が桃風を呼び止めた。

「知ってたよ、木原さんがクラスのお調子者だったこと」

「……え?」

「あたりまえじゃん。だって、木原さんの明るい性格は、学校でも有名だったんだから。すごく明るくて面白い人がいるって、二年のときの僕のクラスでもよく聞いてたし」

「そ、そうなの?」

 桃風は目をしびたたかせた。

「うん。そして中村のバカにつきあわされて、半年間もわざわざ電話させられてたことも知ってる」

「わああっ! 何で? 何でそれをっ!?」

「中村もぼくもサッカー部で、それで木原さんのことをずっと聞いてたんだ。そして半年もの間つきあわせておいて、結局、中村が木原さんを振ったことも、そしてその後、だんだん可愛くなっていったのも知ってる」

 もう開いた口がふさがらない。

「ずっと、——ずっと前から、君のことを見てた。中村に振られてもふて腐れずに、そうやって自分を追い込んで努力してる姿が、とっても素敵だって思った。だから今日はこうして、ここに来てもらったんだ」

 桃風は——ときめいていた。

「いやいやいやいや!」

 桃風は声を荒げた。

「またまたぁ! 口がうまいんだから」

「本当だよ。ずっと木原さんのことが好きだった。二年生のとき、教室に響く澄んだ声が、大好きだった。誰かにツッコミを入れている姿も、そして場が和んでいるのを見て嬉しそうに笑っているのも好きだった」

 恥ずかしい、恥ずかしいから、こういうときはどうしたら良いのか、もうてんやわんやで、ロマンチックな雰囲気になるはずなのに、どうしてもこっぱずかしくて、

「て、——照れるなぁもうっ!」

「そうやって誤魔化すところも、好きなんだ」

 ひぃ——っ、と桃風は心の中で叫んだ。体中の毛という毛が逆立つ感覚。気がつかないうちに呼吸が浅くなり、体温が上昇する。ドクドクと心臓が高鳴って、揺れているのが自分の体なのか地面なのかよく分からない。熱い、熱い——

 秀一が、桃風の正面に立った。

「だから、僕とつきあってくれますか」

 目を見られない。桃風は生唾をのんで、無言のまま、コクコクと頷いた。それしか出来なかった。

 秀一が、ホッとしたように笑った。あんなに恥ずかしい台詞をたくさん言っていたくせに、どうやら秀一もかなり緊張していたようだった。

「はぁ、あー、よかった。——よろしくね、桃風」

「よ、よろしくです」

 かろうじてそう言って、桃風はふたたび口を真一文字に結んだ。

 しばらくの間、静寂があった。

 どちらも何も言わない。体育館では部活動をしているようで、きゅきゅ、とシューズがすれる音がする。


「ねえ、目をつむって」


 きた、

 きたきた、きたきたきたきた——

「……うん」桃風はぎゅっと目を閉じた。

 ああもう、こんな感じになるなんて、どうしよう。意識が今すぐ飛んていきそうだ。

 恥ずかしい、恥ずかしい、恥ずかしいけれど、——でもここで、照れ隠しでツッコミを入れたら、きっと関係はなくなってしまう。いま逃げ出したら、一生こんな雰囲気から逃げ続けることになってしまう。

 だけど、

 ああもう、照れくさい。背中がむずむずする。顔が熱い。今すぐツッコみたい。ツッコんで、二人でガハハと笑いたい。

 いつまで我慢させるつもりだ。目をつむったまま、もう五分はたった気がする。ああもう、もやもやする。ツッコみたい。いつまで女の子を待たせるのよと言いたい。

 言いたい、

 いったいいつまで、

 女の子を待たせるのか、


「ごめん、おまたせ。目を開けても良いよ」


 目を開けた。

 秀一は、満面の笑みを浮かべて、何かを持っていた。

「これ、プレゼント。きっと喜んでくれるって思って」

 桃風は、渡されてたそのブツを黙って見つめている。じっとじっと、見つめている。

「……これって、」

「ハリセンだよ」

 秀一は恥ずかしそうに鼻をかいた。

「一応、オーダーメイドなんだ。本当は同じクラスになってからすぐに告白しようって思ってたんだけど、このハリセンが間に合わなくて」

 へへ、と照れるように秀一が笑う。

「この高校に入学してから、ずっと思ってたんだ。桃風にはハリセンが似合うって。ツッコミをしているのを見て、これがあったらもっと盛り上がるって、ずっと思ってた」

 いつしか秀一は、真剣な顔をしていた。

「いつまでも、ずっと君のツッコミが聞いていたいんだ。その澄んだ声で、周りをツッコんで、そして笑いの渦を巻き起こして欲しい。そして、桃風の嬉しそうな顔をこれからもずっと見せて欲しい。その助けに、すこしでもそのハリセンが役に立ったら、嬉しいな」

 桃風は呆然として秀一の顔を見ていた。

 忘れていた。そうだ、こいつはアホなんだ。

 ——ふ、ふふ、

「あははっ!」

 桃風は笑った。半年ぶりに、心の底からわき出てくるような笑いが出てきた。可笑しくてしょうがない。どこの世界に、告白するときのプレゼントとしてハリセンを用意する男がいるだろう。

 本当なら、くすくすと笑わなくてはいけないのかもしれない。自分の目指していた女の子は、こんな大口開けて笑ったりしない。口元に手を当てて、上品に微笑むべきなのだろう。

 だけど、そんなこと知ったこっちゃなかった。

 可笑しいものは可笑しい。面白かったら笑いたいし、笑ってくれたらそれが嬉しい。違和感のある言動には、その違和感を指摘しなくては気が済まないのだ。

 だって、変なのだから。

 おかしいだろう、と桃風は思う。おかしい。ふつうは、目をつむったらその後にすることは決まっているはずなのだ。こちとら、わざわざトイレで口紅を落としてきたのに。リンゴの香りが付いたリップクリームだって塗ったのに。初めてのことで、とてもとてもドキドキしていたというのに。

 女に目をつむらせといて、本気でハリセンをプレゼントするこの男が、いじらしくて、そして、愛しかった。

 いつまでも、この人の横にいたいと思った。

 ——もう、

 桃風はぎゅっとハリセンを持つ手に力を込めた。オーダーメイドなだけあって、手によくなじんだ。

 そう、

 ツッコミは、おかしいところを、そのまま指摘すれば良い。

 あとは、よく通る声で、相手に伝わるように言うだけだ。


「そこは、キスするところでしょっ!!」


 パシン、と小気味の良い音が青空の下に響いて、——それから桃風は、秀一の胸ぐらを引き寄せて、ぎこちないキスをしたのだった。

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