拝啓、若葉のころ

 斯くして多くの人間が巻き込まれた「ゲームい」は漸く終幕を迎える。

 だが、映画と違って大団円ハッピーエンドにはまだ早い。なぜならば、どのような戦争においても「戦後処理あとしまつ」があるからだ。


 午前8時–––––東京・神室町かむろちょう

 ゴミゴミと雑然とした街並みに溶け込んだ、赤い煉瓦模様の壁が目印の雑居ビル、その最上階にある会議室。

 その辺の家具屋で一揃え買ってきたかのような安っぽいテーブルと椅子が置かれた室内に、数十人規模の人間達が集められていた。全員かなり年若く、おそらく二十代を超えた者はいないだろう。

 性別や国籍はバラバラで共通点といえそうなのは、彼らが軍服に似た白い服を着ているということだけだ。

 やや猫背ぎみに立ち尽くす彼ら彼女らの眼前には、肩まで伸びた髪をヘアピンで留め、傍らにギターケースを置いた青年が、実に爽やかな笑顔でリクライニングチェアに座っていた。


「……さて。今日はいきなりの呼び出しに応じてくれて感謝する。まぁ、協会長を無視するなんて芸当は食いっぱぐれたくなければしないか。っと、あまり時間もないしさっさと本題に入ろう」


 数日前。

 東京・光陽台市にて、協会でも末端に属する退魔師達により大規模な戦闘行動クーデターが起きてしまった。いわゆる「テロ」の一つであり、上層部の号令によりすぐさま対策が練られ、昨日の時点で戦闘そのものは収束している。

 彼らは「暴力」によって現協会長の退陣と前協会長「霧雨 霜華」の復帰を要求したが、それを越えるさらなる「暴力」で屈服させる形で事を収めた。現状、把握する限りでは百名近い死傷者が出てしまうという凄惨な結果に終わる。

 首謀者となった人間は協会長「霧雨 託人」の手によって葬られ、その他の構成員も多くが戦闘で命を落とした。ここにいるのは生き残りの残党だ。

「協会長の代替わり」でこのような痛ましい事件が起きてしまったとしても、上に立つ人間として、何らかの処分を下さなければならない。ゆえに託人は彼らを協会の「本部」がある此処へ召喚したのである。


「君達を『処分』する前に、何か言い分があるなら聞こう。申し開きはあるか」

 居丈高に言い放たれた言葉に一番前に立っていた者が歯軋りし、仄暗い光を湛えた目を向ける。

「……何が申し開きだ、巫山戯るな。我らに非など何一つあるわけがない!」

「ほう、ここでしおらしい態度の一つも見せれば減免も考えてやったのだが。そうまで己の信念を貫くのなら、容赦は不要ということで良いのかな?」

 一見すれば人好きのする笑みで託人は告げる。その瞬間、彼らに動揺が走った。

 俄かにざわめきだす集団を睨め付けつつ青年はよっこらしょと立ち上がり、とある人物の前まで近付く。

「なぁ、俺に首謀者の居場所を教えたのは確か、君だったよな?何故自分達の不利に繋がる情報を提供したんだ?」

 残党の中でも、一際小柄で身に包んだ服がだぶついてしまっている少年は、今にも泣き出しそうな震え声で言い募った。

「だ、だってなんか、おかしいと思ったんです……。僕らはただ、霜華様のもとで働きたかっただけなのに、どうして戦わなきゃいけないのかなって。それに、リーダーさんの近くにいた人……僕らは『顧問』って呼んでたんですけど、すごく怪しかったし。あの、僕らはどうなってしまうんですか……?」

 見たところ、少年はまだ中学生くらいだろう。「情報提供者」である彼のパーソナルデータを既に閲覧していた託人は少年のことを紙の上では知っている。

 書類上は、光陽台学園に通うごく普通の男の子だったはずだ。「退魔師見習い」なのを除けば、どこにでもいるような。とても、こんな恐ろしい事件に関わっているようには、きっと誰も想像さえしないだろう。

 だからこそ余計に根が深いのだと、彼はとっくに気付いていた。


「なあ、『少年法』って知ってるよな。ウチの学校は授業内容がかなり高度だから、中学生でも習っているはずだ。

 これは最近になってどんどん厳しくなっていって、子どもでも凶悪な犯罪を犯せばムショ行きだ。けど、あんたくらいなら、少年院送致で済むかもしれないな。しかしこれは、あくまで『外』の人間にのみ適用されるんだよ。……どういうことかもう分かるだろ?テメェらは見習いでも『退魔師』だ。だから、『外』の法律なんざ関係ねぇ。退魔師を『管理』すんのは、ここにいる俺だからな」

「全国退魔師協会」の長は、彼ら退魔師に纏わる全ての権限を持つ。罷免を始めとする懲罰を与えることも、全体の方針を定めることも。一般社会における、「司法」、「立法」、「行政」の全てを管轄するのが仕事だからだ。ゆえにその力は絶大で、自分勝手に使えばこの国全体に悪影響を及ぼすことさえある。

 だからこそ、「代替わり」は毎回騒動が起こるのだ。全幅の信頼をおける人間にしか務まらないから。

 そして「霧雨 託人」を信用ならんと判断した彼らは行動に出た。ただし、「悪魔」によって巧妙に扇動アジテートされて。

「はっ……はは、あははっ……笑えよ。俺は、後輩にさえ裏切られたってわけだろう?こんな会長、今まで果たして生き残ったことあんのかね。どうせ、任期を全うする前にみーんな殺されたんだろうなぁ!」

 ふるふると肩を揺らし、青年は哄笑する。そこに人間味など欠片もない。喉を仰け反らせ、口を大きく裂いて笑う彼を残党は不気味そうに見つめる。

「全員死刑だ。テメェらが勝手に暴走したせいで、何人死んだと思ってる?95人だ!およそ百人も貴重な人材が失われたんだぞ!あんだけ優秀な人間を育てんのに何年かかった!いくらかけた!それも想像できないクズなんぞいらねえ。死んだやつらにも及ばないゴミは処分する。

 ……その命をもって償え」


 託人の命令により、残党はまとめて霧雨家本邸の地下牢へと送られる。そこで執行までの時間を過ごすのだ。絶望に喘ぐ彼らを無感動に見下ろしてから、託人はフラフラ笑う膝で本部ビルから去る。

「結局、こうなるのか……」

 トボトボと独りで歩くその姿に、覇気は全くなかった。




 キンコーン、と伸びやかな高音でお昼休みを告げるチャイムが鳴った。近隣の学校はノーチャイム制を導入しているようだが、ここ光陽台学園では従来通りチャイムが時計の役目を果たしている。

「B棟」と呼ばれる退魔師専用の校舎も、いつもなら例外なく長休憩に弛緩した空気が流れるが、この日は違った。お昼から午後イチの時間にかけて、全体集会が開かれるからだ。

 講堂には何百人もの生徒達が集まっており、多くの者達が気だるそうに集会が始まるのを待っている。ただし、一部の生徒達は沈痛な表情を浮かべていた。




 午後1時。「集会」が始まった。


 ザワザワとうるさい講堂内に、一人の青年が姿を現す。舞台袖の扉から堂々と入り、そのまま壇上へ上がる。

 舞台中央に立つ「彼」を見た生徒達から大きな声が上がった。ざわめきはますます酷くなり、ブーイングが巻き起こる。

「ひっこめ」、「帰れ」、その他耳を塞ぎたくなるような暴言、誹謗中傷の数々。

 ふいに何かが投げつけられた。それは壇上の青年に過たず命中する。べしゃり、と彼の顔にかかったのは生卵だった。それだけではない。放られた石飛礫が青年を容赦なく襲い、時には腐ったトマトなんてものも投げ放たれる。

 これでは集会にならないと、控えていた年長の退魔師達が慌てて止めさせようとするが、青年はそれを制止した。

「いい。大丈夫だ……。大丈夫だから」

 そして、深く息を吸い込み、大音声を張り上げた。


「『どのツラ下げてここに来た』って思うみんなの気持ちは分かる。弁解するつもりはない。けれど、義母かあさんの名誉を守るためにも一つだけ言わせてほしい。

 彼女は、自分に力がないことを悔やんでた。あんなに強くてカッコいいひとでも毎晩のように泣いていたんだ。俺は子どもだったから、何故あんなにも義母さんが自分を責めていたのか分からなかったけれど、あのひとはずっと、最後までみんなのことを考え続けてきた。退魔師の将来について真剣に思っていた。俺はそんな彼女に憧れて、あのひとの意志を継ぎたいと思ってここまできた。だが俺のやってきたことはどうやら間違いだったらしい。

 ……だから決を取りたいと思う。なぁ、俺は長として相応しいか?それとも分不相応だったかな。みんなに決めてほしいんだ」


 しん、と講堂内が静まり返った。

 生徒達は、今まで「彼」がどんな立場にいたのかを知っている。


「ブルー・シャドウ」

 それは霧雨 託人のもう一つの名前だ。

「影」という文字が意味する通り、その役目は霧雨家当主が表だってできない仕事を肩代わりすること。

 例えば暗殺。例えば誘拐。例えば人身売買。例えば、反乱分子の処理。汚れ仕事専門ゆえに、彼は今まで多くの犯罪に手を染めてきた。

 一方で当主の命令以外には決して従わないことから、「当主の狗」という屈辱的な蔑称を甘んじて受け止めながら。

 かつて、託人が霜華に対して「駒」と己を評したことがあったが、由来はここからきている。

 託人はこれまでずっと、日の当たる道を歩むことはなかった。後ろ暗い経歴を持つがゆえに、彼の異例すぎる「協会長就任」は歓迎されないどころか「クーデター」が起きてしまうほどの反発が起こってしまったのだ。


 清廉潔白な退魔師に到底相応しくない。

 あんなきたない奴に重要な役目など任せられるものか。

 そうだ、引きずり落としてやればいい。そうしたら、


 そして起きてはならない悲劇が起きた。

 百人近い人間が無駄な戦いのために犠牲となり、そしてまた「クーデター」に参加した若い人材を喪うことになる。

 流れた血は何も生み出さない。ただ、憎悪の種をばら撒くだけだ。

 そして、いつか再び争いがこの街を覆い尽くすだろう。

 –––––憎しみは連鎖する。


「もう止めよう。俺は、誰かを憎むのに疲れた。誰も殺めたくない。ここであんた達に嬲り殺されたとしても仕方ないと理解しているが、お前らはそれで満足するのか?なぁ、次は誰を殺すんだよ!」


 此処で託人を下ろしたとして。では、次に長に選ばれた者が、託人のような目に合わないと一体誰が言い切れる?また、新たな人間が無為に殺され、彼らの欲を満たすのに使われるだけだろう。

 そこに意味などない。

「自己保身のために言うんじゃない。俺はもう、みんなにこれ以上の罪を犯してほしくないだけなんだ。どうか理性を持ってくれ。もう、犠牲を出さないで」

 言葉を重ねながら、託人は頬を何かが濡らしていくのを気付いた。それが己が流した涙だとは分からずに。

 完全なヒトではない託人には、彼らの本音など分からない。一体何を考えているかなどさっぱりだ。

 それでも、生徒達が–––––否、自分に反発する人間がただの怒りに呑まれているのは判っている。だから言葉を尽くす。

「暴力」では何も解決しないと、やっとわかったから。

「君らの力は、誰かを傷付けるものじゃない。人々を守るためにあるんだろう。俺のように殺すばかりじゃないはずだ。最後の願いだ。どうかもう殺さないで。護るために使って。なぜ退魔師になったんだ?……守るためだろう!」

 過ちを犯した……そして、多くの罪を。もう戻れないところまで来てしまった。ゆえに、青年は言葉を紡ぐのだ。

 例え呪文でなくとも、そこに言霊の力は宿るはずだと信じて。

 ここは日の本。「言霊ことだまの幸う国」なのだから。


 言いたいことを全て言い終え、託人は壇上から下がった。もう未練はなかった。ここで自分の未来が絶たれるとしても。



 同時刻。

「子ども」の様子を見ていた一人の「母親」は、くしゃりと秀麗な顔を歪め、ほろほろと涙を零した。


「ごめん……ごめんよ、私の可愛い子どもよ……すまない。どうか、私を赦さないで」

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