伸ばした手は届くのか:B
もしも、赦されるのなら、私はずっと兄さんと一緒に居たかった。恋よりも愛よりももっと深い感情で、あの人と繋がっていたかった。
私の願いが伝わらないとしても、傍にいられるのなら。
それだけで、良かったんだよ。
–––––なんだか、ずいぶんと長い夢を見ていたような気がする。あの子は一体何者だったんだろう。
ズキズキと痛む頭を押さえながら身を起こし、キョロキョロ辺りを見回す。見覚えのない景色に首を傾げていると、黒髪の小さな少女がこちらへ向かって歩いてきた。
「……なあーんだ。目が覚めたの」
つまらなそうに言い放つ彼女の視線はひどく冷淡だ。お互いの顔と名前は知っているとはいえほぼ初対面に等しいのにも関わらず、何故これほどに刺々しい態度を取られなければならないのだろう。
「私が目を覚ますのがそんなに悪い?そもそも、此処は何処なの」
「街はずれの廃工場だよ。見ればそれ位分かるでしょう」
「生憎と箱入り娘なんでね。地理には疎いの。……そういえば、私を攫った奴らはどこ?」
操業を停止した巨大な機械があちこちに放置されうず高く埃の積もった、だだっ広い工場内には霞と少女だけしかいなかった。意識を失う前に見た黒服達の姿はどこにもない。
「さあ?私は此処であなたを見ているよう言われただけだから知らない。興味もないしね」
棒読みのような台詞を口にした少女の視線が少し揺らいだのを霞は見逃さなかった。
「あっちね、あなたは此処で待っていてちょうだい」
「まさか、現場に行くつもり?やめなさい!コラっ、待てぇ!」
慌てて止めようとする少女–––––光姫を無視して彼女はずんずん進んでいく。
「あそこに、兄さんがいるんでしょう。なら、止めないで」
「駄目だ、あんただけは行かせるなって厳しく言われてる。此処を通すわけにはいかない」
小さな身体をめいいっぱい伸ばして通せんぼする光姫を霞は猫の子でも掴むように軽々と小脇に抱えた。
「あっ、ちょ、やめなさい!このぉ……っ、離せー!」
「あーもー、うるさーい。子どもは大人しくしててよ」
「子どもじゃないー!こう見えて縄文生まれなんだから!って、違う!!」
ギャーギャーと喚く
そして、彼女は初めて『戦う彼』の姿を見た。
時間を少しだけ巻き戻そう。
激昂した託人の力と、光陽台市に渦巻く負のエネルギーを用いて召喚された、「天使・ミーシャ」が飛び立ったあと。
託人は意識を取り戻した。体力と負った傷を癒してもらったゆえか、思考は明瞭で淀みがない。あれほどの狂気を綺麗に押さえ込み、涼しい顔をして立っている。
「……あー。よく寝た。んん、えーとどこまでいったっけ?ああそうだ、霞が連れ去られてこっちに来たところからか」
読みかけの小説をもう一度開くときのような軽い口ぶりで呟き、ぐぐっと背伸びをした彼は、放って置かれていた自分の武器を拾い上げ、異常がないかチェックし始める。
「おー、ジャムってないしスプリングも歪んでない。さすが、高い金払って良いもの買っただけあるわ。っと、塗装が少し剥げちゃってるな。まぁ、あとで研磨すればいいか」
手元のハンドガンをくるくる回して全体を確認し終えあと、セーフティをきちんと掛けて腰のホルスターにしまい込む。一連の動作に無駄はなく、彼がいかに戦い慣れているかが窺いしれた。
「……で、あいつはどっから現れたわけ?さっきはいなかったよな」
「
「いやー、だってあいつから殺気が感じられないし。戦う必要ないのかなって」
てへぺろっ☆と言いたげに舌を出す17歳の男子高校生にイラっときた光姫はすぐにローキックを放った。カパアン!とイイ音がして見事にヒットする。弁慶の泣き所を押さえて蹲る少年はどう贔屓目に見ても情けなかった。
悶絶する託人を見下し、幼い子どもの外見をした人外の娘は忌々しげに罵倒する。
「はぁー…………。なんだってこんなアホが最強最悪超絶美人な異形の王たる私を再封印できたわけ?いや、何かの間違いなんじゃない?っていうか、蹴りの一つや二つ華麗に躱してみせなさいよ、ったくつまんないなぁ」
「その言い草ひどくない?ねぇねぇ、俺ってば超豆腐メンタルなんだかんね、そこんとこ気遣うとかしてくれてもよくないっすか。こうみえて今すっごい落ち込んでるんだけど、励ましの言葉とか何もないの。何、これって新手のイジメ?」
それぞれ違う方向に口の達者な二人は、次々と言葉を繰り出し言い争う。コントじみたやり取りはなかなかに愉快ではあったが、シカトされた形になったホロウはさすがに限界にきた。
「このっ、無視するんじゃねぇ!少しは構えよ!俺は一応悪役だぞ!」
が、腰に手を当てた格好をした少年はヘラッと笑い、眼前の悪魔を思いっきり馬鹿にした。
「ハァ?悪役ぅ?その程度で?ハッ、ダセエよ!せいぜいちょっとウチの
なんだかよく分からない謎すぎる説教に、二人揃ってぽかんと口を開ける。
「えーと、じゃあ俺は正々堂々としてるなら悪いことやっちゃっていいわけ?」
「何言ってんの?そんワケないでしょ?テメェが
ニヤニヤ笑いにあっかんべーまでされて黙っていられるホロウではない。ブチィと血管の切れる音を聞いた彼はワナワナと肩を震わせ、トレードマークのシルクハットをぶん投げた。そして、手袋を外して放る。
「決闘だ!俺と勝負しろっ、さもなきゃそこの可愛いお嬢ちゃんを魔界にお持ち帰りすんぞオラァ!」
「おーおー上等だテメェやってやろーじゃねぇか!秒で沈めてやんから覚悟しろオラァ!泣いても許さねぇぞ!」
バチバチとガンをくれつつお互い武器を構える二人をそっと遠くから眺めていた光姫は、いつかに見た光景を思い出していた。
「あ。これ、あれだ。この前駅でケンカしてたヤンキーのタイマンだ」
なるほどーと一人頷く彼女をよそに、戦いは始まっていた。
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