紅蓮の少年

 ゆらり、と幽鬼の如く現れた存在感のない立ち姿。整った顔に浮かぶ薄い笑み。その手に握られた一丁のハンドガンが、妙に目に焼き付いて離れない。

「彼」はそいつに見覚えがあった。当然だ、その者は取引相手であり大切な「お得意様」なのだから。

「霧雨殿……。何故、此処に?」

 引き攣った顔で冷泉が尋ねると、眼前の彼–––––「霧雨 託人」は無言のまま構えた銃を一発放つ。

 雷撃を短縮したような音と共に弾丸が駆け、冷泉の背後にいた男を撃ち抜く。掠めた弾が彼の髪を数本ちぎった。

「あはは、いきなりなんですか?私に撃たれるような理由があるとでも?」

 明らかに命を狙われたというのに、彼はまだ余裕の態度を崩さない。

「……うるさい。お前はさっさと死ねばいいんだよ」

 言うが早いが銃を投げ捨て、彼は瞬時に距離を詰める。いつの間にか手にしていた小刀を閃かせ、冷泉の喉を切り裂こうとする。

「駄目っ!兄さま、それ以上は……っ」

 慌てて割って入った光姫が、己の腕で託人の一撃を受け止める。斬りつけられた腕から出血し、赤い飛沫が舞う。

「なに?お前、邪魔」

 彼女を前にしても、託人の冷淡な表情は変わらない。刀身に付いた血脂を払い、彼は予備動作なしに回し蹴りを見舞った。鈍い衝撃。バキボキ、と肋骨が砕けた感触に彼女は呻いた。

「はっ……レディには手加減しなさいってママに習わなかった?」

 思わずピアスを付け替えようとして、ビリリと指先に電撃が走った。

「……くそっ!能力が使えればあいつと止められるのに!」

 まだ、冷泉を殺すわけにはいかない。彼は重要参考人だ。あとで事情を聴く必要がある。そんなこと、託人だって分かっているはずなのに。霞に手を出されたショックで周りが見えてない。

「ふふ、久しぶりね。こうして苦戦するのは!」

 ああ、気分が高揚していくのを感じる。湧き上がる血はおさまらない。

 彼女は徒手空拳のまま彼を待ち構える。

 兄さま。私、手加減しないよ。だって、本気じゃなきゃ貴方に勝てないからね」


 –––––そして、もう一人の役者は降り立った。シルクハットにタキシードを優雅に着こなし、秀麗な顔には嘲るような笑みを刷き、紅い瞳を愉悦に歪める。

 俳優のように気障な仕草でフワリと舞台に上がる彼は、バサリと革の翼を広げて告げる。

「ひひ……ひはは!ようやくだ、やっと、我が宿願が叶う!長かったぞ!けれどその時も、もうすぐで報われる……」

 上着のポケットからロケットを取り出し悪魔は写真の少女へと微笑みかけた。

「待ってて。今、逢いに行くから」

 首飾りの中に収められた写真に映る彼女は彼とよく似た顔立ちをしていながら、その背には、が生えていた。


 そして今一人の少女と、彼女に付き従う者達が、壇上へと辿り着く。「組織」に従い「破壊」のみを繰り返してきた少女と、そんな「お姫様」を守る彼らはある一つの決意のもとに歩み出す。

「いくよ、屑羽、屑葉。あの人を助けるんだ」

 過去に犯してきた罪を帳消しにはできなくとも。もう、これ以上の過ちを重ねたりなどしないと。



「彼」を取り巻く空気が変わる。ゆらゆら揺らめく透明な陽炎は、近付く者全てを焼き焦がすように膨張と収縮を繰り返す。灼熱のオーラを纏いながら、託人は穏やかに微笑む。

 いつでも攻撃できるよう構えていた光姫は、その笑顔がまやかしのものと分かっていても惹かれそうになる。

「……負けるものか。狂って歪んで、壊れ堕ちてしまったあんたになんか」

 なまじ顔が整っているからか、尚更その笑みがおそろしい。きっと今の彼なら、なんだって踏み潰せるだろうから。

 この上なく美しい微笑のまま、彼は神速の一撃を繰り出した。

 人外でさえ軌道の捉えられない、大振りのナイフがまともに彼女の眼球を貫く。

「ガッ⁉︎く、あああ!!……っくそ、ふざけるなよ……この私を舐めるなァ!」

 怨嗟に満ちた声で光姫は絶叫し、右目に突き刺さったままのナイフをズルリと引き抜いた。ドロリと溢れた血が顔を濡らすが無視して、飴細工か何かのようにそれをグニャリと曲げてしまうと、地を蹴って一気に彼我距離をなくす。

 そして鋭く尖がらせた手刀を突き入れ、腹の中を掻き回した。

「くぉ、おおお!!っは、ははは!!はは!ははははははは!!」

 皮膚を突き破り、内臓をグチャグチャとかき混ぜられてさえ、彼は笑いかけてみせる。その顔にもはや正気はない。細い手を血で汚しながら、彼女もまた苛立ちを隠さずに蹴飛ばした。

「このっ……うるさい!今すぐ楽にしてやるから黙れッ!」

 こびり付いた血を振るって落とし、両手でその首を締めようとして……ふと、我に返る。今、自分は彼に–––––?

 瞬く間に傷口は塞がり始めていた。彼の持つハーフとしての本能が目覚めているからか、異常なまでに治りが速すぎる。

「うらああっ!……今度こそ、頼むから目覚めてよぉ!」

 泣きながら彼女は血を吐くように叫び、渾身の力を込めて殴りつける。ドスッ、ドスッと鈍い音がして、彼の筋肉が打ち据えられていく。

「ひゃははははは!はははっ……あは、はははっ!!」

 工場内に跳ね返る哄笑。笑いながら彼は一筋の涙を流していた。

「うるさいうるさいうるさああい!!お前なんか、お前なんかが、いなければよかったのに!あああ、あああああ!!」もはや何を言えばいいのか分からない。それでも胸を突いて出る言葉は、怒りと、憎しみと、どうしようもない寂しさに満ち溢れていた。託人を何度も何度も殴りつけながら、彼女もまた苦しみにあえいでいた。

 彼の狂気に引きずられるようにして、光姫も凶気に呑み込まれそうになる。

 流れる涙を拭いもせず彼女は託人の襟首をつかんで揺さぶった。

「帰ってきてよ!……お願いだから、もとに、戻って……!」

 こいつのことなんか嫌いだ。人間の理由で力を封じておいて、更には一緒に暮らそうなんて、あまりに身勝手すぎるではないか。でも、不思議と遠ざけてしまおうとは思えなかった。

 あんまり独りが寂しかったから、誰でもいいから一緒に居たかったのかもしれない。けれど、今では彼がいないことなど考えたくもないほど、隣にいるのが当たり前になっていた。

「頼むよ、ねぇ、私を置いていかないでよぉ……。貴方が私に願ったくせに!」

 その瞬間。

 なされるがまま殴られ続けていた託人が不意に微笑んだ。それは、さっきまでの狂ったようなおかしな笑みではない。安堵に満ちた穏やかな笑顔だった。

「ありがとう……止めて、くれて」

 か細く小さな声で言葉を紡ぎ、彼はそっと意識を手放す。気絶した彼の髪がみるみるうちに赤く染まり、根元から毛先まで真紅に艶めいた。

 彼女にとって見覚えのありすぎるその色に、光姫は身も世もなくあらん限りに叫び、怒号した。

「どうして!アウローラ、何故貴方は何も言わずに消えたのよ!何故、私に伝えてくれなかったの……」

 光姫は託人のことについて殆ど知らない。けれど、彼のならば知っている。

 彼は–––––紅蓮の王子は、彼女がまだ「夜光姫」でなかった頃、一番大切に想っていた人だった。


「ふぅん、どうやら僕はは邪魔者のようだし、そろそろ退散するとしよう」

 先程から激しい戦闘を繰り広げていた彼らを、遠くで興味深そうに観察していた冷泉はそそくさと立ち去ろうとして、首元に何かを突きつけられて立ち止まる。

「……何だい、さっきまで僕のことなど視界にも入れてなかったくせに」

 嘲弄するかのような言葉にも、光姫は笑顔のまま吐き捨てる。

「ふざけないで?私達が戦うはめになったのはテメェのせいだろ。ってわけでその罪を身をもって償え」

「あ?僕に何の罪があるって?心外だなぁ、そういう誤解は良くない。実に良くないよ。所詮は盤上の駒にすぎない僕に何ができるっていうのさ」

 大富豪らしい上品な所作で彼は肩を竦め、首を狙う光姫の爪から離れる。

「盤上の駒?お前、何を隠している?」眉をひそめ、問いかける光姫に冷泉は笑って答えない。それ位自分で確かめろと言いたげに。

 そして、モデルのように優雅な足取りで青年は工場から去っていく。

「僕の役はこれでおしまい。さっさと舞台から去ることにするよ。が控えているからね!」

 遠くなるスラリと伸びた背中を悔しげに見送り、彼女は託人の元へと駆け寄る。

「兄さまっ、大丈夫?って……」


 気を失ったまま動かない彼のすぐ傍。一人の男が佇んでいた。

 シルクハットにタキシードを纏い、皮の翼に先の尖った尻尾を生やしている。褐色の肌にルビーの如く赤い瞳。

「ホロウ……。なんで、あんたがここにいる。彼に近付かないで」

 嫌悪感も露わに光姫が厳しく告げると、ホロウと呼ばれた悪魔はわざとらしくため息を吐いた。

「あーあ。あんだけカリスマ誇ってた夜光姫サマともあろう方が、人間の男にベタ惚れですか。つまんねーなぁ、俺は前みてぇに尖ってたあんたの方が好みだったんだけど」

「はぁ?何を勘違いしてんだか知らないけれど、私とそいつはそういう関係じゃない」

 しかし光姫の言葉など聞くつもりもないのか、彼は更に託人に寄ると膝をついてそっと首元に触れた。

「良いねぇ、若いって。いや、俺も見た目は若いけどさぁ、なんせ紀元前から生きてるもんで、色々枯れちゃってるしなぁ。まぁいいや。毛艶もまあまあだし、これなら術式の起動には充分」


 ブワリ、と少年を中心に大規模な魔術式が展開した。ただの魔方陣ではない。何か特別な魔法生物を召喚するための特殊な方陣だ。……たとえば、使などの。

「あなた、何を考えて–––––っ!」

 天を衝くように真っ白い、清冽で激しい光が全方に放たれる。何もかも飲み込み溶かしてしまうような、強く鮮烈な光。

「前が見えないっ……、兄さま!」

 光の中心へ駆け寄ろうとしても足が動かない。彼女はなす術もなく立ち尽くすしかなかった。


 やがて光が収まったあと。

 託人の傍にはもう一人増えていた。

 真っ白な羽根を広げ、透き通るような蒼い瞳に長い金髪を背に流した少女。甘く微笑する顔立ちは、ホロウに驚くほどよく似ていた。


「紹介しようか。俺の妹、天使・『ミーシャ』だよ。可愛いだろ?」

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