みどりの瞳 04
深い緑色の竹林の葉が、さざ波のように揺れている。何かを囁いているようにも聞こえて落ち着きがない。地面を覆う麦色の草が薪が爆ぜるに似た音を響かせた。
「………」
光磨は目覚めると鈍痛に襲われ思わず、顔をしかめる。手足が痺れているのかうまく動かない。
それでもゆっくりと周りを見渡せば、そこはツカサの家ではなかった。寝かされている部屋の床は板張りで、屋根もしっかりと木の板が張り付けられてある一軒の家だ。光磨の他にアンダンテや鼓動、音喜の姿もある。いないのはツカサだけ。
どうやらツカサがあのお茶に何か入れて眠らせ、ここに連れてきたことになる。だが、何のために連れてくる必要があったのだろう。やはり、壁の向こう側から来たということで何か、されるのだろうか。
ふと過ぎった悪い予想に、光磨は頭を振る。出来ることなら考えたくない予想だった。しかし、ここにいないのがツカサだけとなると、あと考えられるのは村の人たちに脅されてというのが考えられる。彼の話を思い出すと、それもあり得た。
しかし、ツカサが言った最後の一言が気になる。
「お告げが必要って、言ってたが……」
もっとよく部屋の中を見ようと身を起こし、その場にしゃがみ込む。地面には黒とオレンジ色の陰影が揺れている。どうやらそれは、松明の光ではないのだろうか。時折聞こえる爆ぜる音はそれを裏付けている。
そして、唯一の出入り口には人の姿が二つ見え、それが障子越しに見えた。光磨たちを見張っているようにも守っているようにも見える。どちらだろうか。
すると、トントンと階段を上ってくる音が聞こえた。
「つか、さか?」
ぽつりと光磨が呟くと共に、障子が開かれ、誰かが入ってくる。松明の逆光で誰だかは分からなかった。
「もう少し、寝ていればよかったのに………」
場違いなほどに優しい声音で、ツカサは腰に手を添える。その後ろで見張りをしていたとおぼしき男二人が、控えていた。
彼らが着ている服は着古した着物を無造作に腰で縛った簡易なもの。けれども、ツカサが着ていたのは眠る前に見たものとは明らかに違っていた。
萌葱色の瞳が怪しく細められ、水色の袴姿で手には幾つもの鈴がついた神楽鈴が、ツカサが光磨の方へ近づくたびに涼やかな音色を響かせる。持ち手からは床につくほど長い三色のリボンが垂れ下がっていた。
「手荒なマネをして、すまなかった。けれどこれは全て、僕らの村のためなんだ」
肩を竦め、仕方ないと早口にツカサは言うが、それと裏腹にそう思ってなどはいないだろう。
「村のためって………どういうことだよ」
「それは言葉どおりの意味なんだ。でも、そうだね…………何も知らないまま死ぬのはいやだろう?」
今、ツカサは何と言ったのか。あまりにも自然に言われて光磨は分からなかった。そんな自分を見ても尚、彼の口元に笑みが浮かぶ。体が震えそうになるのを光磨は押さえ込んだ。
目の前にいるツカサは本当に、優しそうだった彼と同じ人物なのだろうか。、光磨の予想を裏切るかのように、彼は語る。
「話したよね?前任者だった血の繋がらない母が死に、お告げの来ない空白の時間が生まれたと……」
光磨が小さく頷いたのを確認すると、ツカサは続ける。
その結果、自分か父へお告げが早く来るよう願った。村人たちはツカサたちに早くお告げを下ろせと、詰め寄られた。
この村は占いに依存している。それはツカサたちを生かす話のはずが、いつしか無くてはならないものに変わっていった。それと同時に、お告げを下ろせず、占いが出来ないものは殺される。
「だから、僕は祈った。早く、お告げが来ますようにって……でも、それよりも早く父がおかしくなった」
始終何事かを呟いて竹林を一人、さまよい歩き、狂ったように騒ぎ出すといった意味不明の言動が増え始めた。
「おかしくなっていく父を僕は当然だと思っていた。だって、僕でさえ気が狂いそうだった。そんな日々に終わりが来た。父にお告げが来たんだ」
これ以上の幸せはないとばかりに、ツカサは天を仰ぐ。あの思い出したくもない村の人たちの罵声や暴力、それらに屈する必要がなくなった。
壁に閉ざされた閉鎖空間だからこそ起こりうる差別と、どこにも逃げることができない脅迫概念と無気力、そして最後には諦めが生まれる。
「でも、それは僕にとっても父にとっても特別なものになった」
ツカサの父出て行ったかと思うと、いつの間にか帰っている。それがあの日だけは、嬉しそうに笑いながら帰って来たのだ。
「父は神に会ったと言っていた。その神は父にこれを使えば立場を逆転させることができると告げたんだ」
白い翼に、白い髪に瞳は先端が蒼さが混じる神様。その神がくれたというのがツカサの手に持っている神楽鈴だった。
「父は天にも昇るような気持ちだと言っていた。そのおかげで村人たちを洗脳し、そして神様が下さった僕のお告げを実現させるんだ。君たちを使って、ね」
ツカサは神楽鈴を光磨の目の高さまで持ち上げると、微笑む。しゃらんと場違いなほどの音が耳に心地よく響いた。
「どういうことだよ」
「僕の望みを叶えるために、君たちには贄になってもらうんだよ」
ツカサの背後で誰かが階段を上がってくる音がする。そして姿を現わしたのは、松明の火が舌から煽られた男の姿だった。痩せた頬は骨が浮き、魚の目を思わせるそれが際限なく動く。着流しに身を隠されても尚、浮かび上がるは病的な線の細さが露わになる。子供の力ですら、折れてしまいそうなほど細い首には血管や骨が浮かぶ。まるで幽霊のようだと、光磨は思った。
「彼らが贄か?ツカサ」
「はい、お父さん」
この人がツカサのお父さん。そう光磨が思うほど、彼の気味悪さが浮き彫りになる。掠れた低い声から発せられた息づかいに、総毛立つ。
「贄って、なんだよ!ちゃんと説明しろ!!」
彼の父親に続いて入ってきた村人が、光磨たちをぐるりと取り囲む。そして無造作にその腕を掴んで無理矢理立たせた。光磨の叫びを皮切りに、起きだした鼓動や音喜、アンダンテが抗議の声を上げる。
「僕たちの体は死んだら森に返され、森と同化する。けれども、君たちを贄とすれば僕たちはそんなことしなくて済むんだ。人間として死ぬことができる!彼らから白い目で見られて惨めで過ごす必要がなくなるんだよ!こんな幸せはない!父も苦しい想いをしなくても済むんだ!」
両手を広げ叫ぶツカサに、光磨は余計意味が分からなかった。森に返され、同化する。
それは一体どういうことなんだ。
確かに、光磨の村でも音喜たち森守一族は死んだら森へ返される仕来りだ。けれども、同化するというのは分からない。
「音喜、どういうことなんだ。森に同化するって……」
光磨たちは死んだら木で作った棺桶に入れられ、そして火葬場へ行き、燃やされて墓に入れられる。それは、壁が出来る以前からずっと続いてきた埋葬の仕方だ。だから、音喜たちも同じものだと思っていた。それが、村人共有の墓地になるか、森の中にあるという彼らだけの墓地に埋葬されるかの違いだと思っていたのだ。
「光磨、残念だけど……そう言う意味、だよ。僕たちは死んだら棺桶に入れられる。けどそのあとは、生前決めていた木の元に置かれる。やがてその木から根が伸びて、棺桶にいる体へと向かう。そして、その木と同化……するんだ。森に愛された森の愛し子。森から離れて暮らすことは絶対に出来ない哀れな忌み子」
最後は呪文のような音喜の言葉に、光磨は絶句した。なぜそんなことになるのか、分からない。たぶん音喜も分からないのだろう。生前から決められた木はいわば、墓標だ。
「骨の一欠片も残すことなく同化する。そして、僕という存在が生きていた証すべてを失うんだ」
消えるのだという。森に愛された故に、森に返されたと同時に体も、自分という存在が生きていた痕跡何一つ残すことなく、死ぬ。使っていた道具や着ていた服、それら一つ残すことなく。書かれた手記は、死んだ瞬間に細切れとなって消え、消えてほしくないと言う想いさえも消えていく。あとに残るのは、その人がいた、という朧気な記憶のみ。
「だから、僕たちの先祖のことは知っているし、お爺さまにも聞いたことがある。けど、悲しい気持ちは一切ないんだ。まるで実感がない。薄情に思えるかもしれないけど、森守一族は、僕たちはそういう、ことなんだ」
「なん、だよ……それ」
音喜と出会って初めて知った真実。それをなぜ、ずっと隠していたのか。自分と音喜は友達ではなかったのか。光磨の中で言いたいことが溢れたが、言葉にならない。ただあるのは、音喜に対しての純粋な怒りと悲しみ。音喜に裏切られたような気持ちだった。
「話は、終わったみたいだね。連れて行って」
村人の号令が轟き、光磨たちを引きずっていく。意味の分かっていない鼓動とアンダンテは、辺りをキョロキョロと見回している。現状を理解したいけれどもそれを聞く光磨も音喜も、話を出来る心境ではなかった。
「くっそ………」
光磨は項垂れる。このまま贄にされてしまうのか。そんなことは絶対に嫌だ。自分はまだ、音喜の胸ぐら掴んで殴ってはいない。まだ、言いたいことは山ほどある。
すると、光磨の胸元が光った。
「あっ………」
光磨は願った。ここではない、どこか離れた場所。そこに自分と音喜と鼓動、そしてアンダンテを連れていって。
リーゼルは言った自分が願えば答えてくれると。自然と唇から言葉が紡がれた。
「《荒れ狂う嵐よ、我を守りて運べ、彼の地へ》」
その刹那、間近で太陽を見るような光と爆風が光磨たちの周りで吹き荒れた。
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