第4話 純情な魔王と平凡な勇者の爆発

 放課後――


 暮れなずむ茜色の教室に、類稀なる美少女がひとり立っていた。

 黒基調のセーラー服からすらりと伸びる、若木の様な瑞々しさを持つ手足。艶やかで長い黒髪は、少し開いた教室の窓から吹き込む春風にふわりと揺れた。

 清純可憐の四字熟語がよく似合う純和風の正統派美少女――


 それは、愛染真央あいぜんまおである。


 誰もいなくなった放課後の教室内で、ひとり机の教科書を鞄の中へ収めてゆく。

 小さく可愛らしい溜息が、つい形の良い口唇くちびるから洩れた。


「はぁ……」


 零れ落ちた空気の塊は、どうしても憂いの色を帯びてしまう。まさか転校初日からトラブルを起こして職員室へ呼び出されてしまうとは。

 初登校の感想を聞きたい……担任からはそう聞いていたが、それは名ばかりのことだった。教壇で起きたトラブルの原因――教室で悲鳴を上げて倒れ込んだ件について――を、今の今まで問われていたのだ。


 しかも……あの隣に居た男の子ばかりが悪いように言い立ててくる。

 そんなことは、ちっともないのに。


 憂鬱な気持ちを抱えた真央が、再び形良い口唇から溜息を零しかけた時だった。


「おい、転校生」


 不意に掛けられた声にハッとして振り向くと、その声の主は、腕組みをして教室の戸口に立っていた。良く通る聞き覚えのある低い声は、今まさに真央が思っていた人のものだ。

 他の生徒よりも頭一つ高い身長。一見細身にも見えるが、制服の上からでもよく分かる豹の様に引き締まった身体。浅黒く日に焼けた精悍な顔立ち――


 それは、衛守勇士えもりゆうしである。


「さっきは、すまなかったな」

「いえ、とんでもありません」


 普通の生徒であれば、身を縮ませてしまいそうな威圧感を持った声。

 ぶっきら棒な言い草の勇士に対しても、真央は朗らかな笑顔を向けた。


「私が女子校通いで殿方に……いえ、男の方に慣れていなかったので、つい」

「教師たちにも、その説明をしたのか?」

「はい……何か脅されたのか、暴力は振るわれなかったか――などと不躾なことを問われましたが、それは決してありません、誤解ですとお伝えしましたので、ご安心下さい」


 優しげな、しかし少し疲れたような表情で、真央はそう告げた。

 勇士は、そんな真央の瞳を射抜くようにじっと見つめ、再び問いかける。


「本当は?」

「えっ?」


 勇士の問いは、その声に疑いを多分に含む。

 それは真央の言い分を、即座に否定するかのようだった。


「もしや、私のことを疑っているのですか?」

「いや、疑って聞いたわけではない」


 彼女がしたであろう説明については、口を差し挟むつもりなどない。

 勇士は些か睨みつけるように目を細め、真央に再び問い質す。


「俺が知りたいのは、悲鳴を上げただ」

「…………」


 あの時の事を単純に思い返せば、黒板の前で折れたチョークを掴もうとほんの数秒、手と手が触れあっていただけに過ぎない……過ぎない、と勇士は思う。

 そう思うとしか表現できぬ理由は、あの一瞬のうちに現実と幻想の間に放り込まれ、膨大な時間の旅をしてきたかのような感覚に襲われたためだ。

 数々の風景が光の奔流となって疾り、まるでその海に溺れるでもしたかのような感覚。だがこれは、果たして勇士だけが体感した現象であったのだろうか。

 それとも――転校生・愛染真央にも同様の現象が起こっていたのではなかろうか。

 もしもその感覚がこの転校生にも起こっていたのだとすれば、彼女が思わず悲鳴を上げた理由も、十分に納得できる。

 この感覚は、共有した現象であろうか。その真相は、彼女以外に分かるまい。勇士とこの転校生以外に、これを理解できる者などいるとは思えなかった。

 あの時に勇士が彼女から感じた、あの表情、あの態度。

 ここ数年、様々な者たちと対峙することの多かった勇士が、その誰からも受けたことのないそれは、恐怖でも畏怖でも侮蔑でも忌避でもない――新たな感情。

 今までとは違う、平穏や安寧といったものを打ち破る、手強くて力強い、何か。漠然とした感覚ではあったが、彼女はそんな何かを与えてくれるのではないか。そんな不思議な気分を、勇士は強く受け取っていた。

 そしてその漠然としたものが何なのか。どうしても我慢できない。もう一度感じてみたくなっていた。


 本末転倒だな――と、勇士は心の中で自嘲気味に呟いた。


 これではまるで、教師たちの不安を的中させているようなものだ。二人の状況を傍から見れば、野獣が今にも可憐な乙女に襲い掛かろうとしているが如く見えるに違いない。

 当の真央はと言えば、思った通り不安に溢れた儚げな表情を浮かべている。


「あの時……オマエも同じ感覚を共有していたんじゃないのか?」

「あっ、あの……えっと……」


 本来、勇士が持ちうる言葉は、彼女に対する謝罪だけであったはずだ。

 しかし胸の片隅に残る引っかかった蜘蛛の糸のような『何か』を取り払わずにいられない。押し止められない感情が沸き起こっていることに、勇士は気が付いていた。

 あの時の感覚を。この感情を、再び確かめる方法はただ一つ。


「もう一度、俺に触れてみろ」

「い、いけません……そんな……」


 勇士は一歩、転校生に対して近寄った。

 真央は一歩、後ずさりして拒否をする。


「おい」

「ダメ……お願いです……」

「ただ触れてみるだけでいいんだ」

「それ以上近づかれたら……私……わたし……」


 じりじりと後退していた真央から続いた言葉は、実に意外なものであった。


「む……胸のドキドキがばくはつしちゃいます!!」

「……は?」


 暮れなずむ教室内――まるで時を待っていたかのように、茜色に染まった白いカーテンが、バタバタと音を立てて風に大きく膨らんだ。


「……今、なんて?」

「ドキドキが! ばくはつ! しちゃいます!!」


 転校生の表情は、先程までの不安に溢れた儚げな様子から一転していた。

 この顔、どう見てもはち切れんばかりに快楽と悦びに溢れた恍惚の表情である。勇士の目の錯覚であろうか。彼女の両の瞳に宿る光すら、ピンク色に染まったハートマークに見えてくるから、実に不思議なものである。

 勇士はその名の通り、実に肝の据わった男だ。いかなる状況下においても度胸と冷静さを失ったことはない。その勇士の強靭な精神力を持ってして、跳び退くように後ずさった。彼女の変化は勇士を以て戸惑うほどで、本能ともいうべき反射神経で反応したのだ。

 おかげで彼女との間には、ちょうど三メートルほどの距離が開く。


「ふっ……ハァッ、ハァッ……」


 急激な変化を経た真央は、荒い吐息を吐き出して両肩で呼吸を刻む。

 ぽたり、またぽたり……と、玉のような汗が彼女の絹の如き白い肌を伝って落ちた。まだ汗ばむ陽気ではないに拘らず、その頬は薄紅色に上気しているように見える。


「どうしたんだ、急に」

「ええ、あの……私、分かりました。」


 真央は美しい眉山を上げ、勇士に向かってキッと顔を上げた。

 それと同時に、真央は一歩、また一歩と、勇士に対して距離を詰める。

 じりじりと近寄る真央に、今度は勇士が後ずさる番だった。


「さっきのさっきまで、ずっと心の内側で渦巻く悶々としていた気持ち……それがなんだったのか、貴方のおかげで、私、すっかり気が付きました。それは――」

「そ、それは……?」


 大きな目を輝かせ、朝顔のような明るい笑顔と喜色満面な声で叫ぶ


「――それは、きっと、恋!」

「……はぁ?」

「いえ、間違いなく、恋!!」

「恋」

「そう……端的に言えば、これは人間の三大欲求のひとつ!」

「三大欲求」


 三大欲求と云えば確か、食欲、睡眠欲、そして――


「もちろん、性欲です!!」

「はぁっ?」

「恋とは、動物に当て嵌めるならば、発情期!」

「はつじょうき!?」


 純情可憐な乙女が、大きな瞳を輝かせて言う台詞ではない。しかし現実に今、愛染真央という純真無垢な姿形をした美少女が間違いなく口にした言葉だ。

 だがそれ以上に大胆不敵な台詞を、勇士は聞かさることになろうとは――


「お願いします! 私をめちゃくちゃに抱いてください!」

「いきなりそう言われて抱けるか、そんなもん!」

「遠慮なさらずに、さぁっ!」

「無茶言うな! 遠慮するわ!!」

「さぁっ! 襲ってください、狼さぁぁん!!」


 衛守勇士えもりゆうしという本名に、掠りもしない名前で呼ばれた。

 あの、俺は……そんなにケモノっぽいか?

 クラスメイトに『餓えた狼』と言われたことが、そんなに印象深かったのだろうか。

 そんなどうでも良いことを考えながら、勇士は柄にもない台詞を呟いた。


「か、勘弁してくれないか、赤ずきんちゃん……」


 今後こんな状況が、果てまでずっと続くことになろうとは。

 この時、まるで想像だにしないことであった。


 ◆ ◆ ◆


 さて二人の因縁は、一万年前に遡る――先にそう伝えた通りだ。

 それではここで、二人の前世を紐解こうではないか。

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