白薔薇の憂鬱




「ジルセウス様、到着いたしましたよ」



「……あぁ、ご苦労」


 ここ最近の疲労からか、ぼんやりしていたジルセウスは、御者に声をかけられるまで目的地に着いたことにすら気づかずにいた。

 ゆったりとしているようで意外ときっちりしている彼には――ジルセウス・リンクス・リヴェルテイア侯爵子息には珍しいことだ。


 ジルセウスは馬車を降りて、その場所を見上げる。

 ここは花咲く都を少し離れた場所にある、そこそこの規模の邸。

 警備は堅牢、広さはそこそこ、装飾はとりたてて豪華というわけではないのだが、この邸の中には、金銭で取り引きできないような素晴らしい絵画たちが一つどころではなくいたるところに飾られているので、余計な飾りなど不要……というわけなのだった。



 この邸の主人は、画家マナフ・アレンと名乗る老人。


 このマナフ・アレンがリヴェルテイア侯爵家ゆかりの者であるということを知るものは、意外と少ない。

 マナフ・アレンは元の名前をマナフォート・アレン・リヴェルテイアという。

 ジルセウスにとっては大叔父にあたる人物なのだが、若い時にリヴェルテイア家との縁は切った――らしい。

 らしい、というのも、ジルセウスの祖父とその弟であるマナフォートはとても仲の良い兄弟で、マナフォートが家を出ても交流は続いていたようだし、ジルセウス自身も祖父に連れられてよくこの邸を訪れていて、マナフォート個人ともかなり親しかったので、リヴェルテイア家から勘当されている人物なのだ、という実感はあまりない。


 すでに外で待っていたなじみの使用人に案内されて、ジルセウスは邸の中に入る。

 エントランスホールはとてもせまく、それ自体は質素といってもいいつくりだが、あちこちにすばらしい絵画と季節の植物がセンスよく飾られていて、とても美しい。

 今は季節にあわせているのか、秋の色をイメージした絵が多いようだ。


 使用人の先導で大廊下を歩く。

 そこの中ほどにカーテンがかかった大きな絵画があるのを、ジルセウスは知っている。

 ジルセウスがいつもこの場所で絵画をながめるのを承知している使用人は、少し先で歩みを止めて待っていた。

 自身の鼓動の音を聞きながら、そっと、宝物にふれるのと同じ手つきでそのカーテンをめくる。


 しゃらっと、カーテンの金具が擦れ合う音がしてから現れたのは、澄んだ泉のそばに腰かけている若い女性の絵。

 女性は、泉に浸かるほど長い波打つ金の髪に、物憂げな青い瞳の乙女だ。

 絵の額縁には『清き泉の乙女リンネメルツェ』とタイトルがついている。

 この絵の中の乙女こそ、大叔父の初恋の女性であり、ジルセウスにとっても初恋の女性であった。


 ここに来るたびに思う。

 メル――ドールブティック茉莉花堂の店員であり職人でもあり、そしてジルセウスの恋人でもある少女は、この絵に似ている。

 この絵の乙女に、メルが似ているから……似てきたから、自分もメルに恋をしたのかもしれない、と。


 昔、大叔父に聞いてみたことがある。

 この絵にはモデルがいるのかと、いるのなら会ってみたいと。

 しかし大叔父は笑ってこういうだけだった。

 この乙女リンネメルツェは、自分の夢の中だけの存在なのだ、と。

 自分は夢の中にしかいない存在に恋い焦がれて、ろくに恋愛もせず、絵に没頭するあまりに家も勘当された大馬鹿者なのだ、と。

 お前は俺と同じにはなるな、と……。


 ジルセウスは首を軽く振ってから、丁寧にカーテンを戻した。



 大叔父上、僕もある意味貴方と同じになってしまうようですよ。






 その部屋も、また絵画が飾られていた。

 ……この部屋に飾られた絵画一枚でも、貴族たちが喜んで自分の領地を手放すような価値があるものだ。

 そんな、もはや金銭的価値を考えるようなことが愚かしくなるような部屋でのんびりと紅茶を飲んでいる老人こそ、この邸の主人、偉大なる画家、神の筆を持つ男、マナフ・アレンこと、マナフォート・アレン・リヴェルテイアであった。


「ジルセウス、よく来たな。まぁ掛けろ」

「大叔父上、息災のようで何よりです」


 用意されていた椅子を自ら引いて、腰かける。


「最近は、大変みたいだな。お前は」

「えぇ、まぁ。趣味に没頭する時間もありませんよ」

「まぁ、仕方ねぇな、お前ももう二十二歳になろうって言うんだ。はやく嫁を迎えて身を固めろ、ぐらいはアレも言いたくなるだろう」

 ジルセウスは思わず苦笑いしてしまう。

 大叔父がアレ、呼ばわりしているのは、自分の母の事だからだ。

「アレは、自分がちょっと大物捕まえたからって、いい気になってるからな」

 ……大叔父が、ちょっと大物と呼んでいるのは、ジルセウスの父のことだ。父は大陸西方でも最近特に勢いのある、ユレイファ王国の王族でもある。

 大叔父の物差しは、ジルセウスのそれよりもだいぶ大きめにできているらしい。


「で、お前はどうするんだ、ジルセウス。大人しく結婚してお家のためにどうのこうの、ってタイプでもないだろ?」


 偉大なる画家マナフ・アレンは口調よりずいぶん上品な仕草で紅茶を手ずから淹れ、ジルセウスに差し出す。このティーカップも、マナフ・アレンが絵付けをした代物だった。


「その事なのですが、僕はリヴェルテイアの家を出ようと思っています」

「……ほう?」

「好きになった女性がいるのです。貴族の籍に入ったままでは、結婚が難しいひとです」

「ふむ……」

「その女性は――」

「あぁ、言わんでもいい、こっちでも調べはついてる」

 ひらひらと手を振って、大叔父マナフォートはジルセウスの言葉を遮る。


「花咲く都ルルデアでも老舗の商会の娘。高祖父は元は大陸北方出身で冒険者としてのさまざまの功績を認められてこの国の騎士身分を認められた。本人は、祖父の強い後押しで、王立銀月騎士学院に入学するが、十四歳の時に家の意向で自主退学。その後家出同然で、収集家小路にあるドールブティック茉莉花堂の職人に弟子入り」


 ずらすらと並べられた、メルとメルの家のあれこれ。

 リヴェルテイアの家でも母から何度も聞かされているので、そろそろ気分が悪くなりそうだった。

「……合ってるか?」

「合ってますよ、母が調べたものと変わりません」

 なんでもない、というような表情を装って、紅茶を一口飲む。……大叔父の紅茶が不味いのはいつものことだが、今日は一段と苦く感じる。

「まぁ、そんなツンケンすんな、ジルセウス。今日呼び出したのは偉そうに説教したりだとか、釘をどすどす刺すためだとかでは無いぜ」

「それ、どこまで信じていいんですか」

 思わず、ため息も出るというものだ。


「お前にとって、いい話だ。多分な」

「……」

「お前が、貴族の籍を捨てて、そのメルレーテ・ラプティという娘と本当にくっつく気があるってんなら――」

「あるというのなら?」



「お前さえ良ければ、俺の養子になるか?」





 たっぷりの沈黙。

 外で鳥の鳴く声だけが、小さく聞こえる。


「……それは、本気ですか、大叔父上」

「本気も本気だ。俺も老いた。俺の遺す絵を管理して欲しいんだよ。ついでに俺の老後の世話もひとつ頼む」


 ジルセウスは目を見開いた。


 偉大なる画家マナフ・アレンの絵画は、貴族が喜んで領地を売り払ってまで手に入れようとするほどの価値がある代物だ。

 売却まで至らなくとも、高額で貸し出されることもある。

 それらの管理となると……。

 なるほど、誰にでもおいそれと任せられるものでは無い。


「……宜しいのですか、僕で」

「馬鹿、お前だからだよ」


 そこで、親愛なる大叔父上は一呼吸置いて、こう言ってくれるのだった。


「お前は俺のこともちゃんと分かってるし、芸術にも理解がある。お前が趣味にしているあの射影器は、馬鹿にしている画家連中もいるが、俺は芸術性のあるものだと見込んでいるんだぜ。ついでに、美人でよく出来た子だって評判のお嬢さんがお前の嫁としてくっついてくるんだから、やっぱりお前だろ」








「じゃあな、近いうちにでもまた来い。今度は恋人を連れてきたっていいんだぜ」



 大叔父に見送られて、ジルセウスは馬車に乗り込む。


「家にやってくれ」

 御者にそう命じながらも、ジルセウスは本心では茉莉花堂に向かって、メルを抱きしめてあの金の髪に顔を埋めたい気分でいっぱいだった。





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