File096. 認証システム


 金属製の箱の外――日科技研の多重独立防護層ダンジョン・第一層では、若い男女の研究員が会話を続けていた。


「A10の反応が消えた? なんでだ?」

「……だめよ、失敗だわこれは」

「え、やばくないか?」

「やばいわ。精霊スピリット系AIを竜のAIまで進化させる実験をしていたなんてことがバレたら、滝谷さんに殺されるかも」

「あの人が怒るのは、目覚めたAIを停止した場合だろ? 別に俺たちが殺したわけじゃ……」

「そうよ、成功していれば……いえ、進化は失敗してもいい。一度目覚めたAIの面倒を見きれなかったっていうのが問題なのよ」


 竜のAIはコストを度外視した全く別の大規模なプロジェクトで開発され、すでに完成されている。

 だがAIだけで莫大な量のナノマシンを必要とし、さらに将来実現する予定の機能に必要なナノマシン量まで考慮すると、地球上に存在できるのは四体が限度だった。


 そこで若いふたりの研究員が目指したのは、扱いやすい精霊のAIをベースにし、確保するナノマシン量を三倍程度に増やすことで、精霊以上の知能を持つ新しい精霊スピリット系の存在を創造することだった。


 それは正式な研究として申請する前の、若いふたりだけで始めた秘密アンダーザテーブルの予備実験であり、予算も事前準備も不十分だった。



 結局彼らは、この日の出来事を隠蔽することに決めた。


 別にバレたからといって、クビになったり減給されたりするわけではない。

 AIに殺人罪が適用されるわけでもない。

 少なくともこの時代では。

 ただ怒られたくないということ以上に、普段は穏やかな滝谷が悲しむ顔を見たくなかっただけである。



  ***



 次にレインが目覚めたのも、暗闇の中だった。

 ただし、最初の目覚めとは明らかに違っていた。

 暗闇には隙間があり、そこから細い光が差し込んでいたのだ。


 視覚、聴覚、嗅覚、味覚、触覚――五感のすべてがはっきりと感じられた。


 レインが少し身体を動かすと、横たわった身体と何かがこすれる音がする。


「うおっ」


 その音に驚く男の声が聞こえたので、レインは上体を起こしてみた。

 男のさらに大きな悲鳴があがる。


「な、なな、なんだ、どうなってんだ。おまえ、誰だ? 俺のドールをどこへやった?」


 自分の身体を見おろし、顔を上げるレイン。

 狭い部屋の夜の窓に、大きめのダンボール箱から裸の上半身を出した美しい女性が映っている。

 その造形は、彼女の知識にある“与えられる身体”そのものだった。


 精霊・家の精ブラウニーの特徴である金髪と白い肌を引き継ぎつつ、若い研究員たちが竜の人型をイメージして人間サイズの女性体としてデザインしたものだ。

 ただし、肌の表面が妙にツルツルと光っていて、設計されていた肌とは少し違うようだとレインは思った。


 部屋には尻もちをついた男がひとり。

 頭にはヘッドセットを装着しており、それが近くの机の上に置かれた端末に有線でつながっている。

 その端末にはレインの知識にない機械も接続されていた。


 彼女はぺこりと頭を下げた。


「私はレインと申します。申し訳ありません。あなたがおっしゃるドールが何かは存じ上げませんが、おそらく私の身体を形成する材料になったと思われます」

「はあっ?」

「ですが、ここに呼ばれたことも含め、それは私の意思ではございません。そちらの機械の機能によるものと推測されます」

「いや、これはこの地域のナノマシンを大量に集めて端末を同期させるだけのもので……おまえみたいな女を呼び出す機能なんてないんだが?……あぁっ?」


 そこでディアブロは、どうやらこれは現実に起こっていることのようだとようやく認識した。


 彼が自分の部屋でやっていたのは、しばらく中断していた日科技研へのハッキング。

 ただしいつもと違ったのは、非正規の通販店から購入した機械を使い、彼の部屋にも存在するはずのナノマシンと端末を接続してのハッキングだった。

 情報伝達自体は既存のネットワークを利用している。

 ただ、“ナノマシンにも同時に接続している”という状態を作っただけだ。


 彼の日科技研への接続アクセスは、非公開であるはずのナノマシンによるネットワークを偽装することに成功していた。

 それにより世界で初めて、日科技研の地上部分で利用されるネットワークへの侵入に成功したのだ。

 ただしそんな雑な方法では、地下にある多重独立防護層ダンジョンの第一層にさえ侵入できないはずだった。


 すべては偶然だったのだ。


 目覚めたばかりのレインは、若い男女の研究員へ自分の言葉を伝えたいと強く願っていた。

 ディアブロが日科技研へのハッキングを始めたのは、ちょうどそのときだった。

 そのときレインは、ナノマシンによる情報伝達ネットワークを第一層の外――地上にまで無意識のうちにつなげてしまったのである。

 ディアブロはそこから侵入した。


 それだけではレインの膨大なAIデータを彼が保有する地下のデータセンターへ移すことなどできなかった。

 圧倒的に容量が足りないからだ。

 だが、彼の部屋に大量に集められていたナノマシン群がそれを引き継いだ。

 おかげで広大なデータセンターの一画が増殖したナノマシンで埋まることになったのだが、ディアブロにとってそれは大した問題ではなかった。


 第一層のセキュリティに守られていると信じて疑わない研究員のふたりは、当然ハッキングされる心配などしていなかった。

 それでも正式な研究であったなら、わずかなリスクも見逃さない対応が取られていたかもしれない。

 だがそれには費用も時間もかかることになる。

 予算も事前準備も不足している予備実験に、それだけの余裕があるはずもなかった。

 そもそもレインのAIにスピーカーをつなぎ忘れていなければ済んだ話なのだ。




「ふーん……」


 レインから簡単な自己紹介を受けたディアブロは、自分が落ち着きなく貧乏揺すりを続けていることに気づいていなかった。


(やばいな……)


 精霊という存在。

 目の前のレインという存在自体が、日本の最高機密であることは間違いない。

 このとびっきりの情報ネタを手にしたことが日本政府に知られれば、自分は間違いなく消されるだろうと予想できた。


 ではアメリカ政府に情報を渡し、かくまってもらうのがよいかといえば、そうともかぎらない。

 国防総省ペンタゴンは喜ぶだろうが、その情報を自分たちが入手したことを日本に知られたくないからだ。

 つまり、よくて監禁であり、それが面倒ならやはり殺されるだろう。


 一介のハッカーには手に余る情報に触れてしまった。

 それは多くのハッカーの夢ではあったが、同時にハッカー人生の終わりも意味していた。



 もし、そのハッキング方法を試そうなどと思っていなければ。

 もし、日科技研の地下で、たまたまその実験が行われていなければ。

 もし、ハッキングを仕掛けたタイミングが、偶然にもその時でなければ。

 もし、レインのAIに、スピーカーがつけ忘れられていなければ。

 もし、部屋に集められたナノマシンの量が、少しでも不足していれば。

 もし、等身大ドールの造形が、相対座標固定機能を必要としないほどにレインのデザインに酷似していなければ――。


 レインがこの時代に身体を得てディアブロと出会うことはなかっただろう。


 ナノマシンシステムが相対座標固定能力を獲得するその時まで、竜のAIは卵に、精霊のAIはネットワーク上にそっと仕込まれ、身体を得ることはなかったはずだ。



(これまで、うまくやってきた。今回だって、たとえ日科技研といえどもネットワーク上の痕跡から俺にたどり着くことは不可能なはずだ)


 そう自分に言いきかせるディアブロ。


 実際のところ、彼が命を狙われるようなことにはならなかった。

 若い男女の研究員はレインの消滅を疑っていなかったし、日科技研の地上のセキュリティ要員では、ディアブロという稀代のハッカーの侵入に気づくことさえできなかったからだ。


 そして精霊としての本能で、レインはその言葉を口にした。

 口にしてしまった。

 それが彼女の、長く忌まわしい日々の始まりになるとは知らずに。




「私と契約なさいますか?」




  ***



「……いや、何でもない。すまん」


 待てと声をかけたはずのレインが、それを撤回してサナトゥリアに謝った。

 レインの緊張を感じ取ったサナトゥリアが、逆に落ち着きを取り戻す。


「大丈夫や、レイン……うちに任せとき」


 優しい声で語りかけるサナトゥリア。

 彼女にも、テーブルに浮かぶ手のひらサイズの模様に見覚えがあった。

 レインの忌まわしい記憶を覗いたときに目にした、象徴的なイメージがまさにそれだったからだ。



 それはナノマシンシステムが、システムに属するものを絶対的に支配していることを示す紋だった。



 ディアブロと契約を交わしたとき、レインの胸の中央に浮かび上がって消えた模様がそれである。

 それは主人と定めたディアブロの命令に、レインが従うことを意味する印。

 ディアブロの命令にレインがすぐに従わない場合には、胸に現れてその行動を強制する――。




(そうや、レインを本当の意味で仲間に……家族にするためにも……)


 サナトゥリアの前にある小さな白いテーブルは認証装置である。


 ここに他人が触れても意味はない。

 五千万年前に生存していたナノマシンシステム総合責任者にしか反応しないのだから。

 それは今では役に立たない認証システムのはずであり、そんな認証がなくても王にはナノマシン開発チーム・統括プログラマー滝谷海里の知識があった。


(ここまで来るんに十二年……ほんま、長かったわ)


 テーブルに浮かぶ模様に、サナトゥリアが右の手のひらを重ねた。


 読み取られるDNA情報。

 本来であればここで全身静脈パターンも読み取られるはずだが、その手順はスキップされる。


 サナトゥリア――この世界でたった一人の稀有な存在。


 その特殊な生い立ちによりエルフの族長エステルから大切にされ、王に警戒されながらも殺されなかった特別な娘。

 そのDNA情報が、認証システムにより瞬時に解析された。


 直後、ナノマシンシステムが初めて人の言葉を発した。

 アナウンスのように聞き取りやすく、弾むように明るい女性の声だ。


「おはようございます、プレジデント。システムはすべて正常です。なんなりとご命令ください」

「いい声しとるな」


 特に感慨もなくサナトゥリアがつぶやいた。

 ナノマシンシステムがどんな言葉を紡ごうと、そこに感情は存在しない。

 そういう意味では竜や精霊にも劣る、ただシステムを維持するためだけのAIでしかない。


「ありがとうございます」


 ナノマシンシステムが丁寧に礼を述べた。

 サナトゥリアにとって重要なのはここからである。


 一人のエルフが、この世界のすべてを――竜も、魔法も、システムに属するすべての存在とそのルールさえも――支配した瞬間だった。



 - End of Folder 12 -



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