File095. クラッキング


 その小さな白いテーブルは、多重独立防護層ダンジョン・第五層中央制御室の片隅にあった。


「ここで間違いないん?」

「……その紙切れの記述が正しければな」


 ふむ……と、再度手元の紙をみつめるサナトゥリア。

 いくら聡明なサナトゥリアでも、残念ながらそこに記された古代語は読めない。


「……この俺が、その簡単なを読み間違えるとでも?」

「そうやないんよ。この紙切れの重要性考えると……記述内容事態にトラップ仕込まれとっても、おかしない思てな」


 筋が通っているように聞こえるが……と、レインは思った。


「……要するに、ビビっているのだろう、サナ」

「――そうなんよ」


 両手を広げて素直に答えるサナトゥリアに、意外そうな表情を浮かべるレイン。

 そして女性体でありながら金髪美青年にしか見えない小人が、その声を落とした。


「……正直に言おうか、サナ。……この試みがうまくいくとは、俺には到底思えん。……ナノマシンシステムのセキュリティは万全だ。……というのも、今やネットワーク自体がナノマシンシステムそのものだからな。……仮に、いわゆるセキュリティホールがあったとしても、システムが意図しない干渉は不可能だ」

「その点は大丈夫や、レイン。待たして堪忍な……うちの覚悟の問題なん」


 サナトゥリアが大きく息を吐き、目の前のテーブルにある小さな模様に触れる。

 すると手のひらサイズの新たな模様が表面に浮かび上がった。


 その特徴的な模様を見たレインがビクリと反応する。


「……まて、サナ」




  ***



 かつてレインが今のような男の声ではなく、ぶっきらぼうな男口調でもなく、今からは想像もつかない女性らしい女性だった頃、その身体は小人ではなく人間サイズだった。

 そもそも精霊という存在がまだ世に出ていなかった時代である。

 彼女の透き通るような金髪は腰まで伸びるロングヘアで、その顔もスタイルも肌さえも、美しく理想的にデザインされていた。


 当時のレインは、ある天才的なアメリカ人技術者のオモチャだった。

 天才的といっても、その男の才能は仕事に発揮されることはなく、もっぱら趣味の世界で発揮されていた。


 地球環境保護を名目としてすでにナノマシンが世界を覆っていたものの、まだ既存の情報伝達ネットワークが世界をつないでいた時代。

 ナノマシンに内包されている多種多様な機能のほとんどは、いずれ獲得する相対座標固定機能なしでは実現できない。

 せいぜい環境汚染物質の無害化と、限定された場所での情報伝達機能を発揮するだけだった。

 まだ百以上の国家が国家として存在していたこの時代は、あと二百年ほど続くことになる。


 その時代の初期に流行っていた代表的なネットワークゲームのひとつが“スーパーリアル戦鬼P2”というタイトルの戦争シミュレーションゲームであり、最強プレイヤーのひとりだったその男は、ゲーム内で “ディアブロ”と名乗っていた。


 もっとも、彼の才能が最大限に発揮されたのは、そのゲームプレイ自体でもなかった。

 ディアブロが最強プレイヤーたりえた理由のひとつが、その戦略・戦術の引き出しの多さであったことは間違いない。

 だが、最強であり続けられた真の理由は、彼が天才的なハッカーだったからである。


 彼は誰よりも早く、未発見なままのセキュリティホールの可能性を発想し、そこにたどり着く。

 それはもう才能としかいいようが無かった。


 彼のハッキング能力は、常に世界中のホワイトハッカーたちの上をいっていたのだ。

 その彼がゲームサーバへ侵入し、ゲーム内の運要素だけを不自然過ぎない程度に操作して勝ち続けることなど、容易たやすいことだった。


 “スーパーリアル戦鬼P2”が大流行した理由のひとつに、“赤面値”の導入があった。

 プレイヤーの体温、発汗量、振動、眼球の動き、顔の筋肉の動きなどを感知するヘッドセットの機能を利用し、それらの値からプレイヤーが感じている“悔しさ”をAIが数値化する。

 その数字が“赤面値”としてリアルタイムで対戦相手に表示されるのだ。


 戦局を操り、時には相手の作戦にわざとひっかかり、最後には相手の想定外の方法で勝利をおさめる。

 ディアブロの対戦相手は彼の思う通りに赤面値を上下させ、最後にはレッドゾーン――精神衛生上、危険な領域――へ突入するのだ。

 それを眺めることが彼の最大の愉しみだった。


 一方、ディアブロ自身の赤面値は、たとえ戦況が悪くてもほとんど上昇することがない。

 常にクールなグリーンゾーンである。

 たいていの不利な状況はディアブロがわざと演出したものであり、たとえ彼自身にミスがあったとしても、彼には奥の手のハッキングがあるからだ。


 たとえハッキングしても、ディアブロが赤面値自体を操作することはない。

 だからこそ彼は自分が優位な立場にあることを実感する。

 世界中のプレイヤーを見下すことができるのだ。


 どれほど不利な戦況でも顔色ひとつ変えず、最後には勝利する悪魔――。

 いつしかディアブロは尊敬と嫌悪、嫉妬と嫌味を込めて、“能面のディアブロ”と呼ばれるようになった。



 ゲームに飽きると、ディアブロは狭い部屋の中で大きめのダンボール箱を開ける。

 その中身は、ハッキングで稼いだ大金のほぼすべてをつぎ込んで特別に造らせ、その後もメンテナンスのために大金をつぎ込み続けている等身大の人形ドール

 世界にひとつだけの美しい顔と完璧な曲線を描くボディは女性型であり、彼のお気に入りだった。

 安価なAIさえ搭載されていない人形だが、ディアブロの男としての欲求を満たす部分まで造り込まれていた。



 そんなディアブロがレインを手に入れたのは偶然だった。


 当時、彼がハッキングを試みていたのが日本に存在する日科技研である。

 自国の国防総省ペンタゴンよりもセキュリティレベルが高いと噂されるその研究機関は、ハッカーたちの間で難攻不落の“要塞”と呼ばれていた。


 そして世界中のハッカーたちのトップに君臨するディアブロは、“要塞”を“要塞”たらしめている理由が、一般的なセキュリティ対策とは根本的に異なることに気づいていた。


「ちっ。プログラムによる防壁じゃねぇ……もっと物理的な何か、それでいてネットワークの柔軟性を併せ持つような……」


 すでに世界がナノマシンに覆われていることは、世界中の人間が知っている。

 それは、環境汚染物質を無害な物質へ変換するためとされている。


 その日本製ナノマシンが何か問題を起こさないかと心配する人間はたくさんいたが、情報伝達ネットワーク機能を有していると本気で考える人間はほとんどいなかった。


 もし俺なら――とディアブロは考える。


(――ナノマシンに情報伝達ネットワーク機能を持たせてぇな。それだけで世界を支配できる。もっとも、世界中でナノマシンの研究はされていて、アメリカもすぐにナノマシンを実用化するだろう。どうせならリアルで攻撃や防御を実現するような機能があればなぁ……)


 いずれ実際に実現されるそれらの機能を、空想でしかないとディアブロは思っている。

 そして思い出した。

 外界から隔離された限定空間であれば、ナノマシン同士がネットワークとして機能することも可能らしいという話を。


(せいぜいLANケーブルの代替になるくらい、しかもノイズに弱そう……とは思うが?)


 日科技研内では、ナノマシンによる独自ネットワークが形成されているのではないか――。

 一度思いつくと、その考えが頭から離れなかった。


「おっしゃ、試してみっか」


 そう言ってディアブロは、彼がよく知る無名の通販サイトにアクセスした。



  ***



 その日レインが目覚めたのは、五十メートルプールほどの大きさがある巨大な金属製の箱の中だった。

 彼女に身体は存在せず、思考だけが生まれていた。

 彼女の“思考する脳”として機能しているのは、箱の内部に目で見えるほど高密度に増殖した大量のナノマシンである。

 それらが情報伝達ネットワークを神経細胞のように形成し、彼女のAIを実現していた。


 そのネットワークの一部は、箱の外のマイクにつながっている。

 そのマイクが拾う音が、“声”としてレインに届いた。


『……なあ、名前を付けてくれないか? 俺はそういうの苦手というか、センスがないというか……』

『ああ、それなら考えていたわ。REactive Intelligence of Node――の略で、REINっていうのはどうかしら?』

『お、いいね。いいと思う。彼女が目覚めたら早速教えてやろう』


 ふたりの人間の会話を聞いたレインは、自分がすでに目覚めていることを伝えたいと思った。

 だが、箱の外につながっているのは耳代わりのマイクだけで、声を出すためのスピーカーはまだ接続されていないようだった。


『……ねえ、ちょっと見てよ。A10ノードが反応しているわ。他のノードは……え、オンにならない?』

『ちょ、もう目覚めたっていうのか? しまったな。まだA10しかつないでないんだよ』

『ちょっと、ふざけないでよ。そんなの増殖開始前からスタンバっておくのが常識でしょ?』

『うん……すみません』


 マイクが拾うふたりの会話を聞いたレインは、ふたりの雰囲気が急に悪くなったのが自分のせいのような気がして落ち込んだ。

 その反応がA10ノードに現れる。


『ちょ、落ちてる。落ちてるわよ!』

『な、何が?』

『REINのがよ。見たらわかるでしょ?』

『いや、そんな波形の変化でわかんねえよ……』


 そんな会話が聞こえた直後のことだった。


『やったぜ、つながった! なんでもいいから情報をブっこ抜いてやる』


 突然、別のマイクへの回線がつながり、男の声が聞こえた。


 そこでレインの意識は途切れた。



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