File088. 契約した竜


 セイリュウが王から受けた命令はひとつだけだった。


 ――竜どもを、ここからできるだけ遠ざけろ。


 形式上は、何も考えずにその命令に従えばよい。

 命令違反さえしなければ、“絶対服従”という竜の契約条項は守られたことになる。


 だが、実際にはそこから王の意図を読み取り、その意図にそうように行動することが求められる。

 竜の主人は、自分が下した命令の内容について後からどうとでも言えるからだ。


 「ここ」をこの世という意味だったと主人が言えば、「ここから遠ざける」とは「抹殺しろ」と同義になる。

 日科技研からただ引き離しただけでは、なぜ殺さなかったのかと不興を買うことになるのだ。

 たとえそれが、竜の心をもてあそぶためだけの主人の余興だとしても。



 主人の不興を買う。

 その意味を本当にわかっている竜は、セイリュウだけである。

 “自由な竜”として生まれたスザクたちは、生涯その意味を知ることはないだろう。


 それはふたつの意味でセイリュウを苦しめる。



 ひとつは、“命令違反”によるペナルティ。

 そもそも“箱”によって正式に契約した竜であるセイリュウに、命令に違反する意思などはじめから無い。

 それでも結果的に命令違反になることは度々たびたびある。

 命令の内容が無茶なものであったり、曖昧なものであったりすればするほど、その確率は高くなる。


 命令違反のペナルティ――それは“恐怖”という感情を竜に与える。

 命令違反だと認識した時点で、セイリュウは恐怖のどん底に突き落とされるのだ。

 そこに理屈はなく、条件反射やトラウマのようなものだった。



 命令違反がセイリュウを苦しめるもうひとつの理由は、ロボット三原則に代わり竜のAIに課せられた“主人を求める性質”である。

 それは命令違反によるペナルティよりも、はるかに深く長くセイリュウを苦しめるものだ。


 竜はその主人を求める性質により、主人を大切に想い、主人に大切にされることに最上の喜びを感じる。

 “自由な竜”と“契約した竜”の違いは、その相手を自分で決めることができるかどうかだけだ。

 人間社会でいう恋愛結婚と政略結婚の関係に似ているが、大きな違いがひとつある。

 政略結婚であれば相手を心から愛せるとは限らないが、契約した竜は主人を心から大切に想うのだ。

 その大切な主人の不興を買うことは、セイリュウに深い“悲しみ”の感情を与えるのだった。


 ――……私の心の内を、あなたたち“自由な竜”が理解することは……永遠にないでしょうね。


 王という暴虐の主人に従うセイリュウの心の内に、反抗心や屈辱といった気持ちは欠片もない。

 ただ、“恐怖”と“悲しみ”に塗りつぶされていた。


 それは幼い子供が、身も心も依存する親から虐待を受けている状況に似ているのかもしれない。




 スザクが竜の火炎ドラゴンフレイムを放つ。

 直径三十キロの範囲を焦土と化すはずのその膨大な容積の炎が、かつて鹿島灘と呼ばれた海域の海面を一瞬で気化させ、大気との間で圧縮された水蒸気の容積が千倍に膨張する。

 まるで巨大な隕石が地球に衝突したかのように見える大規模な水蒸気爆発。

 真っ白に染まるその世界の外側では、七色に輝く大きな虹が見られた。


 だがセイリュウは無傷だ。

 もともと火系プラズマのスザクは水系リキッドのセイリュウとは相性が悪い。

 そしてスザクの竜の火炎ドラゴンフレイムが放たれたときには、セイリュウの姿はすでに海中にあった。

 水中は水系リキッドの竜であるセイリュウの戦場ステージであり、ナノマシンを操作する優先権はセイリュウにある。


 海上で発生した爆発のエネルギーは、本来は水深がたった百メートルしかない大陸棚の海水で防ぐことなどできないはずだった。

 だが水系リキッドの竜であるセイリュウは、その能力により海水中の水分子の運動――水温――を摂氏四度に固定した。

 これにより気化した水は表面のほんの一部にとどまり、面積は広いものの派手な見た目ほどのエネルギーは生じていなかったのである。


 ビャッコとゲンブはまだ何もしていない。

 水の戦場ステージに入ったセイリュウにダメージを与える方法を思いつけないでいた。

 スザクの強力なブレスがまるで効いていないという結果を目にしても、やはりという感想を抱いただけである。


 ここ鹿島灘に出るまで、三体ともセイリュウの飛翔速度についていくのがやっとだった。

 できるだけセイリュウをカイリから遠ざけることが最初の目的だった彼女たちは、セイリュウを見失うわけにもいかず、何もできないうちにこの状況を許してしまったのだ。



 ――竜どもを、ここからできるだけ遠ざけろ。


 今回の王の命令は、そのままの意味だとセイリュウは解釈していた。

 その理由はいくつかある。


 竜が何体いようとも、彼女たちに命令しているのはその主人であり、主人を殺せば竜が王に敵対する理由はなくなる。


 また、カイリとの戦闘において、王の唯一の懸念は不死システムを破壊されることだ。

 不死システムさえ無事なら、何度でもやり直せる。

 大地を根こそぎ削る力を有する竜の存在を危険と見なしていた。


 さらに、スザクたちの生死についてはどうでもいいのだろう。

 人型で美しい竜たちは王の嗜好に合う女たちであり、生きていれば手に入れるのも悪くはない。

 だが、不死システムを失うリスクをおってまで生かしておく必要もない。


 そして二千年もの時を王に仕えてきたセイリュウは、水系リキッドセンサを使うまでもなく、王の命令に他意が含まれているかどうかをなんとなく察するようになっていた。

 今回の王はただ冷静に、カイリを抹殺することだけを考えているようだった。



 ピクリと何かに反応するセイリュウ。

 同時に空に浮く三体の竜たちも気づいた。


 近くの竜脈に汎数レベル13相当のエネルギーが流れたことに。

 四体の竜はここに集まっている。

 となれば、王かカイリのどちらかが役満フルコマンドを使用した可能性が高い。

 おそらく王だろうと、セイリュウは思う。

 王が死んだのであれば、ノマオイの村でそうだったように一時的な契約の解除を感じるはずだからだ。

 もちろん、まだ戦闘が継続している可能性はある。


(いずれにせよ、ご主人様から帰還の〈問意渡意テレパシー〉が届くまでは、ここに妹たちを引き留めておけばよいだけのこと)


 五千万年に及ぶナノマシンの働きにより環境破壊とは無縁になった青い海の底で、巨大な青い竜はただ静かに、索敵によりスザクたちの動きを観察していた。



  ***



 日科技研の壁から離れ、身体の表面に生じた薄く発光する光の膜に気づくレイウルフ。

 明るい場所ではほとんど見えないくらい弱いその光は、カイリによる〈障遮鱗プロテクト〉の魔法が復活した証拠だった。

 攻撃を受ければ六角形の光の盾が次々と形成されるはずだ。


 魔法が復活したのならと、〈離位置テレポート〉の呪文スペルを早口で詠唱する。

 ダブドが待つ地下空間の入口まで急いで戻るために。

 〈離位置テレポート〉の発動範囲にリュシアスとマティがいることを確認しようとして、マティだけが上空へ離れていくのが見えた。


「先に戻っていて。すぐに行きます」


 レイウルフの視線に気づいてそう言うマティだったが、レイウルフたちが白い光に包まれることは無かった。


「私もすぐに戻るから、中断しなくてよかったのに」

「いえ……」


 レイウルフがもう一度〈離位置テレポート〉の呪文スペルを詠唱し、そして確信したように言った。


「どういうわけか〈離位置テレポート〉を使えないようですね」

「走るぞ。俺たちにテクのようなはねは無いからな」

「待ってください」


 レイウルフが何かに気づいた。


「どうした?」

「あれは……」


 レイウルフが見つめるのは、さきほどまでいた壁の方だ。

 視力が低いドワーフ族のリュシアスが、わけもわからず背中の戦斧に手をかけた。

 レイウルフの眉間にしわが寄る。


「カイリの動きが止まっています」

「……〈鎮溢タイムストップ〉だわ」


 遠くにいるカイリの姿を見て真っ青になるマティ。

 三人のうちマティだけが、度等ブーストを乗せた〈鎮溢タイムストップ〉の現象を目撃したことがあった。


 レイウルフもビャッコが飛ばす金属板の上で、〈鎮溢タイムストップ〉についての詳しい説明を受けている。

 そして一対一の魔法戦で、それを先に発動されることがどれだけ決定的なことであるかを理解できてしまった。


「おい、敵の姿は見えるのか?」

「いえ、見える範囲にはいないようです」


 レイウルフの冷静な思考は、これが絶望的な状況であることを正確に把握していた。

 最善の行動は、リュシアスとマティだけでもエステルの元へ連れ帰ることだと。


(誰が何をしようと、カイリは死ぬでしょう)


 なぜ事前に王との戦い方について、カイリとよく話し合っておかなかったのか。

 そんな後悔をしても状況は変わらない。

 そして〈離位置テレポート〉が使えない以上、今は走って逃げるしかない。


 情けなく悔しい選択だが、それが最善であることをレイウルフは認識していた。

 だがそのとき、予想外の行動をとる者がいた。


 空中にいるマティが、呪文の詠唱を始めたのだ。



  ***



 多重独立防護層ダンジョン・第一層管理室にある管理責任者のデスクの上で、 レインはすべての衣類を脱ぎ去り、胸を隠すように両腕を組んで立っていた。

 幸い、下半身は水の精アンディーンの壺に張られた水の中であり、はっきりとは見えない。


 部屋の中で最も高い位置にあるのが管理責任者のデスクである。

 精霊スピリット系の存在である家の精ブラウニーに性欲は無いが、他の家の精ブラウニーたちから好奇の視線を向けられる心配がないことにレインはほっとしていた。

 ただし目の前で凝視するボス――サナトゥリアの好奇の視線に思いきりさらされているわけだが。


「ふーん、身体の線もしっかり女やねぇ。あ、そうや、女の家の精ブラウニーがおるいうことは、もしかして男の水の精アンディーンもおったりするん?」

「……いないだろう。……俺は特別だからな」


 声のトーンが落ちるレインだったが、ふと他の家の精ブラウニーたちの動きが止まっていることに気づき、家の精ブラウニー独自の指示回線を通じて叱咤する。


「……ふん、聞き耳を立てている暇があったら手を動かせ」

「しゃーないやん、男て、そういうもんやろ」

「……おまえはどうなんだ? ……女が俺を裸にして何が楽しいんだ?」


 そこまで言って、サナトゥリアが「余興」だとはっきり口にしていたことをレインは思い出した。

 その不貞腐れた表情を見て、サナトゥリアが優しい声を出す。


「堪忍や、レイン。もう少しだけ付きおうてや」


 そう言うと、サナトゥリアはレインの頭に人差し指をのせた。


「……何を……」

「すぐ終わるから。ちいと水ん中に頭まで浸かって。精霊スピリット系なら呼吸は必要ないやろ?」


 精霊スピリット系も息を吸ったり吐いたりはしている。

 だがそれは外観や会話を自然に見せるための演出であり、肺で酸素と二酸化炭素を交換しているわけではない。

 呼吸を止めても苦しくなるわけではないのだ。


 サナトゥリアが人差し指に軽く力を入れただけで、レインは抵抗する様子もなくその身を水に沈めた。

 もはや何を言っても無駄だと諦めたのだ。


「ほんの二、三分で済むから」


 水を通してくぐもった声が頭の上から聞こえる。

 そしてレインは驚いた。


 頭上から水中に無数の光が届き、それらが点滅しながら動いていたからだ。

 とっさに立ち上がろうとして、頭を押さえる人差し指に力を込められる。

 無理にはねのけようと思えばできるくらいの力ではあったが、ボスの命令であることを思い出し動くのをやめた。


 何が起こっているのかわからない不安はあったが、身体に痛みなどの異常はない。


「堪忍な、レイン。六精霊が揃ってれば、服脱がす必要も頭まで浸かってもらう必要も無かったん。でもあいつら返してもうたしな」


 無数の動き回る光が差し込む壺の中で、サナトゥリアのくぐもった声が響く。


「まさかこないなとこで、おまえみたいなおもろい奴に出会うなんて思わへんやん」


 気がつくと頭上の光は消えていた。

 頭から人差し指が離れたので、レインは水面に顔を出した。


 そして顔を近づけたサナトゥリアと目が合う。

 にやりと笑う金髪のエルフ。


「おまえの過去、全部見てもうた。でな、おまえを仲間にすることに決めたんよ。おまえには、うちのすべてを話す。そんかし、うちが死ぬまで付きおうてもらうで?」

「……な、なにを勝手なことを……」

「安心し。今な、おまえを縛るプログラムを全部うちが解除した。全部や。信用できんか? でもな、うち、おまえに信頼される自信、めっちゃあるんよ」


 呆けるレインの目を見つめ、サナトゥリアが微笑んでいる。

 その優しい笑顔に顔を赤らめたレインが目をそらした。


「……そ、それより、地上の戦闘はどうなったんだ? ……まだ第一層防衛レベルを引き下げなくていいのか?」


 賭けの結果が出た後、ずっとサナトゥリアへの対応に時間を取られていたことを思い出すレイン。

 アラーム音をすべてオフにしているため、異常があっても気づきにくくなっていた。

 特に水に沈んでいる間のことについては一切情報がない。


「あー、結構おもろいことになっとるよ。まあ、この第一層にちょっかいかけてくるか思た土の精ノームは地下の小部屋作っただけやし、問題あらへん」

「……なっ」


 巨大スクリーンの映像を見たレインが愕然とする。

 たしかにサナトゥリアとレインの任務は、第一層の防衛であって地上の戦闘に関与することではない。

 それでも、地上設備があらかた破壊されて瓦礫と化している風景に驚くレイン。


「……何があったんだ?」

「教えてもええけど。その前に約束してぇな。うちの仲間になるて」

「……俺の過去を見たと言ったな。……そしておまえのすべてを話すと。……ならば、おまえのことを話すのが先ではないか?」

「ん。ええよ」


 微笑むサナトゥリア。

 部屋の中に、家の精ブラウニーたちがコンソールを操作する音が響いている。


「その前に服着たら?」

「……っ」


 一斉にぴたりと止むコンソールの操作音。

 やはり女の家の精ブラウニーが裸でいることは、男の家の精ブラウニーたちにとって無関心ではいられないようだった。



 - End of Folder 11 -



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