File077. 果物ナイフ


 カイリが初めて目にした王とは、グレーの髪とアゴひげを持ち、ゆったりとしたラフな格好をした初老の男だった。

 その横には、紺色のチャイナドレスを身に付けた若い女。

 短くカットされたライトブルーのストレートヘアと深く青い瞳を持っている。

 まるで湿ったようにしっとりとした白い肌が印象的で、その首には皮製の黒い首輪が付けられていた。


 カイリが初めて聞く王の声が、深く、重く、支配者のそれとして部屋に響く。


「――きさまが二十一代目か。一代で竜を三匹も手に入れたのが、こんな子供とはな」

「…………」


 誰も発言できなかった。

 部屋に満ちたオーラが、そこにいる者たちに生物としての絶対的な恐怖を押し付けている。

 それが実は王からではなく、隣にいる女からのものであることにカイリは気づいていた。

 だが女が王に従っているのであれば、同じことだ。


 そして、このオーラをカイリは知っている。

 エルフ領中央神殿区にある第一催事場で、初めて人の姿に変化したスザクに感じたものだ。


 (こんな形で、首輪の人――最後の竜に再会することになるなんて)


 彼女が四体目の竜であることを、カイリは改めて確信した。

 そしてその主人がヒューマンの王であることを知った。


 だが今の彼は家の精ブラウニー製の縄で縛られ、身動きもままならない。

 それでも魔法さえ使えれば、縄から抜けることも、王や首輪の人に対抗することもできただろう。

 しかしあいかわらず、ナノマシンを介した世界との一体感は喪失されたままだった。

 魔法を使えないのだ。




 王が今頃になって気づいたように、エルローズたちに顔を向けた。


「おまえたち、どこかで見た顔だな……ああ、なんとかナイツだったか。サナトゥリアに精霊を奪われて、おとなしくなったと思っていたのだがな」



 サナトゥリア――その名を、カイリははっきりと聞いた。


 普通に考えれば、世界の反対側にあるエルフ領で生きるはずの彼女が、ヒューマン領の王と繋がっていることなどありえない。

 名前が同じだけの別人だと思うだろう。

 だが雪の街で、エルローズたちが精霊を奪われたという話を聞いたとき、その特徴からカイリが思い浮かべたのがサナトゥリアだった。


(わからない。彼女は何を目的として、何をしているんだ?)


 ドワーフの族長と一時一緒にいた女エルフの名が、サナトゥリアだったはずだとリュシアスが口にしたことがあった。

 そのときは彼の記憶が曖昧だったこともあり、サナトゥリアを信頼するエステルが問題視することはなかった。


 妖精の樹海フェアリオーシャンで、マティを見張るようにレイウルフに指示したのがサナトゥリアだったこともわかっている。

 カイ・リューベンスフィアの力を求めること自体は何世代も前から当たり前のことなので、やはり問題視されることはなかった。


 だが――。


 カイリにとって、この世界に召喚されて最初に出会ったのがサナトゥリアである。

 オレンジ色に染まる森の中を歩き去るショートボブの明るい金髪が揺れる後ろ姿と、初めて食べた緑色の果実の味は今でも記憶に刻まれている。

 一度は彼女に直接殺されかけたはずなのに、憎めないでいるのはその記憶のせいだった。


(あの出会いは、偶然だったのか――?)




 我に返ったエルローズが、かろうじて口にした言葉は弱々しかった。


「あ……んたの客人は、あたしらの手の中よ。おとなしく……」


 王にとってカイリが大切な客人などではないことは、その態度からすでに明らかだった。

 それでも精霊騎士団スピリチュアルナイツが生き延びる可能性がわずかでも残っているとすれば、その情報しかなかったのである。


 カイリに向けられたエルローズの剣先が震えている。


(偽の情報……それを流すことに、何の意味があったの? ここであたしらを始末するため? いいえ、あたしらがここにいることを、王は知らなかった……)


 不愉快そうな顔をした王が、面倒そうに腕を一振りした。

 同時に、エルローズの身体が部屋の壁まで吹っ飛ぶ。


「エルローズっ」


 仲間の声が飛んだ先の床では、エルローズがぐったりとして動かなかった。


(――事前詠唱魔法だ)


 マティがサンドイッチを食べながらカイリに見せた汎数レベル1の魔法、〈拝丁メイジハンド〉である。


「よせ、リシン」

「うるせえっ」


 リシンと呼ばれた男が、大声を上げて王に切りかかった。


 無謀だった。

 王が動く前に、男の全身が赤くなった。

 真っ赤に染まったのだ。

 口、鼻、耳はもちろん、目や全身の毛穴から鮮血が吹き出していた。

 そのまま床に転がった身体は、赤い血の塊にしか見えない。


「ナノマシンは、人体の中にももちろん存在している。セイリュウが生きた人間の血液を操ることなど、造作もないことだ」

「――――」


 “ナノマシン”――その言葉を、目の前の男は確かに口にした。


 そのこと自体は不思議ではない。

 スザクはともかく、少なくともゲンブがナノマシンシステムのことをよく理解していることは彼女との会話からわかっている。

 だからセイリュウの主人である王が、セイリュウからその知識を得ていても不思議はない。


 問題はそこではなく、セイリュウを手に入れていること自体にあった。


(王は予言書の知識もなく、おそらく正式な手順でセイリュウを孵化させている)


 それは勘に過ぎなかったが、妖精の樹海フェアリオーシャンでセイリュウと初めて遭遇したときの彼女の態度やセリフから、カイリはそう感じ取っていた。


「おまえは一体……」

「言葉に気をつけろ、小僧。きさまの顔を見てみたかっただけでな……全員仲良く、すぐに消してやるから安心しろ」


 誰も何もできない。

 このヒューマンの王には誰も逆らえない。



 そう思えた、そのとき。




「な……に……」


 余裕を見せていた王の顔が、初めて苦痛に歪んだ。


 ゆっくりと自分のわき腹を見おろす王。




 そこに少女がいた。


 死角から忍び寄った少女が、両目から涙を溢れさせている。

 その手に果物ナイフが握られていた。


「リンファ……」


 離れた場所で母親も涙を流していた。

 ふたりとも死を覚悟しているのだ。


 理不尽に、一方的に虐げられ、奪われ、辱められ、人生を真っ黒に塗りつぶされたその元凶。

 その存在に一矢報いる、そのためだけに。


「父の……かたき……」


 必死の形相でナイフを王の身体に押し込むリンファ。

 飛び散る返り血が、彼女の身体を赤く染めていく。


 王が少女を突き飛ばした。


「……ふん、おまえたちはまだ殺さん。後でたっぷりと仕置きしてやる。死にたいと思うくらいにな」


 王の出血はすぐに止まった。

 セイリュウが水系リキッドの能力で止めたのだろうとカイリは思った。


 さらに、王自身が事前詠唱の〈産触導潤キュア〉で傷を治療する。

 わずか一、二秒でも隙があるように見えるが、もはや動こうとする者はいなかった。


 その中で、カイリの視線に王が気づいた。


「なぜ〈衣蔽甲シールド〉を事前詠唱しておかないのか、という顔だな」


 〈拝丁メイジハンド〉や〈産触導潤キュア〉さえ事前詠唱していたほどの慎重な王である。

 その王が、最も優先度が高いはずの身を守る〈衣蔽甲シールド〉を事前詠唱しておらず、リンファのナイフによって傷つけられたのだ。

 それを不自然に感じるのは、当然だった。


「簡単なことだ。例えば女を殴るとき、〈衣蔽甲シールド〉が自動発動すると、その感触を楽しめんだろう?」


 くくくと笑いながら、血まみれで横たわる少女を踏みつけ、母親のランファを呼びつけた。

 ナイフでえぐられた傷はすでに完治している。


「おまえたちを即死させることなど、いつでもできる。ちなみに……」


 呼びつけたランファが近づくと、震えるその身体に王が手を伸ばした。


「きさまがアテにしている竜どもは、今頃死んでいるかもな、二十一代目」


 カイリの目が見開かれた。



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