File071. 初めての殺人



 ――ビャッコ姉の百倍以上強いよ、あのお姉さん。


 カイリの足が止まっていた。


「いや、スザク、え?」

「?」


 あらためて聖女を見つめる。

 外見はグレーの髪をまとめた美貌のヒューマン族。

 少しやつれたようにも見える二十代後半くらいの細身の女性であり、彼女の指示を無視するカイリを睨んでいる。


「……ちなみに、俺はビャッコの何倍強い?」

「んー、同じくらい……かな?」


 竜の索敵の指標となるのは対象の“脅威度”であり、“脅威度”が高ければ高いほど一秒ごとに更新される索敵リストの上位にくる。

 そして、“脅威度”を決めるのが“戦力の大きさ”と“距離の近さ”であることも、予言書の知識からわかっている。

 だが、“戦力の大きさ”――つまり“強さ”の算定方法については別の報告書が参考文献として記載されていたのみであり、知ることができなかった。

 ただ注意事項として、その数値はけして小さくない誤差を含み、かつ経時変化をともなうことが明記されていた。


 スザクが口にした“強さ”とは、その“戦力の大きさ”を“脅威度”の数値から推測したものだろうとカイリは予想している。

 つまり誤差と変化と推測を含むかなりいいかげんな数字であることには違いないのだが、それでも“百倍以上”――二桁もの戦力差というのは尋常ではない。


(ビャッコと俺が同じくらいっていうのは、まあわかる。竜が扱うエネルギーは汎数レベル13の魔法に相当するからな。となると、やはり聖女が扱えるエネルギー量はその百倍以上ってことになるのか……)


 スザクが放った竜の火炎ドラゴンフレイムは、直径三十キロの広大な範囲を焦土と化した。

 それを基準に考えれば、聖女は少なくともその百倍の面積――直径三百キロの範囲を焼き払えることになる。

 関東全域を一瞬で消滅できるということだ。


 だがカイリに、聖女に対する恐怖はなかった。

 恐怖よりも疑問のほうが大きい。


 ここまでの状況、客たちの会話、聖女自身の態度――それらは諸悪の根源が聖女ではなく“領主様”であることをカイリに確信させていた。


「なんでそんなに強い人が、ここの“領主様”に従ってるんだろうな?」

「わかんないよ。そういうことは、カイリが考えてっ。ちなみに、部屋の奥にカイリの強さの一億分の一くらいの反応がひとつあるよ。領主かな?」

「一億分の一って……」


 地面を這うアリでさえ、人の一億分の一というほど弱くはない気がするカイリだった。




 再び歩みを進めるカイリとそれに続くスザク。

 店内は静まり返っている。


 ふたりが聖女の前までくると、すぐ近くから知っている声が聞こえた。


「安心して。もう大丈夫だ」


 驚くカイリとスザク。

 半裸のヒョウエが、シエルと呼ばれた看板娘の裸体を甚平で包んでいた。

 ソファにいたはずの彼に追い抜かれた記憶はカイリにはない。

 もちろん〈離位置テレポート〉の気配もなかった。


 シエルがヒョウエの腕の中で無言のまま笑みを浮かべ、すぐに気を失った。

 その身体を支え、片ヒザを突いたままのヒョウエが聖女に微笑んだ。


「あなたを困らせないよう、大人しくしているつもりだったんだけどね。このふたりが動くなら、隠れていても意味がない。シエルちゃんは僕が治すよ。まだ間に合うと思う」

「ヒョウエ様、ですが――」

「僕もこのふたりが何者かは知らない。ただ、外見も何もかもが違うけれど……似ていると思わないか、カイサに」


 聖女の顔が引き締まった。

 その視線がカイリとスザクに向けられ、彼女は首を横に振った。


「私にはわかりません。ですが、いずれにしても領主様をお待たせしすぎてしまいました。もう領主様のお怒りを鎮める手立てはないでしょう。つまり、今からあなたたちがどう振る舞おうと、結果は同じということです」


 聖女の顔には諦観の念が浮かんでいた。

 彼女が守ってきたものを、自分たちが壊すことになるのかもしれない――そんな思いがカイリの表情を硬くする。

 そのカイリの眼を見つめたまま、聖女が言葉を続けた。


「もしあなたに力があるのなら、ひとつだけお願いがあります」

「なんでしょうか?」

「領主様を、怒らせないでください」


 難しい要求だとカイリは思った。

 そして、聖女の言葉には続きがあった。


「……怒らせる前に、一瞬で殺してください」


 その言葉が真剣なものであることを、カイリは理解した。


「領主様は、ヒョウエ様や私を含む全領民を“報復システム”に登録しています。彼が操作した場合、あるいはリストに登録された者が領主様を殺した場合に、“報復システム”はその者に対応する人質を瞬時に殺します」


 “報復システム”――予言書の知識にはなく、それが何なのかカイリにはわからなかった。


「そんなシステムがこの世界に……」


 うつむくカイリの視界の外で、驚いたように瞳を見開いたのは聖女のほうだった。

 その視線をヒョウエに向けた後、不敵に微笑むスザクと目が合う。


「……詳しい説明をしている時間はありません。領主様は頭で考えるだけで、目にした人物をシステムに登録可能です。チャンスは一度だけ。あなたたちが登録される前に、一瞬で殺しなさい」

「――安心しました」


 カイリの反応に、聖女が疑問の表情を浮かべる。

 ヒョウエがカイリを観察している。

 そのカイリは心の底からほっとしていた。


「領主様を殺してしまったら、皆さんが困るんじゃないかと心配していたんです」

「えっ、カイリ、そんなこと心配してたんだ」

「いや、スザクは考えなさすぎだと思う。というか、個人的な恨みもない相手を殺す気満々だったのか、おまえは」

「うん」


 あっけらかんと答えるスザクを、注意するべきだろうかと思い悩むカイリ。


「だって、カイリは領主を敵認定してた。カイリの敵は私の敵。敵を殲滅するのが竜の役目。役目を果たしたら、カイリは私を褒めるべき」


 赤髪の少女が放つ無邪気な笑顔に、カイリは何も言えなくなってしまった。


「……まあ、とりあえず」


 頭をぽりぽりとかきながら、カイリが賓客室を隔てる壁に目を向ける。


「――〈鎮溢ちんいつ〉」


 カイリが口にした詠唱省略魔法の正式名称は〈鎮溢タイムストップ度等ブースト3〉。

 カイリとスザクのふたりを除き、店内のすべてが――停止した。






 スザクだけが〈鎮溢タイムストップ〉の無効範囲に入ったのは偶然である。

 効果範囲とその内側の無効範囲は、事前詠唱時にあらかじめ初志の玉ガイドジェムでカイリが調整したものだからだ。


「おおぅ」

「変な声出すなよ、スザク」


 スザクが落ち着かない様子で周囲を見回している。


「だって、びっくりしたんだもん。聖女様が自由の女神像みたいっ」

「いや、全然そんなポーズしてないし。というか、そういう知識はあるんだな」

「えっへん」


 スザクと会話してもあまり建設的な方向へ話が進まないことに、カイリはようやく気づいた。

 ゲンブがとっくに気づいていた注意事項である。

 黙っていれば、気が強いお嬢様風のスザクなのだが――。


(中身は、天然癒し系なんだよなぁ)


「……まぁ、それはともかく」

「どうしたの、カイリ」

「俺から一メートル以上離れるなよ。自由の女神像になりたくなければね」

「うぇっ」


 慌ててカイリの腕にしがみつくスザク。

 開いた扉を回り込むと、すぐに賓客室の中を見渡すことができた。


 広い室内に動かない人影がふたつ。

 ゆったりとしたソファに腰かける男はドワーフ族の割には身体が大きめで、腰に布を掛けただけのほぼ全裸だった。

 その辺りだけ、床に液体が濡れ広がっている。

 太った身体は筋肉ではなく層を成した贅肉で覆われていて、かなり醜悪だとカイリには思えた。

 一般的なドワーフ族とは違いアゴひげを剃っていて、口ひげだけが長く伸びている。

 ソファの背もたれには、きらびやかな装飾の衣類が載っていた。

 右手に金属製のカップを持ち、不機嫌な顔でもうひとりの男に視線を向けている。


 会話相手らしいもうひとりの男は中年のヒューマン族で、ソファからやや離れて右側に立っていた。

 布地と装飾が多いローブを身に着け、室内だというのに同系統の帽子をかぶっている。

 ローブを着ていても細身なので、かなり痩せた体型だろう。


(左が“領主様”だな。右は護衛か? 筋肉質には見えないし、見るからに魔術師って感じだ)


「えと、右がさっき教えた人だよ。カイリの一億分の一の強さの人」

「ん、じゃあ左の人の強さは?」

「わかんない」


 瞬時に警戒の色を浮かべるカイリ。

 だがその緊張は、すぐに解けることになる。


「だって、索敵リストの上位五十にも入らない雑魚なんだもん。それより下も調べる?」

「いや、いいよ。エネルギーの無駄使いだ」


 この店の客層の戦力を考えれば、上位五十に入らなくても油断は禁物だと思わなくもないが、少なくとも隣にいる一億分の一の男よりもさらに弱いことには違いない。

 そしてふと思いついたようにカイリは尋ねた。


「スザク、エステルさんの強さは俺の何倍かな?」

「え、一億分の一くらいかな」


 カイリの動きが止まった。


「待て待て、エステルさんが俺の一億分の一ってことはないだろ? 殺されかけたんだぞ、俺は」

「そうかな? エステルさんの魔法も剣も、カイリの〈障遮鱗プロテクト〉を突破できる可能性はゼロだったと思うけど」


 それはそうだけど――と、カイリは考えた。

 〈障遮鱗プロテクト〉の汎数レベルは13である。

 エステルが使える最上位魔法〈消散言サイレント〉の汎数レベルは4。


(その汎数レベル差は九……ああ、なるほど)


 魔法は汎数レベルがひとつ上がると、使用するエネルギー量が約十倍になる。

 度等ブーストをひとつ乗せても同じだ。

 つまりレベル差が九ということは、扱えるエネルギー量が十の九乗倍――一億倍ということになる。

(使える魔法の汎数レベルをナノマシンシステムがどうやって把握しているのかはわからないし、物理的な攻撃力をどう数値化しているのかはもっとわからないけど……)


 竜の索敵で算定される“戦力の大きさ”に、経験や才能、頭の良さといった要素は含まれないようだとカイリは思った。


「そうだとすると……」

「どうしたの、カイリ」

「右にいるローブのおじさんも、どこで覚えたのかはわからないけど汎数レベル4の魔法を使う可能性が高い……なるほどね」


 急に悲痛な表情を浮かべるカイリを見て、スザクの顔が曇った。


「どうしたの、カイリ。怖い顔してる」

「あのシエルって子の状態はたぶん治せない。俺が〈大産源リジェネレート〉を使っても無理だ」

「えっ」


 ゆっくりと顔を伏せたカイリの、握られたこぶしが震えている。


「こいつら、〈翻弄頭コンフュージョン〉を“洗脳”モードで使ったんだ。使えば廃人確定の……最悪のモードだ」


 汎数レベル4の魔法〈翻弄頭コンフュージョン〉には、六つのモードがある。

 “洗脳”モードは初志の玉ガイドジェムでいえば紫色のモードであり、対象を簡単に洗脳してどんなに非常識な内容でも信じ込ませることができる。


汎数レベル3以上の魔法は軍用だ。とはいえ、このモードの存在が発覚すれば、すぐに国際条約で禁止されただろう。それくらい非人道的なモードだ)


 そんな魔法を、ここにいるふたりの男たちは使い続けてきたことになる。

 捕虜でも兵士でもない、ただの少女たちを相手に。

 間違いなく一方的で一時的な余興と快楽、そのためだけに――。



  ***



 気がついたとき、カイリは賓客室の外にいた。

 どういうわけか、天井があるにもかかわらず店内に小雨が降っている。


 いつの間にか〈鎮溢タイムストップ度等ブースト3〉は解除され、入口から見える賓客室の壁や床が真っ黒に炭化していた。

 賓客室の外は無事なようだが、客や店員の姿は見当たらない。

 店の外が騒がしいことから、逃げ出した後なのだろうと想像できた。


 そして徐々に思い出すカイリ。


 彼が放ったのは〈燐射火囲包ファイアボール度等ブースト3〉。

 カイ・リューベンスフィアの屋敷を燃やしたのと同じ火系プラズマの攻撃魔法だ。


(そうか……俺はとうとう、人を殺したんだな。しかも一方的に、弁明の機会さえ与えず……)


 カイリを背後から優しく抱きしめる、暖かい腕があった。

 カイリの背中に顔をうずめて震えているのは赤髪の少女だ。


「……俺の代わりに泣いてくれているのか、スザク」

「私はね、ずっとカイリの竜だよ。ずっとだよっ」


 やがて室内に降る不思議な雨がみ、甚平姿のヒョウエが近づいてくるのが見えた。



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