File062. 保障


 空になった酒瓶をエステルが取り上げた。


「ん?」


 顔を赤くしたリュシアスが呆けたその時、ゴスッという鈍い音とともに刺突用片手剣レイピアの柄がリュシアスの頭に突き立てられた。


「ぬおおっ、なにをするか、エステル」

「やかましい。死ね、死んでしまえ、この腐れドワーフがっ」


 ゴスゴスとレイピアの柄がリュシアスの頭を連打するが、彼は最初だけ驚いたものの二撃目からは意に介していないようだった。

 〈衣蔽甲シールド〉も無しで無傷という頑丈タフさは、さすがドワーフ族といったところか。

 そう感心し、オロオロするレイウルフに同情しつつ、カイリはマティを見た。

 小さな妖精はまるで何も聞こえていないかのように、優雅に香茶を口に運んでいる。


 パシッと、乾いた音が部屋に響いた。


「…………」


 見ると、いつの間にか移動していた縁なしリムレス眼鏡の女がエステルの右腕をつかんでいる。


「何のつもりだ、ビャッコ」

「エルフの族長風情がリュシアスに手を上げるとは、命が惜しくないようですね」


 ともに白髪で美しい、よく似た二人の視線が交錯した。

 レイウルフが険しい顔で腰を浮かせ、部屋の空気が緊迫する。


 カイリがもう一度マティに目をやると、彼女が無言のままリュシアスを睨んでいることがわかった。

 ふてくされた顔になる銀髪のドワーフ。


「やめろ、ビャッコ」

「…………はい」


 ビャッコが手を放し、レイウルフが腰を下ろすと、リュシアスが小声でつぶやいた。


「ひとりで飲んだのは悪かった。小僧の話がつまらないうえに、長くてな」

「話についていけなかったと、正直に言え。飲んでしまったものは、仕方があるまい」


 ため息をついたエステルが空の酒瓶をテーブルの上に置き、自分用に空いていた椅子を布際まで引いて腰を下ろした。

 テーブルの近くは窮屈と判断したようだ。

 席を譲ろうとしたレイウルフを手振りでおさえ、長い脚を組む。


「遅れて悪かったが、私はこれから厨房で軽くつまんで、すぐに神殿に戻るつもりだ。四体目の竜を手に入れる必要があることは知っている。私への――エルフ族への用件があれば先に言ってくれ、二十一代目」


 全員の視線がカイリに集まった。


「ありがとうございます、エステルさん。俺の要求はひとつだけです。マティと俺が戻るまで、ゲンブとビャッコを預かっていてください」

「私を信頼してくれるのは、ありがたいが……それは却下だ」

「却下だな」

「却下ですね」


 エステルに続いてリュシアスとレイウルフまでもが否定する。

 その二人はともかく、エステルに拒否されるのはカイリの予想外だった。


「もちろん俺としても、エステルさんが一緒に来てくれれば心強いですが……。あなたが世界を救いたいのは、二百万のエルフ族のため。族長の役目を放り出すわけには……」

「勘違いするな、二十一代目」


 エステルの表情は穏やかだ。


「ともに旅をするつもりはない。残念ながら今の六神官どもを抑えるには、私が神殿に残るのが最良の選択だ。そして竜をここに置いていくことは、最良の選択ではないだろう?」


 エステルの言いたいことを想像するカイリ。

 ちらりと、もうひとつのテーブルに視線を送る。

 スザク、ゲンブ、ビャッコの三人がこちらを見ていた。


「竜たちを常に俺のそばに置いておきたいという気持ちはあります。もしゲンブとビャッコが正式に俺の竜だったなら、そうしました」


 召喚されてから、わずか十七日目。

 すでに三体の竜がここに揃っている。

 世界を救うというマティとの約束は、ここまで恐ろしいほどに順調だ。


 もしマティが、サナトゥリアの話を聞いてエステルの安否を心配しなければ、このタイミングでエルフ領を訪れることはなかった。

 予言書に記された座標だけを頼りに、何か月もかけてゲンブの卵が埋められた場所を探していたはずだ。

 そしてこのタイミングでドワーフ族の襲来がなければ、いつビャッコに巡り合えたかわからない。

 そんな、ありえないほどの幸運が続いたおかげだと、カイリは自覚していた。

 だが――。



「ゲンブもビャッコもシステム上の主人を持たない自由な竜とはいえ、彼女たちには自分で選んだ主人がいます。ここで竜と主人を引き離すことに時間をかけるくらいなら、先に四体目の竜を探したほうが――」

「俺も行くぞ」


 唐突に口を挟んだのはリュシアスだった。


「問題あるか? カインは俺を歓迎してくれたが、小僧は違うのか? 旅の準備に費やしたこの五日間を、無駄にさせる気か?」

「私も同行しますよ、カイリ殿。すでにエステル様から勅命を受けていますし、指の恩を倍にしてお返しするつもりですからね」


 リュシアスとレイウルフの申し出に意表を突かれ、言葉を詰まらせるカイリ。

 エステルがあごに当てた手を下ろし、優しく息を漏らした。


「これだけは忘れないでくれ、二十一代目。世界を救うために力を尽くしたいのは、おまえだけではない。このふたりの世界を救うという信念と実力は、私が背中を預けるに値するものだ。おまえと闘い、認めあった――」


 エステルの瞳が放つ灰緑色グリーニッシュグレイの輝きが、カイリの心にみる。


「私が保証する」



 あらためて二人の男を見返したカイリは、自然に右手を差し出していた。

 三人の男が握手を交わし、三人の竜がそれを見つめている。


「ありがとうございます。よろしくお願いします」

「よろしくな。俺のことは呼び捨てでかまわん。まあ、エステルが認めた男だというなら、俺も小僧呼ばわりを控えよう」

「お互い、呼び捨てでいいでしょう。よろしくお願いします、カイリ、リュシアス」


 ここでリュシアスが「しまった!」という顔をした。


「……すまぬ。やはり酒を残しておくべきであったな」


 エルフ領の最高級ワイン。

 旅仲間パーティ結成を祝うのにちょうどいいと思ったのだろう。

 ドワーフ族に未成年という概念がないことをカイリが知るのは、もう少し後のことである。

 エステルがここぞとばかりにさげすんだ目をリュシアスに向けた。


「地の果てまでも反省するがいい、間抜けドワーフが」

「うるさいわ、高慢ちきエルフばばあっ。貴様、さっきは許すと言ったではないか」

「ばっ……、許すとは言ってない。仕方がないと言ったんだ、ひげボーボーとんまじじいっ」


 子供のケンカだな、と呆れるカイリの横で、レイウルフが白目をむいている。

 香茶を飲み終わったマティが、ようやく口を開いた。


「私は慣れていますが、レイウルフには刺激が強すぎたみたいですね。彼が生まれたときには、すでにエステルは族長だったはずですから」


 そう言いながらマティが指をさす方向には、リュシアスが空にした酒瓶があった。

 そこに手書きの文字があることに気づくカイリ。


 ――我が盟友リュシアスへ。九十年後の再会を信じて。



「……カインさんは、いいパーティに恵まれたんだな」

「今度もいいパーティになりますよ。――“私が保証する”」


 その口まねは、ちっともエステルに似ていなかったが、マティは満足だった。

 召喚以来初めて、心から笑うカイリを見ることができたのだから。



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