File046. 地下空洞


「あー 少しだけ 待ってくれんか の?」


 木の精ノームダブドは呆然とするリュシアスを見て、彼の主人に地下へ向かう手段がないことを察した。

 ダブドが開けた穴は直径二メートル。

 リュシアスの身長は一メートル程度で、ドワーフ族成人男性の平均身長とほぼ同じである。

 両手両足を伸ばしても穴の直径には届かない。


 手足が届きさえすればドワーフの怪力でなんとかしただろう。

 だがこのままでは主人を地下へ連れていくことはできない。

 精霊としての人工知能がそう判断した。




 三十分後、直径二メートルの穴は直径四メートルの穴となり、その内壁には螺旋らせん状の下り坂が形成されていた。


「あー 階段状にするのは 時間がかかるから の。坂は滑りやすいから注意する のじゃ」

「それはよいのだが、ダブド……」


 坂にそってグルグルと回りながら穴を降りるリュシアス。

 やがて気づいた違和感に気を取られていたせいだろう。


「こんなピッチの螺旋じゃ、さすがに目がまわ――」


 言い終わらないうちに、坂の縁から足を踏み外していた。

 そのまま穴底へ落下していく。


「あー リュシアスさん?」


 一緒に降りていたダブドが腰から伸びた触覚器フィーラーの一部をロープ状に変形させて伸ばすが間に合わない。

 穴底に激突する音と、小さなうめき声が下方から聞こえた。




 ドワーフ族の身体はとてつもなく頑丈である。

 剣で切るような斬撃を与えれば出血するが、発達した筋肉の鎧を通して致命傷を与えるのは至難のわざだ。

 特に打撃ではほとんどダメージを与えることができない。

 最も有効なのは魔法による攻撃で、熱や電気に対する耐性はヒューマン族と変わらないと言われている。

 それでも底なしの体力と著しく高い苦痛耐性が、彼らに簡単に倒れることを許さない。

 そのため歴史に名を残す戦士の多くはドワーフ族だった。

 もし彼らがヒューマン族のように戦略にけ、エルフ族のように魔法を扱えたなら、とっくにこの大陸を支配していたことだろう。


 そういうわけで、深さ百メートルの穴を落下したリュシアスにダメージはほとんどなかった。

 背にくくりつけた鋼鉄スチール製の戦斧バトルアクスに、背中をしこたまぶつけたにもかかわらず、である。


「あー はじめから飛び降りてもらえばよかった かの」


 六本に増やした脚――触覚器フィーラーを長く伸ばして多関節化させ、壁に突き立てるダブド。

 それを蜘蛛くものように器用に動かしながら垂直に降りてくる。

 彼の頭部と両肩にある光源からは三条の光線ビームが伸び、穴底のリュシアスを照らしていた。




(深さは百メートルくらい、か。この程度の穴を掘るのに、ダブドなら十五分もかからなかったはずだ。最初に戻るまでの一時間、何をやっていたのだ、あいつは……)


 身を起こしたリュシアスの前に、彼が通れるくらいの横穴が丸く開いていた。

 直径二メートルの綺麗な円筒形の通路は天然の洞穴とは思えず、ダブドがドリルで開けたものに違いなかった。

 頭上からの明かりしかないため、穴の奥は見えない。


「あー その奥に空洞がある のじゃ」


 穴底に到着したダブドが、光線を横穴へと向けた。

 十メートル以上は続く通路だとわかる。


「ここから横に進んだのか、ダブド。なぜそんなことを……。いや、それよりも――」


 坂から足を踏み外す前に気づいた違和感。

 その原因をはっきりと認識できた。


(なぜこれほど穴底の空気が清々すがすがしいのだ? 気のせいか、かすかに甘い香りさえ……)


 地下で暮らすドワーフ族は、空気の流れやにおいに敏感だ。

 火山性の有毒ガスが噴き出していくつもの集落が全滅するような大惨事を、一世代に一度くらいは経験している。

 ちょっとしたガス漏れに気づいて対処するくらいのことは日常茶飯事だった。


「あー 来てほしい のじゃ リュシアスさん。あー ワシの手には負えそうにない のじゃ」


 横穴に立つ身長二十センチのダブドを見て、頭に疑問符を浮かべるリュシアス。


「説明できないのか? 探鉱専門のおまえが、地下の出来事に対して?」

「あー 初めての経験 じゃ。あー 何が起こったのか わからん のじゃ」

「危険はないのか? 放置して次の場所に行くという選択肢もあるのだろう?」


 リュシアスは怯えているわけでも、放置したいわけでもなかった。

 ただ未知の体験を前にして、少しでも情報を得ておきたいと思ったのだ。


「あー 改めて思うがリュシアスさんは ドワーフらしくない の」

「だから逸れドワーフをやっている」


 リュシアスが自嘲気味に笑った。


「あー ドワーフでその慎重な性格は とても珍しい うむ。あー ワーラビットほどじゃない が うむ ヒューマン並み じゃ」

「ワーラビット?」


 慎重さはリュシアスの個性だった。

 一般的なドワーフ族の男なら、おそらく何も考えずにまず自分の目で確かめようとするだろう。

 それが実践と経験を最も大切にするドワーフ族らしい習性だ。

 頭であれこれ考えるのは苦手であり、たいていの出来事には対処できる頑丈な身体を持っている。


「おまえは物知りだな、ダブド。俺も百年前の旅で、ドワーフにしては見聞を広めた方だと思うが……ワーラビットという種族の名は聞いたことがない」

「あー そう かの。あー 少なくとも千二百年前には 今のドワーフ領に近い北東の地域に 暮らしていたはず じゃ」


 探鉱を専門にしていたダブドは、探鉱を家業とするドワーフたちと常に旅をしていた。

 その知識がなければ、この未知の大陸――かつてユーラシア大陸と呼ばれたこの大地まで、スムーズに来ることはできなかっただろう。

 リュシアスはそう確信していた。


(そのダブドが、“初めての経験”……か)


「ダブド、質問に答えていないぞ。おまえは今日まで、俺が危険な目にあわないよう十分に配慮してくれていた。さっき、わざわざ螺旋の坂を作ってくれたのもそうだ。結果的には落下したが……おまえなりに手間をいとわず対処してくれた。この通路の先にある危険を、おまえはどの程度だと判断しているのだ?」


 困り顔のダブド。


「あー わからん のじゃ。ただ――」

「ただ?」

「あー  のじゃ」


 リュシアスの心が動いた。


「……何がだ?」

「あー わからん のじゃ。あー この目で見たがわからん のじゃ」


 ダブドの顔と態度から、本気で困り果てていることがわかる。

 いずれにしてもリュシアスの心は決まっていた。

 こんな地の底で助けを求める存在についても気になったが、それ以上に助けを求めていることが重要だった。


「わかったよ、相棒」


 二人は横穴へと進んだ。




 そしてリュシアスは“それ”を見た。

 ダブドが見たのと同じ“それ”を。




 広い空洞は半球ドーム状で、中央の高さは二十メートルほどもあった。

 清浄な空気が漂うその空間のほとんどを埋めるように、“それ”がいた。


 新雪のように美しい純白のうろこに覆われた体躯に、長い尾と長い首、そして背に生えた翼がぴったりと張りついている。

 身体を丸めた状態であるにもかかわらず、高さ二十メートルの空洞を埋めるほどの巨大生物――リュシアスにはそう見えた。

 最初は白蛇の化物ばけものかと思ったが、蛇に翼はない。

 巻かれた尾に隠れてよく見えないが、脚もあるようだった。


 恐怖はなかった。

 リュシアスはただ見とれていた。


(なんという美しさなのだ……)


 白い鱗がダブドの光線ビームに照らされて輝いている。




 初めて見る白い生物が、その長い首を持ち上げた。

 灰白色の神秘的な瞳が、リュシアスの灰色グレーの瞳と見つめ合う。

 いきなり耳元で声が聞こえた。



 ――助けていただけないでしょうか?



 弱々しい女の声。

 ぱっと身構え、背中の戦斧に手を掛けるリュシアス。

 だが彼を見つめるのは白い生物だけであり、そばにいるのはダブドだけだった。


 ――私の言葉は通じているでしょうか? 本日そこの造成サービス用インターフェースから確保できた言語学習時間は、三十分という短い時間でした。間違いや失礼があればお詫びいたします。


 相変わらず声は耳元で聞こえる。

 だが話の内容を理解できない。


(いんたーふぇーす? ダブドのことか?)


 ――助けていただけないでしょうか?


 声が最初の言葉を繰り返した。



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