神出鬼没の商店街⑧
「ふああ……本当に凄い蔵書ですね」
私は、天井まで高く聳え立つ本棚を前に開口している。
「私の通ってる高校に、本だらけの部屋があるんですけど、それよりも圧倒的に凄い……これ、全部読んでいるんですか?」
東城高校オカルト研究部の部室を思い出しながら、私は尋ねる。
「ああ、勿論。速読は身に付けていないが、時間だけなら幾らでもあるからね」
言いながら、歪さんは部屋に来た際に手に取った本を棚に戻した。
「それにしたって多いですよ……」
びっしりと本棚に刺さった本は、どれこれも厚みがある。何冊か手に取ってみたけれど、それは鈍器と形容できる重みだった。どこかのカタログみたい。
「外国の本もありますけど、歪さん読めるんですか?」
「随分馬鹿げた事を聞いてくるじゃないか、逆廻真凛。ああ、そうか。キミはまだこの世界に踏み入れて日が浅い。と言っても、言語共有と身体強化は我々にとって呼吸に等しい筈だ。それを失念するとは、本当にキミはこちら側に馴染んでいないのだな。不思議な子だ」
「ああ、そうだ。言語共有……皆さん、普通は出来るんですよね?」
「その内キミも出来る様になる。逆廻の家で落伍者の烙印を押されたキミも、今や立派な異能力者。いや、今のキミの事を知ったら本家の連中血相を変えるに違いない。そんな才能が開花したんだ、言語共有など直ぐに扱えるさ」
「は、はあ……そうですか」
私達は、願いを叶えた人種だ。それ故に普通から逸脱してしまい、元に戻れなくなった。
逸脱したのだから、普通の括りには存在しない。普通の括りに居ないのだから、常識も変貌する。
私達は最大の願いを叶えた。そして、願いが叶う事を知っている。だから、願いを叶える、という点に於いてだけ人より秀でる。
最大の願いが叶ってしまったご褒美に、矮小な願いを叶えて貰える。
そのポピュラーなものの一つが、言語共有。私達は、言語の壁をものともしない。学問として理解する事は出来ないけれど、言語としてそれを認識出来る。
どの国の言葉で書かれていようと、どの国の言葉で話しかけられようと、その文章の、その言葉の意味が自然と頭の中に入って来る。
言語の変換は受取手の中で行われるから、自ら変換して発信する事は出来ない。だから、鎖子ちゃん達は、リスニングと読み取りだけならどんな試験だって満点だ。
「早く私も英語の成績伸ばしたいです」
「胡座をかいて勉学を怠ってはいけない。所詮僕達はズルなのだから」
「ズルしたっていいじゃないですか、私達はこんなモノになってしまったんですから」
「意外に悟った台詞を吐くじゃないか。まるで十一片だ」
「だって、妹ですから」
「出来た妹だ。出来損ないは出来損ないでも、東雲鎖子よりは兄の意図を理解している。キミは東雲鎖子よりこちら側だ」
歪さんの意図は分からなかった。けれど、どうやら私には鎖子ちゃんより秀でた感性があるらしかった。
いや、劣っている、かも。
「此処にある本って、どんなものなんですか?貴重な本である事は想像がつきますけど、その……小説とか漫画って訳じゃないですよね?」
「キミの質問に素直に答える事も出来るが、言葉の真意を汲み取るのならば、それは恐らく此処にある本はマトモな物かどうか尋ねている。そうだろう?」
またも回りくどい。
分かっているのならそんな言い方せずに答えてくれればいいのに。
「そういう事になりますね」
「ならば答えは半分イエス、半分ノー。キミが想像する様に、マトモな世界から逸れた僕達の世界。そこでしか存在し得ぬ本が此処には並んでいるけれど、マトモな世界で貴重とされる本だって並んでいるよ」
「意外ですね、てっきりこちら側のモノばかりかと」
「キミはこの商店街を勘違いしてやしないかい? 此処はただの商店街だ。店主が皆オカシクなってしまっただけで、それ以外はなんでもない商店街だ。琢部さんは輪ゴムだって売ってくれる。綾魅は風邪の処方箋を出してくれる。舞ちゃんは好みのランチプレートを作ってくれる。同じ様に、僕の店には少年ジャンプだって置いてあるよ」
「ふええ、そうなんですね。これまたとっても意外です」
それを用意する必要があるかは分からないけれど、意外な事にこの商店街は、まともな商店街としても機能しているらしかった。
それは私にとっては十分に驚くべき事だったけれど、それを上回る私にとっての意外の前では、軽く霞んでしまった。
「ていうか、歪さん、舞香さんの事舞ちゃんって呼んでいるんですね?」
別に意地悪のつもりはなかった。
歪さんは私の事をキミとか逆廻真凛とか堅苦しく呼ぶものだから、琢部さんと綾魅さんを名前で呼んだときに少しだけ驚いた。
歪さんのここまでの印象からは意外だけれど、それは商店街の親しい仲間としては当たり前だ。
しかし、そこから先は違う。
舞香さんを、ちゃん呼び。それを意外と言わずしてなんと言う?
歪さんは、口元を痩せた手で覆うと、私から目を逸らした。
「……言ってないよ」
「私は鶏より脳がある上に、此処から一歩も動いていません」
「……聞き間違いだよ」
「ちょっと苦しくないですか? 水掛け論は好きじゃないです」
「僕は大歓迎だ。終わった頃には水も滴るいい男。キミだってイケメンは嫌いじゃないだろ?」
「歪さんは確かに整ってますけど、私のタイプとは違います。それに、話を逸らそうとする程の事ですか? 舞ちゃん、可愛いじゃないですか、舞ちゃん」
「うぐぐぐぐぐ!! やめてくれ! 忘れてくれ!」
歪さんは、仄暗い部屋の中でも分かる程赤面している。頬を染める色は、弱々しいランプが照らすオレンジとは確かに違う筈だ。
「舞ちゃん、舞ちゃん、舞ちゃん」
「やめてくれよお! 仕方ないだろ!? 小さい頃から呼んでるから抜けないんだ!」
「へえ、歪さんと舞香さんって幼馴染なんですか?」
「今は一人残らず消え失せてしまったけれど、親同士が仲良かったんだ。腐れ縁ってやつさ……なあ逆廻真凛、頼むからこの事はみんなには黙っておいてくれ。特に、綾魅には!」
顔の前で手を合わせる歪さんは必死だ。そして、その言葉から商店街に居る人達の関係が見えてくる。
「綾魅にだけは言わないでくれ。ああ、ヒルダもダメか。琢部さんだって絶対からかってくる。やっぱり全員だめだ、絶対に誰にも言わないでくれ!」
「私そんな意地悪しませんよ。安心して下さい、私と歪さんの秘密です」
「ああ、ありがたい。逆廻真凛、キミはとても出来た人間なんだね。良かった良かった。もしもこれが東雲鎖子だったらと思うと背筋が凍る」
「人の家族を鬼みたいに言わないで下さいよ。鎖子ちゃんはそんな人じゃないですー」
「キミは家族でありながらあの女を分かっていない。僕の恥部をネタに、東雲鎖子はこの書庫の半分を僕から奪い去るぞ」
という事は、歪さんはその秘密をだしにすれば、この蔵書の半分までなら差し出せるという事だ。もしかして、私とっても有用な情報を手に入れたのかも。
そんな風に、歪さんを
鈍い音がして光が差す。音の方を見上げると、飛来物が私の方へと向かって来た。
「危ない!」
歪さんは慌てる様子なく私の腕を引いた。勢い余って、私は歪さんの薄い胸板に飛び込んだ。
「きゃっ」
小さく悲鳴を上げて、床に大きな音を立てて跳ねた飛来物を見た。恐らく、木製の扉。それがバウンドするのを見送って、音の方を再度見上げる。
逆光による黒いシルエットが三つ。なにか大きな声を発している事から人間である事は分かるけれど、言語は私が理解出来るものではなかった。
三人はなにやら喚き散らしながら階段を降って来る。そこで、初めて私がいる場所が地下で、域神書店は入り口から真っすぐに階段を降る構造になっている事を知る。
「わわわ、降りてきますよ歪さん!」
商店街を襲撃して来た人達であろうか。同一人物じゃないとしても、それに属するであろうというのは、私ですら容易に想像がつく。
私を抱き締める歪さんの顔を見上げる。歪さんは、下唇を噛みながら階段を降る三人を見ていた。
「歪さん! どうしましょう!? なんかすっごくあの人達叫んでますけど! 怒ってるんですかね!?」
「え? ……あ、ああ。そうか、そうだった。ああ、そうだったんだ。ああ、ああ、申し訳ない逆廻真凛。僕とした事が失念していた。ああ、一大事だ。僕のお城に侵入者だ。アレ等は僕達に害する異物だ。僕達と決して噛み合わない、歪な異物だ。だから、排除してしまおう」
一度取り乱した様な素振りを見せた歪さんだったけれど、表情を引き締めると、私の体を突き放した。
「歪さんって、強いんですか?」
私が尋ねると、歪さんは笑って言う。
「全人類でも、下から数えた方が早いと思うよ」
大声で喚く害意なんて、まるで意に介していない様に笑う。
瞬間、何も手にもっていなかった歪さんの手に、一冊の本が現れた。厚みのある赤いカバーの本は、ページが開かれた状態で歪さんの手に。
「僕は、本が大好きなんだ。だから、何時でも本が読める様にした。僕の願いはただそれだけだ。この棚にある本をなんでも読める。何時でも読める。読みたいと思った本の、読みたいページが開かれた状態で僕の元に現れる。遥か上段に差してある本であろうが、僕が遥か遠く南国のビーチに居ようが、僕の矮小な願いは容易に叶う」
「そ、それだけですか?」
「ああ、それだけさ」
思わず言葉を失いそうになる私の前に歪さんは躍り出る。
「それだけで十分なんだ」
そこで気付く。歪さんが手に持つ分厚い本。その開かれたページから、黒い煙がくゆる。
「ひ、歪さん! 煙!」
「口を塞げ逆廻真凛、腸を食い破られても僕は責任を取らないぞ!」
くゆる黒い煙が、一転勢いよく噴射される。歪さんの持つ本が、煙を吐き出す。高く高く伸びる域神書店の天井を突くんじゃないかという程に、噴き上がる。
「歪さん! 前! 前!」
階段を降り、真っすぐに私達へ突進してくる三人。商店街の道で最後に見かけた姿と同じく、白いフード。表情は読み取れない。
「逆廻真凛! 口を塞げと言っているだろう!!」
風が吹いた。
風、というには強過ぎる。私の髪の毛を掻き乱す強風が巻き上がって、煙から噴き出す煙が消えた。赤いカバーの本は煙の噴射を止め、ただページを開いて歪さんの手に収まった。
「ひず――」
突進を続ける三人が歪さんに触れてしまいそうになる刹那、やはり私は声を張り上げた。いや、張り上げかけた。
「■■■■■■■■■■■■■■■!!!!!」
「■■■!!!」
「■■■■■■■!!!!!! ■■■■■■!!!!!!!!」
やはり、私はその言語を聞き取れなかった。侵入して来た三人の発した言葉を、理解出来なかった。私は、言語共有の領域に居ないから、人種の違うであろう三人の言葉を聞き取れなかった。
三人の断末魔を、聞き取れなかった。
域神書店の天井から垂れ下がるランプの数は数多。長さは全て違っていて、それ等が淡く照らす店内は暗い。今は破られた扉からの光があるから、私が此処に来た時よりははっきりと周囲を見渡せる。だから、ソレが私にははっきりと見える。
本棚に囲まれ、一面を本で埋め尽くされた部屋の中に、飛び散る。
先程まで人間だった三人の、欠片が飛び散る。喰い散らかされて、飛び散る。
天井や本棚に張り付いているのは足? 足と呼べるのだろうか。夜色の体躯は長く、太さは私の体程。そして、数多に枝分かれしている。自然界に存在する生物に例えるなら、それは植物の蔦の様だったり、蛸の足にも見えた。
うねって枝分かれした黒いソレは、私が確認しただけで十数本。本体と呼べるものは見当たらず、その枝分かれの先に鋭い牙を備えた口がある。大きさは人間の頭部を丸呑み出来そうなくらい。目の様な器官は見当たらない。天井と本棚に張り付き、三人の体を喰い荒らしている。
それがなんなのか、私には、一切分からない。見た事もないその怪物は、動かなくなった三人を一通り喰い荒らすと、黒い煙となって霧散した。
三つの肉塊を残して、完全に消え失せてしまった。
「後片付けが面倒だなあ。しかし、他の方法では本を傷つけてしまうかもしれない。今回の場合は、先ほどの人造悪魔を引っ張り出すのが最善手」
言いながら、歪さんは本を閉じて私に振り向いた。返り血を浴びたその姿は、ランプに照らされて赤い。
「今のはなんだ? という表情をしているね逆廻真凛。簡単な話だ。僕は弱いけれど好きな本を手に取る事が出来るんだ。だから、僕は集めた。錬金術師が記した悪魔召喚の禁書、最悪の一団である魔女と呼ばれた女達が残した魔導書、大洪水を内包した救世書と呼ぶべき書帙。僕は僕の力で最強となる為にそれ等を掻き集めた」
天井まで伸びる高い高い本棚。それに連なる分厚い本の数々。今は、それが只管に不気味だった。
「本自体が力を持っていれば、僕は弱くていい。さながら此処は、大国の軍事施設など足元にも及ばぬ武器庫だ。僕は僕単独で、千の手段を持ったたった一人の軍隊と成る」
域神書店店長である域神歪は、頬に飛び散る血を拭いながら言った。
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