リビングデッド・ラヴァーズ🈡
「乗り換え多くなるけれど、大丈夫かい?」
「うん、大丈夫。私が連れて行く」
「父さんが駅まで迎えに来ている筈だから。僕はこのまま冷然院に寄る。それじゃあ、気を付けてね。桜、深」
七月二十九日。俺達は大宮駅で新幹線を降りた。
一片は寄る場所があるとの事で別行動。此処からは、俺と桜の二人きりだ。
桜がベルデマットと声合の人達を殺して、二日が経った。いや、桜が殺したのはベルデマットだけだ。父さんも母さんも、村の皆も、既に死んでいた。死体を操るというベルデマットに殺されてしまっていた。
だから、桜は皆を救ってくれた。命を失って尚弄ばれる人達を、助けてくれた。
あの後桜が一片を助けに行ったけれど、蔦は外れなかった。結局東京から助けを呼んで一片が解放されたのは次の日の昼。そこから、俺達は街のホテルに移動した。
一片からは、新聞とテレビは暫く見るな、と言われた。声合の村はなくなる事になるらしいけれど、事後処理の云々は俺には窺い知れない大人の話になるのだろう。
ただ分かる事は、俺は家族と故郷を失った。それだけだ。
「こっち」
桜はこの二日間、まともに俺の顔を見てくれない。今も往く先を指差すだけで、俺の方を振り向かない。桜に連れられるまま、埼京線のホームに降りて、電車に乗る。
東京には何度か来た事があるけれど、どの時も人混みで溢れかえっていた。昼前のこの時間、電車の中はとても空いていて、桜と隣り合ってシートに座った。
電車が走る音には慣れない。俺の住んでいた環境に頻繁にあるものではなかったから、これからこの喧しい音と過ごしていくのかと思うと、少しだけ憂鬱だった。あの聞き慣れた虫の声が、既に懐かしい。
車窓の外は、ずっと家が並んでいて緑が少なかった。青い空は少しだけ狭い気がして、変わらないものと言えば、燦燦と照らす太陽光くらいのものだった。
桜は相変わらず無言のまま、隣に座っている。俺も、特に話しかける事もなく座っている。
無言のまま、電車が停車と発車を繰り返す。俺と桜の間に流れる空気は、桜と出会ってから纏った事のない種のもので、その大凡の原因も分かってはいたけれど、言葉が見つからずにいた。
「あのさ——」
「深くん、乗り換え。付いて来て」
意を決して口を開いたはいいけれど、停車した車両から桜が飛び出してうやむやになった。
見た事のない駅のホームから、速足で階段を駆けて乗り換えをする。先程よりも人のまばらな車両に乗って、またシートに座る。
目を合わさず、隣同士で。
「急ぐと、一本前のに乗れるんだ」
桜がどんな表情で言っているかは分からないけれど、多分会話の内容に意味はなくて。
後回しに、先送りにしているだけの言葉は、足止めしても無駄だから。
「桜、助けてくれてありがとう」
不意を突く様に。悟られてしまっては、また誤魔化されてしまうかもしれないから。
桜は優しいから、きっとそれを気にかけている。俺の事を救ってくれたというのに、その過程の地獄を自分の責任だと背負い込んでいる。きっとそうだ。
だから、そうではないと、告げる事が俺の役目。
「一回だけにしてくれたもんな。ネクロマンサーって死体を操るんだろ? だから、何度も父さんや母さん、村の人を倒さなきゃいけなかったかもしれない。そんな繰り返しの地獄を、俺に見せない為に頑張ってくれたんだ。だから、桜にはありがとうって言いたい。桜がなんて言っても、桜がどう思っていても、俺を助けてくれた事には変わりがない。だから、ありがとう」
顔を見て言うのは恥ずかしかったから、隣同士で良かったと思った。
俺達の乗る車両には人が殆ど居ないし、向いのシートには誰も座っていないから、それもあって素直に言えた。
まるで二人だけしか居ないみたいに切り取られた空間に思えたから、恥ずかしさよりも優先したのは、その言葉だった。
「……私、ずっと怖かった。もしかしたら、深くんに嫌われちゃったかもって、ずっと思ってた。深くんの大事な人達を、私は助ける事が出来なかったから。私はずっと村に居たけれど、なにかあったら手を出さないようにって、一片お兄ちゃんに言われてた。状況から離脱して、一片お兄ちゃんを待つよう言われてたから。けど、一片お兄ちゃんの言いつけを守らずに戦っていたら、深くんのお父さんやお母さん……村の人達を救えたかもしれない。だから、ずっと後悔してた……」
俺の事を救ってくれた桜は、俺の知っている桜ではなかった。
新しい環境におどおどした態度で現れた彼女。暑い日、教室の扉を開けた視界に飛び込むその姿はとてもか弱かったし、陽射しが照り返すコンクリートの上、俺の後ろを付いて来る桜は、まるで妹が出来たみたいだった。
可愛いとか、一緒に居たいって感情は当然のものと思っていたけれど、それはあの夜にがらりと姿を変える。
父さんと母さんの事があって泣いている俺に笑いかけた彼女は、そういう一切の雰囲気とは逆のものだった。俺の前に仁王立ちしてベルデマットと対峙する姿は頼もしかった。俺が地獄に居ると理解してもがいてくれる姿は、姉が出来たみたいだった。
人は見かけによらない。第一印象からはてんで離れた様相で、桜は俺の事を守ってくれた。
「私は役立たずだって……そう思ってた。大好きな人の事を守れない、だめな奴だって……そう思ってた……」
隣を向かなくても分かる。桜が涙声になって、言葉に嗚咽が混ざる。
「家族は居なくなってしまったし、俺の帰る場所はなくなった。でも、もう沢山泣いた。一昨日も昨日も、沢山沢山泣いた。未だに考えは纏まらないし、到底納得出来る事じゃないけれど、桜が居るから、大丈夫。これから俺は桜達と家族になるんだ。だから、大丈夫だよ」
だから、俺の言葉は決まってる。
「女の子に守って貰ったのは少し情けないけど、好きな人が頑張ってくれたのに、嫌いになる訳なんてない。ありがとう桜、俺を助けてくれて。何回でも言わせて、ありがとうって」
告白にも似た言葉は、下心のない素直なものだ。
場所は十二時に差し掛かろうかという電車内。きっとロマンチックとはかけ離れた雰囲気にはなってしまっているのだろうけれど、此処には俺達しか居ないようなものだから。
「うん……これからも……私が深くんを守ってあげる……えぐっ……」
「いや、それは情けないから俺もこれから頑張るよ。桜を守れるように頑張るから。守られてばっかじゃ格好悪いだろ?」
「そんな事ないよ! 深くんは、そんな事ない」
目を合わせないでの会話。途中、桜がリュックの中からポケットティッシュを取り出して鼻をかんだ事以外、変わった事はない。
少し時間が流れて、徐々に恥ずかしくなってきた。話の流れとはいえ、告白をしてしまった。
隣に座る桜からも同じく困窮する雰囲気を感じ取れる。二人共手をシートに投げ出しているから、少しだけ伸ばして手を握る、なんて事が出来れば男らしいのだろうけれど、気持ちを口にしただけでこの様だ。よしんばそこまで至っても、次が思いつかない。
ああでもないこうでもないと考えている間にも時間は流れて、比例して次の一手が打ち辛くなっていく。
結果、口を突いて出た言葉は、悪足掻きにも劣る軽薄なものだった。
「あ、あのさ……桜って……俺のどこが好きなの?」
恥じらう女子に向けていい台詞ではなかった。けれど、今の俺にはそれを絞り出すのが精一杯で、どうにか状況を打開したいという焦燥故の悪手だった。
いや、悪手だったのか。それは今となっては分からない。
俺は、この三週間足らずで東雲桜という女の子の事が気になった。恋に落ちるのに時間と理由はあまり必要ではなく、だから今こうして素直な感情を口に出来た。
その上で俺の知っている桜は様々な表情を見せてくれたけれど、人間はテレパシーを持たないんだ。
そりゃ、そういう願いをかけて、そういう力を持っている人は居るかもしれないけれど、俺はそうじゃない。だから、心の内っていうのは、口に出す事で初めて成立するし、初めて知る事が出来る。
「顔」
「え?」
ここで、初めて俺は振り向いた。
驚愕と共に間抜けな反応をして、遂に隣を向いた。先程まで泣いていたのであろう彼女は、今度は頬を赤らめて、少し伏し目がちで、そう言った。
二つに結わえた長い黒髪、幼い顔付きの紅潮は、陽射しの高い今、光の加減の所為ではないのだろう。
だから、それは間違いのない、彼女の言葉。
「顔が……好みなの。凄い……タイプ」
見開いた目で桜を見る。相変わらず真っ赤にした顔で、恥ずかしそうに口にする。
「それでね……我儘なんだけど、深くんにお願いがあって……」
その顔のまま、俺の方を向いて視線を合わせる。大きな瞳で真っ直ぐに俺を見据えて、恥じらいを保ちながら、彼女は口を開く。
炎天下、蝉の泣き声が充満する教室に現れた時の桜とも、初めて俺の練習に付き合ってバットを振っていた時の桜とも、宿題をやるからと俺の誘いを断った時の桜とも、あの夜に立ちはだかった強い桜とも、違う。
そのどれの時も見せなかった表情で口籠りながら、しかし強い瞳で、桜は言う。
「金髪なら完璧なの。私の理想……その顔で、金髪なら……本当に最高」
人は見かけによらない。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます