リビングデッド・ラヴァーズ⑩

 死霊魔術。魂や霊魂の存在が定義されていないこの世界で、それは字の通りにはいかないけれど、主だって存在しているのは、死者を扱う能力。

 例えば、死体の脳みそを解析して、残った記憶を掘り起こしたり、それこそ、死体となった人間を操ったりする。


 ネクロマンサー。墓暴きの一族は、死を纏っている。


「僕に死んでくれと。残念だけれど、それは叶わない願いだ。可愛い可愛い妹達を残して死ぬ訳にはいかないんだ」


「分かってますとも! 死んでくれと頼んで死んで貰えるなんて思っていません! なんせあの十一片、世界最強とも名高い男なのですから!」


「随分買い被られたものだね。僕はそんな大それた人間じゃあない」


「いえいえ! そんな事はありません。私達の世界で喧嘩の強さを競うのならば、それはじゃんけんにも似た相性ゲームになる事は否めません。その中で、全局面的に大凡勝利を収めるだろうと言えるのは、貴方の様な能力です。十一片、貴方の能力は『強い』という能力だ。動きが俊敏だ、腕っぷしが怪力だ、身体が頑丈だ、精神が強靭だ。それは単純故にどの局面でも効力を発揮する。結果として、貴方が最強と呼ばれるに至る」


「なんの面白味もない能力だと思うけれどね」


「それは能力を持てる人間の驕りですよ」


 ベルデマットと話しながらも、視線は深から外さない。ベルデマットの腕の中に居る少年の頬を汗が伝う。夏の陽射しに煌めくそれの軌道が、時間の経過を知らせてくれる。


 遅い時間の流れだ。


「けれどベルデマット、時にお前は僕の死体が目的であるらしいけれど、それを作り出す方法は置いておいて、だ。それでお前の夢は叶うのかい? 世界で一番強くなる事を所望している様だけれど、僕の死体を手に入れたお前はネクロマンサーとして世界最強であろう駒を手に入れただけになる。それは夢を叶えた事になるのだろうか?」


「おや、やはり自分が世界最強だと知っているのじゃあないですか」


 くだらない話を振ったのは時間稼ぎだった。心の籠っていない話だったから、揚げ足を取るに余りあるであろう。僕の言葉を捉えて、ベルデマットが笑う。


 不快だ。


「ああ、もう五月蠅いなあ。兎に角だ、それで夢が叶うのかと聞いているんだ」


「とても私の夢に興味があるとも思えませんが、答えましょう。叶いません、ね。それでは叶いません。私は、世界最強戦力を得る事で自分が世界最強になるのではなく、私が世界最強になる事で夢が叶うと思っております。それが私の信仰……それが、どうしましたか?」


「それじゃあだめじゃあないか。お前はネクロマンサーだ。名家マクマフォン家の死体繰りとして遺憾なく才気を発揮した天才なのだろう。アメリカの協会相手に一人で立ち回るくらいだからね。けれど、それで終わりだ。お前は最高峰のネクロマンサーなのだろうが、所詮はネクロマンサーだ。死体遊びが関の山、お前が世界最強になる事は叶わない。僕の死体でままごとするのがお前の究極点さ」


 僕は、気に食わない男の気に食わない夢を叩き潰してやった。そう思って、言い放ってやった。

 時間が稼げればいい、少しでもベルデマットが動揺すればいい。そういう思惑の元放った言葉を受けて、ベルデマットは目を点にする。


 けれど、それは僕の思惑が絡まったが故だった。


「……私が日本に来てその夢を語ったのなら、気付く筈だ。十一片程の人間ともあれば、察する筈だ。見つける筈だ。けれど、けれどこれは……そうか、そういう事か……」


 ぶつぶつと独り言に興じると、ベルデマットは口角を釣り上げる。


「冷然院と戸破の人間は懇意と聞いていましたが……十一片、貴方知りませんね? 知らないのですね?」


 厭らしく笑うこの男が、心底不快だ。


「なにを勿体ぶった様な台詞を。僕がなにを知らないっていうんだい?」


 饒舌になって貰う分には構わないから、僕は耳を傾け口を開く。


「十一片、貴方は魂の存在を信じますか?」


 問答は非常に下らなく、別段考える必要がない程度のものだった。


「それは人の価値観によるね、なんて意図を汲み取らない返答をしてもいいけれど……それは大体の場合に多くの人がこう答えるだろうね。存在しない、と。僕は便宜上魂という言葉を使う事はあるけれど、例えば、人間個人の記憶を始めとする情報が詰まった目には見えない精神体的なモノを指すのなら、それは存在していないだろうね」


「正解です!」


 この世界の共通認識の一つ。


「魂や霊魂が存在しないというのは、私の様なネクロマンサーにとっては都合が良い話であり、悪い話であります。死者に介入できる唯一の存在であり続けられる一方で、私達は死という境界を越える事が出来ない。霊魂を操る、なんて記述がネクロマンサーの文献には多く書き記されていますが、そのどれもが誇張された虚構に過ぎません」


「長々と講釈垂れているところ悪いけれど、そんな当たり前の話を聞かされるのは、女の子の恋愛相談に相槌を打つより退屈さ。なにが言いたいんだい?」


 興味の持てない話に痺れを切らせて嫌味を差し込む。


 それが、退屈な問答の最後になった。



 退屈だった話のギアが、一気に上がる。


「眼鏡の奥、瞳が大きく開きましたね? 興味があるでしょう、あるでしょうね。誰でもありますよ。私達の世界の基準が一つ変わるのですから」


 僕の感情の機微を察せられたのは癪に障る。けれど、その口を止める事が出来ない。


 最後尾を走るランナーは、追い越される事で周回遅れに気付く。至福の光景から目覚める事で、それが夢だったと気付く。


 前提にあればこんなに遅れる事はなかった。けれど、それが抜けていたから、僕はここまで気付かなかった。

 詳細を聞かなくても良い。それが事実じゃなくても良い。ただ、この状況を作り出すパズルのピースはそれで十分に足りた。全てが、分かった。


 驚愕は言葉尻から漏れてしまうだろう。けれど、それを隠し立てても今は意味がない。それで傷が付く様なプライドは僕にはないし、困る事もない。


「今は……冷然院の事は置いておこう。けれど、分かった、分かったよ。ベルデマット・マクマフォン。お前が自身の夢を叶える為に、この国に来た理由が分かった。それは窮地から起死回生の逃走ではなく、全ては青写真。僕の死体をゴールの一つとしたのは、そういう訳か」


「察しが良くて助かります。ええ、その通りです。恐らく、貴方が察した通りの状況です。私は夢の目の前に。そして、貴方はその先に」


「冷然院が魂の存在を確認した可能性がある。そして、お前は日本にやって来た。僕の死体は、ネクロマンサーとして操る為ではなく、自分の新しい容れ物として使う訳だな」


 ネクロマンサーならば、死体の保存、保管など数多の技術を持って万全を果たすであろう。


 そして、この男は夢を叶える。


「今の私にその技術はありませんが、存在が確認されたのであれば大きな前進だ。例えばそう、私の魂を貴方の死体に移す事が出来るのならば、それは叶う。途方もない私の夢が、実現する」


「僕にとっては初耳だったけれど、冷然院がそんな事になっていたとはね……けれど、お前は別に魂の移し替えを技術確立している訳ではないんだろう? 随分と見切り発車したものだね」


「死体の保管なら、向こう千年腐らせない事だって出来ます。だから、いち早く欲しかった。貴方の身体が欲しかった。それ以外は後でいい。魂の実験は、私が頑張ればいい。夢を叶える為に、研究し尽くしてやる。その上で、貴方の死体があるのは大きなモチベーションになるでしょうしね」


 歪ではあるけれど、愚直な男だ。

 その真っ直ぐな向上心のベクトルが人の為に向けば良かったのだけれど、どういう訳かこういうネジが外れた奴程方向性が明後日を向く。まあ、ネジが外れているから努力出来るのだろうけれど。


 冷然院が今回の件で釈然としない行動を取っていた理由はこれか。僕にすら悟られたくなかったのだ。いや、誰にだって悟られたくない。

 魂を発見したかもしれない。それは情報として素晴らしいけれど、その分悪を集めるだろう。自衛の為にも、口外はしない方がいい。


 しかし、どうにかして漏れてしまった。冷然院がどういった状況で魂を発見したのか、またはそれが真実かも分からないけれど、緘口令は万全ではなかった。どこからか流出したその情報を嗅ぎつけて、この男はやって来た。


 冷然院がベルデマットの真意を知っていたかどうかは分からないけれど、今はそれは些細な事だ。


 ベルデマットは、本国から命辛々逃げ出した訳ではない。


 恐らく、入念に準備をして来ている。


「今、焦りましたね?」


 状況が一変した為に身構えた。あくまでそれは心構えの上でだったけれど、僕の感情は先回りして口にされる。


「ただの逃亡者狩りが一変したのです。十一片であっても焦る事があるんですね? そうです、そうですとも。私は準備をした。貴方だけに、貴方だけの為に準備をした。冷然院など後回しでいい。貴方の死体さえあればどうとでもなる。だから、貴方の為の準備をしている」


 視線を、深から外してしまった。自分の胸中に去来する感情の正体がはっきりしているから、自分の目を醒まさせる意味でも、もう一度深に視線を振る。


「今、この少年から目線を外しましたね、外した。貴方の第一目標はこの子だった。依頼された私よりも、この子の安全を優先していた。けれど、今は事情が変わってしまった。自分に対して準備をして来た相手ならば、その余裕はないかもしれない、と。善人ぶった化けの皮が剥がれて、慌てて取り繕った」


 泳いだ視線の全容を悟られる。


「五月蠅いなあ!」


「語気を強めるのはどうしてですか? これ以上悟られたくないから? 先程は激昂したフリをしていましたけれど、今のはフリだけではないですよね? 苛立ちが見えます。私の様な存在の掌で踊るのは嫌なのでしょうね。圧倒的に自分より弱いのであろう存在に精神的不利を悟るのは、屈辱でしょうね?」


 気に障る。


 全てが不快だったから、もうどうでもいいと眼鏡を外して胸ポケットの中に仕舞った。


「お前の夢は叶わないんだよ。どれだけ準備をしていようが、どれだけ想いが強かろうが、それは叶わないよ。なにせ、相手が僕なんだ」


 この苛立ちを、そのままぶつけてやる。脳みそを冷やせ、クールに激昂しろ。なにも難しい事はない。


 深を助けて、この男を殺せばいい。今は、その二つだけでいい。


「僕を死体に出来るだなんて、まさか思っているんじゃないだろうな?」


 有りっ丈の憎悪を込めて、ベルデマットを睨みつけた。


 威嚇よりも明確に殺意を搭載したそれは、それでも尚ベルデマットの表情を崩すに至らなかった。


 むしろ、嬉しそうな、そんな顔でベルデマットは言う。


「あははは、確かにそうでしょうね。なんせ貴方は最強だ。だから、だから準備し得た。だから打倒出来る。貴方は最強である事が弱点だ」


 僕の動き出しに合わせて、ベルデマットがポケットからなにかを取り出して投擲した。僕に緩い放物線を描いて向かってくるそれは、小瓶。宙を舞うそれを凝視するけれど、中身は空に見える。コルクで蓋をされたそれが僕に触れる寸前、拳で粉々に砕いてやった。


「***********」


 瞬間、空間が振動した。小瓶が割れたのとは違う音。人の声と分かるけれど、言語として認識出来ない。割れると同時に耳に入ったそれを知覚した時に、ベルデマットはまた笑っていた。


「得体の知れない小瓶を見せつける様に割ったのは自信の表れと、僕に対する反抗心ですね! 『お前が百策を以てしても、僕には敵わない』なんて類の強い意志を感じます。事実そうでしょうね、ええ、勿論、私は貴方に敵いません」


 割れたガラスが、太陽光を乱反射させながら散って行く。その中で、耳を劈いた音の正体に考えを巡らせる。


 人の声ではあった。けれど、言語として認識出来なかった。それはおかしい。


「私の軽口が図星でも苛立ちを見せなくなりましたね。諦めた、というよりは、どうせ殺すからどうでもいい、といったところでしょうか。それは一見、成熟した精神で優位に立った風ですが、その実ただの逃避に過ぎませんよ」


「五月蠅いなあ。真意はどうあれ、僕はお前の言葉にはもう惑わされないよ」


「惑わされなくて結構。もう終わりなのですから。今の貴方は、小瓶を割る事で発生した音声に考えを巡らせている。安心して下さい、答えを教えます。もう終わりなのですから」


 ベルデマットが言って、視界がグラついた。


「う……ん?」


 視界がぐにゃりと歪に変形して、思わず片膝を膝を突く。


 そんな馬鹿な、と幼稚な遠吠えが漏れそうになる。


「そんな馬鹿な、と思っているでしょう? 思っているでしょうね? まさか、十一片がたかが小瓶を割った程度で掌握されるなんて、世界中の誰も思っていないでしょう。貴方は最強だ、間違いなく最強。だから、そんな不用意に敵の投げたものに手を出せる……いや、不用意ではりませんね。なにせ十一片なのですから、不用意なんて状況は貴方には存在しないのでしょう。故の、穴。故の、隙」


 鈍る思考の中で、何故? が堂々巡りする。


「セイレーンをご存知でしょうか?」


 ギリシアの怪物。多くの船乗りを歌声で惑わせ、その肉を喰らう海の魔。


「その小瓶に入っていたのは、です。しかも、特別受注品。私の為の、私にだけ役立つ歌です。これを手に入れるの骨が折れました……マクマフォン家ってお金持ちなんですよ? それでも、財産の三分の一がなくなりました」


 ベルデマットの話に、耳鳴りが混ざる。


「本来であれば、稀少なセイレーンの歌声であろうとも、十一片には効かないでしょう。『強い』というのはそういう事です。自分以外に作用されない屈強さ。例えば十一片を毒で殺すのならば、ちんやヒュドラ……神域の毒物が必要でしょうね。屈強な者には、強力な対抗手段が必要。だから、セイレーン程度の歌では十一片を縛れない。けれど、けれどどうでしょう。その歌が、汎用性のないものであれば。ただ一つに特化していればどうでしょう。鋭き切っ先を尖らせて、ただ一点にのみ焦点を合わせたのなら、どうなるでしょうか。それは、石を穿つに足るでしょうか?」


 意識が落ちていくのが分かる。


「その小瓶に入れた歌が、だったとしたら、それは十一片に届くでしょうか?」


 視界が、暗転した。

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