リビングデッド・ラヴァーズ⑨

 別に想定していなかった訳ではない。けれど、僕の想定はあまりに稚拙だった。


 村でベルデマット・マクマフォンと邂逅する可能性はあった。その際に、見知った誰かが人質になる様な事も想像した。


 けれど、全ての根本に共通する事は、ベルデマット・マクマフォンが逃亡者であるという事。

 母国アメリカで、協会の人間を殺害して逃走。そして異国の地、この日本に逃れた。手引きするものはなく、それは孤高の逃走劇。これは大変な事件だけれど、終結は想像に容易な刹那の逃避行。逃走の完遂だけは在り得ない、というのがこの事件に関わっている人間達の総意である筈だ。


 無論、僕も例外ではない。この地に逃れて、ベルデマット・マクマフォンが逃走し切る可能性は塵芥に等しい。仰々しい程に実力が溢れた人選をされた網が張られたのだから、それは静かに終幕する。そう思っていた。


 だから、基本的には弱者はベルデマット・マクマフォンで、僕達は追い込む立場。それだけは変わらない。だから、数多想定したベルデマット・マクマフォンの邂逅のどれもが、僕達が追って、ベルデマット・マクマフォンが追われるものだった。


 例えば、逃走するベルデマット・マクマフォンが悪足掻きに深を人質に取る、とか。


 故に、僕の目の前は想定内で想定外だ。絶対的な逃走者である筈のベルデマット・マクマフォンが、自らと言っていい、僕の目の前に姿を現した。気に食わない笑顔を浮かべて、深の隣に立っている。


 昨日、此処で出会った、と深は言った。その内容はどうでも良い。事実として、深が警戒していない事だけが確かだ。


 もう、巻き込まない選択肢はない。深を巻き込んで、僕はベルデマット・マクマフォンを打倒する。人質になっていると言って差支えない深とベルデマット・マクマフォンの距離。迂闊に動けない事は確かだけれど、なにも出来ない訳じゃない。


「私本当にツイています! 本国から逃げる時も、そして今も! ジャックポットが二度も続くなんて、明日には死んでしまうのでしょうか!?」


 そんな僕の僅かな焦燥なんてお構いなし。ベルデマット・マクマフォンは、やけに高いテンションではちきれんばかりの笑顔を見せる。


 そんなベルデマットを不思議そうな顔で見つめる深。願いが叶うならば、今直ぐ僕の家に行って桜と宿題に向かって貰いたいものだ。


「ベルデマット・マクマフォンで間違いないな?」


「そういうそちらこそ、十一片で間違いありませんね?」


 やや食い気味。僕の言葉尻に重ねてベルデマットが言う。


 僕とベルデマットが見知った様に話し始めた上に、僕の苗字が違うからだろうか、深は更に表情を顰めて僕等を見ている。


「僕なんかの名前を知っているなんて、光栄だね」


「知ってまーす。それ、謙遜って言いますね、日本人の文化。むしろ、十一片の名前を知らなかったらモグリでしょう?」


「御託はいい。今から——」


「少し退場願いましょうか」


 今度は、完全に僕の言葉を食って。


 ベルデマットがカーキ色の短パン、そのポケットに手を突っ込む。直ぐに動いても良かった。良かったけれど、深が居た。


 その手の殺気が僕に向かうならばいい。それならば此処で立ち止まって僕が的になればいい。最優先するのは深のこの場からの離脱だ。


 しかし、またも僕の気持ちは空を掻く。


「え?」


 ベルデマットがポケットに手を入れ、数瞬の間を置いて深が意識を失ったかのようにふら付いた。

 

 手はポケットの中だ。


「おいっ——」


 倒れかけた深をベルデマットが抱きかかえる。様子を見るに、気を失っている。


「なにをした!?」


「手品のタネ明かしをするマジシャンは居ないでしょう?」


 激昂したフリをした僕を、ベルデマットは嘲る。気が立った風を装ってベルデマットが少し警戒してくれれば良かったのだけれど、そんな素振りは一切見せない。僕が道化であるのを見透かした様に、相変わらず楽しそうな笑顔。


 そう、楽しそうだ。この男は。


 こんな状況下で、心底楽しそう。まるで……そう、まるで——


「笑顔、なのが気になりますか?」


 また、僕を見透かす様に言う。


 無言が肯定になる事を理解して、僕は不満気に押し黙る。


「十一片、目的は私で合ってますか? それとも、偶々の出会い、なのでしょうか。だとしたら運命的ですけれど」


「お前と結ぶ糸は生憎持ち合わせていないよ。生死問わずデッド・オア・アライヴ。ベルデマット・マクマフォンは日本国内で数多の優秀な人間達に追われているよ。僕が此処に居るのは偶々さ」


「ほう、そういう状況でしたか。本国の人間は立ち入っていないのですね」


「さあどうだろうね。僕は冷然院から依頼を受けただけだから、アメリカの協会と冷然院の間でどの様な約束がされたかは知らないよ」


「あの見栄と金に塗れた協会の事です。概要は察するに余りありますね……私が国際指名手配になっていないという事は、余程日本以外に私の脱走を知られたくないのでしょうね」


「悪いけれど、僕は政治のお話には興味がないんだ。今僕は、如何にお前からその腕の中の少年を奪還し、如何にお前を殺すかにしか興味がない」


「物騒ですねー! 殺す、だなんて。十一片にそんな事を言われて、万が一私がこの国を脱出出来たら、何処に行っても話の種に困らないでしょうね。あの十一片から逃げ果せた、と」


「話どころか、飯の種にも困らないさ。ただ、それは叶わない願いだ。僕から逃げられると思うなよ」


 ベルデマットの軽口に付き合いながら、思考を巡らせる。逆転の発想、深の奪還に至る必殺を、思考する。


「思いませんよ。十一片から逃げようなど、努々思いますまい……それに——」


 今日の僕は、ほとほと冴えていない。


 全て、僕の思惑外で、回る、回る。


「私がこの国に来たのは、貴方が目的なのですから」


 それは本当に予想になかった言葉。故に、目を梟の様に丸くして、ベルデマットを見た。その表情がどれ程間抜けだったかは、想像し難い。


「なん……だって?」


「もしかして、私が当てもなく必死にあの協会から逃げ果せ、命辛々この国にやって来た、とでもお思いでしょうか? ええ、ええ、確かにそうです。あの大国アメリカの虚栄の権化。あの協会に対して大立ち回りを演じたのです。私の事はなんと聞いていますか? 墓暴き、殺人、エトセトラエトセトラ……幾つかの罪を背負って此処に立っているのは、ネクロマンサーとしての酔狂だとでもお思いでしょうか? いいえいいえ、私はそこまで馬鹿じゃありません。一つの野望に向けて舞台は回ります。そう、十一片、貴方。貴方は、私の一つのゴール」


 饒舌には、二種類ある。隠匿と、歓喜。


 追い詰められた人間は、真意を言葉の森へとひた隠す。暴かれたくないが故に、幾重にも虚構を折り込む。

 または、暴発、暴走。歓喜が渦巻いて、蓄積した想いを全て言葉に変換して羅列する。


 それ等は表情を見れば一目瞭然だ。目の前の男は後者であろう。


 口角が顔面を突き破りそうな程に鋭い。笑い声が混じっている様な声色だ。溢れ出た、と形容するのが正しいのであろうその表情は、クリスマスの子供に等しい。


「十一片、私はね、世界で一番強くなりたかったのですよ」


 良く回る舌を今直ぐにでも引き抜いてしまいたい。不快だ。

 自分が恐らく掌に居るのであろう状況で、戯言に耳を貸すのは汚水の中に突き落とされたが如く不愉快だ。


「ですが、私が生まれたのはネクロマンサーの家。周囲は名家だと持て囃しましたが、私の願いはそうではなかった。薄暗い工房で死体を弄る……鼻を突き刺す刺激臭の中、墓場を掘り起こす……私が求めたのはそんなものではないのです……私は、スクリーンの中で縦横無尽に街を往くヒーローの様な……そんな力が欲しかった。けれど、私の願いは叶わない。私は死体を操る家に生まれ、否応なく私はその力を発現した。けれど、けれど、夢は叶えたいじゃあないですか。夢を諦めるなんて、嫌じゃないですか。じゃあ、叶えるしかない。神は皆の心に居るけれど、それは万能ではないから、だから、自分が頑張るしかない。私の様な弱いネクロマンサーは、それしかなかったんです」


 他人の夢物語など、酒の席以外では唾棄すべきだ。ましてや他人の絵空事、興味を持てという方が無理な話だ。それを、この男は楽しそうに、楽しそうに語る。


 その続きが想像出来ても、なに一つ楽しくない。退屈な時間だ。


「大きな事件を起こしました。私の元に、協会からの使者が現れました。私は使者を殺して操りました。今度は、協会から優秀な使者が現れました。私は操った使者でそれを殺しました。当然です。。今度はもっと優秀な使者が現れます。ねずみ講の様に繰り返したそれは、最終的に協会内でもとてもとても優秀な協会員を引っ張り出すまでに至りました。その協会員といったら、私が国外に脱出するまで全てを足止めする程に優秀でした。そうして異国の地で私に宛がわれるのはどんな人間なのでしょうか? あの馬鹿みたいな協会が自分の面子を保ちながら私を始末するには、アメリカの様に協会が組織されている国ではない場所で、その国の人間を頼って始末するしかない。例えばこの国は、世界の中で異質。世界トップランクの力を持ちながら、組織が存在しない。たった一つの家が強く在り続ける事で平和を守っている。さあこれで条件が揃った」


 僕の失敗は、たった一つだけ。


 今回の依頼を、大国の面子を守る為だけに行われる殺戮行為と安請け合いした事。


「その異国の地で私に向かうは、日本最強の幾つか。冷然院か、戸破の人間か、鬼束商店街の人間か。、願わくば、私の願いが叶うなら。なに一つ叶わなかった私の願いが一つでも叶うなら、あの男がいいなあ。スラヴ神話の死神『チェルノボグ』を殺した男。空想悪魔、ヨーロッパに現れた怪奇現象『ジャバウォック』を喰い殺した男。『ヤハウェ』再現を目指した神殿を壊して更地にしてしまった男。神話殺しデストロイ悪魔喰いデストロイ神殿破壊デストロイ全壊衝動ザ・デストロイヤーと呼称されるその男は、まるで男自身がお伽話の様に語られる。あの男がいいなあと。私を打倒しに現れるのはあの男がいいと思っていた。、私の夢は叶うと、信じた」


 かつての自分が行った破壊活動を羅列され、いよいよ答えは一つになった。

 

「十一片の死体があれば、私の願いは叶う。その夢に今手がかかっている。だから、十一片、私の夢の為に、死んでくれ」



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