赤い宗家の白と黒⑤
「手、大丈夫かい?」
「はい、取り敢えずはこれで……」
午後八時十五分。太田駅に着いた僕達は、動かない幽亜くんをホームの椅子に座らせて、人が居なくなるのを待った。一時間に上下共に三本程の運行間隔であるので、すぐ周囲に人は居なくなった。
玉子ちゃんの怪我は、玉子ちゃんのリュックの中にあったガーゼと包帯で応急処置をした。掌を刃物が貫通する痛みというのはあまり想像したくないが、玉子ちゃんは気丈にも苦痛を表に出さずに処置をした。強い子だ。
「取り敢えず、状況の整理をしたいのだけれど、いいかな?」
僕が言うと、玉子ちゃんは黙って頷き、身動きの取れない幽亜くんは口を結んだままだったので続けた。
「まず、僕がここに居る理由から。僕は赤雪分家、赤百合の螺奈さんから、赤雪玲央の護衛依頼を受けた。赤雪当主に伝わる、白王と黒王。この使い魔を狙った賊が、明後日の襲名式に現れるから、と。だから僕は、赤雪分家である君達が仲間であると認識していたのだけれど、どうだろう?」
経緯を話し終えると、玉子ちゃんと幽亜くんは目を見合わせる。数瞬間が空いて、玉子ちゃんが口を開いた。
「少しだけ……一片さんに伝えられている情報には誤りがあります」
「少しだけ?」
「はい。明後日、玲央くんの襲名式があるのは本当です。そこで、赤雪代々の白王と黒王が継がれるのも……いえ、正確には、そういう予定でした」
「んん? 中止になったって事かい? そんな連絡はこちらには来ていないけれど」
「そんな事をしている場合ではないと言った方が正しいでしょうか」
宗家襲名式。名家、しかも、未だに戦闘で名乗りを上げる様な格式を重んじる家系だ。その家の襲名式を、そんな事呼ばわり。
「誤りがあるのは、白王と黒王を狙った賊、という部分です。今、赤雪と赤雪の十四の分家は……その使い魔を狙って争っています」
玉子ちゃんは、相変わらずの暗い瞳で、言った。
「十一片、お前、赤雪の成り立ちは螺奈から聞いたか?」
そんな玉子ちゃんに変わって、不格好に椅子に座る幽亜くんが言った。
「うん。大体は聞いたよ」
「じゃあ話が早え。元々が憎しみ合いから派生した家だ。皮肉にも、元に戻ったってとこだな。今までは白王と黒王による抑止力で宗家と分家のバランスを取っていたが、赤雪の跡継ぎが無能揃いの所為で玲央が継ぐ破目になっちまった。あいつはまだ白王と黒王を完全には扱えない。これを好機と見たのが、未だに数百年前のいがみ合いを引き摺ってる爺婆共だ。跡目争いから生まれた赤雪は、今、またも血みどろの跡目争いを始めちまった」
僕が依頼を受けた北関東の名家は、このご時世に、石化してしまった様なお家騒動の真っ最中であった。
「ちょ、ちょっと待ってくれ。どうして今更そんな事をするのさ? 発祥は数百年前、いがみ合いなんて、疾うに風化しているだろう!? 確かに名家の宗家分家のいがみ合いは珍しい話じゃない。けれど、なんだって今更」
「普通はな。ところが、赤雪の場合はそうでもなかったらしい。俺等の代じゃあそういうのは歴史の話だと思ってたんだけどよ、爺様婆様辺りは、今でも別の家や宗家を親の仇が如く扱き下ろしてる。それを抑止していたのが、白王と黒王。その箍が外れちまったんだ。堰き止めていた憎悪は、俺等の代にゃあ馴染みのない量だったみてえだな」
「だからって……数百年も平和にやって来たんじゃないか!? おかしいだろう!?」
「十一片、考え方が逆だ。尋常じゃない怨嗟は、全く風化しちゃいなかったんだぜ?」
「だから、それならば今まで平和に過ごせないだろう? 今までもこういう争いがあったのか? 名家中の名家、赤雪のそんな話、聞いた事ないぞ!」
「だーかーら、考え方が逆なんだよ。その恨みを、力づくで抑え込んでたんだよ。十一片、お前、白王と黒王の事、なんて聞いた?」
「秘伝の、使い魔と……」
「ああ、確かにそうだ。秘伝の使い魔だ。だが、ただの使い魔じゃねえ。使い魔としては上位も上位……いや、使い魔としてはこの世に在り得ねえ。白王と黒王は、山神だ」
山神。恵みと厄災を振り撒く山を、太古の人は神と崇めた。写真で見た、白い石と黒い石。あれ程の大きさならば、そういう時代に神の依代と祀り上げられていたとしてもおかしくない。それならば、その石は神足り得る。
だが、それならば、だ。
「山神だって? それなら、人に使役されるなんて在り得ない。神を携える人など、聞いた試しがない!」
「常識的に考えりゃ在り得ない話だが、現に我らが宗家赤雪は、どういう訳かあれ等を使役している。だからこそ、赤雪は数百年その血を絶やす事なく繁栄出来た」
「でも、螺奈さんはその二体を怪物としか……神様だなんて一言も言わなかった!」
「お前、言われたら信じてたか?」
確かに、そうだ。とても、信じられない。
神様の種別はどうあれ、この世に居るところには居るけれど、それを人が扱うなんて在り得ない。人が及びもしないからこそ、神は神足り得るのだから。
「まあ、信じられねえ気持ちも分かる。だが、その力も実証済みだ。なあ、玉子。だからお前がここに居る」
幽亜くんが言うと、玉子ちゃんは首をゆっくりと縦に振った。
「一度だけだ。俺が白王と黒王が動くところを見たのは、ただの一度きり。だが、それだけで十分だ。あれに立ち向かおうなんて世界がひっくり返っても思わねえ。なんせ、神だ。人が挑んでいい領域じゃねえ。八年前、俺はまだ十一だったが、はっきりと目に焼き付いている。当時、赤雪に逆らった分家
身動きの取れない幽亜くんは、その言動に似合わない怯えた瞳を見せて続けた。
「三十からなる戦の一族。赤雪は、残る十三の分家、その当主や筆頭候補を、加勢の名目で粛清の場所に集めた。一方的な虐殺だった。その実、見せしめだったんだがな。俺等の出る幕はなかった。二個の王が暴れると、赤踏の本家屋敷と赤踏の人間達は、更地になっちまったよ。その時思ったぜ。おいおい、まじかよ。神様ってのは本当に居るんだなってな」
もしも、それが本当に山神であるというのならば、在り得ない話ではない。
神というのはそういうモノだ。人智を超越した逸脱者。その力に大小はあれど、基本的には到底人が及びつかない領域に在る。
「だから、どの家もそれを狙っている。手に入れた家が、次の宗家だ」
依頼された内容とは齟齬がある。それが、僕の知らぬ範囲で変化したものなのか、それとも、最初からこういうものだったのか。
「俺や玉子は、そういう最中だ。そして、十一片、お前も、否応にそのど真ん中だ」
思わず頭を抱える。
僕の、一番嫌いな状況だ。知っていたのなら、決して依頼を受けなかった。
こんな血みどろ、僕の知らないところで勝手に終結して貰わねば困る。巻き込まれるなんて、迷惑にも程がある。
自分の家が宗家に成り代わる為に家族同士で殺し合いをするなんて、勝手に滅んで勝手に血を絶やしてくれなければ困るのだ。
よりにもよって、この僕を引き摺り出すなんて気分が悪い。
「玉子ちゃん、君もかい?」
僕は、侮蔑の目で彼女を見た。
痛々しく右手の包帯に血を滲ませる彼女が俯くと、幽亜くんが変わりに口を開く。
「八王子は、玉子を残して滅んだ。だから、こんな筆頭にすら及ばない半人前が当主になっちまった。成らざるを得なかった。玉子は、家族を失っている。今まさに、玉子は復讐の最中だ」
「違います!」
幽亜くんの言葉を、俯いていた玉子ちゃんが顔を上げて遮った。強い口調で、遮った。
「私は……目の前で家族を殺されました。しかも、親族にです。確かに、私の八王子は、八年前に赤踏に代わって赤雪に名前を連ねた外様です。けれど、赤雪分家に違いはありません。家族に違いはありません。その家族に、殺されました。私を遺して、八王子は全て……でも、私は復讐をしに来た訳ではありません。赤雪に成り代わろうとしている訳でもありません」
相変わらず真っ黒な、酷い目をしていたけれど、言葉だけはやらたに強かった。
「私は、また平和に暮らしたいんです。私は、これ以上家族で殺し合いをして欲しくないんです。だから、私は戦いを止めに来たんです」
「おいおい、まじかよ。そんな戯言通じるかよ? 賽は振られてる。既に幾つかの家は脱落した。その血を絶やした。もう、止まる事はねえ。きっと数百年前の再現だ。この家は、赤雪は終わる。間違いねえ。お前の願いは叶わない」
「じゃあ、どうして幽亜さんは私の邪視にかかったんですか?」
強い口調の玉子ちゃんを遮る幽亜くん。それを、更に切り返す玉子ちゃん。幽亜くんは、玉子ちゃんの言葉に詰まってしまう。
「邪視……玉子ちゃんは、邪視の持ち主なのかい?」
邪視、イービルアイ、魔眼。古今東西に伝わる眼力によって作用する術。意識的に能力を発現するものから、本人の意思に関係なくその目を見てしまえば陥ってしまうものまで多種多様。有名どころでは、メデューサの石化の瞳がある。
「はい、八王子は邪視の一族です。その瞳で捉えた者を、意のままに操ります。私はまだ動きを止めるくらいしか出来ませんが」
言われて、身動きの取れない幽亜くんを見る。相変わらず、不格好な姿勢で固まったまま椅子に座っている。
身体の硬直。確かに、これを行使されていたのなら、僕の拘束から僕に気付かれずに玉子ちゃんが抜けだした事も合点がいく。抜け出す瞬間にだけ硬直をかけた。刹那の出来事は、僕の認識外だった訳だ。
ただ、事実こそあれど、そんなモノ在り得ない。それは、人が扱うにはあまりにも強力だ。
「なるほどね……玉子ちゃんの能力は分かった。けれど、あまりにも能力が逸脱している。それこそ、神域……神話に出て来る化け物に劣らない。目を合わせただけで動きを止めたり操ったりするだなんて、とても人の領域にない」
「はい……勿論、厳しい限定条件があります。ですが、それがあるから、弱い私は争いを止めようと思ったんです。なにも、闇雲に命を投げ出した訳じゃない。勝算があったからです」
「限定条件? 勝算?」
僕の視界の端で、幽亜が嫌そうな目をした。
「八王子の邪視は、術者の事を大切にしてくれる人にしか作用しないんです」
途方もなく強力な邪視の限定条件は、その作用に値する困難さだった。
「それは……どれくらいの基準で?」
「それこそ、親族間、恋人、親友。そういうレベルでやっと。その度合いで、作用の強度、時間も変わります」
その条件は、強力な作用のメリットを十分にマイナスにする程だった。それは戦闘において、酷く出来損ないの能力。
神話の怪物の如く作用する珠玉の能力は、事戦闘においてその脅威を発揮しない、無用の長物だった。
「先程一片さんに邪視が効いたのは、一片さんが緊急時と判断して、私に対して過剰に庇護意識が働いた為と思われます。ですから、こちらの作用も瞬間的なものでした」
「つまり……到底、敵対する様な人間には作用しない。それどころか、玉子ちゃんを認識していない様な人間にすら、作用しない」
あまりにも限定的。あまりにもその能力は、枷が大きい。特に、こんな修羅場の中では、無力に等しい。
よりにもよってな能力だ。こんな状況だからこそ、よりにもよって、性質の悪い能力。
「ああ、だから、目を見れば分かる、と」
『目を見れば、分かるんです。少なくとも、悪意の所存は』
玉子ちゃんは、僕の目を見ながらそう言った。その瞳に捉われた僕は、悪意のない人間だと判断された。
しかし、それなら今の状況は、歪だ。
「
玉子ちゃんは、幽亜くんを見る。
「出会えたのが幽亜さんで良かった。私の能力にかかってくれるのなら、私に悪意がない。それどころが、対峙して尚私の事を憂いていてくれている。幼い頃ですが、外様である八王子の私にも優しく接してくれたのを憶えています。今回の戦い、その能力故に、私の家族はただ虐殺されるだけでした。誰にも、この目は通用しませんでした。母も父も兄も、私の目の前で肉塊になりました。私を守って、私だけを逃がすのが精一杯……だから、そんな中で、幽亜さんに会えて本当に良かった……」
玉子ちゃんがそう言うと、拘束が解けた幽亜くんは体を伸ばした。椅子から立ち上がって、軽くストレッチをする。
「くっ……はあーきつかった。玉子、分かってたんならさっさと解けっつーの」
「邪視にかかってたという事は……幽亜くん」
「ああ、そうだよ」
「ロリコン」
「違えよ! 短絡思考かよ!!」
「じょ、冗談だよ」
「玉子とはガキの頃からの付き合いだからな!」
懐からバタフライナイフを取り出して構える幽亜くんを宥める。
「こんなくだらねえ殺し合いはまっぴら御免なんだよ。先祖がいがみ合ってたとか、家のしがらみとか、そういうのが俺は大っ嫌いなんだ。大昔の話なんざ、俺にはなんの関係もねえ。だが、玉子とは明確に違う。敵意があるなら殺す。俺に仇成すなら殺す。刃を向けたのならそれはもう家族じゃねえ。玉子程甘くはねえ。だが、家族に刃を向けるのはどこまでいっても本意じゃねえ。玉子と相対した時、まずいな、とは思ったよ。玉子が俺を殺そうとしても、俺は邪視に絡め取られるってな」
先程の対峙は、なんて事もない。二人共、相手の意図までは読み取れなかったのだ。
当然だ。玉子ちゃんの様子からも、壮絶な修羅場が幾つも想像出来る。親が、子が、目の前で死んでいく様な状態。その中で、他家と遭遇したのならば、まず戦闘は回避出来ない。
そしてなにより、そこに不確定な要素である僕が居る。
それでも尚、二人はお互いを家族と心の中では信じていた。
「でだ、問題はお前だ十一片」
構えたナイフを僕の方に向けて、幽亜くんは言う。
「フリーランスで無関係だろうが、だ。お前が赤百合の依頼を受けて俺達の前に立つのなら、闘わなけりゃならねえ」
合わせて、玉子ちゃんも僕の方に体を向ける。
「はい、ですが、一片さんは私の邪視にかかっています。それならば——」
「付き合うよ」
僕は、玉子ちゃんと幽亜くんが恐らく全てを言う前に、そう返した。
二人の話を聞いて、答えは疾うに決まっている。
「螺奈さんの真意は分からないけれど、それとは関係なしだ。君達に付き合うよ」
「え?」
僕の言葉に玉子ちゃんがきょとんとしている。幽亜くんも、肩透かしを喰らって表情を崩している。
「依頼を反故にする訳ではないけれど、状況が状況だ。当面は君達に付き合うよ。取り敢えず、螺奈さんに真意を問い質さないとね」
二人は、家族を守りたいと、そう言っている。
それなら、答えは決まっているじゃないか。
「僕の能力はどうしても守る事に向かないけれど、少しは役に立つ筈だ。一緒に、家族を守ろう」
「本当ですか!? 一片さんが手伝ってくれるのなら、とても心強いです!」
「確かに、経緯はどうあれ、傭兵が居るに越した事はねえ。玉子の邪視にかかるなら、保険も利くしな」
「幽亜くん信用ないなあ……」
僕が肩を落とすと、玉子ちゃんがそれをフォローする様に言った。
「わ、私は信じてますよ! 一片さん!」
僕の手を取って言う彼女に、僕は心から言った。
「ありがとう玉子ちゃん。この戦いが終わったら、結婚しようね」
「……え?」
彼女の手を握って、その邪視を見つめて、僕は言った。
僕にそんな能力はないのだけれど、玉子ちゃんは僕の目を見たまま、まるで邪眼に魅入られた様に身動き一つ取らないので、手を離すとホームから降りる階段に向いた。
「どうしたんだい? 行くよ?」
大人びた顔を赤面させた玉子ちゃんを置いて、僕は歩く。
「おいおい、まじかよ。お前がロリコンかよ」
歩き出した僕に駆け足で並んだ幽亜くんが笑いながら言った。
「本気だからセーフだ」
「そういう問題じゃねえだろ。お前そういう趣味か」
「そういう趣味だが、幽亜くんが思っている趣味じゃない。僕は中身派だ」
「中身ったって、十一片、お前幾つだよ」
「二十六」
「アウトだろ」
「本気だからセーフだって言ってるだろ!」
幽亜くんに揶揄われながら階段を降りる。
そうだ、本気ならセーフだ。年齢差で恋愛の是非を問うなんて、物事の根本を見誤っている。恋愛を打算的にしか捉えられない愚か者が考えそうな事だ。年齢差など、情念の前では些末な問題で、重要なのは内包した情熱の多寡なのだ。
こういうのを禁止した条例を出している地域の政治家は、信用に値しないし、そういうのを例に人権を守れだの主張している活動家はハリボテの偽物だ。
僕には、自分が後ろめたい思考しか出来ないのを四方八方に喚き散らしているだけにしか見えない。実に汚らわしい。
だから、僕は自分のした事を揶揄われても、なにも恥じる事がない。こちとら、十歳の妹にプロポーズして無下にされた経験だってあるのだから、赤面されるなど極楽に等しい。
「それに、今時高校生と、だなんて珍しい事じゃないぞ。幽亜くん、見た目によらず清純なのだね」
その赤髪を差して、逆に揶揄ってやったけれど、見事なカウンターを喰らう。
「おいおい、まじかよ。まあ、分からなくもねえ。玉子、大人っぽいもんな」
「え?」
「あいつな、ああ見えて、中二だから」
「中二!?」
思わず、噴き出してしまった。
玉子ちゃんは、まだホームから降りて来ない。
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