赤い宗家の白と黒①
「警備?」
「はい、警備、護衛、守護、守防、防御、防備、警護、どれでも良いです。兎に角そういう事ですね」
「はあ……」
「分かりませんか? 防護、守備、ディフェンス、ガード、それに——」
「ああ、いえいえ、分かります分かります。分かりましたから落ち着いて下さい」
「あら、そう?」
六月一日、出かける気を根こそぎ奪う様な雨が上がり、空が開けた正午。
打ち合わせの場所と指定された喫茶店は、カウンター席が四つに、四人掛けのテーブルが三つのこじんまりとした店だった。装飾品等、店内を飾る物が一つもない殺風景な店内。BGMもなく、僕の視界には店員も見当たらない。
不気味な場所だった。
依頼人である
「手段、方法、作戦、戦略、方式、展開、どれでも良いです。兎に角、守って欲しいのです。我らが宗家、
赤雪。群馬に籍を置く家の一つである。誰もが一度は耳にした事のある、日本有数の名家。歴史は古く、分家の数は十四に上る。
そんな、一件傍から見れば盤石強力に思える名家の、護衛依頼。
「宗家の護衛任務ですか」
特殊なものではない、ありきたりな依頼。だから、僕が首を傾げるのはその内容ではなかった。
「いかがでしょうか? 引き受けて下さいます?」
「もっと詳しくお話を……その前に、なにか頼みましょうか? すみませんー!」
一度螺奈さんの言葉を遮り、手を挙げながら振り向く。僕の背後には、無人のカウンター。その奥へと声をかける。しかし、僕の言葉など聞こえていないかの様に、静寂が続く。
「あれ? すみませんー!」
「なにを頼むんですか?」
「ホットコーヒーです。螺奈さんはどうしますか?」
「同じものを。砂糖とミルクは?」
「ミルクだけ派ですね。すみませんー!」
螺奈さんの質問に背を向けたまま答え、声をかけ続ける。相変わらず店内は静寂だ。
客は僕達二人しか居ないけれど、なにか忙しいのだろうと思い、螺奈さんに振り向いて話を続ける。
「少し待ちましょうか。えっと、それで護衛任務……という事でいいんですよね?」
「はい。私達赤百合と共に、赤雪を守って頂ければ」
「期間は?」
「六月五日に赤雪の襲名式が本家で行われますので、前後一日を含めた三日間。六月四日から六月六日までお願い出来ればと。三日には本家に入って頂きたいです。勿論、費用計算が日割りでしたら、三日の分も含めて頂いて構いません」
「また急な話ですね。普通、護衛任務には綿密な打ち合わせと準備が必須です。それに、襲名式とあれば、日取りも前から決まっていたのでは?」
「それが、赤雪の前当主、赤雪
「ああ、そうだったのですね。これは失礼を」
「いえいえ、全ては遊びに現を抜かし、後継の準備を怠っていたクソジジイの責任ですから」
突如下品な言葉を放つ螺奈さんに驚く。螺奈さんは、そんな僕を見て微笑むと、真っ黒な長い髪の毛を掻き上げて誤魔化した。
僕と同い歳くらいであろうか、若々しい表情と肌ではあるけれど、若輩とは思えぬ妖艶な雰囲気である。その実、彼女が着ているニットは、凹凸の激しいスタイルを露わにする様生地が伸び縮みしている。
顎のしゅっとしたラインから、それが全体的な脂質の肥大によって作られた副産物ではなく、締まるところを締めた正当な豊満さである事が分かる。つい目を奪われてしまう。
「急な用件で申し訳ないのですが、受けて頂けますでしょうか?」
「あ、ああ、はい。日程は問題ありません。明後日にはそちらに向かいます。報酬も、四日からの分で大丈夫ですよ」
「ありがとうございます。明後日には本家で赤雪、赤百合の女衆総出でおもてなし致しますね」
「そんなお構いなく」
「ふふ、
「僕なにも言ってなくないですか!?」
「あら、視線が移り気なものですからつい」
「え、え、ああ! す、すみませんー! 注文いいですか!?」
男ならば本能の問題で仕方のない事だけれど、螺奈さんの体を見ていた事がばれるのは気恥ずかしい。僕は恥ずかしさを覆う様にもう一度振り向いて声をかけた。
相変わらず、無音だ。それよりなにより、人の気配がしない。
おかしいな、と声量を上げようとした刹那、かちゃりと陶器の擦れる音がした。音は僕の視界外、テーブルの上から。
店内の奥から、テーブルへと振り向いて視線を落とす。手元にはティーカップに入ったホットコーヒーとスプーン。それに、銀色の小さなミルクポットが置かれていた。
「え?」
思わず声を上げて、螺奈さんを見る。妖艶な雰囲気を纏う彼女は、真っ黒な長い髪を掻き上げながら僕に微笑み、自分の手元にあるコーヒーに砂糖を溶かしている。
「どうかしましたか? 十さん」
「あ、いえ……」
「マンデリンはお好きではありませんか?」
「いえいえ! むしろ酸味が苦手なので……ありがとうございます」
思わず周囲を見渡した。これを運んだのであろう店員の姿はない。
背後に人の気配は感じなかった、それなのにどうして。
あっけにとられる僕を尻目に、螺奈さんはコーヒーを一口飲んで微笑んだ。
僕は得体の知れないこのコーヒーを飲んでいいものか分からず、手を付けずに話を進める。
「えっと、それで具体的な内容ですが、屋敷全体の警護という事でよろしいでしょうか? それだと、人数も確保しなければいけないので」
「いえ、一人で。噂に聞く、十
「はあ……ですが、僕一人では……本家の地図とか間取りはありますか? 大きさによっては一人ではとても——」
「一人です」
「はい?」
「ただの一人を守って頂きたいのです。一人、独り、単独、唯一、オンリー、どれでも良いです。兎に角そういう事ですね」
「その一人というのは?」
「赤雪
言いながら、螺奈さんはスマートフォンを操作して一枚の画像を表示した。そこには、一人の少年が写っていた。
「随分お若いですね」
「ええ、まだ十一になったばかりのクソガキですから」
またもやの強い言葉、今度は眉一つ動かさずにスルーした。
しかし、前当主の弾蔵の歳を知らないけれど、随分と元気なご老人だ。螺奈さんが遊びにかまけてと言っていたけれど、こんなに若い息子が居るとは。名家の当主ともなると、それくらい豪快でないといけないのだろうか。
「あら十さんったら破廉恥な。これは弾蔵の孫ですよ」
「え?」
そんな思考が顔に出ていたのだろうか。見事に見透かされてしまった。
「お孫さんですか? すみません、次期当主と仰るものでしたから」
「ええ、これの父親……弾蔵の息子三人は、どれも才覚がいまいちでして。協議の結果、玲央が」
「なるほど……それで、若い当主の襲名式を狙って、との事でしょうか?」
もしも、もしもそういう場合、僕は断らなければならない。僕が一番嫌いな、依頼用件の条件だ。
それだけには、死んでも巻き込まれたくない。
幼い当主の闇討ちは、後継者争いの他にならない。
家族同士の争いに巻き込まれるのだけは御免だ。
「ええ。ただ、正確に申し上げるならば、赤雪の当主を狙っているのではなく、赤雪の当主に継承されるモノが狙われる可能性があるのです」
「継承されるモノ?」
「はい。十さん、赤雪系統の能力はご存知ですか?」
「この国で知らぬ人は居ない名家の能力ですから、勿論。操作、に関する能力という事は知っています。ただ、そこからは名家中の名家。そこまでしか僕は知りません」
血統は、能力を引き継ぐ。勿論、真凛の様に発現し難い例こそあれど、基本的には血に刻まれた能力を発現する。
だから、秘匿する。逸脱した能力は、その領域の外の世界は勿論の事、同じ世界の中でも基本的には禁忌中の禁忌にする。
如何に強力な能力と言えど、その全容が知られていては、刃を交える際に対策を立てられ易い。
だから、基本的には能力は秘匿されるものだ。
「こちらを」
螺奈さんは、古びた巻物を取り出して広げた。そこには、雪の中に斃れる多くの屍と、それぞれ白と黒の体をした巨人が描かれていた。
「
文字のないその絵を一通り見まわすと、螺奈さんはそれを仕舞い、またスマートフォンを操作して一枚の画像を表示した。
砂利の敷き詰められた庭に佇む、真っ白な石と真っ黒な石。ごつごつとしたそれ等は、どちらも庭を囲う塀を越す程大きい。恐らく、五、六メートル。
「これは?」
「本家の庭に居る白王と黒王です。二体は、石を媒体とした怪物なのです」
「石を?」
「はい。元々、東北に居た貴族の跡目争いにおいて、勝ち抜いた者が赤雪の発祥と言われております。雪降る日の争いであったそうです」
「それで、赤雪、と」
「ええ、名前を捨て、そう名乗ったらしいです。十五人の兄弟姉妹で争われたそれを治めたのは、山に眠る石の怪物を使役した赤雪の初代当主でした。赤雪は残り十四の兄弟姉妹一族の生き残りを分家として手厚く保護すると共に、争いの地を離れ群馬に移住。そして、二度と争いが起きぬ様強力な二体の怪物を抑止力として、赤雪の跡目に継承していきました」
言いながら、螺奈さんがスマートフォンの画像をスライドさせる。今度は、木目のテーブル上に置かれた白と黒の石の画像。先程とは違い、どちらも掌に乗りそうな小ささだ。
「これが継承されるものです。この石を呑み込むと、白王と黒王に主と認められます」
「ふうん。それなら、それをその……玲央くんでしたっけ? 彼に呑ませればいいのでは?」
「いえ……玲央の力では、まだアレ等を制御出来ないのです。多分、逆に呑み込まれてしまう。石の化身に、逆手に取られてしまう」
「ん? 継承される力に呑み込まれる……ああ、つまり、二体の操舵は赤雪の力ではないのですね。外部アイテム。白王と黒王は、赤雪とは別の独立したナニか」
「ええ、それが今回の依頼に繋がります。白王と黒王は血統の力ではなく、独立した使い魔です。赤雪の能力は別。ただ、赤雪の赤雪足るこの強力な使い魔は、操作に関する才能があれば扱える可能性があります。つまり、赤雪でなくともこの二対の力を使う事が出来ます。これは赤雪が秘匿した情報だったのですが、これが外部に漏れてしまい、賊が襲名式を狙っているのです」
「その情報はどこから?」
「つい先日です。本家に斥候の為忍び込んだ賊を捕えまして、吐き出させました」
「それなら、賊は襲撃日を変えて来る筈でしょう?」
「いえ、それは在り得ません。斥候した賊は、全てを吐き出した後、自分の任務が成功している様に振る舞い続けていますから、問題ありません」
「と、言いますと?」
僕が尋ねると、螺奈さんはまた妖艶に微笑んで、口を噤んだ。
多分、能力に関わる事なのだろう。これ以上は聞くなという事だ。
しかし、それなら何故。
どうして、宗家秘伝の使い魔に関しては易々と僕に話したのだろうか。
僕からの信頼を得る駆け引きなのだとしたら、名家の能力を明かすのはリスクが高すぎる。そのくせ、自己の能力は秘匿する。
螺奈さんの、真意が見えない。
「なるほど、その賊から当主を守ればいいのですね?」
「ええ、そうなります」
「……しかし、疑問ですね」
僕は、長らく疑問視していた部分に切り込んだ。誰もが一度は耳にするであろう名家の、この依頼は、根本がおかしい。
「疑問とは?」
「名家が自分の護衛を外部招聘するなんて、不思議な話ですね」
名家ならばこそだ。自分達の力での露払いなど、造作もない事であろう様に思える。それが、何故。
「ふふ、確かにそうですね。宗家赤雪、そして十四の分家が、賊に後れを取る事など万に一つもありません」
「それなら——」
「私は、家族が大事なんですよ」
螺奈さんは、真っ直ぐに僕の目を見て言った。
「赤雪分家赤百合筆頭赤百合螺奈、賊の後塵を拝す事など在り得ませんが、それは私の誇りであると同時に、慢心でもあります。万に一つも遣り損じは許されません。ですから、貴方を尋ねました」
本当にそれは、呆れる程真っ直ぐな瞳だった。
「赤雪は比較的排他的な家ではありますが、それでも貴方の噂は幾つか聞いた事があります。肩書の多さは最早虚構に思える程です。
名家であればこそ、家名の誇りは僕の様な無名には想像出来ない程凝り固まっている筈だ。それに対する自負も言葉に出来ない程である筈なのに、螺奈さんは僕に頭を下げた。
彼女は、家族を守りたい、そう言った。
それなら、僕の答えは一つだ。
「随分と買い被られたものですね……そのご友人は、僕と面識はないのでしょう?」
「はい。一度、仕事で見かけた事がある、と言っていました。その時に、貴方の勇猛振りを見て、確信したと」
「なるほど……分かりました。任せて下さい。螺奈さんの家族は、僕が守ります」
僕は一口も口を付けていないコーヒーを一息で飲み干すと、彼女の右手を取って言った。真っ直ぐに僕を見るその瞳を見つめながら、強く手を握って、続ける。
「そして、結婚しましょう」
「……はい?」
僕は一転の揺るぎも遊び心もなく、心底本気でプロポーズした。
「あの……それは、依頼報酬という形ですか?」
「いえ! そんなビジネスライクなものではありません! いきなり結婚がだめだと言うのなら、まずはお付き合いからでも! 食事に行きましょう!」
「……私達、今日が初対面ですよね?」
「一言惚れです! 本気です!」
僕の言葉が嘘偽りのない正真正銘のものだと分かったのか、一瞬狼狽した螺奈さんであったが、またいつもの笑顔でもって言った。
「ふふ、不思議な人。いきなりプロポーズだなんて……ふふ、でもごめんなさい」
螺奈さんは、微笑みながら僕が握らなかった左手の甲を向けて言った。
「はい、家内、女房、細君、令閨、人妻、ワイフ、どれでも良いです。兎に角そういう事ですね」
左手の薬指には、ダイアモンドが輝いていた。
「婚約ですけれど。ふふ、ごめんなさい」
「あ……ああー……」
僕は彼女の手を離すと、露骨に項垂れた。
僕の想いは、中々叶わない。
「そうでしたか……これは大変失礼を……それでは、なにかありましたらまた連絡して下さい……三日に本家に伺います」
「ふふ、はい。よろしくお願いします。駅まで迎えを行かせますね」
傷心の僕に微笑みかける螺奈さん。これだけの器量だ。男衆が放って置く筈がなかったか。
僕は席を立つと、とぼとぼと歩き出して店を出た。ドアに付けられた鐘が喧しい音を立てて、はっとした。
僕とした事がなんて事。人妻を呼び出しておきながら、会計を任せてしまった。
雨上がりの澄んだ空と、街行く人から視線を直ぐに戻し、出たばかりの喫茶店へと振り向いた。
「え?」
駅前の、店が立ち並ぶ場所の一角だった。昼時で人がごった返すそこに、確かにあった筈なのに。
振り向いた僕の目の前には、空きテナントの張り紙。先程まで喫茶店があった場所には、なんの店舗も入っていなかった。
確かに、口の中には最後に飲み干したコーヒーの苦味が残っている。呆気に取られていると、ポケットのスマートフォンが振動したので、手に取った。
螺奈さんから、よろしくお願いします、と短いメールが届いた。
「随分と……警戒されたものだ」
なにかの術、能力。恐らく、依頼を断っていたら、僕はすんなりとあの場所を離脱出来なかったのだろう。
「明後日出発か……準備しなくちゃな」
僕は独り言を呟いて、歩き出した。時間は少ない、早々に防衛戦の準備をしなければ。
守り通す戦いというのは不慣れであるが、それが戦闘であるのならば問題はないだろう。だが、彼女は家族を守りたいと言った。
その言葉に応える為に、万全を期しておかねば。
「あーあ」
雨上がりの昼、快晴の下。
「フラれちゃったなあ」
僕は、傷心で歩く。
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