深夜一時の奇奇怪怪 Extra
五月十七日。
僕は、桜と共に初めての街に来ていた。関東から飛行機と電車で三時間かかる街は、とても静かで綺麗だった。
世間では未だに日月市連続殺人事件が話題で、それが静かに終焉した事を知らない誰も彼もが戯言に興じている。
暗い一軒家の中で、僕はネクタイを締め直した。スーツの襟を正して、少し居心地が悪かったから革靴を履き直した。
「一片お兄ちゃん、静かにしなきゃ」
居間にあるテーブルの上に座った桜は、スパイクを履いた足をぶらぶらさせながら言った。
「はは、そうだね。桜の言う通りだ」
僕は野球帽を被る桜の頭を撫でる。鎖子を真似たジャージ姿に、鎖子とは違う長く黒い髪。背中には、金属バッドが入った赤いバットケースを背負っている。
桜は本来であればテーブルの上に座るなんて行儀の悪い事はしないけれど、この家には不思議な事に椅子がない。
台所にも、寝室にも、居間にも、何処にも、椅子がなかった。
だから、桜はテーブルに座っていて、僕はずっと立っている。そろそろ、電気を一つも点けていない家の中で立ち尽くしているのも飽きて来た。
そんな僕の心中を察したかの様に、玄関の鍵が開く音がして、廊下に電気が灯った。人が歩く音がして、居間のドアが開き、電気が点いた。
「……は?」
「お邪魔してます」
居間に入って来た初老の男は、僕と桜を見て開口する。手に持っていたビニール袋を落として、目を見開いている。
「え、ど、どろ——」
「あーあー落ち着いて下さい。決して怪しい者じゃないんです。僕は十一片、こっちは、妹の東雲桜です」
「いや、怪しくない訳——」
「怪しくありません。怪しい人間が名乗りますか? 境井先生」
僕は、境井の言葉を全て遮って言った。
僕が名前を口にした、いや、先生と口にした事で気付いたのか、狼狽した様子は消え失せ、無表情で僕達を見る。
「変質者って訳じゃなさそうだな」
「ええ、ですから、名乗ったじゃないですか。僕達は変質者なんかじゃありません」
僕は眼鏡をかけ直しながら言う。
白髪混じりの短髪に、大人しそうな顔つき。教師だったというのも頷ける、落ち着いた雰囲気。
「おかしな仕草を見せたら、人を呼ぶぞ」
「ああ、無駄だと思います。これ、なんだか分かりますか?」
僕は、自分の背後を指差す。背後にある家の柱には、僕が張った一枚の呪符。
「この間まで台湾に居たんですけど、そこの呪術師にお土産で貰ったんです。呪符の半径二十メートルは、音が遮断されます。つまり、この家の中で手榴弾が爆発しても、外に音が漏れる事はありません」
お土産、というのは見栄で、実際は購入した物だ。僕の能力に相性が良いから、日本円にして一枚二十万円の出費も痛くはない。
そこでそういう領域の話だと理解したのか、境井は一瞬目を見開いてから、口元を手で押さえた。
「調べましたよ、境井先生。貴方、二十二歳で教師になってから五十九歳を迎える今年まで、約四年周期で転勤を繰り返す事九回。それも、全国各地。北は北海道南は鹿児島………住居がその度変わるのは大変ですね?」
「いや……中々良いものだよ。色々な場所を見て周る、というのはね。その各地の特色、空気、どれもこれも違って、全てに良さがあるからね」
「そうですね。色々ありますもんね。例えば、伝奇、伝承。各地の特色が出ると思います。そうですよね? オカルト、好きですよね? 東城高校でオカルト研究部の顧問をなさっておられたのですから、興味はおありですよね?」
尋問する風ではなく、淡々と。ただ、調べた事を述べていく。
境井も別段追い詰められる様子もなく、僕の言葉を聞いている。
「これは偶然かどうなのか。境井先生が訪れた土地では、例外なく僕達の領域絡みの事件、事故が起きています。中には土地神が暴走した例まである。土地神の暴走だなんて、悪夢にも程がある。人の歴史に名前を刻む大災害」
「ああ……痛ましい記憶だよ。俺が在籍した学校の生徒も犠牲になったから……」
そう言って、境井が苦悶の表情を浮かべる。
ああ、不愉快だ。
全く以て、白々しい。
「それはさぞかしお辛かったでしょう……ただ、不思議なんですよ。そのどれもが、どれもがです。境井先生、貴方がその土地を離れた直後に起きている……そうですね、まるで、差し合わせたかの様に」
「……そうだったかな……まあ、そういう偶然もあるだろう」
「ええ、あるでしょうね。しかし、境井先生、貴方自分が後にした土地にも熱心だ。失礼ですが、二階の蔵書……と言いましょうか、ノート、拝見させて頂きました。丁寧に新聞や雑誌の切り抜きを集めて保存されている。貴方が過ごした土地で起きた、大きな事件。表向きには災害、迷宮入りで片づけられた事件事故のスクラップコレクション。随分なご趣味をお持ちで」
これは、多分撒き餌だ。
「はは……ああ、よく調べているじゃあないか。他人様の家に勝手に上がり込む様な輩だ。それくらい当然か」
境井は、言いながら落としたビニール袋を拾い上げると、中から週刊誌を二冊取り出した。
「日月市連続殺人事件。知っているだろう?」
「ええ。住んでいましたし、僕の妹二人は東城高校に通っています。オカルト部の二人にも、お世話になりました」
「おお、おお。どうだった? なあ? お前、知っているんだろう? 真田か? 雪村か? どっちだ? なあ!?」
外道め。
「復讐心を利用して、二人に吹き込んだ悪知恵は大成しましたか?」
「ああ、八人だけだが、十分だ。二人共なんの才能もないのに、よく発現まで漕ぎ着けたもんだ! そう思わないか!? なあ! なあ! どっちだった? 知っているんだろう? どっちが成り果てた? ん?」
「何処の土地も、そうやって荒らしたんですか?」
「荒らした訳じゃない。俺は切っ掛けを与えたに過ぎない。賽の投げ方を教えてやっただけだ。博打は、傍から見ている方が面白いからな! これは、最高の肴だぞ! ははは!」
耳障りだ。目障りだ。癇に障る。
この男は、特別不愉快だ。
「もう一つ、調べて分かった事があります」
「ん? おお、なんだなんだ。聞かせてくれ」
「貴方が土地を去ったのと同時に、有名無名に関わらず、僕達の領域の人間が姿を消しています。これも……偶然でしょうか?」
そこでやっと、醜悪な男は、醜悪に表情を崩し始めた。無表情で上げる笑い声が不快だったか、その顔で発する笑い声も、格段に不愉快だった。
「ははははは! そこまで嗅ぎつけたのはお前が初めてだ! いいぞいいぞ! はははははは! そうだ、俺にはどうでもいいんだよ! その土地の、誰が死のうが! どの神が穢れようが! それは全部全部おまけだ。本丸はこちら。これだ! 何処の土地にも、お前の様に優秀な奴がいる。そういう奴が辿れる様、痕跡を残すんだ! 大事を収束させたそいつ等は、例外なく俺へ向かう! そういうのを叩き潰す快感は、もう止められんのだよ!!」
下卑た声に耳鳴りがする。本当に、ああ、この手合いの奴は、本当に——
腹が立つ。
「お前そこまで調べて此処に来たと言う事は、全て罠と知って来た訳だ! 随分腕に自信があると見た! いいぞいいぞ! そういう奴程いい! 殺し甲斐がある! ははは!」
「一片お兄ちゃん」
そこで、今まで黙っていた桜が口を開いて、テーブルの上に立った。
「もういいよ。こいつ悪者でしょ? 殺しちゃおう」
桜は、スパイクを踏み鳴らしながら言う。
「おお! お前もか! どちらからだ!? ガキか? 眼鏡か? それとも二人か!? どいつもこいつも、俺を卑劣な小心者だと思い込んでしまう。自分で手を下さずに愉悦を貪る愉快犯だと勘違いしてしまう! だからなあお前等! 気を付けろよ! 俺はこっちが本業だ! 戦闘が生業だ! その正義感でも、個としての信念でも、流派の誇りでも、誰かの敵討ちでも、なんでもいい! 出来るだけ真っ当に激昂して、出来るだけ正当に俺に挑んで、そして出来るだけ絶望の中で藻掻いて死んでくれよ!!」
下賤な言葉が耳に五月蠅い。
「五月蠅いなあ」
僕は思わず口にして、眼鏡をかけ直した。
「別に、僕達は正義の味方でもないし、誰かの弔いでもない。確かに貴方の勝手で沢山死んだ。僕の知らない誰かが不幸になって、僕の知らない誰かが地獄に落ちた。けれど、それは僕には関係ないのさ。だから、別に貴方を咎める訳じゃない。断罪しようって訳じゃない」
この男は、卑劣で下劣で悪辣で凶悪だ。けれど、僕には関係がない。
何処かの誰かが悲しんでいる事を思うと胸が痛いけれど、好きにしたらいいんだ。
僕達の様な輩なら、僕達の領域の中でなら、好きにしたら、いいと思う。
「貴方がなにをしようと僕の知った事ではないけれど、僕達の様な輩はね、僕達の様な輩と死に合わなければいけないんだ。決して外に出てはいけない。逸脱したモノ同士、仲良く死んでいくべきなのさ。だから、境井先生、貴方がもし悲劇の根源なのなら——」
だから、こいつはだめだ。
「此処で死ね」
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