第83話 買い出しと思い出したことの日記
やりたいことがある。やれる環境がある。それをやらせてくれる上司がいる。
これはとてもありがたいことだ。好きなこと、やりたいこととやらなきゃならないことが仕事で一致することなんてごく
前の世界がそうだった。営業が取ってきた仕事の無茶を聞いて調整したり、お客さんに直接プレゼンしたり、無い人月をひねり出したり。
だがこの世界の人生ではやりたくないことは少ない。やりたいことと興味とそれに付随する
今日の日記はその付随する諸々の一部である。
数日前。
サム・ムラタギルド長の所に来ていた。アルミナム
鍛冶ギルドから入手したアルミナム片をギルド長の
アルミナムは米英語での発音で、
ほぼ純アルミなので柔らかく加工がしやすいらしい。代わりに強度を求めると厳しい。ホームセンターで売っているようなアルミ材と同じようには使いにくいだろう。
ギルド長には可能な限り薄くしてくれ、とお願いした。通常の圧延機材では1mm未満は無理とのことだったので二枚重ねで最終処理を、と依頼。
「最終的に1/32インチの半分くらいが限度だな。二枚合わせで圧延なんてやったことがねえから均一になるかわからねえぞ?」
「それで構わないのでお願いします。厚すぎたらハンマーで叩いて伸ばしますから」
「で、そんなもんをいったい何に使うってんだい?」
「包み紙の代わりにします。紙みたいに水染み油漏れなどがないのと、
「ふむ、王都のほうでは鍋や食器に使われ始めたみたいなことを聞いたが、そういう使い道もあるか」
「そこらの技術はおやっさんの所が持ってたらいろいろ出来るようになると思います。ベック師匠の所は小さなガンスミス
サム・ムラタのおやっさんも納得してくれたようだ。
「上手い具合にいったら教えてくれ。用途があるなら量産も考えてやる」
「ありがとうございます! それに料理で
「おう、そういうのならうちでも作ってるからけっこう細かいところまでいけるぞ。まあ任せとけ」
第一段階はクリアだ。いや、ローラーミルも稼働しはじめているから第二段階か?
ムラタのおやっさんとの交渉も前世界での仕事での交渉技術がある程度は役に立っている。依頼時に自分の目的だけでなく相手のメリットを提示するとか、まあ色々だ。
「ただの商売を請け負ってやった」より「今後の仕事や
何にせよこれでアルミ粉末を作る
ということがあったのがしばらく前。ベック師匠のお下がりとして壊れかけの旋盤をローラーミルに改造したあたりのことだ。毎日ちゃんと日記を書いていなかったから、いつ何をしたか忘れてしまうなぁ。
そして今日は薬屋への買い出し。ベック師匠からもらった給料のような小遣いを懐に、いつもの薬屋さんを尋ねる。
「いらっしゃい」
けだるそうな女将さん。いつものごとくタバコを
「
いつもいつも硫酸を買っているわけじゃないぞ。
「今日は腹の薬を買っておこうと思いまして」
「何か悪いものでも食べた?」
「いえ、でも商隊で買い出しに行く時にあったほうが安心かと思いまして」
ハチミツ、シナモン、キハダの樹皮、カンゾウの根、乾燥したミカンの皮を買い求める。止瀉薬としてガンビール阿仙薬もあったので追加。
「お腹に効く薬ならこんな所かねぇ」
「乾留液はありますか? 木タールとも言いますけど」
「精製済みのクレオソート剤か木酢液ならあるよ」
「あ、クレオソートをください。そっちのほうがいいです」
「ふーん、木酢液じゃないってことは農薬じゃないねぇ。殺菌? 今度はいったい何を作る気だい?」
ベック師匠だけではなく薬屋の女将さんにもマッドサイエンティスト扱いされていた。
「下痢の薬を作るだけです」
本当である。ほぼ正露丸の材料だ。メーカーの違いによって多少の差異はあるけれど。時代的には1902年に日本で作られたのが始まりだったはずだ。腸の過剰運動と水分分泌を抑える木クレオソートに各種整腸作用、健胃作用のある生薬を加えればだいたい正露丸っぽいものができるはずだ。
「あと弱い痛み止めと下剤があれば、それもください」
「あいよ。最近出た薬で、なんでも生薬じゃなくて工場で合成して作られたんだって。柳の樹皮より効くらしいよ」
と言いながら女将さんが瓶に入った錠剤を出してくれる。ラベルにはアセチルサリチル酸と書いてある。アスピリンか。優しさ0%のお薬。これでも柳の皮から抽出されたやつよりはマシなのだけれど。元ネタは胃せん孔の副作用が出たりもしたらしい。だが素人じゃ対処のしようがないのでありがたい。
「まいどあり。お大事にねぇ。……腹下しの薬ができたら処方を教えておくれな。代わりに薬はかなり融通してあげるからさぁ」
薬屋を後にして考える。化学物質名がほぼ同じなあたり、前の世界と化学の体系は同じようなものであるらしい。考えてみれば当たり前なのだけれど。なんせ薬効がそっくりな生薬や草花があるのだ。これで化学特性は違います、なんてことにはならないだろうよ。
少なくとも
とりあえずは材料を粉末にして蜂蜜とクレオソートで練るか。薬研が欲しい。が、そんなものはこの西都市では見かけないので乳鉢で代用だ。乳鉢はなぜか雑貨屋に置いてあった。謎の雑貨屋すげえな。小さなホームセンターみたい。
コーヒーをちびちび飲みつつ適当な量で粉末にした漢方を混ぜる。煎じて飲んだほうが効くのだろうが、腹がピンチってときにいちいちそんなことをしている暇はあるまい。それに商隊の旅で粉末を持ち歩き、お湯を用意するのも面倒だ。丸薬にするのが便利だろう。
一回あたりの使用量は1グラムに満たないので精密な重量計がない現状では計量精度が出せない。なのでたとえば100回分をはかって分けたほうが安定する。もちろん偏らないようにしっかり混ぜるのも必要だ。粉末を
「くっさい!! なにこれ、何の匂い!?」
「外でやれ!! くせえぞ!!」
ミリーが叫ぶ。
師匠も吠える。
「すんませんでした!!」
手鍋とコーヒーを持って店の裏、シューティングレンジの端に陣取る。
振り続けながら考える。
このままじゃ薬としても匂いがきつくて飲んでもらえないし、持ち歩くのも大変だ。しかたないのでまぶしている砂糖を増やし、熱を入れてカラメル化させてしまおう。キャンディーコーティングしてしまえば匂いは防げるだろう。有効成分がある程度は飛んでしまうだろうが諦めよう。
「匂い注意。薬品がらみの作業は外で」
とノートに追記して今日は終わり。
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