二年前 その四

 翌朝は七時頃に起きた。朝食をとったあと、目覚めたばかりの温泉街を一時間くらい回って、外国人観光客みたいに紛れ込んでいたファストファッションショップで二人分の服を買った。不機嫌そうなネコの顔がプリントされたパーカーを二つ。あたしは紺で、彼女は白いのを。それから、彼女のために黒いミニスカートと大きめのトートを買う。あたしたちはホテルの部屋でそれに着替えた。これでちょっとは姉妹っぽくなったかもしれない。トートは彼女のスクールバッグを隠すためだった。ホテルは八時半にチェックアウトし、糸沙羅の駅で木礁までの切符を買った。しばらく電車に揺られる。


 彼女がそのことに気が付いたのは、糸沙羅から五つ目の駅に停車したときだった。


「追っ手がいる」彼女は前を向いたまま小声で言った。「あまり動かないで、自然にしてて」


 あたしは目だけで車内を見回した。田舎ながらも通勤ラッシュ帯だけあってけっこう混んでいる。あたしたちは運良く座っているけど、立っている人もそこそこいる。


「どれ、今乗ってきたサラリーマン?」

「違う」

「え、じゃあ、」

「それも違う。この車両にいるひとじゃない」


 この車両じゃない。つまり、隣の車両か車外ホーム


「外?」あたしは当てずっぽうできいた。


 彼女は頷いた。ビンゴ。しかし、あたしたちの席はホームがある方向を背にしている。これでは様子が確認できない。


「振り返っちゃだめ」


 彼女はケータイを取り出して、その画面をあたしに見せてきた。彼女とあたしの顔が半分ずつ映っていたから、インカメを使ったミラー機能だ、と気付く。彼女は画面のある一点を指した。紺色で無地のスーツを着た男性が、耳に手を当てて歩いている。おそらく手の下にはスパイ映画で見るような透明なイヤホンがあるのだろう。


「たぶん、まだバレてない。あいつらは、あたしたちがこの辺りにいるってことしか分かってないんだと思う」

「でも、なんで? だって……」発信器は小指と一緒に切り落したんじゃなかったの。

「きっとうちのパソコンからホテルの予約情報を見つけたんだと思う。うかつだった。ああ、壊しとけばよかったな」


 彼女はしばらく無言で考えていた。それから意を決したように切符を握りしめて、


「次で降りよう」

「分かった」


 うなずきながらも、この旅もそろそろ終わりかな、とあたしは考え始めていた。事情はよく分からないけど、どうやら彼女は脱獄した凶悪殺人鬼並の重要人物らしい。そのくらいの必死さで、彼女は追いかけられているように思える。大人が本気を出せば、子供のあたしたちに勝ち目はない。でも彼女は、そんなのお構いなしに逃げるつもりだろう。だったら、潮時を見極めなくちゃならないのは、あたしだ。


 あたしたちは次の駅で降りた。かなり小さな駅で、改札機の上にはぼろ布みたいなトタンの屋根があった。駅前の商店街では、ほとんどの店舗でシャッターが下りている。彼女は素早く左右を見ると、あたしの手を引いて右へ進んだ。目的地があるようには思えない。でも、ヤケになっているわけではないみたい。あたしはなにも言わずについていった。しばらく一車線くらいしかない車道の端っこを歩いた。ずっと似たような廃屋と枯れた畑があって、もしかするとこの道は少しずつ曲がっていて、空から見下ろしたら大きな円になっていて、あたしたちは気付かないうちにさっきと同じ道を歩いているんじゃないか、っていう妄想が頭の中で泡みたいに生まれて弾けた。お腹が空くくらいまで歩いたあたしはふと思いつき、立ち止まってリュックの中を探る。確か保存食が、


 手がなにか硬いものにぶつかった。


 あたしはリュックの中をのぞきこむ。そして思い出した。彼女に言われて持ってきたものの存在を。あたしは彼女の背中に目をやった。彼女はあたしの少し前で、立ち止まって快晴の空をあおいでいた。鳥か飛行機か、たぶん彼女の興味を引くようなものがあったのだろう。あたしは立ち上がって、彼女に声をかけてから再びどこに続くかも分からない道に足を踏み出した。歩きながらあたしは考える。この逃避行が、どこに行き着くのかについて。

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