第155話 空の花、地の星 一

 その後、三浦夫妻も仁神家へ見舞に行けば、八千代はほとんど寝付いてばかりだが、安行はたまに庭を散歩するようになっていたとか。密花との「逢瀬」が効いた様だ。

 そして、拮平とお花の祝言が行われ、ほどなくして忠助とお咲も晴れて夫婦となる日がやって来た。拮平たちに比べれば簡素なものだが、当日は、弥生も夫と子を連れやって来たし、お房と兵馬もやって来た。


兵馬 「何と、こちらも男子とは…」


 真之介とふみの息子と、弥生の三か月違いの息子は別室で三浦家からの通いの女中が面倒を見ていた。二人とも座って硬いせんべいを持たされていた。


弥生 「若殿様のところもご懐妊だそうで、おめでとう存じます」

兵馬 「今度こそ、男子を生んでもらわねば困る」

弥生 「お気持ち、お察し致します」


 弥生の懐妊を知った母は、生まれて来るのは女、それも亡き姉の生まれ変わりと信じて疑わないばかりか、その名も沙月と名づけると宣言した。それだけは嫌だった。例え、娘が生まれても、その名が沙月だなど。弥生には耐えられないことだった。近くの神社に毎日お参りに行ったものだ。  


----どうか、男子を…。


 その願いは通じ、弥生も男子を生むことが出来た。だが、この息子は夫の子ではなく、先日嫁を迎えた拮平の子だっだ。

 坂田利津が選んでくれた婿は真面目な男だった。何も知らずに自分の息子を愛おしんでいる。だが、弥生は夫に対して、それほどの罪悪感を持ってないのが自分でも不思議だった。それだけではない、もしかしたら、今日、拮平に会えるのではとも期待もあり、成長した息子の顔を見せたくもあった。


----これで、いいのね…。

兵馬 「何と、弥生は私の気持ちをわかってくれるか」


 誰もが、こればかりはどうしようもないと突っぱねるのに、弥生は違った。


兵馬 「腹の子が男子であれと、念じたのか」

弥生 「いえ、そうであったら、いいなと思っておりました」


 必死で念じたとか言えば、もし、娘が生まれた場合、今懐妊中の側室が兵馬から責められるに違いない。ここは無難に答えておいた。その時、急に玄関が騒がしくなった。

 本田屋の弦太、壮太に続き、何でも屋のお澄、万吉、仙吉に、弥助、かわら版屋の繁次、徳市が続き、程なくして、久も娘を連れてやってきた。皆、久しぶりの再会を喜んだ。

 当時の祝言は夜に行われていたが、忠助とお咲もこの家の使用人であり、出席してくれた人たちが余り遅くなってもとの配慮もあり、まだ、明るいうちに行うことにした。


拮平 「おめでとうございます。どうも、遅くなりまして…」


 拮平も、新妻のお花を連れてきた。


真之介「これは、わざわざ」

拮平 「いえいえ、他ならぬ忠助ちゃんのためだもの」


 これだけ集まれば、襖を取り外した部屋もいっぱいになると言うものだが、一同の関心は、やはり拮平と弥生に集まってしまう。別に、何事も起こらぬとは思うが、それはそれで気になるところだ。

 拮平は一人で参列するつもりにしていたが、妻のお花も行ってみたいと言い出す。


拮平 「いや、俺一人でいいって」

お花 「あら、私が行ったら、何か都合の悪いことでも」

拮平 「別に、そんなことはないけど、忠助ちゃんのこと、よく知らないだろ」

お花 「でも、お祝い事じゃないの…」

 

 このお花、意外とヤキモチ焼きなのだ。拮平がよその女と立ち話していただけでも、一々詮索する。行き先を言わずに外出すれば、さあ大変。納得いくまで追求してくる。なので、今日のことも事前にちゃんと伝えてあるのに、急に自分も行きたいと言い出した。

 これは別にヤキモチとかではなく、周囲に夫婦であることを印象付けたいに他ならない。拮平としては、弥生も出席しているだろうから、一人で行きたかったのだが、連れて行かない方が後々うるさい…。

 そして、ここでも、拮平の新妻お花のお披露目となる。その時のお花の嬉しそうな顔。

 

兵馬 「これ、拮平。久し振りではないか」

拮平 「これは、兵馬さま。ご無沙汰いたしております」

兵馬 「ついに妻帯しおったか。これからが大変であるぞ」

拮平 「いえいえ、兵馬様こそ、ご側室が二人もいらっしゃるではないですか」

兵馬 「まあ、それは…。それより、また、前の様には行かぬか…」

拮平 「まあ、それは追い追い」

お花 「何ですの」

拮平 「兵馬様と、エゲレス語の勉強」


 と、拮平は無難に答れば、兵馬もすまして言ったものだ。


兵馬 「左様、私も最近、ちと怠けておったが、これからはしっかりやるで、また

   頼む」

拮平 「かしこまりました」


 それぞれ、挨拶を済ませれば、いよいよ祝言の運びとなる。

 祝言で必ず謡われるのが能の「高砂」である。それは、向かいの老人が引き受けてくれた。

 この能「高砂」の物語は、九州から高砂(兵庫県)に渡った神官が老夫婦に出会い、相生の松の謂われを教えられる。遠く離れている、高砂の松と住吉の松は「相生の松」と呼ばれ、松の長寿、夫婦の相老のめでたさを祝福しているのだと。この後、神官は船に乗って住吉へと旅をする。その時に謡われるのが、この待謡まちうたいである。


 高砂や この浦船に帆を上げて この浦船に帆を上げて

 月もろともに 出汐いでしお

 波の淡路の 島影や

 遠く鳴尾なるおの 沖過ぎて

 はや住吉すみのえに着きにけり はや住吉に着きにけり


 結婚式には忌み言葉と言うのがある。結婚は一生に一度のもの。繰り返し、遠い、出る、過ぎる、切れる、終わる、影など、避けなくてはいけない。 


<正式な高砂の祝言謡い>


 高砂や この浦船に帆を上げて(繰り返しなし)

 月もろともに 入汐いりしお

 波の淡路の 明石潟

 近き鳴尾の 沖行きて

 はや住吉に 着きにけり(繰り返しなし)


 三々九度も無事に終わり、女たちが酒肴を運ぶ。

 

繁次 「しかし、こうやって、集まると、嫌でも思い出しますねえ」

万吉 「別に、嫌な話じゃないさ。誰かさんと違って、本当に俺たちは頑張ったん

   だからさ」

仙吉 「そう、旦那と、今日の花婿の忠助さん、本田屋の弦太さん、壮太さん、そ

   この弥助さんに、俺と兄貴はさ。あ、姉さんも」

万吉 「そうだったなあ。誰かさんは漁夫の利かっさらって行ったっけ」

繁次 「漁夫の利ってことはないさ。俺だって何かありそうと、何でも屋の前で長

   いこと張ってたんだから」

 

 と、かつての仁神安行髷切り事件の話が蒸し返されようとしていた。


真之介「これ、昔の話はよせ。今日は忠助とお咲の婚礼ではないか。もっと、めで

   たい話をしないか」

繁次 「いいえ、あの時の忠助さんの働きを、ここで改めて披露しようと思ったん

   ですよ。それなのに、こちらの何でも屋さんたちと来たら、未だに、根に

   持ってんですからさ」

万吉 「そりゃ、持つさ。何しろ、とんだお邪魔虫だったから」

繁次 「別に、邪魔なんてしてませんっ」


 江戸も平和な時代となれば、侍株を買えば、町人でも武士になることが出来た。俗に、にわか侍とか呼ばれていた。本田真之介も実家の呉服屋を弟、善之介に譲り、侍となる。そんな真之介の許へ、とんでもない縁談が持ち込まれる。

 相手は、旗本の娘、三浦ふみ。身分が違いますと固辞するも、仲人の坂田は、当の、ふみは承知していると言う。何かあると睨んだ真之介は、何でも屋に調査を依頼する。

 ふみは旗本筆頭の家柄である仁神安行から、側室にと望まれていたが、こちらは祖母が固辞していた。また、この安行と言う男、とんだ暴力男であり、腰巾着を二人連れ、町を歩いては娘や若妻にまで狼藉を働くと言うひどい男であった。そして、ふみの祖母が亡くなれば、喪中と言うこともあり、側室話は棚上げ状態になるが、喪明けには安行が、ふみを略奪に来るのではないかとの噂も飛び交っていた。

 そんな折、父の友人である坂田が真之介との縁談を持って来た。いくら家柄がいいと言っても、暴力的で素行の悪い男の許へ側室に行きたくはないが、さりとて、旗本の娘が町人上がりの男の許へと言うのも…。ふみは難題を突き付けられていた。

 だが、三浦家は嫡男兵馬が病弱であり、医者代薬代が家計を圧迫していた。その甲斐あってか、兵馬は普通の暮らしが出来るまでに回復する一方で、今度は母が体調を崩し、借財は増えるばかり。そんな家の窮乏を救うため、ふみは真之介との縁組を承諾する。とんでもない、結納金を吹っかけて…。

 

 真之介も難題を突き付けられていた。もし、ふみとの縁組がこのまま、まとまりでもすれば、あの安行のことだ。今度は妹お伸に魔の手を伸ばすのでは…。

 駄目だ。それだけは駄目だ。大事な妹をそんな目に合わせるわけにはいかない。 真之介は考えあぐねていた。しかし、どんな人間にも隙はある。また、好きは隙である。好きとは強みでもあるが、好きゆえに周りが見えなくなってしまう。安行にも何か隙がある筈だと悩めど、これと言って、策も浮かばないまま、俗に、狐の嫁入りと言われる天気雨の日、二人は出会ってしまう。

 真之介は安行を料亭へと誘う。何でも屋の万吉から、昔の父親の芸者狂いが許せない安行の母の影響もあり、座敷遊びの経験が余りないとの情報を得ていた。

 安行にとっては、そこはまさに花座敷だった。また、密花と言う美しい芸者がいた。すっかり、蜜花の虜になった安行と料亭通いが続いたある夜、その計画は実行される。

 真之介は忠助、実家の本田屋の手代、弦太と壮太に協力を要請する。この二人、只の手代ではない。心配性の母、お弓が一人娘のお伸のための用心棒として、雇ったのだ。二人とも腕っぷしは強い。特に壮太は図体も大きい。そして、安行達に好きな娘を奪われ、失意の弥助も誘った。


 そして、月夜の晩にいつもの様に、いつものところで安行達と別れた真之介は実行場所へと走る。

 そこには、忠助、弦太、壮太、万吉、仙吉が待っていた。しばらくすると、安行達が近づいてきた。

 真之介の合図で、荷車を引いた忠助が彼らの行く手を阻む。


繁次 「本当のところ、あの時、どんな気持ちでした?」

忠助 「いや、それが…。今だから言えるんですけど、本当は膝が震えてました」

繁次 「はあ、やっぱり…」

万吉 「何がやっぱりだよ。こっちはみんな必死だったんだよ」

繁次 「俺だって、必死の目撃者だったさ」

お澄 「只で見て、一体、いくら稼いだんだい」

万吉 「まあ、この際、何もしなかった奴のことは置いといて、今から思い出して

   も、あれを考え付いた旦那もさることながら、何てたって、一番手の忠助さ

   んがちゃんとやってくれたから、そうでしょ」


 と、弦太と壮太に話を振る。


弦太 「そうですよ。忠助さんがちゃんとあいつらを足止めしてくれたから、狙い

   通りに行ったんですよ」

壮太 「いくら、酔ってるたって、奴らは侍ですからね。実のところ、俺たちもド

   キドキだったんですよ。なあ」

弦太 「そこを忠助さんがしっかりと足止めしてくれたんで、思いっ切り、やるこ

   とが出来たと言うもんですよ」

   「さすがっ!」


 と、万吉と仙吉が花婿の忠助を持ち上げれば、お咲の目が潤んでくる。無理もない、こうも具体的に夫の「武勇伝」がそれも婚礼の席で披露されたのだ…。

 その後は一斉に襲い掛かり、三人に長襦袢のまま、目隠し、猿ぐつわで縛り上げ、安行は力自慢の壮太が担ぎ上げ、弦太と弥助が。牛川と猪山の方は荷車に乗せ、忠助と真之介の二手に分かれた。万吉と仙吉は、彼らの刀、着物、草履に足袋を風呂敷に包み、足跡や荷車の轍跡を消したものだ。だが、ここであわてたのが、向かい側で一部始終を見ていた繁次である。

 まさか、ここで、左右に分かれるとは…。

 一瞬、迷ったが、やはり、安行の方を追いかけることにした。着いた先はかっぱ寺近くの野原だった。一本の木に安行をくくり付ける。その頃には安行も気が付き、必死に抵抗を試みるが、どうすることも出来ない。

 壮太が安行の頭を押さえつけ、匕首を弥助に握らせた弦太はその上からがっちりと弥助の手を掴み、安行の髷を切り落とさせる。すぐに匕首を取り上げるが、弥助は安行を殴りつける。二、三発殴ったところで弦太に止められ、しぶしぶ、帰路に就く。

 安行の様子を見終えた繁次は、すぐに、後の二人の行方を聞き出し走る。


繁次 「あん時ゃ、走ったもんなあ」

万吉 「だから、親切に途中で道教えてやったじゃねえか」

仙吉 「そうそう、あの時、どこかへ隠れときゃよかったなあなんて後で思ったけ

   ど、俺たち、そんなに意地悪じゃなし」

繁次 「いやさ、場所は知ってたよ」

仙吉 「ったく、これだもんな」

繁次 「だからさ、後で饅頭持ってたじゃないの」

万吉 「ふん、あれっぽっち」

お澄 「そうよ、私の分がなかったじゃない」

繁次 「いや、お澄さんは」

お澄 「まあ、それじゃ、私が何もしなかったとでも言うの。そりゃ、あん時は裏

   方だったからさ。目立ったことはしてないけど、裏には裏のやることがあっ

   たのっ」

仙吉 「そう、姉さんと来たら、誰よりも緊張してさ。あの食い意地の張った姉さ

   んが晩飯も食わなかったんだから」

お澄 「それだけ、みんなのことを心配してたわけっ。それより、仙ちゃん。食い

   意地が張ったとは何よ。それもこんなところで言う」

仙吉 「いえいえ、言葉の綾で、つい」

お澄 「もおっ!」

 

 と、笑いに包まれたが、皆、知っている。めでたい席であるとはいえ、あの髷切り事件のメンバーがすべて揃ったのだ。その話が出るのは当然にしても、話の方向が、拮平と弥生に向かないようにしているのだ。


仙吉 「しかし、何だかんだ言っても、忠助さんはこんなかわいい嫁さん貰ったっ

   て言うのに、変わらないのは、俺と兄貴とゲジさんと、あっ…」

弥助 「すみません、俺も近く嫁貰うことになったんで…」

真之介「それはめでたい。ついでと言っては何だが、弦太と壮太も番頭に昇格と

   なった」

   「おめでとうございます」


 と、またも座が盛り上がる。


仙吉 「わあっ、やっぱり変わらないのはこの三人だけですか…」

万吉 「そうだよなあ…」

繁次 「いや、俺、付き合ってる娘、いるんで」

万吉 「はっ、どうせ、また…」 

繁次 「今度は、大丈夫」

仙吉 「この前も、そんなこと言ってたでしょ」

繁次 「だから、今度はっ。まあ、誰も寄って来ないよりは…」

万吉 「そりゃなあ、最初は物珍しさで寄って来るけど、かわら版屋なんて所詮は

   やくざな稼業。すぐに、愛想をつかされちまう、どこかの誰か、いよっ」

仙吉 「そう!最後は真っ当な商売している俺たちの勝ち!そうでなくちゃ、世の中、

   おかしいっ」

繁次 「もてない男の何とやら」

万吉 「何だとぉ」

お澄 「ちょっと、何よ。おめでたい席で何をおっぱじめようとすんの。すみませ

   んねえ…。でも、旦那。うちの兄貴と仙ちゃん。誰か、いい人いませんかね

   え。白田屋の旦那も…」

真之介「考えておく」

拮平 「同じく」

お澄 「出来るだけ、早く」

   「お願いしまーす」

 

 と、万吉と仙吉が声を揃える。


繁次 「あの、ついでに俺も…」

万吉 「何だよ、付き合ってる娘いるんじゃない」

仙吉 「あらら、もう…」


 と、笑いに包まれる中、弥生は息子を抱き上げ、拮平にその笑顔を見せるのだった。

 そして、夜は更けていく。


 
















    








 








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