第153話 あさきゆめみし 四

----さすが、豪商。やることが違う…。


 一口に駕籠と言っても、大名が乗る駕籠は、乗物のりものと呼ばれ、簡素な駕籠とは区別されていた。また幕府は「武家諸法度」で乗物の使用に関しても、格式により厳しく制限した。

 乗物の使用者は徳川一門、大名、公家、門跡、高僧は原則自由であり、高位の医者、陰陽師、老人(60歳以上の者)病人は幕府の許可を得れば乗用が可能とされていた。また階級によりその型式が異なり、大型で柄の長いものを長柄と呼んだ。乗物を担ぐ者を陸尺ろくしゃくと言い、陸尺も乗る人の階級により、制服や人数が決まっていた。

 

 将軍は交代要員を含め20人

 老中は10人

 国持大名は8人

 大目付、寺社奉行、奏者番は6人

 町奉行は4人、小身は2~3人


 溜塗惣網代棒黒塗は将軍用

 黒塗惣網代棒は大名の道中用

 打揚腰網代、腰網代、腰黒は大名の乗物

 御忍駕籠は大名やその妻女のお忍び用

 留守居駕籠は江戸在住の諸藩の家臣の乗物

 権門駕籠は大名の家臣で駕籠の無い者


町駕籠のランク

・法仙寺駕籠、中級以下の武家や豪商の大旦那、医師が使用した最上級の駕籠

・あんぼつ駕籠、女性、老人、病人などを含め、比較的裕福な町民や下級武士、医師が使った上級の駕籠

・四つ手駕籠、庶民用の駕籠

 

 それだけではない。

 江戸後期になると、庶民でも豪商、豪農は「乗物」と呼ばれるような自家用駕籠を持っていた。幕府は身分に応じて、駕籠の仕様を定めているが、彼らから金を借りているので、見て見ぬ振りをするしかなかった。


 そんな駕籠を愛妾に使わせるとは…。

 その駕籠を仁神邸の一丁ほど先で降りた、密花には地味とも言えるほどの色合いの見事な江戸小紋を着ていた。


 江戸小紋とは、江戸期、諸大名が着用した裃の模様付けが発祥である。その後、大名家間で模様付けの豪華さを張り合うようになり、江戸幕府から規制を加えられる。そのため、遠くから見た場合は無地に見えるように模様を細かくするようになり、結果、かえって非常に高度な染色技を駆使した染め物となる。また、各大名で使える模様が固定化していく。


・徳川将軍家  御召十

・五代将軍綱吉 松葉

・紀州大納言家 極鮫

・肥後細川家  梅鉢

・加賀前田家  菊菱

・肥前鍋島家  胡麻(鍋島小紋)

・土佐山内家  青海波(鮫)

・薩摩島津家  大小あられ

・信濃戸田家  通し

・備後浅野家  霰小紋

・甲斐武田家  武田菱

・出雲佐々木家 宇田川小紋


 代表的な模様として「鮫」「行儀」「角通し」が「三役」と呼ばれ、この三役に「万筋」「大小あられ」を加え五役と言われる。 この様な大名の裃の模様が発祥のものを「定め小紋」「留め柄」と言った。

 一方、庶民も負けてはいない。

 武士の制服の「定め小紋」に対して、庶民の遊び心が反映されたのが「いわれ小紋」それこそ、その柄は多種多様である。


 唐辛子→魔除け

 扇面繋ぎ→末広がりで縁起がいい

 斧と琴と菊→「よき(斧の別称)・こと・きく」良い知らせ

 南天の実→難を転じて福となす

 茄子→コトを成す

 藍の花(蓼の花)→たで食う虫も好き好き→虫よけ→変な虫が付かないように

 竹に雀→良い相性→良縁

 誰が袖・えぼし・桜→義経千本桜・吉野山

 剣花櫂→喧嘩買い

 鎌〇ぬ→かまわぬ・構わぬ

 やじろべえ→転ばない

 そろばん→赤字をはじく


 その他にも「猫あし」「狐」などがあり、また、いくつかを寄せ集めた「寄せ小紋」や「花鳥風月」などの文字を図案化した柄もあり、江戸っ子の粋は留まるところを知らない。


 さて、肝心の蜜花のいわれ小紋の柄はと言えば、それは「いろは歌」を図案化したものだった。


◎いろは歌(作者不詳)


いろはにほへと ちりぬるを

わかよたれそ つねならむ

うい(ゐ)のおくやま けふこえて

あさきゆめみし  え(ゑ)いもせす


色は匂へど 散りぬるを

我が世誰ぞ 常ならむ(ん)

有為の奥山 けふ(きょう)越えて

浅き夢見し 酔ひもせず


◎いろは歌の意味


香りがよく、色も美しく咲き誇っている花も、やがては散ってしまう。

この世に生きている私たちもまた、永遠に生き続けられるわけではない。

この無情とも言える有為転変(常に変わりゆく)の深い迷いの山を越えて、

儚い夢は見たり、絵空事の酔いにふけったりすまい。


 手習いで、先ず、覚える歌であり、文字である。日本の江戸期の識字率は世界的に見ても高く、読み書き算盤が出来なければ、いい働き口も紹介してもらえない。歌の本当の意味は知らなくとも、多くの人が暗唱できたものだ。

 それでも、小紋柄ともなれば字も小さく、さらにデフォルメされている。元呉服屋の真之介にはすぐにわかったが、近くに行っても、それがいろは歌であると気づきにくい。


 仁神家は一種異様な雰囲気に包まれていた。何しろ、芸者、元芸者であるが、花柳界の女が武家屋敷にやって来るのである。それも、現在の当主、安行が愛してやまない女なのだ。

 かつて、安行は今は本田真之介の妻となっている、ふみに執着していた時期がある。何としても、側室に迎えようとしていた。だが、それは、真之介に「阻止」されてしまう。

 いやいや、すべては過ぎた昔の話である。

 真之介には今までに数えきれないほどくぐった、いつもの仁神家の門だが、さすがに今日は違う。

 そんな密花の姿を一目、ある者は出迎えを装い、ある者はさも用のついでの態を装いつつ、皆、密花を一目見ようと躍起になっていた。

 そんな中を密花は臆することなく、玄関へと向かえば、そこにはこれまた、ずらりと女中たちが控えていた。そして、あろうことか、今日は今田が案内役なのだ。

 部屋に案内されれば、そこにはここのところの、不機嫌さはどこへやら、きれいに髪を整え、居ずまいを正した安行の側には、母の八千代と正室の亜子がいた。


----一家、総出でお出迎えとは…。


 密花は、廊下にて手を付く。


密花 「本日は、勿体なくもお招きを頂き、ありがたき幸せに身もすくむ思いにご

   ざいます。密花と申す、下世話者にございます。何かと不調法もあるやと存

   じますが…」

安行 「もう、良い。その様にかしこまらずとも、近こう参れ」

 

 安行にしてみれば、早く二人きりになりたいのに、母と正室のお陰で、密花が委縮しているのが可哀想でならない。


八千代「そうである、楽にいたせ」

密花 「ありがとう存じます」

 

 と、部屋に入れば、手土産の菓子折りを差し出す。 

 

八千代「これは、丁寧なことで。今日は遠いところをわざわざ…」

 

 と、言いながらも、その目はずっと、密花を凝視している八千代だった。

 母が如何に、息子を溺愛しようとも、決して敵わぬ息子の「恋」の相手である。どうしようもない敗北感に耐えられない母親は、相手の女のあら捜しをする。


亜子つぐこ 「母上、もう、そのくらいでよろしいでしょう。蜜花とやら、積もる話もあ

   ろう。ゆっくりして行くがよい」

八千代「いや、せっかく、参ったのであるから。気持ちを伝えようとしたまであ

   る」

密花 「痛み入ります」

亜子 「あまり、長居を致しましても。では」


 と、亜子と真之介が立ち上がれば、八千代も渋々立ち上がる。


----まだ「嫁いびり」は終わっておらぬに…。


 三人が部屋を出れば、入れ替わりに女中が茶を持って行く。


亜子 「今日はご苦労であった。これから、私の部屋で茶など」


 亜子が真之介に言った。


真之介「ありがとう存じます」

八千代「いや、それなら、私の部屋で。今田も一緒に」


 八千代は慌てて言った。密花と二人きりになった安行のことも気になるが、嫁と真之介の話も気になる。慌てついでに、今田も誘う。


亜子 「しかし、母上はお疲れではございませぬか。ここのところ、ご無理が続い

   ておられるで」

八千代「何も、無理などしてはおらぬ。いつまでも病人扱いするでない」

亜子 「左様にございますか、では、今日のところは私の部屋にて」


 と、亜子は歩き出す。


 八千代にすれば、亜子の部屋など別に行きたくもないが、この三人がどのような話をするのか、気になる。


----まさか、茶を飲みながら、私の悪口か…。


 そうはさせじと、足を踏み入れた亜子の部屋であるが、その豪華さに驚いてしまう。


----いつの間に、この様な贅沢をしおって…。当主とその母が病に伏しておると言うに、ようも、この様な…。


亜子 「本田殿、本日は誠にご苦労であった。常日頃より、そなたの心使いには感

   謝いたしておる。また、殿もあの様にお喜びであった。私からも礼を言いま

   す」

真之介「礼などとは。私の方こそ、愚妻共々お世話になってばかりでございます

   に、この通りにございます」


 と、真之介は頭を下げる。


亜子 「何の、これからも頼みます」

真之介「微力ではございますが…」

----いつまで、ぐたぐだやっておるのだ。この二人は!

 

 この時、八千代はふと思った。


----ああ、これがこの真之介の手であったか…。


 こうやって、女を引き付けたり、突き放したりして、懐柔するに違いない。さらに、容姿と言う武器もある。


----さすが、女相手の呉服屋よ。油断ならぬわ。


 いや、こうでも思わなければ、八千代はまだ、消せないでいた。あの時の男の体のたくましさとぬくもりを…。 


 その時、女中が茶を運んで来た。気持ちを落ち着かせるために、八千代も一口飲めば、ほのかな甘みのある茶だった。


----自分だけ、この様な茶を飲みおって…。


真之介「これはまた、美味な茶にございます」

亜子 「私の実家が茶所にて、先日の茶会にも出したるところ、好評であったわ」

真之介「ああ、愚妻が申しておりました。そこはかとなく甘みのある茶であった

   と。この茶にございますか」

----何と、先日の茶会に出したとな。いや、あの時は、私の茶だけ別物であったのか。


 と、八千代の歪み根性は止まるところを知らない。この部屋の調度品にしても、亜子が手入れを怠らないから、いつまでもきれいなのであり、取り立てて新しく豪華なものを買っている訳ではないが、亜子の部屋など、ついぞ、訪れたことのない八千代にわかる筈もなかった。


今田 「それにしても、今日の密花の着物、ちと、地味ではないですかな。まだ、

   若いのに」

真之介「はい、こちらのお屋敷のことを思って地味な色合いにしたのでしょう」

亜子 「でも、さすがです。町の者たちが着る言われ小紋の柄…」


 どうやら、亜子には柄の言われがわかったようである。


今田 「ああ、あれは、やはり、無地ではなかったのですね。いや、近頃目が悪う

   なりまして、小さいものはよく見えぬのです。して、どの様な…」

亜子 「あれは、いろは歌では」


 と、真之介に問う亜子だった。


真之介「左様にございます。それにしても、よくおわかりになられました。あの小

   さな文字を」

亜子 「眼だけはいいもので…」 

今田 「いろは歌ですか…」


 いろは歌に込めた、密花の心に思いをはせる三人だった。


----馬鹿にしおって!


 芸者風情が、由緒ある旗本屋敷に招かれたのである。そればかりか、当主から思いを寄せられたと言うのに「世の中なんてこんなもの」と開き直った様な、いろは歌を柄にした着物を着て来たのだ。


----もっと、晴れやかな柄を着て来ればよいものを。


 いや、これが、明るい柄を着てくれば、調子に乗るな、いい気になっているとか、とにかく、何にでもケチを付けずにはいられない八千代だった。


亜子 「母上、大丈夫にございますか。何やら、お体が揺れて…」

八千代「いや、大事ない」

亜子 「ご無理なさいませんように」

八千代「大事ない」


 本当は疲れて来た。出来れば横になりたいが、今、ここで下がればこの三人はきっと、八千代の悪口で盛り上がるに違いない。


   「年を取ったら、無理をせずともよいのに」

   「年寄りの冷や水にも困ったもの」

   「口だけは達者で困る」


 等々、言いたい放題だろう。ここは、何としても…。

 それより、あの芸者はいつまで長居をするつもりなのだ。いい加減、帰らぬものか。


亜子 「誰かある」


 亜子が女中を呼ぶ。


亜子 「母上を早う、お部屋に」

----要らぬことをしおって!


 やって来た女中の手を思わず払う八千代だった。


八千代「よいわ。一人で立てる」


 と、立ち上がりかけた八千代だが、今度は今田がその体を受け止める。


----げっ、これなら、真之介の方が良かった。


 新たにやって来た女中二人に体を支えられながら、部屋を後にする時、八千代がが振り向けば、真之介と目が合った…。 














  

 

 

























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