第123話 度々の足袋 二

 その名を聞けば、どうしても思い出してしまう…。

 いや、名前が同じだけの別人ではないか。


拮平 「あの、奥方様。そう言えば、まだ、うちへお越しいただいたことはござい

   ませんよね。いえ、前はお芳と言ううるさい後妻がおりましたけど、今はお

   りませんので。いいえ、お隣の本田屋さんに比べれば、小屋みたいなもので

   すけど、よろしければお立ち寄りくださいませ」


 ふみも真之介に付いて、嘉平の通夜に弔問に行ったが、普通に訪問したことはなかった。


ふみ 「そうですか、では、好意に甘えると致しましょう」

 

 ふみに続いて弥生も裏口から入れば、こちらはジョンが尻尾を振って来る。確かに、家も庭も本田屋程広くはないが、それも本田屋と比べるからであって、こちらも中々の造りである。先ずは仏間で線香をあげ、二階に通される。


拮平 「どうぞ、窓からの眺めも隣からとはちょっと違います」


 言われて障子窓から外を見れば、やはり景色が違う。そして、本田屋からは良く見えなかった部分がここからはよく見える。


ふみ 「まあ、隣同士なのに景色も違って見えますね」

弥生 「はい」


 その時、お里が茶を運んで来れば、丁寧に手を付く。


お里 「お越しなされませ」

拮平 「何だい、お里。いつになく気取っちゃって」

お里 「あの、わか、旦那様。私もいつまでも子供ではございません」


 と、言いつつも、その目は弥生から離さない。


----何さ、のこのこ付いて来ちゃって。


 別に、のこのこ付いて来たわけではなく、ふみに従ってやって来たに過ぎないのだが、お里はどうにもこの弥生が気に入らない。


----もう、イライラする。こんな顔、見たくないのに!それもこの白田屋で…。

拮平 「そうかいそうかい。口だけ大人になったって訳かい。まあ、今が一番生意

   気盛りなもので、どうぞ、お気を悪くなさらぬように」

ふみ  「いつ見ても元気な娘ではありませんか」

拮平 「ええ、元気なのはいいんですけど、もう、口ばっかり達者で困っていま

   す。お里、ここはいいから、お下がり」

----まあ、そんなあ…。


 渋々部屋を出て行くお里だった。


拮平 「お茶、冷めないうちにどうぞ」

ふみ 「でも、あの時は驚きましたよ」

拮平 「あの時、とおっしゃいますと」

ふみ 「ああ、まだ、白田屋が留守の時のことです。お房が兵馬の側室になったこ

   とは知ってますね。それで、こちらもお房の後任をと言うことで、口入屋か

   ら、娘が三人ほど参ったのです。ああ、お店の方にです。まあ、当然私に選

   ばせてくれるのだと思っていましたのに、忠助の好みだとか言って、お咲と

   言う娘に決まったのです。その時に、あのお里が自分も女中になりたいと押

   しかけて来たそうですけど、忠助が首を横に振ったとか」

拮平 「えっ、まあ、その様なことがあったのですか…。は~ん、そう言うこと

   だったのか…」

----余計なことを!


 実は、お里は隠れて聞いていたのだ。それにしても、あの楚々としたふみがとんだ暴露話をしてくれたものだ。あれは、拮平はいない、お芳はうるさい。あろうことか、お房が兵馬の側室にと言う、お里にとっては三方真っ暗闇の中で、一筋の光にすがったに過ぎない。

 いくら、今は拮平が戻って来たとは言え、わざわざそんな話しなくても、と思わずにはいられないお里だった。


拮平 「おやまあ、お里は忠助ちゃんに振られちゃったのね」


 お里が聞き耳を立てていることなど、百も承知の拮平だった。お里はそっと階段を下りて行き、わざとらしい声をあげる。


お里 「はっ、まあ、誰かと思えばお縫姉さんではありませんか。それにしても今

   日のお美しいこと。思わず見間違えてしまいましたわ」

お縫 「寝言は寝てから言いな。私ゃ、そんなお世辞にゃのらないよ。本当に、茶

   を出すだけでどれだけ時間がかかるのかねえ」

お里 「それは、お二階で引き留められてたんですぅ」

お縫 「引き止められてんじゃなくて、何だかんだと粘ってたんだろ」

----どうしてわかったの。

お縫 「どうでもいいから、早く台所、片しちまいな」

お里 「えっ、まだ終わってないのぉ」


 と、台所へ行こうとするお里の背中にお縫の声が刺さる。


お縫 「お菊の二代目は許さないからさ、ようく覚えておきな!」

----何さ、誰がお菊の二代目なんかになるもんかい。私は、ここの、白田屋の若ご新造になるんだから。その時のあんたの顔が見ものさ。楽しみにしてるよ。


 お里はもう迷わない。今までは、お里の玉の輿計画のキープ要員に過ぎなかった拮平だが、このところの白田屋騒動でお里も大人になった。

 今の白田屋には、舅姑の類がいない。こんないいことはない。どんなに金持ちの男つかまえたところでうるさい姑がいては大変だ。だが、白田屋はうまい具合に二人とも片付いてくれた。これを逃す手はない。だが、返す返すも恨めしい。


----あの奥方ときたら、余計なことを言って…。


 ならば、挽回しなくてはと、その夜、食事も済み自分の部屋にいる拮平に茶を持って行く。


お里 「旦那様、今日もお疲れ様でございました。お茶をどうぞ」

拮平 「これは、気が利くねえ。ちょうど喉が渇いたなって思ってたところ」

----そうなのよ、やっと、わかってくれたようね。

お里 「あの、旦那様。つかぬことを伺いますけど…」

拮平 「何だい」

お里 「いえ、あの、そのぅ。是非にも本当のことを…」

拮平 「本当のことって?」

お里 「そのぅ…。本当は今まで、お戻りになるまで、どこで、何をされてたんで

   すか」


 先ずはここから…。


拮平 「だから、何度も言ってるじゃないか。色々あって、少しはすっきりしたく

   て温泉に浸かりに行ったんだよ。そしたところが、俺みたいないい男が湯に

   浸かってるって言うんで見物人が出る始末。まあ、色んな人といろんな話し

   てるうちにさ、背中なんか流してあげたりしてたの。それがまた気持ちい

   いってんで、ご祝儀くれる人がいたりして、まあ、懐具合もあって、つい

   に、決心したさ。そうだ、三助やろうって。これが当たってさ、もう、あち

   こちから引っ張りだこっ。差し詰め、スーパー三助ってとこだね」

お里 「その、すう、ぱあて何ですか」

拮平 「スーパーってのはさ、エゲレス語で特別とか別格の意味だよ」

 

 三助とは、江戸時代の下男、小者こものなど奉公人の通称であり、三介とも書く。この三は炊爨すいさんの「さん」の意味である。飯炊きその他雑用に従事するからで、下女を「おさん」とも呼び、炊事全般を指して「おさんどん」とも言う。その後、三助とは一般的に銭湯の下男のことを指すようになるが、これは享保きょうほう(1716~1736)の頃からと言われている。

 地方出身者が多く、見習いの間は、昼は焚木たきぎとか古材などの燃料になるものを集め、夕方からは下足番を勤める。二、三年して釜焚かまたき番をしながら、背中流しに出るようになって、初めて三助とよばれる。流し専用の桶を用意し、湯銭のほかに流し代を払った浴客の注文により、その専用桶を使って背中を流した。

 昭和初期でも、一人前の三助になるには普通十年かかったようだ。年季を積むと番頭になるが、番頭は主人のかわりに番台にも座る。技術を覚え、資金を蓄えて三十歳前後に独立して銭湯の経営者になるのが普通とされていた。


お里 「それは表向きのことでございましょ。私の知りたいのは、本当のことなん

   です!」

拮平 「だから、本当の話してんじゃないか。それじゃ、何かいお里。お前は白田

   屋の主人の話が信用できないって言うのかい」

お里 「ええ、何しろ、若旦那時代から、はぐらかしがお上手なもので…。そうで

   しょ、旦那様」

拮平 「はぐらかされてると思ってんなら、聞かなきゃいいだろ」

お里 「そうですね。そこのところは、うふふふ、私も大人になりましたもの

   で…。それなら、この話はこのくらいにするとして。では、今後のことにつ

   いて」

拮平 「今後のことって、お前が商売のこと心配してどうなるってもんでもない

   よ」

お里 「いえ、ご商売のことでなく、今後のことですよ」

拮平 「今後って。お里、そんな回りくどい言い方すんじゃないよ。ああ、そうか

   いそうかい。すべては、お父つぁんの一周忌が終わってからのことだよ」

お里 「そうですよね、そうですそうです。でも、昼間の奥方様の話、あれ、違い

   ますからね。私の方から断ったんですから。確かに、あの時はお芳さんがあ

   まりにひどく、若旦那もいらっしゃらないし、もう、いっそのこと。そうそ

   う、あのお房が兵馬様の側室なった話知ってます。それなら、その代わりに

   私があちらへ行ってあげてもいいなって思ってたんです。ところが、いずれ

   はあの忠助と夫婦にならなきゃいけないだなんて…。そんなの嫌ですから、

   断ったんですよ。でも、断ってよかったですわ。こうして、旦那様がお帰り

   になったじゃありませんかぁ。もう、私、嬉しくて…」

拮平 「お父つぁんが死んだのがそんなに嬉しいのかい」

お里 「いいえ、そんことないですよ」


 そんなことないは、そんなことあるだと、真之介が言っていた。


お里 「まあ、大旦那はお気の毒でしたけど、お芳さんがいなくなったのが嬉しい

   んですよぅ」

拮平 「お里、お芳の話はお止し。こっちまで気分悪くなってくる。そんな話聞き

   たくもない。さっ、お前ももう寝な」

お里 「これは失礼致しました。何しろ、積もる話があるもんですから」

拮平 「そんな話は明後日聞いてやるから。もう、お休み」

お里 「でも、あの弥生って人、感じ悪いですね。また、よりによって、名前が同

   じだなんて」

拮平 「別に感じ悪くないさ。それに、弥生何て、よくある名だし、お里だって珍

   しい名前でもなし、もう、お芳なんぞはそれこそ掃いて捨てても間に合わな

   いくらい、そこら中に蔓延はびこってるじゃないか。だから、この話はもうお止し

   の、お終い!それと、あちらはお侍の娘だから、言葉使いには気を付けるんだ

   よ。それと、立ち聞きはおやめ」

お里 「ふあい」

拮平 「さあ、もう、俺は寝る。また、明後日」


 近頃のお里はどうかしている。すぐに、なよなよとすり寄って来る。


----はあ、ついに、色気づきやがったか…。


 翌日、拮平と真之介は鰻屋の座敷にいた。鰻は注文を受けてから焼くので、話をするにはいい店である。


拮平 「そうだ、真ちゃん。着物ありがとうね」

真之介「着物?着物がどうした、ああ、着物送ってやるとか言ったな」


 お駒と共に、家出した拮平の行方を探し当てた時だった。拮平は幇間になっていた。幇間とは夏でも絹物を着ている。その時に、着物を作ってやると言ったのだ。さらに、ついでにお駒も一枚欲しいと言ったのだった。お駒の方はタイミングよく、似合いそうな柄があったので、そっちは即送ったが、なぜか、拮平の方はそのままになっていた。


拮平 「えっ、あれ、真ちゃんじゃないの?鶴亀が着物届けてくれたんだけど」

真之介「それ、小太郎だろ」

拮平 「あらぁ、真ちゃんからだとばっかり思っててさ。この間、小太郎ちゃんと

   も飲んだんだけど、俺、礼も言ってないわ。それだけじゃないんだよ。店の

   こと知ってる?足袋のサービスやってること」

真之介「知ってる。良かったじゃないか」

拮平 「良かったどころじゃないよ。正直、うちとしてはものすごく助かってる。

   あれ、真ちゃんのアイディア?」

真之介「止めろ。いやしくも今の私は侍だ。奥は旗本の娘である。商売のことに口

   は出さぬ。まあ、何かの折に助言くらいはあるやもしれぬが。一つの店に主

   人は一人だ」

拮平 「そうだよねえ。はぁ、あれ全部、小太郎ちゃんだったんだ…」

真之介「小太郎も大人になったものだ」

拮平 「俺もしっかりしなきゃぁな」

真之介「大丈夫だ。お前もしっかりしている。今はちと、金が厳しいだけだろ。こ

   のままやって行けば、いずれ、持ち直す。いや、しっかり稼いで、今度はお

   前のおごりで料亭行って三人で騒ぐか」

拮平 「そうなれるよう、俺も頑張るわ」


 その時、鰻が焼き上がって来た。


拮平 「はあ、久し振りの江戸の鰻。やっぱ、うまいわ」


 ひとしきり、焼き立ての鰻を味わう二人だった。もっとも、当時の鰻は現在ほど高価なものではない。鰻は至るところで取れた。ただ、家庭では扱いにくい魚であり、酒の肴や軽食にと比較的安価なところから鰻屋は繁盛していた。


真之介「それで、横浜の方はどうだった」

拮平 「うん…」


 八百屋の火付け娘のお陰で、好きな娘との結婚話も流れてしまった拮平は何もかも嫌になり、家を飛び出す。このまま、家にいれば、お芳の息のかかった女を妻に迎えさせられるだろう。そして、拮平は幇間になった。だが、その幇間も知り合いに見つかりそうになる。

 そこで、エゲレス語の得意な拮平は横浜に移ることにした。横浜なら語学力も行かせるし、江戸からそれほど遠くない。


拮平 「ああ、真ちゃんから餞別に貰った財布。中に一両入ってたね。あれ、今で

   も持ってるよ、財布ごと」


 横浜に立つ前、小銭が欲しいと言った拮平に真之介は財布ごと渡したのだった。だが、横浜での幇間業はある意味大変だった。

 江戸からやって来たエゲレス語の達者な幇間として、すぐに人気は出たが、その分、妬まれてしまう。どうせ、ろくでもないことやらかして、都落ちして来た幇間のくせして生意気だとか…。

 この界隈でエゲレス人相手の稼業をしていれば、彼らも多少の会話に困らない程度の語学力はあるが、この新しい幇間はエゲレス人と普通に会話ができるのだ。これでは誰も面白くない。


拮平 「江戸じゃ、俺のこと知ってくれてる人もいて、何とかなったけど、誰も知

   らないところで働くって、いや、人に使われるってことがあんなにもつらい

   もんだとは…」


 拮平の箸が止まる。そんな思いをして帰って見れば、女中たちの顔触れが変わっていた。お熊の嫁入りは嬉しかったが、今は女中頭となったお縫が、新しい女中たちにガミガミ言っていた。それを注意したが、どの程度伝わったやら。また、お里は気味悪いほどべたべたしてくる。


拮平 「それにしても、親父があんなに早く逝っちまうなんて…。こん次、会った

   ら孫みたいな息子か娘、連れてるんじゃないかって思ってたんだけどなぁ」

真之介「こればかりは…」

拮平 「ああ、ごめんよ。湿っぽい話になっちゃって」

真之介「いや、それは当然のことだ」

拮平 「それと、聞いたんだけど、釣りやってるって、あの、仁神と」

真之介「あれから、こっちも色々あってな。今はとんでもない話になっている」

拮平 「大変なことって」

真之介「あちらの大殿が身罷みまかられた後に、若君がご誕生された。それは喜ばしいこ

   とだが、寝転がっているだけの赤ん坊を眺めるだけでは面白くもない。さり

   とて、蜜花は身請けされてしまった。喪中と言うこともあり、退屈なものだ

   から、屋敷に夢之丞達役者をお呼びになったのはいいが、その場に私も呼び

   出されてしまった。それからの付き合いとなるのだが、今の殿は日頃の不摂

   生が祟り飲水病(糖尿病)なのだ。酒も控えられ、医師からは運動もなされるよ

   うにとの進言があり、その様なこと、何をどのようにすればわからぬと嘆か

   れ、そこで、私が釣りをお勧めしたと言う訳だ。尾崎様が釣りを趣味とされ

   ていることもあってな」

拮平 「それは良かったじゃない」


 尾崎友之進が仁神安行の異腹の弟であることは公然の秘密となっている。


真之介「ああ、そこまでなら。あろうことか、蜜花に逢いたいと申されてな。それ

   で、かっぱ寺で会う手筈を整えたのだが、蜜花にもうこれきりにしてほしい

   とか言われたそうだ」

拮平 「それって…」

真之介「まあ、当然と言えば当然だが、かなり、堪えられたようだ。そこで、この

   ままには捨て置けない」

拮平 「また、知恵熱出した?」

真之介「もう、出ぬわ」

 

 あの時は、拮平のことが気になり熱を出したようなものだった。


真之介「そこで、尾崎様に釣り名人を紹介してもらった」

 

 その中から、一人を選び、安行に引き合わせた。


真之介「その釣り名人から魚拓の話をお聞きになり、今ではすっかり魚拓の魅力に

   はまり、海釣りもされておられるが…」


 蜜花からの愛想尽かしはさぞかしショックだったことだろう。だが、それも新たな登場人物により、安行の気持ちがほぐれたなら、一安心と言うところではないか。


拮平 「えっ、なに、まだ、続きあんの」

真之介「ああ…」

拮平 「なにさ、焦らさないで早く、教せーて」 

真之介「それがな。信じられないかもしれないが、今の殿は男とばかりつるんでお

   られる。さらに、その釣り名人が大層お気に入りで、話が弾んで泊まり込む

   こともあるそうだ」

拮平 「えっ、まさか、それって…」

真之介「それだ」

拮平 「へーえ、あの殿がねえ…」

真之介「ああ、今は女より、そっちの方が…」


 実際の安行は男も女もない、飲水病による不能に陥っているのだが、釣り名人が気に入ったことを幸いに、真之介が今田にそれとなく男色の噂を流すよう進言したのだ。安行の不能を知っているのは、側付きの今田と真之介だけである。

 側室の許に通わなくなった安行を周囲は訝しみ始めている。

 この時代、長子相続が確定し、次男以下は兄が死ぬか、どこかへ養子に行かぬ限りはいつまでも実家で肩身狭く暮らさねばならない。金もなく吉原はおろか岡場所すら行くことも出来ず、童貞のまま一生を終える者も少なくなかった。そんな彼らが男色に走るのも無理からぬことである。武士間のいざこざの多くは男色のもつれだと言われている。また、裕福な武士や町人の中には、女だけでは飽き足らず、男色に走る者もいた。

 詰まるところ、男とは男女どちらも「愛せる」ものなのだ。


拮平 「人ってわからないもんだねえ…」


 と、拮平はしきりに関心していたが、本当のところは言えない。秘密とは出来るだけ少ない数で保持していくものである。


拮平 「それじゃ、真ちゃんも気を付けなきゃ。その、釣り名人って、男前なんだ

   ろ」


 至って、普通の顔立ちの男であるが、釣り・魚拓に対する熱意と話が面白い。それを利用したと言う訳だ。


真之介「今度は美少年でも勧めて見るか」


 この話はもうこれくらいにしておきたい。余り、長くなってはボロが出る。


拮平 「真ちゃんさぁ」

真之介「それより、拮平」


 そして、二人は同じ言葉を発する。

 「弥生っ」

 ここは真之介が譲ったが、それは弥生違いだった。


拮平 「あの、弥生様って、どんな人、いや、どんな方?」

----こっちの弥生か。 

真之介「御家人の娘でな、姉が婿を迎えるに当たり、家を出たいと思ったらしい。

   そこで、坂田の奥方に直談判したそうだ。大人しそうな顔に似合わず、思い

   切ったことをしてくれたものだと、奥方も笑っておられた。そこで、私のと

   ころへやって来たと言う訳だ」

拮平 「でもさ、いくら姉が婿を迎えるからって、そんなにすぐに家を出なくちゃ

   ならないものかなあ」

真之介「まあ、その家の事情があるだろう。気になるのか」

拮平 「いや、いつも何か、寂しそうな顔してるなって」

真之介「あれでも、明るくなった方だ。実家では家事に畑仕事、内職に追われ、う

   ちに来た時はひどく手が荒れていた。姉は跡取りと言うことで、何もしない

   んだとか」


 利津も言っていた。余りに差をつけ過ぎだと。また、母親が家を出て行く娘に着物の一枚も持たせないとはと憤慨していたが、これは、姉の沙月がかすめ取ったのだ。


拮平 「ちょっと、ひどいね」

真之介「おい、それより、そっちの弥生とはどうなってる」

拮平 「うん、あの時、真ちゃんには言わなかったけど、あっちの弥生さんと逢っ

   た時、言われたんだよね。もう、これで終わりにしよう、もう、私のことな

   んか忘れてくれって…。その後、弥生さんが芸者になったって話聞いた時は

   驚いたし、真ちゃんが手紙出すように言ってくれたけど、俺の方も何やかや

   で横浜に行くことになってさ。行ったら行ったで、さっきも話したけど、も

   う、毎日が大変で、結局手紙出さず仕舞い…」

真之介「そうか。縁がなかったと言う訳か…。それで、もう、吹っ切れたか」

拮平 「まあね。あっちの弥生さんはとっくに吹っ切って、芸者やって、いつかは

   江戸に戻って来るとか。女の人は、強いわ…」

拮平 「それなら、お前も吹っ切れ。商売に精を出せ」

拮平 「そうだね」

 

 以前の暢気な足袋屋の若旦那だった拮平も、これからは白田屋を背負って行かなければならないのだ。


----頑張れよ、三日違いの弟。





  
















 






















































  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る