第114話 恩知らず

吉造 「どこだい、それ、どこなんだい!」

仙吉 「いや、俺は知りませんよ。それより、今から行って、うちの姉さんに聞い

   てくださいよ」

吉造 「そ、そうだな」

 

 何でも屋の仙吉から、お初の居場所がわかったと知らされた吉造は走り出す。だが、その行き先は何でも屋ではなく、隣のお辰の家だった。


吉造 「お辰さん!お初の居場所がわかったそうだ。だからよ、頼む。残りの金貸し

   ちくれねえか」

お辰 「それ、本当かい」

吉造 「ああ、本当のことだよ。今、何でも屋から知らせ受けてよう」

お辰 「それなら、すぐに何でも屋へ行きな」

吉造 「だから、後金払わなきゃ、教えてくれねえんだよ。なっ、頼むよ。居場所

   がわかりゃこっちのもんじゃないか。お辰さんだって、これから…」

お辰 「でもさぁ、まだ、前金も払ってもらってないよ」

吉造 「だからよう、まとめて払うからさあ」


 前金はお辰から借りていた。


お辰 「だけどさ、あのお初が、そう易々と金出すかねえ。この前だって、すごい

   形相でさ、恩人であるこの私に金輪際、金の貸し借りは無しって証文書かせ

   たくらいだからさ」 

吉造 「そん時ゃ、女房か子供殺すさ。何だったら、お辰さんが死んだってことに

   しようか」

お辰 「縁起でもないこと言わないどくれ!」

吉造 「だからさ、うまくやるから、頼むよ、二両貸してくれよ。俺がお辰さんに

   金貸してくれって言ったことあるか?」

吉造 「前金、貸したじゃないか」

吉造 「それは、同じ金じゃねえか。ああ、そうかい、じゃ、金返してくれよ」

お辰 「ふん、私ゃ、お前さんにびた一文借りちゃあいないさ」

吉造 「ああ、俺にゃ借りてねえが、お初からいくら借りた?そんでよ、それこそ、

   びた一文返したかよう!」

お辰 「そりゃ、お初は私にゃ恩があるもの」  


 吉造もお辰も陰では、お初のことを呼び捨てにしている。


吉造 「恩たって、口入屋に行って見なって言っただけじゃないか」

お辰 「そのお陰で、本田屋の乳母になれたんじゃないか。いいかい、物事にゃ、

   時旬てものがあんだよ。そん時、そうやって、着物まで貸してやって、後押

   ししてやったから。あれが一日、いや半日遅くっても駄目だったかもしれな

   いんだよ。そりゃ、どこかに女中の口くらいあっただろうけど、うまいもの

   食って、良い着物着て、赤ん坊の世話だけして、いい給金貰えるようなと

   こ、他にあったかね!」

吉造 「けどよう、その分の礼は十二分にしたじゃねえか。さらに、盆暮れの挨拶

   も欠かさなかっただろ。まあ、それでも困った時はお互い様よ。そんで、い

   くら用立ててもらった?この二十年以上の間によう!十両たあ言わせねえぜ」

お辰 「それこそ、お互い様じゃないか。お前だって、人のことが言えるかい」

吉造 「あのさあ、俺はよう、弟。血を分けた実の弟。あんた、他人じゃないか。

   十両盗めば首が飛ぶって時代によう!」

お辰 「私ゃ、盗人じゃないよ!」

吉造 「ああ、そうだ。でもな、借りたもんは返すってのが筋だよなあ」

お辰 「ふん、お前に借りた訳じゃないさ」

吉造 「だからさ、何度も言うようだけど、俺、弟、姉に代わって払ってくれねえ

   かなあ」

お辰 「嫌だね」

吉造 「ああ、そうかい。じゃ、これからお初のところへ行って、まだ恩人面して

   さ。もっと搾り取ってやるって言ってるとか、とかとか、言ってもいいんだ

   な」

お辰 「私ゃ、そんなこと言ってないさ!なにさ、まだ、行先も知らないくせに」

吉造 「だからさ、差し当たって俺が行って様子見て、次は二人揃って行こうじゃ

   ないの。お互い、持ちつ持たれつでさ。これから物入りだよなあ」


 お辰は孫の嫁入りが控えていた。


吉造 「そのための投資と思って。なあ、二両程…」

 

 お辰にとってもお初はいざと言う時、頼りになる金づるだった。金のためなら痛む足を引きずってでも借りに行ったものだ。

 やはり、ここはお辰もお初の居場所を知っておきたい…。


万吉 「おや、吉造さん、いらっしゃい。おーい、お澄、水」

 

 もう、一刻でも早くお初の居場所を知りたい一心の吉造は、何でも屋へも必死に走って来た。さすがに疲れたと見えて腰掛けにへたり込む。


吉造 「い、いや、あの…」

 

 水を飲んでも、まだ息は荒い。


万吉 「まあまあ、落ち着いて落ち着いて。そんなに急がなくったって、話は逃げ

   やしませんから」

仙吉 「そうですよ。ちょいと、長い話になりそうなんで」

 

 と、万吉に続いて仙吉の意味ありげな様子が気になる。


吉造 「いや、もう、大丈夫で。それより、お初、姉は、どこにいるんで」

お澄 「それより、先に代金の方をお願いします」

吉造 「あ、あのよう、そのことなんだが。実は、その、うちのガキが病気なん

   で、ちっと、負けちゃ貰え、いや、負けてくれませんかねえ。これ、本当の

   ことなんで…」

お澄 「そうですねえ…」


 と、お澄は算盤をはじく。


吉造 「もう、少し、何とかなりませんかねえ」

お澄 「では、これ以上は無理ですからね。それと、このこと、誰に言わないでく

   ださいよ。本当は値引きなんてしない決まりなんですから」


 二両二朱から、二朱値引きすることにした。もっとも、お澄にしてもこれは想定内である。吉造は惜しみつつも一両小判と後は寄せ集めの小銭で、調査料を払えば急に気が大きくなる。


吉造 「それで、どこなんだい、早く教えてくれよ」

万吉 「それが、思わぬことになってまして…」

吉造 「能書きゃ、いいから早く!」

仙吉 「ここです」


 と、仙吉が手書きの地図を広げるが、それは家の周辺だけの地図だった。


吉造 「えっ!これじゃ、わからねえじゃないかよう!おい、俺んこと、馬鹿にしてん

   のか。この野郎、高い銭取りやがって!」

万吉 「まあまあ、これから、説明しますよ。まあ、人って何があるか、わからな

   いもんですねえ…」

仙吉 「実は、お初さん。今、いい暮らしされてるそうですよ」

吉造 「ええっ!いや、確か、どこかの店で乳母やってるんじゃ…」

万吉 「最初はそうだったんですよ。真之介旦那のお知り合いの小料理屋の女将さ

   んに、子が生まれるんでその手伝いに。そして、無事男の子が生まれたんで

   すって。そしたところが、その頃から急に店が忙しくなり、まあ、それもこ

   れもすべてこの子のお陰と、めでたいこと続きで皆さん喜ばれましてぇ」

吉造 「そんなことよりっ」


 吉造にとって、子が生まれたの、店が忙しい。そんな御託は後にしてほしい。それより何より、お初のいい暮らしの方が気になる。


万吉 「そんなこんなで、店も人手不足で、お初さんも、店に出るようになったそ

   うです。そしたところが、お初さんて、あの通り、気配りの出来る方で

   しょ」


 と、万吉はひたすら言葉の間を取りながら話すのだが、吉造にすればたまったものではない。


吉造 「う、うん。いいからその次を」

仙吉 「まあ、焦らず焦らず、話は順序だてて」

 

 そこに、仙吉が合の手を入れる様子を、お澄は面白く眺めていた。


----その調子その調子。

万吉 「そしたところが、その店のあるお客さんにえらく気に入られましてね。何

   でも、亡くなられたお袋さんに似てらっしゃるとかで…」

吉造 「それで」

万吉 「ああ、世の中、わからないもんです…。何と何と、お初さん、そのお客さ

   んといい仲になりましてね」

仙吉 「そのお客さんと言うのが、その辺りの顔役。そりゃ、おかみさんはいらっ

   しゃいますけど、ここんところ、ずっと、寝付いたままだとか…」

万吉 「そんなおかみさんですから、旦那が外に女作ったって、文句言うどころ

   か、囲ってお上げなさいって」

仙吉 「ですから、今は、こうして、この様なところへお住まいなんですよ」

万吉 「ええ、この辺り、そう言う方の多いところなんですよ。だから、ちょい

   と、入り組んでいるでしょ」

仙吉 「今は、女中さんもいて、普段はお好きな縫物をしたり、芝居見物したりの

   優雅なお暮し…」


 吉造の顔に生気が漲って来る。 


吉造 「そ、そうかい。そりゃ、良かった」

万吉 「でしょ。人ってわからないもんですね。まして、女の人は…」

吉造 「うんうん。けどよ、ここへはどうやって行きゃあいいんだい。この地図

   ちと、不親切すぎないか」

万吉 「ここへはね、舟で行くんですよ。そして、舟降りたら、この道を真っすぐ

   行ってここ曲がってこっち行って…」


 と、地図を指でなぞりながら言う万吉だったが、今までのスローテンポはどこへやら、その指先の動きの早いこと。


吉造 「おい、何か、目印になるようなもんないのか」

万吉 「この辺りはちょっと奥へ入ると、同じ様な家ばかりでして」

お澄 「そうだ、兄貴、仙ちゃん。例の仕事入ったから、一緒に行ってあげれば?」

万吉 「ええっ、そうなのかい。そりゃ、良かった。実はこの近くに、遠いのにう

   ちをご贔屓にしてくださるお得意さんがいらっしゃるんですよ。ですから、

   途中までご案内しますよ」

仙吉 「それで、姉さん。それ、いつですかい」

お澄 「明々後日しあさって

万吉 「どうです。吉造さん」

吉造 「明々後日か…」


 一日でも早くお初に会いたいが、あちこち捜しまわるより、少し待ってでもすんなり行けた方がいいかも知れない。


吉造 「じゃ、明々後日、頼むわ。ああ、もう、案内料とかは…」

仙吉 「何言ってんですか。ついでと言っては何ですけど、近くまでご一緒するだ

   けですから。そんな、もう…」

万吉 「ああ、でも、行くのは午後ですからね」

吉造 「う、うん」


 もう、ここまで来たら、午前も午後もない。上機嫌で帰って行く吉造だった。


----待ち遠しいなあ…。それにしても、お初はうまくやったもんだぜ。

お辰 「吉造!なに、にやにやしてんだい!」


 家の近くまで来た時、お辰に睨まれる。 


吉造 「おや、誰かと思えば、隣のお辰さんじゃないの」

お辰 「お辰さんじゃないよ!ふん、家にも入らないで、何やってんだか。ああ、わ

   かったのかい。じゃ、明日にでも行くんだね」

吉造 「まあまあ、そう、慌てなさんな。これが聞いてびっくり、見てしゃっく

   り、なんてもんじゃないよ。凄いことがわかったんだよ。いや、凄いことに

   なってんだよう」

お辰 「凄いこと?どうせ」

吉造 「おっと!話は聞いてから」


 と、吉造は何でも屋で聞いたことを話すのだった。


お辰 「それ、本当かい?」

吉造 「本当本当。ほれっ、この通り」


 と、これまた、例の地図をお辰の目の前でゆらゆらさせる。


お辰 「それにしても、わかりにくい地図だねえ」


 吉造からひったくる様に地図を手にしたお辰が言った。


吉造 「だからよ、明々後日。何でも屋と一緒に行くことになってんだよ」

お辰 「明日じゃないのかい」

吉造 「俺も早い方がいいけど、ちょいと、入り組んだわかりにくいとこなんで、

   捜しまわるより、一緒に行った方が。ほれ。急がば回れって言うじゃない」

お辰 「それもそうだね。それにしても、女ってわかんないもんだねえ。へーえ、

   あのお初がさあ。囲い者たあ…。まあ、何はともあれ、良かったじゃない

   か」

吉造 「ああ、これで、やっと運が向いて来たってとこかな」

お辰 「それなら、一緒に行ってやるか 」

吉造 「駄目だよ。先ずは俺が行って。それからだよ」

お辰 「そうだね。そん代わり、私のことも良く言っといとくれよ。随分、世話に

   なってるって」

吉造 「わかってるさ。まあ、果報は寝て待て言うから。今夜は久しぶりに良く眠

   れそうだぜ」


 そして、いざ、当日。お辰は吉造に手土産用の菓子折りを託しながら言う。


お辰 「いいかい。これは、私、お辰からだと、ようく伝えるんだよ」

吉造 「さすが、気が利くじゃない」

お辰 「お前が利かなすぎるのさ。こういう時は手土産の一つも持って行くもん

   だよ」

吉造 「俺ゃ、弟なんで。姉弟の間で、そんな気ぃ使わなくてもいいの」

お辰 「そこは、気は心でさ」

----ふん、わずかの手土産をケチって。海老で鯛を釣るって言葉知らんのか。

お辰 「ああ、これは私からだからね。自分の物にすんじゃないよ!」


 吉造のことだ、ドサクサにまぎれて、自分からの手土産と言わないとも限らない。


吉造 「それより、もう行かなくっちゃ。じゃあな」


 お辰がまだ何か言っているのを背中に聞いて、吉造は足取り軽く出かけて行くのだった。


----ふん、うるせっ。


 待ち合わせ場所に行くと、何でも屋の万吉と仙吉は先に付いて待っていた。


吉造 「すいませんねえ、お待たせしちゃって」

万吉 「いいえ、俺たちも今来たところですから」

仙吉 「さあ、行きましょう」


 舟に乗れば、今は潮風さえ心地いい。だが、舟から降りれば、それこそ、同じ様なところをあちこち連れ回される。


吉造 「まだですかい。もう、かなり歩いてますけど」

万吉 「もうすぐ、この先ですよ」

仙吉 「そう、ここを真っすぐ行って、それから…」


 と、地図を指し示しながら言う。


万吉 「それじゃ、俺たちはここで失礼します」

仙吉 「ああ、お初さんによろしく伝えてくださいね」  


 何でも屋と別れた吉造は今度は急ぎ足でお初の家へと向かう。そして、もうすぐこの先と思った時、一軒の家から侍が出て来るが見えた。


----あれは…。


 一瞬、ヤバイと思ったが、ならば、あの家に間違いない。吉造は路地に身を隠す。


真之介「お初、邪魔したな」


 真之介だった。


お初 「お、お気を付けて、あの…よろしく」


 久しぶりに聞く、お初の声だった。そして、チラと覗けば、お初の側には女中らしき若い娘もいる。


----何でも屋の言った通りだ…。


 吉造は真之介と忠助が通り過ぎるのを、息を潜めて待つ。二人が通り過ぎたのを見定めてから、吉造は走り出す。


吉造 「姉ちゃーん!」





























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