第70話 フット沸く

仙吉 「ゲジさん、ゲジさん」

繁次 「誰だ、俺んこと、一番下の方の名前で呼ぶ奴は」

仙吉 「俺っす」

繁次 「やっぱり。えっ、何だい、今日は一人かい。いつもくっ付いているひょ

   ろっとした野郎はよ」

仙吉 「兄貴でしたら、今頃は女の子に引っかかれてる頃ですよ」

繁次 「ああ、また、あの雌猫か。それよりさ、あれほど言ってるのにどうして、

   俺んこと、一番下の方の名前で呼ぶんだよ」

仙吉 「ゲジさんの方が言いやすいんでさ。ゲジ、ゲジなんてね」

繁次 「何だとぉ。あのよぅ、俺の名前は繁次ってんだよ」

仙吉 「知ってますよ。屋根屋の繁次さんね」

繁次 「屋根屋じゃねえよ。かわら版屋の繁次だよ。それを屋根屋のゲジとか言い

   やがって」

仙吉 「似たようなもんじゃないすか」

繫次 「似てねぇ。大違いだ。せめてシゲさんとでも呼べないかい」

仙吉 「じゃ、シゲ、ジさん」

繫次 「変なところで切るな!これでも、俺はこのかわら版業界じゃ、少しは知られ

   た繁次さんなんだよ。昨日のかわら版読んだかい」

仙吉 「読みました」

繁次 「面白かったろ」

仙吉 「そりゃ、まあ」

繁次 「ここのところ、俺の書いたものは売り上げがいいんだよ。何てたって、俺

   の情報収集能力と夜討ち朝駆けいとわぬ、このフットワークの良さがあるか

   らさ」

仙吉 「なんすか。そのフット、沸くって」

繁次 「ええっ、少し前のかわら版のエゲレス語特集読まなかったのかい。何でも

   屋のくせに遅れてるなぁ。フットワークとは足さばきの良さ、足業の軽さを

   エゲレス語でそう言うんだよ」

仙吉 「ああ、足軽さんのことね」

繁次 「あの、よう…」

仙吉 「ところで、今日は相棒さんは?」

繁次 「ああ、あの相棒はよぅ、今厠へ、へぇってるよ。全くよく腹壊す奴だよ」

仙吉 「そりゃ、良かった。でも、そんなに厠にへぇってたんじゃ、屋根は上れま

   せんね。でも、良かった」

繁次 「おい、何が言いてぇんだ。良かったの悪かったのって」

仙吉 「いえね、そんなに腹壊してたんじゃ、かわら版屋には向かないんじゃない

   かと思って。何しろ、夜打ち朝駆けでしょ」

繁次 「そうなんだよな。ひょっとして、あいつにゃ向いてねえんじゃないかなと

   思ったりして。いざって時に腹壊されたんじゃ堪らんからな。実はな、刷り

   の方の回った方がいいんじゃないかとも思ったりしてなあ。えっ、だけど

   よ、何でお前がそんなこと心配すんの」

仙吉 「いえいえ、別に心配なんかしてませんよ。それどころか、俺っちにはその

   方がが助かると言うもんです」

繁次 「おい!こちとら、江戸っ子でぃ。お前みたいな、田舎出と一緒にすんねえ。

   江戸っ子ってのは気が短けぇんだ。何が何してなんとやらとっ、とっとと用

   件言いなよ」

仙吉 「へい、実は、繁次さんに会いたいって人がいなさるんで、明日、うちへ

   寄ってもらえませんか。ああ、御用の筋じゃありませんから、ご安心を」

繁次 「ふん。御用の筋が恐くってこんな仕事してられるかい。それによ、御用の

   筋ならお前とこみてぇな、吹けば飛ぶ様な何でも屋など、すすすの素通りし

   て、直に俺んとこ来るわ。で、俺に会いてえってのは誰だい」

仙吉 「それは、明日来ればわかります。ああ、うちは人様の手助けをして、そこ

   から手間賃をちょいと頂いてると言う至って真っ当な何でも屋でして。どっ

   かの、人の不幸を飯の種にしている、とは違いますんで。ご安心を」

繁次 「いちいち、癪に障ること言ってくれるじゃないのっ。それが、人様の手助

   けをするもんの言うことか。このどうでも野郎」

仙吉 「ゲジ、シゲ、ジさん。そんなねえ、怒ってるような暇はありやせんよ。こ

   れには、ふかーい訳があるんすから」

繁次 「どんな訳でぃ」

仙吉 「そん時、明日の事なんですが。いいですか、くれぐれもお一人で。それだ

   けじゃなくて、あの腹壊し野郎にも行き先を知らせちゃ、駄目ですよ。絶

   対、一人で。悟られても駄目ですよ。親戚か誰かの見舞いにでも行くとか

   言って。あっ、例え口実でも、人を殺したりしないでくださいね。何しろ、

   口の堅さと真っ当さが売りなんで」

繁次 「うるせっ。つまりはよ、明日、誰にも知られずに何でも屋へ来い。そこ

   にゃ、今は言えねぇが、俺に会いたい見たいの人が待ってるってことかい」

仙吉 「さすが、ゲジさん。察しがいい」

繁次 「たった、それだけのことを言うのによ、これだけ口を開け閉めしなきゃ、

   伝えられねえとは。いやはや、これだから田舎者は」

仙吉 「ですから、あの腹壊し野郎のお陰で助かりましたよ。それにしても長いで

   すね。それを待ってるゲジさんて、えらいっ」

繁次 「別に待ってる訳じゃねえよ」

仙吉 「では、何か…」

繁次 「それは言えねえ。飯の種を教えられるか」

仙吉 「いいじゃないすか、俺たちの口の堅さはご存じ、あっ、やべっ。腹壊し野

   郎が来やがった。では、明日、きっとですよ、お願いしますよ」

 

 仙吉は走り去って行く。


繁次 「ふん、フットワークだけはいいか」

伍助 「兄貴、そのフット、沸くって何すか」

繁次 「お前なぁ…」

 

 やっぱり、この相棒の伍助はかわら版屋に向いてないのではと思ってしまう、繁次だった。 

 翌日、約束の時間が近づいて来ると、繁次よりなぜか相棒の伍助の方がそわそわし始める。当然繁次は何も言ってない。それより、繁次もそろそろ出かけなくてはならない。


繁次 「ちょいと、用があるんで寄り道するからさ、お前、先に帰ってくれてもい

   いよ」

伍助 「えっ、兄貴もですか。実は、俺もちょいと…」

繁次 「そうかい、じゃ、そこまで一緒に行くか」

 

 二人は詰所を出て歩きだす。伍助の用が何か知らないが、昨日の仙吉に言われた通り、親戚の見舞いと言うのは幾らなんでも脳がない。


繁次 「で、お前の用と言うのは」

伍助 「それが、うひひひぃ」

繁次 「何だ、気持ち悪りぃ」

伍助 「兄貴は?」

繁次 「俺もちょいと、野暮用でさ」

伍助 「ひょっとして、兄貴も?」

繁次 「かもな」

伍助 「じゃ、せーの」 

 

 と言って、二人とも小指を突き上げる。


伍助 「うひゃひゃゃゃ」

 

 と、言って喜ぶ伍助だが、逆に繁次は呆気にとられる。


伍助 「では、この辺りで俺は右へ、兄貴は、左へ。じゃ、失礼します。明日、ま

   た会いましょう。そんじゃねえ」

----まさか、あのへなちょこ野郎に、お、ん、なぁ…。


 その後姿にすら、嬉しさがにじみ出ている様な伍助に、やり切れない繁次だった。


----何で、あんな奴に…。顔だって俺の方がいいし、背だって高い。いいや、収入だって、俺の方が上だよ。それだけじゃねえ。この業界の位置付けにしたって、俺はトップクラスだよ。ああ、トップクラスと言うのはさ、ほれ、お前の苦手なエゲレス語で番付上位ってことだよ。かわら版で、たまに何とか番付ってのやるだろ。まあ、かわら版業界の番付なんか誰も興味は持たないし、世間さまだって知りたいとも思わねえだろうけど、仮にやったとしたら、言っちゃ悪いが、今の俺なら、余裕で大関だよ。それなのに、ああ、それなのにそれなのに…。どうしてこの俺が女に縁がなくて、ふんどし担ぎの伍助に女だとぅ。世の娘達の目はどっち向いてやがるんでぃ。ええい、許せねぇ!ようしっ。


 と、一瞬、伍助の後を付けてみたくなったが、やはり止めた。約束があるのだった。

 ひょっとして、何でも屋で自分を待っている人と言うのは、人目を忍んで会いに来た妙齢の美女かもしれない。

『まあ、あなたが繁次さんですか。お会いしとうございました』

 何て言われるかも知れなく、はない。いや、言われて見たい。

 そんな妄想たくましい繁次も、何でも屋が近づくとさすがに気が引き締まる。


繁次 「ごめんなさいよ」

 

 戸を開けて入れば、入れ違いに仙吉が外に出る。万吉が繁次を睨みながら言う。


万吉 「本当に一人だろうねぇ」

繁次 「一人だよ」

万吉 「仙吉、どうだった」

仙吉 「大丈夫なようです」

 

 仙吉は様子を伺いに外へ出たのだ。


万吉 「それなら、奥へどうぞ」

----何だい、この厳戒態勢。

 

 だが、案内された座敷で繁次を待っていたのはまさかと思うような人物だった。


繁次 「えっ!あの、あのあの…」

 

 仙吉から話を聞かされたときから、大体の察しはついていた。きっと、真之介と夢之丞が双子みたいによく似ているという記事の後だから、その関係者だろう。そして今、目の前の二人の男女のうち、一人はお駒。これは想定内にしても、まさか…。


繁次 「い、市之丞さんですよね…」

市之丞「お初にお目にかかります、中村市之丞にございます。本日はご足労いただ

   き申し訳ございません」

繁次 「えっ、いえ、そんな、そんな…。まさか、市之丞さんにこんなところでお

   目にかかれるとは…、はあ、全くもって、何と申し上げてよいのやら、

   その…」

 

 お駒とは面識もあり、市之丞との関わりも知ってはいるが、その二人とここで相対するとは思いもしなかった。また、日頃の強気はどこへやら、市之丞の放つオーラにすっかり舞い上がる繁次だった。


繁次 「あの、かわら版屋の繁次と申します。本日はお会い出来て光栄です。それ

   で、あの…」

 

 お澄が笑っている。


繁次 「いや、お澄さんも人が悪い。いや、それならそうとおっしゃっといてくだ

   さいよ。こちとらにも、心の準備ってもんがあるじゃないですか」

万吉 「ゲジさん、心配しなくてもいいよ。少し前のお澄だって負けず劣らず、い

   や、もっと大はしゃぎしてたよ」

 

 それを聞いて少し安心する繁次だった。


お澄 「あに…、兄さん、何を今さら」

万吉 「何だい、今だって気取りやがって、日頃兄さんなんて言わないくせによ」

お澄 「もお!」

お駒 「繁次さん、呼び付けたりしてすまなかったわねえ」

繁次 「いいえ、姉さん、そんな…」

 

 それにしても、市之丞が自分にどんな用があると言うのだ…。

 その時だった。


仙吉 「旦那がお越しですよ」

真之介「遅くなって申し訳ない」

お澄 「まあ、旦那、どうぞどうぞ。さっ、市之丞さんとお駒姉さんがお待ちです

   よ」

 

 お澄がいそいそと出迎える。


----えっ、俺は無しかい。

繁次 「まさか…。旦那ですよね、まさか、夢之丞さんてことは、ないですよね」

お澄 「ゲジさん、旦那の顔見忘れたのかい」

繁次 「いや、見忘れたってわけじゃないけど…。ちょいと…」

 

 真之介と市之丞、この取り合わせが今一飲み込めない。


お澄 「市之丞さん、こちら、本田真之介様です」

 


 と、お澄が紹介する。


市之丞「これはお初にお目にかかります。中村市之丞と申す河原者にございます。

   お噂はお駒より伺っております。いや、それにしても…」

真之介「本田真之介と申すにわか侍にて。そちらのお駒姉さんとは、にわか雨が取

   り持つ縁で。以後、何かと迷惑をかけて次第です」

お駒 「迷惑だなんて、旦那、また、変なことに巻き込まれましたね」

 

 と、笑いながら、お駒が言う。


真之介「これも身の因果と言う他ない」

お澄 「あら、まあ、私ったら、すぐにお茶をお持ちします」

 

 と、お澄も今日ばかりは静々と茶を運んでくるが、その頃には真之介と市之丞はすっかり打ち解けていた。


市之丞「では、私の方からでよろしいでしょうか。繁次さんでしたね。実はこの度

   のかわら版にて、うちの夢之丞とこちらの本田様が瓜二つと言う、記事をお

   書きになった方だとお聞きしたものですから、これはどうしても会って話を

   しなければと思いまして、お駒ともども、こうやって何でも屋さんにお願い

   したと言う訳です。まあ、お陰でこちらの旦那にはご迷惑なことかもしれま

   せんが、夢之丞の名が知れ渡りまして、有り難いことです」

 

 ここに来て、やっと繁次の気持ちがほぐれる。


市之丞「そこで、お願いがあるのです」

繁次 「何でしょうか」

 

 と、思わず身をのり出す。


市之丞「実は、夢之丞にはお夏と言う女房がいまして。しかし、これから売り出す

   者が女房持ちと言うのも。それと、夢之丞の歳はご存知ですか」

繁次 「ええ、確か、旦那と…」

市之丞「そこをなんですが…。中村夢之丞の歳は十八、独り身と言うことにしても

   らえませんか。その代わり、役者の楽屋話など色々提供すると言うのは如何

   でしょう。これでもこの業界長いものですから…」

繁次 「わかりました。それくらいお安いご用です」

市之丞「これは物わかりのよろしい方で安堵しました」

繁次 「あの、市之丞さん。どうか、俺みたいな若造にその様に丁寧な物言いはお

   止めになってください。なんか、こそばゆくって」

市之丞「そう、そりゃ助かるわ。だからさ、これからはお互い持ちつ持たれつって

   ことで」

繁次 「そりゃ、もう、こちらとしても願ったり叶ったりですよ」

 

 かわら版ネタと言えば、火事、心中、仇打ちであるが、こう言う事件は滅多に起きるものではない。そんなネタ切れの時に打ち出すのが、何とか番付、何とか特集。時にはエゲレス語などで江戸っ子の知的好奇心をくすぐったりもするが、特に娯楽の少ない時代、やはり、役者ネタには老いも若きも食い付きがいい。繁次にとっても、悪い話ではない。


真之介「さてと」

 

 そうだった。真之介も自分に話があったのだ。何か、今日は思わぬ収穫がありそうだ。


真之介「これも絶対に秘密を守ってもらわねば困る。よいな」

繁次 「お約束します」

----だから、相方の伍助にも知られないようにしろってことなのか。と言うことは、俺ってものすごく信用されてて、頼りがいがあって、それでいて口の堅い有能な版記者ってことじゃないの。それにしても、旦那の秘密って何だろう…。

真之介「実はな、その夢之丞の女房のお夏のことだが…。これが、また、何の因果

   か私の妻の、ふみにこれまた良く似ていてな」

繁次 「ええっ!」

 

 繁次もさすがにお夏の顔までは知らない。


繁次 「そんなに似てるんですか」

真之介「ああ、この私が見間違えたくらいだ」

繁次 「はあ…」

 

 これにはさすがの繁次も驚きを隠せない。


繁次 「えっ、するってえと何ですかい。似た者同士の夫婦じゃなくて、それぞれ

   によく似た者同士の男と女がそれぞれ夫婦になっちゃった、と言う訳ですか

   い」

真之介「そうだ」

繁次 「はあ…」

真之介「そこでだ。このこともかわら版に書くのは止めてもらいたい」

繁次 「その訳とやらを聞かせてくださいよ、旦那」

市之丞「もう、忘れたのかい。夢之丞とお夏は夫婦じゃないってことだよ」

繁次 「そうですけど、いや、でも…」

 

 それだけではない気がする。そのためだけに、こうして真之介が出張って来るだろうか。


繁次 「いえ、夢之丞さんとお夏さんが夫婦ってことじゃなくて、他人の空似って

   ことでは」

真之介「それも止めろと言っているのだ。実は、以前まだ、夢之丞が役者になる前

   の話だが、偶然にも三浦の父、私の舅が夢之丞を見てそれを私と思い、それ

   だけでも頭に血が上っていたところへお夏が現れたものだから、心の臓の発

   作を起こされた。幸い、事なきを得たが、あれ以来、お疑いはすっきりとは

   晴れていない。おそらく、この度のかわら版もお読みになられたことだろ

   う。いや、それすら、私が手を回したとお思いなのでは…。何しろ、私は元

   町人であり、いささか金を持っておるで、何をしでかすか知れたものではな

   い、すべて金で解決しようとしていると思われているようだ。さらに、他人

   の空似の記事の中に、ふみとお夏が入ってくれば、またも疑念を抱かれるこ

   とだろう」

繁次 「はあ、でも、旦那。それでしたら、三浦の殿様の前に旦那ご夫婦と夢之丞

   さんとお夏さんがお並びになれば、それで、お疑いも晴れるのでは」

真之介「ああ、それも考えてみたが、心の臓が弱っているで医師からあまり刺激を

   せぬように言われておる。今は兵馬殿の奥方にお子が生まれるので、そちら

   を楽しみにされている。よって、妙な刺激をしたくない。そこで、ふみとお

   夏の事は、伏せてくれぬか」

 

 播馬もそうだが、ふみがお夏のことを知ることも避けたい。知れば、会わせろだの、会えば、今度は二人して、何をしでかすかわかったものではない。それこそ…。


繁次 「わかりました、承知致しました。役者の夢之丞さんの歳は十八で独り者。

   それ以上の事は書きません。こんな稼業をしていると、人様の不幸で飯を

   食っていると陰口を、それも大きな声で日毎夜毎に叩かれておりやすが、人

   様の命に関わるようなこたぁ書いたりするような事は、この繁次。江戸っ子

   かわら版屋の面子にかけて、口の堅さもさることながら、筆の堅さもお見せ

   致しやしょう。そん所そこいらの田舎出の何でも野郎になんぞ、引けを取る

   もんじゃありやせん。きっぱりとお約束いたします!」

 

 と、胸を張る繁次に何でも屋の三人が鋭い視線を向けている。


----ほざいたこと、忘れんなよ!

真之介「そう言ってくれるのはありがたいが、私の方には交換条件の一つもない」

繁次 「とんでもない。旦那にゃ、仁神髷切り事件に、幽霊騒動、猫屋敷と稼がし

   て頂きやした。あっ、隣の泥棒騒ぎもありました。今回の夢之丞さんの事で

   も、お相手が旦那だからですよ。そんなこんなでお世話になっているのは

   こっちの方です。これで少しは借りが返せるってもんですよ」

万吉 「おや、ゲジさんも少しはわかってんじゃない」

仙吉 「そうだそうだ」

繁次 「うるせっ」

真之介「それでは何か。私が騒動の元締めであるとでも言いたいのか」

繁次 「へえ、今後とも期待しております」

真之介「やれやれ」

繁次 「ところで、そのお夏さんは今どこに。それくらいは教えてと言うより、

   知っときませんと」

市之丞「お夏は、今お駒のとこにいるよ。そのお夏と言うのは、お駒の従妹なん

   だ」

繁次 「姉さんの従妹。はあ、さすがねえ…」

市之丞「そうだ、忘れるとこだった。いや、お夏がお駒の母方の従妹と言うのは本

   当なんだ。それで、夢之丞は父方の従弟と言うことに…」

繁次 「はあ…」

市之丞「いや、後々、二人は夫婦になるんだけど、そん時のための、色々は、お駒

   から…」

繁次 「はい、わかりましたっ」

市之丞「しかし、これからが大変だ。夢之丞もだけど、私も大変さ。あの貝割れ野

   郎をせめて大根くらいにはしてやらなきゃ」

お駒 「市さんだったら、大根どころか、一端の役者にしてやれるよ」

市之丞「そ、そうかい。そうだな。そうしてやらなきゃ、同じ顔の旦那に申し訳が

   立たない」

お駒 「そうだよ」

 

 と、みんなで笑ったが、これはこれで市之丞とお駒も互いにいい相棒なのだ。


繁次 「その前に。何とも惜しい、残念…。ここに夢之丞さんがいなされば、ね

   え。旦那と二人並べて、いえ、並んで頂きたかったなあ、なんて思うんです

   けど。今日は夢之丞さんは」

お駒 「ああ、夢さんなら、今頃お夏に悶えてる頃さ」

繁次 「えっ、まだ、陽は高いのに。あの二人、そんなに激しんですか」

お駒 「それはもう…」

 

 これには万吉、仙吉、お澄も呆気に取られてしまう中、一人、真之介だけが笑いをこらえていた。 


繁次 「えっ、旦那がどうしてそんな事知ってるんです。さては、姉さん…。まさ

   か、そんな事はなさらないと思ってましたのに…。また、そんなことを真之

   介旦那に話したりして、いいんですか。ねえ、市之丞さん」

市之丞「何、勘違いしてんのさ」

 

 市之丞も笑っている。


お澄 「そうだよ。屋根屋ってのは想像力通り越して、何とかの勘ぐりもやんのか

   い」

万吉 「そう言うやつは、豆腐の角に頭ぶつけてなんとか」

仙吉 「ホント、ゲジだねえ」

 

 自分達の事は棚に上げて、繁次を口撃する何でも屋の三人だった。


繁次 「何でぃ、お前達だって、興味津々だったくせによ」

万吉 「俺達が興味あったのは、ゲジさんのゲジっぷり」

仙吉 「ホントホント」

お澄 「じゃ、今夜のおかずは豆腐の冷や奴にしようかね」

万吉 「いいね」

仙吉 「姉さん、俺、箸の持ち方知ってますから、頭にぶつけないでくださいよ」

お澄 「そうだ、ゲジさんも一緒にどうお」

繁次 「遠慮しとくよ。それに、豆腐の冷や奴とは。これだから、田舎出はまど

   ろっこしくていけねえ。そんなこと言ってるうちに豆腐が腐っちまうわ」

お澄 「それはさ、わざと言ったの。わかんないかな」

繁次 「わかってらい。こちとらもわざとのってやったんじゃねぇか。ああ、下ら

   ねぇ。そうだ、下らないことに付き合ってたら、肝心なこと聞き忘れてた

   じゃねえかよ、このトンチキ」

万吉 「それ、自分の事」 

繁次 「やかましっ」

お駒 「もう、いい加減におしよ。あのさ、夢さんは、今頃はお夏の歌と三味線に

   しびれまくってるって言う話だよ」

お澄 「あらま、お夏さんて、顔だけじゃなくて、唄も上手なんですか」

お駒 「それが、三味線はまだ始めたばかりだから下手なのは仕方ないけどさ、ふ

   ふふ」

 

 お駒も笑いが止まらなくなっていた。


仙吉 「どうしたんです、姉さん」

お駒 「その、唄がひどいのなんのって…」

三人 「そんなに、ひどいんですかぁ」

 

 繁次、万吉、仙吉が異口同音に聞く。


お駒 「そりゃもう、端唄のお師匠さんが長年色々な人を教えて来たけど、こんな

   にも顔と声と唄のそぐわない人は初めてだって、嘆いてらしたくらいだよ」

繁次 「じゃ、旦那もお夏さんの唄、お聞きになった事があるんで」

真之介「いや、ない。ないが、命の保証はしないと姉さんに脅されたので止めた」

繁次 「そんなにすごいとは…」

万吉 「聞いて見たいような…」

仙吉 「聞きたくないような…」

お駒 「聞かない方が身のため」

繁次 「ところで、旦那の奥方様も?」

お駒 「旗本の姫様が端唄などなさらないよ」

真之介「確かに。また、その様な話にでもなれば、全力で止めるとしよう」

万吉 「しかし、あの顔、あの声で、そんなに唄がひどいとはね」

仙吉 「人は見かけによらないっと」

 

 ここで、万吉はお澄がずっと黙ったままなのに気が付く。


万吉 「お澄、お前、何でさっきから黙ってんだ」

繁次 「へえ、お澄さんでも黙ってしまうような事があるとは」

 

 それでも、お澄は黙っている。

  

仙吉 「どうしたんすか、姉さんらしくもない」

お澄 「何さ、人間、一つ位不出来な事があって当然じゃない。そうでなけりゃ、

   世の中不公平ってもの」

万吉 「それを玉に傷と言う」

仙吉 「完璧な人間などいやしませんたら」

----いいえ、一つくらい、欠点があってもらわないと困るの。そうでなければ、あまりにも私がかわいそう…。

真之介「では、そろそろいとまするとしよう。いつも面倒かけてすまぬな」

お澄 「まあ、面倒だなんて。旦那でしたら、いつでもどうぞ」

 

 お澄が今までの憂鬱さはどこへやら、名残惜しそうに言う。


市之丞「では、邪魔者は消えるとしますか」

お駒 「それがよかろうかと」

お澄 「いえ、あの、そんなつもりでは…」

万吉 「すいませんねえ。お澄の奴、いつもこうなんですから」

市之丞「誰も気にしてないよ」

 

 別れ際に、市之丞が真之介に声をかける。


市之丞「旦那もどうぞ、一度小屋の方にお越しくださいませ。お待ちしておりま

   す」

お駒 「奥方様によろしくお伝えください」

 

 その時のお駒の笑顔が印象的だった。二人と別れ、真之介は繁次と話しながら歩く。


真之介「酒でも飲みたいが、私は実家へ寄らねばならぬで、それはこの次と言うこ

   とで。いつもの飯でよければ食って行くか」

繁次 「えっ、いいんですか」

 

 この前食べた時もうまかったが、今日の本田屋の使用人食堂にはまさかの顔触れがいた。


繁次 「ぬっ、伍助」

伍助 「兄貴…」

繁次 「兄貴じゃねえよ。何で、お前がこんなとこに居るんだよ」

 

 見れば、拮平もいるではないか。


繁次 「若旦那。さては、伍助、お前」

 

 さては、どこかの娘に振られて、ちょうど出くわした拮平にくっついて、失恋飯にありつこうと言う魂胆か…。


伍助 「兄貴こそ、どうして」

繁次 「俺か、俺は、その先で旦那に呼び止められて、話をしたいがちょっと所用

   がある。まあ、今日のところは飯でも食っていけって」

 

 本当は飲む約束をしたのだが、特に拮平の前ではそんな事は言えない。


伍助 「話ってなんでしょうね」

繁次 「さあな。それより、お前」

 

 拮平に見えないように小指を立てる。


伍助 「それが、ちょっと…。兄貴の方は」

繁次 「俺はそれどころじゃなくてさ。これが…」

 

 と、胸を張りたい気分の繁次だった。


拮平 「おい、何、そこでこそこそやってんだい」

 

 拮平がほほ杖付いたまま言う。


繁次 「若旦那こそ、ここで何を」

拮平 「何をって、飯が出て来るの待ってんじゃないか」

繁次 「えっ、お隣じゃありませんか」

拮平 「たまにゃよその飯食ってみたくてさ」

伍助 「だから、よそって、隣じゃありませんか」

拮平 「でも、よそはよそだから。それにしても、遅いねぇ。腹減ってんだ。お

   い、飯はまだかい」

女中 「若旦那、板さんも私達も今休憩中ですよ」

 

 繁次に茶を持って来た女中が言う。茶の礼を言ってから、繁次が拮平の隣に座れば、伍助も座る。


拮平 「いや、腹が減ってんだよ。それにさ、飯よそって、何かおかず出してくれ

   りゃいいだけだから」

繁次 「それなら、お帰りになった方が早いんじゃ」

拮平 「うちはまだ出来てないさ。うちの女中達は仕事が遅いんだ」

女中 「わぁ、お熊さんに言ってやろっと」

拮平 「これ、話は最後まで聞くもんだよ。お熊はテキパキとやるんだよ。しか

   し、後の連中がお熊の様には出来ないんだ。お敏がいた頃は何でも早かった

   んけどさ…」

 

 思えば、あの時、お敏とお伸を天秤に掛けたのがいけなかった。結果、お敏は紀三郎に、お伸は小太郎に取られてしまった。


----二兎を追うものは一兎も追えず。そして今、お腹を空かしているのに、誰も何も食べさせてくれない、かわいそうな僕…。


 その時、板場が女中を呼ぶ。料亭でくすぶっていた時、声をかけられ、渡りに船と本田屋の使用人食堂の責任者になった男である。徒弟制度の厳しい料亭に居るより、ここでは板さんと呼ばれ、ちょっとうまいものを作れば、食べ盛りの手代や小僧が喜んでくれる。その方が気分がいい。


板場 「うるさいから、飯とそれ出してやりな」

女中 「そうですね」

 

 女中は拮平の分だけ盆にのせる。


女中 「お待たせ致しました」

拮平 「何だい、こりゃ」

 

 これには、さすがの繁次も伍助も開いた口がふさがらない。


拮平 「真っ白けのけじゃないか」


 それは白いご飯と白い皿に豆腐が一丁のっているという代物だった。


拮平 「それにさ、元料亭の板場が聞いて呆れるよ。こんなのが料理と言えるか

   い。まんま、のっけただけじゃないか。大体、料理ってえのは見た目も大事

   でさ、これ見てよ。ネギもないのかい」

 

 と、文句言いながらも早速に食べ始める拮平だった。


拮平 「でも、ここの豆腐、うまいんだよね」

女中 「あら、若旦那のところも同じ豆腐屋ですよ」

拮平 「そうかい。でも、ここで食べると、今日は貧層だけど、なぜか何食べても

   うまいんだよねえ」

 

 その時、女中はまたも板場から呼ばれ、今度は小さな黒っぽい小鉢を持って来る。


女中 「はい、板さん特製の海苔の佃煮です」

拮平 「何だい、あるんなら早く出してよ。それにしても、こっちは真っ黒で見え

   やしないね。どこが海苔やらっと。うん、これもうまい」

 

 女中は袂で口を隠して笑っている。それは女中が湿気た海苔を醤油で煮詰めたものの残りだった。そして、拮平が粗方食べ終えた頃、使用人達が食堂にやって来た。ここでは各自盆を持ち、飯やおかずを取って行くと言うセルフサービス式だが、繁次と伍助には女中が運んでくれた。


繁次 「すいませんねぇ、俺たちもみなさんと一緒でいいのに」

伍助 「わあっ、すげえ」

 

 伍助が声を上げたのも無理はない。盆の上には豆腐は半丁だがネギがのっているし、茄子の煮付に小イカの炒め煮が二つ添えられ、吸い物も付いているではないか。


拮平 「なにぃ!この違い」

板場 「いえね、若旦那は猫舌で、それもお急ぎなんでこの方がいいかなと思いま

   して」

 

 いつの間にか板場が来ていた。


板場 「ああ、みんな、茄子は熱いから気を付けて食べるんだよ」

小僧 「はあい、うまい!」

小僧 「小イカもうまい!」

 

 拮平は隣の繁次の器から小イカを箸でつまむ。


繁次 「ちょいと、若旦那。それ、俺のですよ」

拮平 「何さ、一つくらい」

 

 と、一口かじるが、その後が進まない。


繁次 「どうしたんです」

拮平 「腹一杯だと、あまりうまくない…」


 拮平は豆腐一丁で、ご飯四杯食べたのだ。

 そんなこんなで食事を終えた帰り道。繁次はふと、伍助を試してみたくなった。失恋したてで気が落ち込んでいると思ったが、それでも食欲は旺盛だった。だが、明日にでもなれば、また、悲しさ、悔しさが込み上げて来ることだろう。それなら、ちょっと馬鹿馬鹿しい事を…。


繁次 「おい、伍助。俺たち、かわら版記者ってのは、何でも屋の口ぐせじゃねえ

   けど、確かに口が固くなくちゃいけねえよなあ」

伍助 「そりゃ、そうですよ」

繁次 「で、お前、口は固いか」

伍助 「そんなの、もちのろん。あたりき車力の車曳きよ」

繁次 「そうかい。じゃ、これは誰にも言うなよ」

伍助 「えっ、なになに、何が何して何とやら」

繁次 「実はな、白田屋の若旦那の事なんだけど」

伍助 「うんうん、若旦那が」

繁次 「これ、絶対に言うなよ」

伍助 「言いませんたらぁ。絶対です。だから、早くぅ」

繁次 「実はな、あの若旦那…。やっぱり止めとくか」

伍助 「ここまで来て、そりゃないっすよ」

繁次 「そうだよなあ。実は…」

伍助 「実は、夜中に首が伸びたりして」

繁次 「行燈の油をぺろぺろ、そんなことはありんせん」

伍助 「ひょっとして、人に言えない様な病持ち?」

繁次 「病気じゃねえけどさ、人に知られたくはねえぜ」

伍助 「だから、なんすか。そんなに焦らさないで」

繁次 「実は、あの若旦那、出べそなんだよ」

伍助 「ええっ!」

繁次 「だからさ。絶対に内緒だよ」

 

 これは出任せだった。伍助の口の固さを見極めるための繁次のほんの思い付きでしかなかった。だが、このことが後にとんだ騒動を起こすことになろうとは…。




 

















 










 




























































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