第63話 白猫のルンバ

拮平 「真ちゃん」


 拮平は嬉しかった。この時代、普通、侍と町人は接点を持たないで暮らしている。いや、侍の方が町人との接触を嫌っていた。特に江戸には近隣の地から出稼ぎに来ている若い男が多く、中にはガラの悪い連中もおり、わざと武士を怒らせ刀を抜かせようとする。

 武士には切り捨て御免が許されているとはいえ、迂闊に刀を抜けば、現在の交通事故以上の取り調べが待っている。さらに、理由の如何いかんを問わず刀を抜いたと言うことだけでも、何らかの処罰を受ける。そのことを知った上で挑発し、それでも刀を抜かない下級武士をあざ笑うような町人もいるのだ。

 その点、真之介は元町人であるし、それこそ生まれた時からの友達であり、御家人になってからもそれまでとは変わらない付き合いをして来た。だが、そんな真之介が妻を迎えた。それがこともあろうに旗本の娘。さぞかし権高いことだろう。


----まあ、顔がいいから、いいけどさ…。


 それでも、今までの様にはいかない。そんなご立派な奥方がいては声を掛けることすら躊躇われてしまう。だが、久々に真之介からお呼びがかかった。これを喜ばずして、何を喜べと言うのだ。


拮平 「あっ、これは失礼をば。真之介様にはご機嫌うるわしく、見目うるわし

   く、いささかお疲れのご様子にて、その後、そちらの方はかくなりにけりで

   ござるではございませんか、如何有りや無しや」

真之介「何だ、それは。何もその様に畏まらんでよいわ」

拮平 「あ、そうぉ。良かった、助かった。何か、今日の真ちゃん、迂闊なこと

   言ったら、刀抜かれそうだから」

 

 刀を抜かないのが侍だとしても、真之介には常に刀を抜きそうな危うさがあり、今までにも刀で脅かされたり、首元に付き付けられ出血したこともあった。


拮平 「いや、でも。何か、久しぶりだよね。こうして会えるなんて。まあ、真

   ちゃんも忙しそうだから…」

真之介「別に忙しいことはない」

拮平 「えっ、でも、その、あの、子作りにお急がしいのでは。さぞかし、お励み

   でいらっしゃるとか」

真之介「見たのか。見てもないのに、余計なことを申すな」

拮平 「見なくても、あちらの舅様からご催促がおありになり、朝な夕なに励めと

   か、とかとか…」

 

 真之介は苦笑するしかなかったが、それは当たらずとも遠からじだった。ふみの弟がデキ婚してからは催促されている。


真之介「それより、白猫のことだ」

拮平 「あの、それはお止しになった方が。いえ、これはうちのお芳のことじゃな

   くて、止めての方のお止しなんで。そこんところ、お間違えなく」

真之介「誰が間違えるか。そんなことより…」

拮平 「いえ、ですからね。この時期に猫なんぞお飼いになるのはよろしくないか

   と。猫なんぞにかまけているよりは、これから、ますます持って子作りにいそ

   しま、しましまれませんと…」

真之介「どうしても、話をそっちへもって行きたいのか。いい加減、そこから離れ

   ろ。そんなことではない。先日お前が白猫と共に迷い込んだ家のことを知り

   たいのだ」

拮平 「ああ、あの家のこと。それより、まあ、聞いてよ、真ちゃん。とにかく、

   もう、しどいんだから。元はと言えば、お芳がさ。そうだ、うちのお芳さ、

   もう更年期になってやんの。そんでさ、前よりうるさいのうるさくない

   のって。早くにお止しにしてよ、お芳さんてな具合」

真之介「拮平。私は真面目に聞いているのだ。お前のところの事情はまた別の機会

   に聞いてやるから、今は私の聞くことに答えろ」

 

 ふみが白猫に導かれ、黙って家を抜け出し、通称猫屋敷に行ってしまうので、マタタビを使って猫の行動を抑制し、その間に調べてみたが、うやむやのうちに猫屋敷の住人はいずこともなく消えてしまった。

 その後は何事もなく、ふみもいつもと変わらぬ態でいるので、真之介も忘れかけていたのだが、何でも屋から、拮平が同じような白猫とその家族に出くわしたとの情報が入った。

 今回は拮平だから、別にいいようなものの、やはり、どうにも気になる。


拮平 「はい、わかりました」

真之介「その家には、娘と母親と」

拮平 「父親もいたよ」


 あの時は叔父だと言っていた。


真之介「だが、お前、どうして侍と町人の区別がつかなかったんだ。お芳の親戚と

   言えば、町人だろう」

拮平 「いや、町人だったよ」

真之介「町人?」

 

 ひょっとして、別人かと思ったが、それにしては感じがよく似ている。行き遅れの娘と母親と叔父。そして、一匹の白猫と多数の猫…。だが、今回は武士ではなく町人。これも髪形と着るものを変えれば出来ない事ではない。

 それにしても、あの三人は何が目的なのだろう。単なる金持ちの道楽にしては手が込んでいる。それに、あの行き遅れの娘。普通に嫁入りしたいとは思わないのだろうか。それとも、別に男がいるのか。

 ひょっとして…。

 真之介は自分の思いが当たってないことを願うばかりだが、やはり、このまま捨て置けない。


真之介「それで、白猫はどの辺りで現れたんだ」


 真之介は万吉が書き写した地図を出す。


拮平 「ふぁ、いつの間に。あいつらやることが早いねえ。でも、この地図駄目だ

   よ。うちの親父が言ってたけど、道が一本足りないって。ほんと、お芳って

   馬鹿だね。地図もまともに書けないだからさ」

真之介「いや、それでいいんだ。お前がこの地図を頼りに行った先に猫屋敷が

   あったんだな」

拮平 「あの、でもさ、その猫屋敷がどうしたの」

真之介「少し前のかわら版で騒がれただろ」

拮平 「そう言われてみれば…」

真之介「もう、忘れたのか」

拮平 「お芳の更年期のとばっちりで、毎日が騒音雑音の雨嵐よ。だからさ、猫よ

   り、うちのお芳の方がかわら版に載るんじゃないかと、もう毎日、冷や冷や

   ものよ。これでも、苦労してる僕よ」

真之介「そんなことより、その家に案内しろ」

拮平 「ならば、真様」

真之介「なんだ」

拮平 「あのさ、俺、ここんとこ、ろくな物食ってないのよ。お芳の金使いの荒さ

   のとばっちりを受けて、今、うちの飯、しどいのよ。あれは飯なんてもん

   じゃないね。猫まんま、エサだよ。だからさ、その、今夜は何か、精の付く

   もの食べさせてくださいな。その、鰻とか」

真之介「わかった」

 

 そこへ万吉と仙吉がやってきた。


万吉 「これはどうも遅くなりまして」

仙吉 「若旦那もご一緒でしたか」

万吉 「そりゃ、なんたって、大事な生き証人だもの」

仙吉 「そうでした」

拮平 「えっ、なになに、これ事件なの?」

真之介「いやいや、ちょっとした、俺の好奇心」

拮平 「はあ、好奇心にこれだけご熱心とは…」

----いいご身分ね。 

拮平 「あっ、お前たち、今夜はこちらの真様が鰻ご馳走して下さるそうよ」

万吉 「えっ、鰻。そりゃ、どうも」

仙吉 「わぁ、となれば、余計でも張りきらなきゃ」

----しめしめ、これで、二人分の鰻代が浮いた。でも、これくらいどうてってことないよね。その分、お芳が本田屋に奉仕してんだからさ。

 

 かくして、四人は出発するのだが、思った以上に拮平の記憶力が頼りない。ほんの数日前のことなのに、もう迷っている。


万吉 「でも、若旦那、この地図の通りに行きますと、こっちの道ですよ」

拮平 「いや、だからさ、その地図そのものが怪しんだったら」

仙吉 「その怪しい地図を正しいと思って歩いたんでしょ」

拮平 「まあ、そん時は」

万吉 「なら、そん時のまま、歩けばいいじゃないですか」

拮平 「そうだけど、なんか、違うんだよな」

真之介「おい、そんなに悩んでいたら、日が暮れてしまうわ。地図、貸せ」

 

 真之介はそれでも拮平の記憶力を当てにしていたが、こう、あやふやではいつまで経っても埒が明かない。少し地図を眺め、見当を付けると真之介はすたすたと歩き出す。それに続く、万吉と仙吉。

 しばらく歩いた頃、少し遅れて歩いていた拮平が声をあげる。


拮平 「ああっ!」

 

 三人は足を止める。


真之介「何か、思い出したか」

拮平 「あのさ、この辺だったと思うのよ。白猫ちゃんがやって来たの」

真之介「しかし、この地図によると、もう一つ先の様だが」

拮平 「だから、その地図最初から怪しいって」

万吉 「でも、その時は、その怪しい地図を怪しいとは思われなかったんでしょ」

拮平 「その時は」

万吉 「若旦那、いい加減、怪しいってこと忘れてくださいよ」

真之介「まあ、いい。では、こっちの道を行けば肝心の家があるのだな」

拮平 「何しろ、白猫が前を歩いていたもんだからさっと」

 

 とにかく、拮平の言う道を進むことにした。


真之介「そろそろではないか。どの家だ」

拮平 「どのって言われても、みんな同じような家だし…」

真之介「頼りない奴だなぁ」

拮平 「あの家みたいな」

 

 と、拮平が首を突き出した先の家から、子供が二人飛び出して来た。


子供1「お爺ちゃーん、お婆ちゃーん、早くぅ」

子供2「おっかさんもぅ」

 

 家の中から、祖父母に次いで少し遅れて母親らしき女が出て来た。女は戸締りをし、子供たちの後を追う。子供を除けば構成は合うが、どうなのだろう。


真之介「違う…」

 

 真之介は歩き出していた。やはり、もう一つ先の道のようだ。そして、案の定、拮平は言う。


拮平 「ここ、ここよ。この家」

真之介「今度は確かか」

拮平 「確か確か」

万吉 「どうしますか、ちょっと俺たちが行ってみましょうか」

 

 その時、猫の鳴き声がした。見れば板張りの塀の上に茶猫がのっていた。


拮平 「おや、白猫ちゃんはどうしたの。ねえ、何とかお言いよ、ねえったら」

 

 もう、真之介は呆れるしかない。


仙吉 「どうやら、留守の様です」


 仙吉が戻って来た。取り敢えず、真之介も家の様子を見ることにした。

 庭に猫の姿はあるものの、真之介は木戸を開けて入ってみた。拮平も興味津々で付いて来る。


真之介「ご免、どなたかご在宅か」

 

 返事はない。


万吉 「また、もぬけの殻みたいですね」

 

 庭に回っていた万吉が言う。


真之介「また、トンずらしたか」

 

 それなら、それでいい。出来るなら、自分達の目の触れぬ所に行って欲しい。


真之介「まあ、家がわかっただけでいいとしよう」

 

 好奇心が強く、口の軽い拮平が一緒なのだ。今日のところはこれまでだ。


真之介「帰るとするか」

拮平 「まあ、それは随分あっさりじゃないですか」

真之介「いないものは仕方ない」

拮平 「さすが、真様。では、これから、参りましょうよ」

----何が、さすがだ。

----さあっ、鰻屋に行かなくっちゃ。

 

 だが、物陰から四人をやり過ごす、二人の男がいた。


拮平 「あれっ、これは今来た道じゃない」

真之介「普通、来た道を帰るだろう」

拮平 「では、こないだのあたしは、一体、どうしたって言うんでしょうねえ」

真之介「そんなもの、反対の道を行ったのだ」

拮平 「そうでしたか…。何しろ、あん時はあの行き遅れの娘との見合いだと

   思ったものだから、一刻も早くあの家から逃げたかったのよ。だけどさ、そ

   れからが大変だったのよ。それはもう、聞くも涙、語るも涙の物語よ。い

   よっ、ぺぺっ、ぺん」

 

 と、またも素っ気なかった職人から、高い提灯を売りつけられた蕎麦屋、それでも疲れて倒れてしまったのに、誰も助けてくれなかった話、やっとの思いで何でも屋にたどり着いたと言うに、家に帰れば、お芳のヒステリーが待っていた…。

 同じ話を聞かされる万吉と仙吉はうんざりしているが、真之介は適当に相槌を打ちながらも、頭では別のことを考えていた。


拮平 「それで、真様、更年期の方は?」

真之介「そんなものは知らぬ」

拮平 「いえいえ、知っておかれませんと、男にも更年期と言うものがあって、そ

   れは大変だそうです」

真之介「お前の大変に年中付きあわされておるで、それに比べれば大したことでも

   あるまい」

 

 拮平のことより、母がお伸を心配するように、真之介もふみの危うさの方が気になる。


拮平 「いや、それが実際問題、どんなもんだいって訳で、本当に大変なんで。で

   もって、今のうちから精力付けとかなきゃってことで。真様。これからどこ

   の鰻屋へ」

 

 結局は食べること、鰻を忘れない拮平だった。


真之介「どこでもよい」

拮平 「ならば、うな勢へ。やっぱり、鰻はうな勢が一番ですよ」

 

 鰻は注文を受けてから捌くので、焼き上がるまでには時間がかかる。その間、客はたくあんを肴に飲む。そして、鰻が焼き上がる頃、仙吉がお澄を連れて来た。


お澄 「あら、まあ、旦那。お久しぶりです。今日は私までご相伴に預かりまし

   て」

 

 と言いながら、嬉しそうに真之介の隣に張り付く。


----うまくいった。これで、お澄の鰻も帳消しになった。頭いい、僕。


 拮平は店に入る前に仙吉にお澄を呼びに行かせたのだった。そんな翌日、真之介は待ち伏せに合う。


目明し「旦那、ちょいとよろしいですか」

 

 と、声をかけて来た目明しに付いて行った先には同心がいた。


同心 「ちと尋ねたいことがありまして…」

 

 同心には見覚えがあった。先の白猫に関わったふみに事情を聞きに来た男だった。取り敢えず、人目につかぬ所に移動する。


同心 「昨日はあの家に何の用で行かれました」

 

 真之介は、拮平の白猫騒動の話を聞き、以前のこともあるので気になって行ってみたと話した。この同心も事件とも言えないままに終わってしまったが、何か腑に落ちないことから「猫屋敷」と呼ばれているところに探りを入れていた。無論そのほとんどは単なる猫好きの家でしかないのだが、ついにこの目明しが似たような家を見つけてきた。そこで、行って見れば真之介達が先にいたと言う訳だっだ。


真之介「それで、あの家は」

同心 「おそらく、以前の奴らが住んでいたのでしょう。でも、今度もまた姿を消

   しました」

真之介「何が目的なのでしょうか」

同心 「本田殿はどのように思われます」

真之介「素人考えですけど、おそらく、盗賊の類ではないかと」

同心 「さすがですな。おそらく、主要人物が病気か怪我をして、どこか隠れ家を

   探していたのでしょう。ちょうどその家の住人が死んだか、死にそうな家を

   見つけ、しばらくはそこに居付くことにして、元の家人はどこかの寺へでも

   投げ込んだのでしょう。今は武士の方が隣近所との付き合いも希薄でして、

   隣がどのような家やらよく知らないままに暮らしている場合もあるとか」

真之介「でも、この度は町人だったそうです」

同心 「私なども捜査のために町人になることもあります。奴らも臨機応変と

   言ったところでししょう。どういう経緯なのかわかりませんけど、盗賊一味

   と言っても所詮は人の集まりですから、余程、統率力のある者でなければそ

   ううまくいくものではありません。大店に引き込み役として女中を潜り込ま

   せたとしても、半年くらいは何も出来ませんからね。ああ、お宅のご実家は

   大丈夫だそうです。何しろ、腕の立つ長男に加え、腕っ節の強い手代や時に

   は浪人者も雇われるとかで、盗賊からは敬遠されてるとか…」

 

 と、同心は笑っていた。


真之介「私の剣の腕など大したことはありませんが、母の心配症が役に立つことも

   あるのですね」

同心 「それと、ここからはあまり深入りされませんように。おそらく、どこかへ

   押し込む手筈を整えているでしょう。犯罪を未然を防ぐのも役目ですから、

   後は我らにお任せください」

真之介「わかりました」

 

 真之介も深入りする気はない。素人が無暗に首を突っ込むべきではないことくらい知っている。


同心 「今日はこれからどちらへ」

真之介「その実家の用心棒に」

同心 「では、ご一緒しましょう」

真之介「ひょっとして、白田屋の拮平にお会いになられるのですか」

同心 「一応、話を聞いておいた方がいいかと」

真之介「それはお止めになられた方が」

同心 「どうして」

真之介「あの拮平と言う男、どうにも口が軽いのです。何事も腹に仕舞っておけな

   いのです。特に、何か事件でお役人から事情を聞かれたとなれば、すぐに町

   中に知れ渡ってしまいます」

同心 「そうですか…」

真之介「それなら、まだ、何でも屋の方がいいと思います」

 

 途中まで一緒ということで、三人は歩き出すが、満を持したかのように同心はあのことを聞いて来た。


同心 「ところで、本田殿。あの仁神髷切り事件は、本当に貴殿がやったのです

   か」

真之介「はい」

 

 と、あっさり認めた真之介に思わず拍子抜けする。


同心 「はあ…。奥方のためとはいえ、随分思い切ったことを」

真之介「いえ、一番は妹のためです」

同心 「妹御のためとは?」

真之介「それが、私に不釣り合いな縁談が舞い込みまして、いささか気になって調

   べてみました」

 

 今は真之介の妻となっているふみだが、娘時代はずっと、仁神安行と言う旗本筆頭の息子から側室にと懇願されていた。だが、この安行と言う男、有名な暴力男であり、また、供侍ともに町で片っ端から娘を襲うと言う卑劣な行為を繰り返していた。

 そんな男の許に大事は娘はやれぬと、ふみを早くどこかへ輿入れさせようにも、仁神の威光を恐れて誰も縁組しようとするものはいなかった。そこで、白羽の矢が立てられたのが真之介だった。


真之介「そんなことから、もし私が今の妻を迎えることになれば、その腹いせに仁

   神は今度は妹を狙うのではないかとの懸念から、あの様なことをやらかした

   と言う訳です」

同心 「いやいや、実にお見事です。誰もやらなかったことをやってのけたのです

   から。確かに、あのままでは、あのバカ殿、きっと妹御に手を伸ばしたで

   しょう」

真之介「私のために、妹をそんな目に合わせる訳にはいけません。私と妹は七歳年

   が離れておりますし、父が亡くなった時、妹はまだ五歳でしたから、私が父

   親代わりと言ったところです」

同心 「具体的に、どのようにして。後学のためにお聞かせ願えませんか」

真之介「はい。しかし、実際には私もどうすればいいのかわかりませんでした。そ

   れが運よく、先方から近づいてきました。芸者遊びの経験があまりないと聞

   いていたもので、まずは料亭へ」

同心 「なるほど、本田殿にして見れば、通い慣れた座敷遊びと言う訳ですな」

真之介「私にはそれくらいしかできないもので。そして、ある夜、あの何でも屋と

   腕っ節の強い実家の手代二人、私のとこの下男、好きな女を仁神に盗られ恨

   んでいる男とともに、料亭帰りを待ち伏せしました」

同心 「それで、一斉に襲いかかったのですか」

真之介「いいえ、先ずは下男が荷車で三人を足止めしました」


 酔って声を荒げる三人を手代が後ろから気絶させ、着物を脱がせ縛り上げ、安行は大柄な手代が担ぎ、もう一人の手代と彼らに恨みを持つ男とで、かっぱ寺近くの木に括りつけ髷を切り落とした。

 二人の供侍は荷車に載せ、少し離れた街道筋の木に括りつけ、こちらは元結を切った。


同心 「どうして、供侍の方の髷も切ってしまわなかったのですか」

真之介「奴らの髷を切ってしまえば、屋敷を追い出された後、食い詰めて押し込み

   でもされてはかないませんから」

 

 だが、真之介の思いとは裏腹に、あの二人はまだ屋敷にいると言う。


同心 「それがですな…」


 あの腰巾着二人は、屋敷を追い出されはしなかったが、刀を差すことは許されず、監視付きで下働きをさせられていると言う。


同心 「下手に放逐して、逆に噂が広まることを恐れたのでしょう」

真之介「そうでしたか…」

同心 「バカ殿の方は一応病気と称して、今のところは大人しくしているようです

   が…。ああ、それより、どうしてわざわざ三人を離したのですか」

真之介「一人では何も出来ぬ男が、みじめな姿で一人になった時、どうするだろう

   かと思いまして。奴らにひどい目にあわされた娘達は、それこそ一人で歩い

   て帰るしかなかったのです。そんな娘達の気持ちの一片でも知らしめてやろ

   うと思いまして」

同心 「それで、仁神はどの様にして屋敷に帰りついたのですか」

真之介「尾崎友之進と言う侍に見つけ出され、駕籠で帰りました」

 

 その駕籠は真之介が用意したものだった。


同心 「それにしても、よくそこまでおやりになられましたな。いや、感服いたし

   ました」

真之介「運が良かっただけです。邪魔も入りませんでしたし」

同心 「夜なら、人はおらぬでしょ」

真之介「でも、私共のように悪事を働く人間が他にいないとは限りません」

同心 「そうでした。夜だから、寒いから、雨だからと言って、人がいないとは限

   りませんな」

 

 実際は拮平に見られたのだが、真之介に刀で脅され、万吉と仙吉からははぐらかされ、臆病で忘れっぽい性格で事なきを得た。


同心 「しかし、髪が伸びた後の報復は考えませなんだか」

真之介「その時は、そこまで考える余裕がありませんでした。しかし、すぐに、そ

   のことに思い当りました」

同心 「髷が結えるほど髪が伸びるとしたら」

真之介「再来年くらいには…」

同心 「その頃には、我らも貴殿を何かと警護致すで、安心されよ」

真之介「ありがとうございます」

同心 「しかし、これで妹御は安泰、晴れて奥方と祝言となった訳ですな」

真之介「いいえ、とんでもない。仁神とのことが落着すれば、この縁談は白紙に戻

   ると思っていました」

同心 「それなのに」

真之介「身分が違いますと言っても、武士とはたとえ口約束でもおろそかにせぬも

   のだとかで、断りきれませんでした」

 

 もし、このまま真之介がこの結婚を拒否すれば、ふみは自害するかもしれないと仲人の坂田から脅されては、受けるしかなかった。


同心 「いや、お気持ちはわかり申す」

 

 この同心も、上役の娘を妻にしていた。

 武家の娘は、普通実家よりも禄高の低い家に嫁ぐ。その方が自分が優位に立てるからだ。だが、ふみの場合は旗本の娘が元町人に嫁いだのだ。上役の娘でも気を使うのに、真之介の大変さは容易に想像が付く。


同心 「私の場合は、まだ、仕事には理解がありますが、それでも気は使います。

   いや、本田殿のところは私の比ではありませんな。旗本の姫ともなれば、何

   かと大変でしょう」

 

 旗本の姫ともなれば、さぞかし気位も高いのではと暗に言う。


真之介「いえ、その様なことはないのですけど、何と言いますか、あまり危機感が

   ないのです。かごの鳥が急に野に放たれ、見るもの聞くもの皆珍しく、私の

   実家などは楽しき遊び場となっております。実家だけならよろしいのです

   が、世間のことを知らぬで、折を見ては芝居見物などに連れて行くのです

   けど、まさか、一人で猫に付いて行くとは…。ちと、気ままに過ごさせてし

   まったようです。世の中は善意の人間ばかりではないと言うことも教えて行

   かねばと思っております。何かあってからでは遅いですから」

同心 「いや、大変ですなあ」

 

 話しているうちに、本田屋の前に着いた。


同心 「これは、貴重なお話をありがとうございました」

真之介「とんでもないです。私でお役に立つことがあればいつでもおっしゃってく

   ださい」

 

 同心と別れた真之介は裏口に回る。


繁次 「旦那」

真之介「今日は、よく待ち伏せされる日だなぁ」

 

 そこにいたのは、かわら版屋の繁次だった。


繁次「ちょいと、お話を」

 

 これまた、目明しと同じことを言う。


真之介「だめだ。何も答えられない。私にも守秘義務があるで」

繁次 「どうして旦那に守秘義務があるんです?役人でもないのに」

真之介「その役人に今しがた口止めされたで何も言えぬ」

繁次 「ええっ」

 

 実は、繁次も真之介の屋敷へと向かったのだが、同心の方が一足先だった。それで、町をぶらついていると、新しい相棒の伍助が腹が痛い言い出す。折よく拮平と会い厠を借りることになり、裏口で待っているとこちらも折りよく真之介がやって来たと言う訳だが、折よくがそう続く筈もない。


真之介「そうだ、その同心は何でも屋に向かった。今から追いかければ間に合う。

   ついでに話が聞けるんじゃないか」

繁次 「駄目ですよ、すぐに締め出されまさぁ」

真之介「ならば、その後で何でも屋に聞けばいいだろ」

繁次 「それも駄目です。あいつ等、結構、口が堅いんです」

真之介「口は固いが揺さぶりには弱いと言ったのは誰だったかな」

 

 例の仁神髷切り事件を口の堅い何でも屋から嗅ぎつけ、実録事件として書き上げ、脅威の売り上げを叩きだした繁次だった。


繁次 「あの時は、運が良かったんですよ。ちょうどあの前を通りかかった時、こ

   ちらの用心棒、腕っ節の強い手代さん達が出て来たんで、何だろうと思って

   いると、今度は旦那と忠助さんが、これは何かあるなって」

 

 その後、口の堅さを売りにしている万吉と仙吉に揺さぶりを駆ける。


繁次 「そういや、今日は忠助さんは」

 

 いつも供をしている忠助がいない。


真之介「今は妻の方に付けている」

繁次 「奥方様がそんなにご心配なのですか。仲のよろしいことで」

真之介「ああ、何かあっては大変だからな」


 いつの間にか、母がお伸を心配するように、真之介もふみを心配していた。


真之介「そう言うお前の相棒はどうした」

 

 特ダネを一人占めしようとして、本人は八面六臂の活躍を夢見ていたが、現実はそんなに甘いものではなく、きりきり舞いすることになった。それに懲りて、その後は相棒を連れて歩いている。


伍助 「兄貴ぃ」


 その時、相棒の伍助が小走りでやって来た。


伍助 「どうもすいません。あっ、これは旦那」

繁次 「だから言ったろ。道に落ちてるものを拾って食うんじゃねえって」

伍助 「そんなもの、食っちゃあいませんよ」

繁次 「いえね、こいつ、よく腹を壊すんですよ。今も隣で厠借りてたんですよ」

真之介「拮平はいたか」

伍助 「ええ。でも、あの若旦那、いい方ですね。俺が腹痛いって言ったら、薬頂

   きましたよ。これは特別な薬だから、よく効くよって」


 思わず笑ってしまう真之介だった。

 その薬は子供の頃からよく腹を壊す胃弱の拮平に、ふくらし粉を飲ませてみようと言いだしたのは真之介だったが、医者の息子が重々しく「これは特別な薬」と差し出せば疑いもせず飲んだものだ。


拮平 「効いた!あの薬良く効く!」

 

 これには一同驚いてしまうが、それを今でも拮平は特別な薬と信じて飲んでいるのだ。


伍助 「何かおかしいこと言いましったっけ」

真之介「いや、良かったな」

伍助 「はい、それはもう」

繁次 「こっちは良かないですけど」

真之介「だから、そう言う訳だ」

伍助 「えっ、なになに。どうなったんですか。兄貴、話の方は」

繁次 「何か、一杯食わされたって感じしかしないんですけど」

真之介「そうだ、ちょうど昼時だ。飯、食ってくか」

伍助 「ええっ、いいんですか」


 と、伍助が目を輝かせる。


伍助 「兄貴、旦那がああおっしゃってくださってるんですから…」


 本田屋には使用人の他に業者もやってくる。彼らにも食事が振る舞われるので、一人や二人、人数が増えたところで何ともない。繁次にしても一食分助かるし、ここの食事はうまいと聞いているし、何でも屋の方も急ぐほどのことはない。


繁次 「そう言うお前の腹の具合はどうなんだ」

伍助 「そりゃ、もう、若旦那のお薬のお陰で…」

繁次 「そうかい。では、旦那。お言葉に甘えまして」

 

 二人を食堂に連れて行った真之介が二階に上がろうとした時、庭に白猫がいた…。


鶴七 「おや、旦那様」

亀七 「いかがされました」

 

 昼食を終えた鶴七と亀七が真之介に気が付く。


真之介「あの白猫は」

鶴七 「ああ、どこかの飼い猫でしょう。最近、よくうろついています」

亀七 「小僧の中には餌をやるものもいまして、屋敷の中に入って来るようになり

   まして、困ったものです」

鶴七 「お嬢様がお好きでないと言っているのですけど」

亀七 「近頃のガキ、子供はさっぱり言うことを聞きません」

 

 お伸は子供の頃、夏祭りの夜店で買った金魚を迷い込んできた猫に食べられてからと言うもの、猫を嫌っている。


真之介「小僧たちにしっかり言っておけ。お伸は猫が嫌いなのだ。決して餌などや

   るでないとな。それと、あの猫、早く追い出せ」

鶴七 「かしこまりました」

 

と、鶴七と亀七は庭へ降りて行く。


忠助 「これは旦那様」

 

 忠助だった。忠助もふみに付いて本田屋に来ていた。


忠助 「おや、白猫ですね」


 庭では、鶴七と亀七が猫の追い出しに四苦八苦している。


真之介「近所の飼い猫だそうだが、近頃は猫を見ただけでも嫌な気分になる。特に

   白猫は」

忠助 「そうですけど、何ですか、あの二人。先に裏口開けておけばいいのに」

 

 と、忠助は庭に下りて裏口を開ける。そして、やっとの思いで忠助が開けた裏口に追いやる。猫が出て行くと即座に戸を閉める忠助。


鶴七 「やれやれ、やっと出て行きました」

亀七 「もう、こうなったら、小僧たちを締め上げてやります」

真之介「あまり、手荒なことはするな。しっかり言って聞かせればよい」

鶴七 「わかりました、何しろお嬢様がお嫌いなのですから」

亀七 「おや、忠助さん、お昼はもうお済みですか」

忠助 「いえ、私はこれから」

真之介「おい、食堂にはかわら版屋がいるでな」

忠助 「はい、わかりました」

 

 忠助は食堂へと向かう。


鶴七 「何だって、あのゲジ野郎が」

亀七 「それが今は二人になって、ケジゲジ」

鶴七 「そうだそうだ。二人揃うとロクなことはない」

亀七 「て言うか、二人揃ってやっと一人前だよな」

----お前達も人のこと言えるか。 


 真之介は鶴亀コンビに構わず二階に上がる。二階では、ふみと久にお弓とお伸の女四人が食事をしていた。


ふみ 「まあ、旦那様、遅かったのですね」

久  「ええ、とっくにお着きの筈と思っておりました」

真之介「ああ、ちょっと道草食っていた」

 

 その時、真之介の食事も運ばれて来た。

 嫁とトメ・コトメが談笑しながらの食事風景はこの上なくいいものだが、今の真之介は白猫のことが頭から離れないのだ。

 食事を終えた真之介と忠助が先に裏口から出てみれば、またも向かいの家の塀の上に白猫がいた。

  そして、白田屋の裏口近くで小僧と女が何やら話をしている。小僧はこちらに背を向けているので顔はわからないが、あのお仕着せは白田屋のものだ。


女  「まあ、どうも、ご親切に」

 

 と言って、女が去って行く時、ちらとこちらを見た。振り向いた小僧は真之介達に会釈をしてそそくさと裏口から入る。真之介は忠助に女の後を付ける様に言う。

 妙な取り合わせではないか。道を聞くにしては商家の連なる繁華街の裏通りなのだ。それぞれの家には○○屋勝手口の札が出ている、至ってわかりやすいところなのに、そんなところで小僧から何を聞き出そうとしていたのか。あの娘…。

 この時代の女は結婚すれば、眉を剃り歯を黒く染める。それだけで既婚未婚の区別はつく。また、着物の着方にも暮らし振りが現れ、家事などしなくてもいい良家の妻は着物の裾を垂らしているなど、男よりもその置かれた立場が分かると言うものだ。それなのに、既に若くもないのにあの女はまだ嫁に行ってない。そんな女がどうしてこの辺りをうろついているのだ。ふと、拮平が言っていた行き遅れの娘かと思ったりもした…。

 通りに出たところで真之介はまたも今朝の目明しと会う。


目明し「これは旦那、ちょうど良かった。別の筋からの情報なんですが、どうやら

   動きがありそうなんです。本田屋さんもどうぞ、お気を付けなさって」

 

 それだけ言うと目明しは走り去って行く。

 これでは今夜は実家に泊まらなくてはならない。それにしてもこんな時に限って、ふみが一緒なのだ。ふみだけ帰れと言っても、真之介が泊るなら自分もと言うに決まっている…。


 そして、何でも屋に行けば、お澄がいそいそと茶を運んでくる。


真之介「同心が来ただろ」

万吉 「ええ、でも、俺たちが知っていることも、旦那とそう変わりはありません

   からさ」

真之介「今な、そこでその時の目明しと会った。別の筋からの情報で、どうやら動

   きがあったらしい」

仙吉 「どこのおたな狙ってんでしょうね」

万吉 「おい、仙吉。お前、馬鹿か。どこの店狙ってんのか、それがわかりゃ、誰

   が苦労するかい。すいませんねぇ、旦那、こんな馬鹿が一緒で」

仙吉 「そんなに馬鹿馬鹿って言わなくっても…」

万吉 「馬鹿だから馬鹿って言ってんだよ」 

 

 その時、息を弾ませた忠助がやって来た。真之介はお澄が入れてくれた茶を忠助に飲ませる。


真之介「どうだった」

忠助 「すみません、途中で見失いました」

真之介「どの辺りで見失った」

 

 すかさずお澄が地図を出して来る。


忠助 「この辺りです」

 

 しばらく地図を眺めていた真之介だったが、万吉と仙吉に言う。


真之介「とにかく、自身番に知らせた方がいいだろ。それと、拮平呼んで来てく

   れ」

 

 二人はすぐに飛び出して行く。お澄が改めて真之介に茶を出す。


お澄 「その女の人って、例の行き遅れの娘ですかね」

真之介「多分…」

 

 あの時、拮平でもいれば…。

 後から、たらればを言って見てもどうしようもないが、あの娘の顔を知っているのは、ふみと拮平だけなのだ。


拮平 「真ちゃん!」

 

 その拮平が、犬の様に喜んでやって来た。


拮平 「なになに?また、何が何して何とやら。そんで、どうなったの」

真之介「まぁ、落ち着け。ちょいと小耳に挟んだのだが、また、近頃、泥棒が出没

   しているそうだ」

拮平 「何だ、そんなこと。大丈夫大丈夫。うちは大丈夫よ。そんな金ないから。

   そりゃ、真ちゃんちが心配するのはわかるけど、俺んとこなんか、あのお芳

   で金使い切ったそうよ。今じゃ、泥棒も気の毒がる有様よ」

真之介「そんなことはないだろ」

 

 あの嘉平が幾ら女に金をつぎ込んだとしても、蔵の中を空にするような男ではない。


拮平 「だからさ、今からでも実家へ帰って蔵の前で番を。あ、しなくてもいい

   か。腕の立つ浪人揃えておきゃ、泥棒の方が逃げだすよ」

真之介「あのな、真面目に聞け。白田屋に最近雇い入れた使用人いるか」

拮平 「最近って…。ああ、小僧が一人いる。三月くらい前かな。これがちょいと

   ぼんやりしててさぁ」

真之介「身元、確かか」

拮平 「それがお芳の知り合いから頼まれたとかて、良く知らない。でもさ、まだ

   ガキだよ。でもって、あんまり頭良くないんで、いつも怒られてばっか。

   えっ、そんな子供のこと心配するより、本田屋こそ、お伸ちゃんの監視役と

   かで、どっかの女房、三人も雇い入れたとか」

 

 言われてみればそうだ。お妙では心もとないとかで、同じ長屋に住む主婦三人を交代で、それこそ一日中、お伸に張り付かせている。お弓のことだから、素性のしっかりした女たちだと思うが、灯台下暗しの言葉もある。


拮平 「あのさ、本当の盗賊って、普段は普通に暮らしてんだって。それが、ひと

   たび親分から声がかかれば、すぐに集まって来るってんだから。どんな世界

   でも、その大元ともなれば、きっとすごい奴なんだろうねえ」

 

 そうなのだ、蔵を破られたのさえ、後で気が付くと言う見事な盗賊もいたそうだが、そんなすごい盗賊一味が現れるのは、百年に一度くらいのものだ。


拮平 「でもさ、絶対、真ちゃんち、本田屋には入りゃしないよ。何しろ蔵の中の

   千両箱の数が多すぎて、中々運び出せないってのが、現代の盗賊界の常識な

   んだから」

真之介「そんなにあるか」

拮平 「いやいや、また、ご謙遜を。既に次の蔵の準備に取り掛かっていらっしゃ

   るとか」

真之介「それより、お前がどうして盗賊界の常識なんてものを知ってるんだ」

拮平 「いや、それがさ、漏れ伝わって来たのよ。あら、お澄、あたしにお茶は」

お澄 「いえ、その、すごい話なので、つい…」

拮平 「ええ、そのうち、本田屋の庭、ぜーんぶ蔵だらけになっちゃったりして。

   あら、ひょっとして、うちの店も乗っ取られたりして、あぁぁぁぁ」

真之介「法螺もそのくらいにしておけ」

 

 そこへ、自身番に行った万吉が戻ってきた。


万吉 「いい具合に同心の旦那と会えましてね。いつもより、夜の見回りを強化し

   てくれるそうです。それと、忠助さんがあの女を見失った辺りも調べてみる

   そうです」

真之介「そうか、ご苦労だったな」

 

 真之介は立ち上がる。


拮平 「おや、もうお帰り?ちょ待てよ。あたし、今来たばかりじゃない。呼び出

   しといて、そりゃないわよ、真様」

真之介「いや、うちにはか弱い女がいるでな」

拮平 「そう言や、うちの女どもはあのお里からして、か強いのばかりだ…。

   じゃ、真ちゃん、今夜は泊りでしょ。それなら…」

真之介「いや、妻を連れて帰らねばならぬ」

拮平 「あら、来てたの。じゃ、仕方ないか」

真之介「すまんが、また、今度」

拮平 「頑張ってぇ」

 

 真之介と忠助が何でも屋を出て行くとすぐにお澄が聞く。


お澄 「若旦那、何を頑張るんです」

拮平 「何って、そりゃ、その。子作り」

 

 お澄は黙って奥に引っ込む。


拮平 「何だい、ありゃ。あたしに茶も出さないでさ」

万吉 「若旦那、あんなこと言っちゃ駄目ですよ」

仙吉 「そうですよ、それでなくても姉さんは旦那が嫁もらったのでさえ、まだ受

   け入れられてないんすから」

拮平 「えっ、まだそうなの。何さ、自分だって亭主いるくせに」

 

 お澄の亭主は大工で単身赴任している。


拮平 「そりゃ、真ちゃんに岡惚れすんのわかるけどさ。もう、いい加減に、お止

   しのお芳だよ!」

 

 と、拮平も立ち上がろうとするのを、万吉と仙吉は両方から挟みこむように座らせる。


万吉 「はい、お止しになって」

仙吉 「若旦那、どちらへ」

拮平 「どちらも何も、あたしも帰って、泥棒避けを」

万吉 「若旦那んとこは、泥棒入らないんじゃ」

拮平 「いや、俺んちだって、見かけはいいから、あれでも」

万吉 「いいえ、泥棒もそんくらいのこと、とっくに調べてますって、それより」

拮平 「それより?」

仙吉 「こないだの鰻の件」

拮平 「鰻?鰻はそれこそ、こないだ食べたじゃないか」

万吉 「あれは真之介旦那のおごりでしょ」

仙吉 「そうすよ。今度は若旦那の鰻を」

拮平 「いや、俺と真ちゃんは一心同体だから。真ちゃんのおごりは俺のおごり」

万吉 「そうはいきませんよ。第一、男同士で一心同体なんて、気持ち悪っ」

仙吉 「若旦那はそっちも有りでも、旦那は無しですからね」

拮平 「俺だって無いわ。だから、それは例えの話。それくらい仲がいいって話。

   それにさ、鰻ばっかりというのも…」

万吉 「いいえ、ぜーんぜん、大丈夫です」

仙吉 「そうすよ、俺たち、鰻なら毎晩でもいけますから」

拮平 「そうか。じゃ、もう少し先ってことで」

万吉 「出来れば今日の方がいいと思いますけどね」

仙吉 「そうそう、うちの姉さんもか強いですからねえ。はい、お茶」

 

 と、仙吉は湯呑を拮平の口元に持って行く。


拮平 「わ、わかったよ。じゃ、今夜。行くか…」

お澄 「まあ、そうですか!では、これから?それとも後ほど三人でお迎えに上がり

   ましょうか」

 

 と、お澄が奥から満面の笑みで出て来る。


 その頃、真之介は番頭に家の用心を促す。番頭には番頭の情報網があり、そのことはすぐに他の店にも伝えられるだろう。さらに、自分は今夜実家に泊まることが出来ないので、いつもの浪人たちを呼びに行かせたことをお弓に伝える。


お弓 「わかりました。では、真之介さんはふみ様を連れてすぐにお帰りなさい。

   ふみ様に何かあっては大変ですから」

真之介「はい、それと、お伸も一緒ではいけませんか。ふみも喜ぶと思うのです

   が」

お弓 「お伸をですか」

真之介「いくら嫁入り前の大事な体と言え、家の中ばかりではお伸もかわいそうで

   すし、万が一、泥棒に入られでもして、怪我をしないとも限りません」

 

 母親は娘の万が一に弱い。


お弓 「そうねですね。でも…」

真之介「私も忠助も付いております。この泥棒騒ぎが治まるまで。何でしたら、

   おっかさんもご一緒に」

お弓 「それでは、ふみ様にご迷惑が…」

真之介「どうして、迷惑などと」

お弓 「そうですか、ふみ様がよろしければ…。それと、私はこの店の女主人です

   から、泥棒くらいで逃げだすことは出来ません」

真之介「いや、必ずしも泥棒は我が家に入ると決まった訳ではありません。例の拮

   平の情報によりますと、うちの蔵には千両箱が唸るほどあって、到底持ち出

   せない。なので、泥棒たちから敬遠されているとか」

お弓 「まあ…」

真之介「ええ、近く、もう一つ蔵が建つとか。どうやら、私がいない方が千両箱も

   増えるようですね」

お弓 「ええっ、拮平さんがそんなことを」

真之介「それにしても、私が知らないことをどうしてあの拮平が知ってるんですか

   ね」

お弓 「それは、私も知らないことです」

 

 と、二人して笑ったが、思えば母の笑い声を聞いたのも久しぶりだった。それだけ、緊張感の中にいるということだ。

 真之介が妹を自分の屋敷で過ごさせようとしたのは、無論、毎日窮屈な思いをしているお伸に気分転換させてやりたい気持ちが第一だが、そうなれば、お伸に付いている女達もその間は用無しとなる。別にこの女達を疑っている訳ではないが、疑わしきは少しの間でも遠ざけるに越したことはない。

 その後、各店の用心が行き届いたからか、何事もなく数日が過ぎ、気も緩み始めたある夜、突如として響き渡る、雑巾を裂くような悲鳴…。

 














 

 
















  

















 























 

























 












  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る