第42話 娘一人に…

忠助 「旦那様、お店の方がお見えです」

真之介「来ると思ったが、やっぱり来たか…」

 

 真之介は笑うしかなかった。忠助も笑っているが、ふみは何かしらと言う顔をしている。

 やって来たのは手代の鶴七と亀七。別々に店を抜け、別々の道を歩いていたが、目的地は同じなのですぐに鉢合わせをし、互いに反目したまま、ここまでは無言でやって来たが、もう、黙っていられない。


亀七 「旦那様、本日はこの亀七の、一生のお願いがあって参りました」

鶴七 「いえ、私の方も是非旦那さまに申し上げたき事がございます」

亀七 「いえ、先ずは私から」

鶴七 「いいえ!私から」

真之介「では、二人同時に申せ」

 

 思わず顔を見合わせる、鶴七と亀七だったが、それでも息が合っていた。


鶴・亀「お嬢様のお婿様には是非、この私を!」

真之介「はあ…。見事に揃ったものだな」

亀七 「私がお嬢様の婿になった暁には、夜も寝ないで」

鶴七 「昼寝して」

亀七 「うるさい。身を粉にして働きます」

 

 気合十分の亀七に、鶴七も負けじと言う。


鶴七 「この私がお嬢様の婿になりますれば、生涯かけてお嬢様を大切にし、他の

   女には目もく れません」

亀七 「いえいえ、こ奴は浮気者です。それに引き換えこの私の真面目なこと」

鶴七 「お前の真面目は女にもてないだけだ」

亀七 「そう言うお前は、隣の若旦那と同じ」

鶴七 「やめとくれ。あんなのと一緒にすんじゃないよ」

亀七 「あっ、隣の若旦那の事、あんなのって言ったな。ようし、今度言いつけて

   やる」

鶴七  「ああ、言ったって構わないさ。あの若旦那くらい、この舌先三寸でいつで

   もいくらでも言いくるめてやるさ。商人はそれくらいでなければさ。そうで

   すよねえ、旦那様」

亀七 「こんな事で旦那様を引き合いに出すなんざ、どうです、腹黒いでしょ。こ

   の与太鶴」

鶴七 「江戸の暮らしも長いのに、いつまで経ってもちっともあか抜けない、泥亀

   のくせに」

亀七 「何だとぉ」

鶴七 「何だよぅ」

 

 と、掴みあいになる。


真之介「おい、もう、その辺にしないか」

 

 ふみと久と忠助、いつの間にかやって来たお房もおかしくてたまらないが、二人は真剣そのもの。


鶴七 「申し訳ございません。ですが、こいつが婿では店の先行きが案じられま

   す」

亀七 「いえいえ、こいつでは一年と持ちません」

鶴七 「何ぃ!」

真之介「二人とも黙れ!お前たち、そんなにお伸の婿になりたいのか。そんな者が

   こんな時間に店を抜け出して何やってんだ。すぐに仕事に戻れ。それにな、

   婿はおっかさんが決める。俺に言っても無駄だ」

鶴七 「そんなことおっしゃらずに、どうぞ、旦那さまからご新造様へお口添え

   を」

亀七 「そうです、旦那様のお口添えがあれば、きっとご新造様も…」

鶴七 「お兄様!」

亀七 「お兄様!」

鶴七 「何卒!お願いします、お兄様!」

亀七 「是が非にお願いします、お兄様!」

真之介「るせっ、どいつもこいつも…。ああ、わかった。言っといてやる」

鶴七 「えっ、では、よろしくお願い致します!」

亀七 「何卒、よろしくお願いします!」

真之介「わかったから、とっと帰れ」

鶴・亀「は、はい」

 

 鶴亀コンビは、振り返り振り返り、尚も名残惜しそうに帰って行く。


ふみ 「旦那様、本当にお口添えをなさるのですか」

真之介「するもしないも、婿は決まっておる」

ふみ 「えっ、そうなのですか」

真之介「あぁ…」

 

 だが、翌日、店からの使いがやって来る。どうやら想定外の事が起きてるようだ。 



 往来の真中を、菓子折を持った五人の若者が歩いている。


若者1「いいかい、抜け駆けはなしだよ」

若者2「いつまで同じことを言ってんだい。約束したじゃないか」

若者3「そうだよ。みんな昔からの友達だよ」

若者4「とは言っても、色と欲が絡めばさぁ」

若者1「だから、念を押してんだよ」

若者2「大丈夫。誰もそんなことしやしないよ」

若者3「そうだよ、だから、こうやって」

若者4「おい、お前だけ、何でさっきから黙ってんだ」

 

 五人のうち、一人だけずっと黙っていた。


若者5「沈黙は金…。今更、何を言っても、だよ」

若者1「何だい、気取りやがって」

 

 この五人とも商家の次男、三男だった。長子相続が定着した時代、武士でも町人でも何事にも長男が優先され、その扱いには雲泥の差があった。次男以下はどこかへ養子に行くしかなかった。それでも養子の口があればいいが、さもなくば商人の場合、一生兄の下でこき使われる。付き合いと称して遊び歩いている兄のために働かされるのだ。そんな不満を持った者同志、自然と集まってくる。

 そこへ、降って湧いた本田屋のお伸の婿娶り話。五人は色めきたった。本田真之介を知らない者はいない。その兄に似てお伸も美しいと聞いている。しかもあれだけの大店。

 あの本田屋の婿になれるかもしれない…。

 五人は最初は普通に仲人を立てようとしたが、その中の一人が言い出した。

「俺たち五人で、正々堂々と本田屋へのり込もうぜ!」

 そして、今日揃ってやって来たのだ。

 これにはさすがの本田屋も驚きを隠せなかった。まさか、本人直々、それも五人揃ってやって来るとは…。

 お弓も目を丸くしていた。


お弓 「まあ、今のお若い方たちは思い切った事をなさいますわね」

 

 そして、身上書付きの菓子折を差し出す五人。


お弓 「ありがとうございます…。お気持ちは大変ありがたいのですけど、けど、

   実はもう、婿は決まっておりまして…」

若者1「それは、また、つれない事を」

若者2「そうです。そんなにお急ぎにならずとも」

若者3「私たちの事もお考えになって頂けませんか」

若者4「じっくりと、選んで下さいまし」

若者5「後悔なさいませんように」

 

 そして、五人は臆することなく自己紹介を始めるのだった。


若者1「いかがでしょうか、お母様」

若者2「どうぞ、お伸さんにお引き合わせ下さい」

若者3「そうです、是非ともお伸さんに」

若者4「直接会ってこの思いを伝えたいのです」

若者5「お伸さんはどちらに」

 

 お弓は思わずたじろく。


お弓 「い、いえ、お伸は今、伏せっておりまして…。今日のところはお引き取り

   を…」

若者1「さようですか、では」

若者5「失礼いたします」

 

 と、それまでのしつこさと違い、あっさりと引きさがる五人だった。

 ほっとしたお弓だが、もう疲労困憊だった。昨日から、同じような話を聞くばかり…。

 本当は横になりたいくらいだった。なのに、客はまだ待っている。番頭が心配して真之介に使いを出してくれたが、まだ、到着していない。

 だが、帰った筈の五人は階段を上っていた。


若者達「お伸さん、お伸さん!」

 

 二階に上がって来た五人は、口々にお伸の名を呼びつつ襖や障子を片っ端から開けて行く。

 お伸はお妙と自分の部屋にいたが、男たちが自分の家、それも二階で自分の名を呼んでいる事が不可解であり、恐怖でもあった。


女中 「きゃああああぁ」

 

 だが、叫んだのは、何も知らずに生姜湯を持って、階段を上がって来た女中だった。今、二階にはお伸とお妙しかいない筈なのに、それも見知らぬ若い男が五人もいる。思わず盆を取り落とし、慌てて階段をかけ下りる。その声に、お伸とお妙は思わず身を寄せ合う。何が起きたと言うのだろう。お伸を呼ぶ声は近づいてくる。


若者達「お伸さん」

 

 やがて襖が開けられ、そこには五人の男が立っているではないか。

 お伸とお妙は恐怖で声も出ない。

 そこへ、ドスドスと階段を上がって来たのは、弦太と壮太だった。


壮太 「何してるんですか!」

弦太 「お嬢様!」

 

 壮太が五人の前に立ちはだかり、弦太がお伸に駆け寄る。


若者1「何だいお前たち、ふん、手代じゃないか」

若者2「おどきよ、何もしやしないよ。ただ、お伸さんと話がしたいだけだよ」

壮太 「駄目です」

弦太 「お帰り下さい」

 

 弦太も壮太と並び、五人をブロックする。


若者3「話くらいさせてくれてもいいじゃないか」

若者4「そうさ、話だけだよ」

お弓 「お伸!お伸!」

 

 その時、必死て階段を駆け上がって来たお弓は、男たちを掻き分けお伸の元へ駆け寄る。


若者1「お母様、何もしてやしませんよ」

若者2「お伸さんとお話しさせて下さいと言ったじゃないですか」

若者3「ちょっとの間ですよ」

若者4「いいでしょ、お母様」

若者5「これから楽しい時を過ごすだけですよ」 

 

 ぎらぎらした男の目が一斉に注がれる。


----ああ、この目…。

お弓「わああぁああぁ」

 

 お弓がパニックを起こす。


真之介「お伸!お伸!」

 

 その時、真之介が階段を一段飛ばしに上がって来た。それに続く忠助。

 五人の男たちは、それも予定調和の一つであるかのように、真之介と対峙する。


若者1「これは、お兄様」

若者2「まあ、お兄様じゃございませんか」

若者3「本当、お兄様ですよ」

若者4「お会いできて光栄です」

若者5「お兄様」

真之介「うるせっ!おい、お前たち、一体これは何の真似だ」

若者1「いえ、私たちはお伸さんとお話が出来たらと思っただけです」

真之介「黙れ!失せろ、さっさと失せぬか!」

 

 だが、口で言って、動くような奴らではない。真之介は刀を抜く。

 これにはさすがの五人も驚くが、これは単なる脅しに過ぎない。

 

真之介「おい!伊達に刀差してる訳じゃねぇぞ。これでも千葉道場じゃ少しは知られ

   た腕だ。何なら一差し、舞ってやろうか」

若者2「まあまあ、お兄様、ここは穏やかに」

若者3「そ、そうですよ」


 と、言いつつも、きらりと光る抜き身にはさすがに腰が引ける。

 次の瞬間、五人は一斉に逃げだす。


真之介「おっかさん!」

お伸 「もう、大丈夫よ。あの変な人たちは、お兄様が追っ払ってくれました」 

 

 小刻みに震えている母の体を必死で受け止めているお伸だった。

 やがて、ふみと久が到着する。


ふみ 「母上様」

久  「ご新造様」


 真之介は母や妹の事はふみに任せ、弦太と壮太から事情を聞く。


弦太 「申し訳ありません、旦那様」

真之介「一体、どうしたのだ。あいつらは何者だ」

 

 お伸の求婚者たちで挨拶が済んだので、みんな、そのまま帰ったとばかり思っていた。

 弦太と壮太はお伸の外出時には付きそうが、在宅時は普通に仕事をしている。


弦太 「まさか、勝手に二階へ上がるとは思いもしなかったので」

壮太 「私たちも油断していました」

真之介「わかった。じゃあ、今一度、二階を全部調べろ。押し入れの中から隠れそ

   うなところすべて。まだ、どこかに潜んでいるやもしれぬで、念入りにな」

弦太 「はい!」

真之介「ああ、俺も行く」

 

 真之介が二階を隅々まで調べ終わった頃には、女たちはお弓の部屋に集まっていた。

 お弓は床に付いていたが、まだ、その息は荒かった。それでも安堵の表情が見て取れた。

 だが、お伸の様子がどうにもおかしい。

 

真之介「お伸、どうしたのだ、大丈夫か」


 お伸はそんなに気弱な娘ではない。上に年の離れた兄が二人いるせいか、子供の頃からお転婆なくらいだった。それでも十六歳の娘にとってはショックな出来事だったのだろう。


ふみ 「お伸殿、お部屋に参りましょう」


 ふみがお伸に手を述べ、お妙には生姜湯を持ってくるように言う。

 お弓は起き上がろうとする。


真之介「おっかさん、寝てて下さい」

お弓 「いえ、もう、大丈夫です。それに、体のどこが悪いと言う訳ではありませ

   んから」

真之介「ああ、下の客は番頭が相手をしています」

お弓 「でも、まさか…」

真之介「こんな事になるとは…」

 

 しばらくして、ふみと久が戻って来た。


真之介「お伸は」

ふみ 「大丈夫です」

 

 と、あっさり言う。


真之介「やはり、衝撃が大きかったのだろう」

ふみ 「もう、大丈夫です。生姜湯を飲まれて落ち着いてます」


 真之介も風邪引きや寒い時には飲むが、生姜湯がそんなにいいものだったとは…。

 その時、番頭がやって来た。


番頭 「ご新造様、お加減はいかがでしょうか」

お弓 「ああ、お陰でよくなりました」

番頭 「実は…」

真之介「何だ」

番頭 「ご新造様に代わり、一番番頭さんがお客様のお相手をしておりましたが、

   どうしても、ご新造様でなければとおっしゃられまして…」

 

 ならばと、真之介が立ち上がりかけた時。 


ふみ 「旦那様、私が」

お弓 「いえ、そんな、私が参ります」


 お弓が再び起き上がろうとする。


ふみ 「いえ、大丈夫です。母上様はご無理なさいませんように」

 

 と、言い残し、久と部屋を出て行く。慌てて番頭が後を追う。


お弓 「まあ、いいのですか」

真之介「いいも悪いも…。ふみが言いだした事です。それよりおっかさん、早く、

   話を勧めましょう」

お弓 「そうですね」

真之介「その方が、おっかさんの負担も軽くなると言うもの」

お弓 「ええ…」

 

 そして、お伸が何事もなかったような表情で入って来た。


真之介「何だ、お伸、もう元気になったのか」

お伸 「はい、お姉様のお陰です」

真之介「ふうん、生姜湯とはそんなにいいものか」

お伸 「ええ…。あら、お姉様は?」

お弓 「私に代わって、お客様のお相手をしてくれているのです」

お伸 「まあ、今日はすっかり私もおっかさんもお姉様にお世話になって…」

お弓 「そうですね。ああ、真之介さん、私はもう大丈夫ですから、ふみ様のとこ

   ろへ」

真之介「ああ、そうでした」

 

 ふみの様子も気になる。階下では、客間に続く廊下の端で、番頭と忠助が話をしていた。


番頭 「旦那様、さすがに旗本の姫さまでございますね。実に、堂々とされてま

   す」

忠助 「日頃の奥方様とは違います」

 

 その時、客に続いてふみと久が出て来た。客もふみを褒めつつ帰って行く。


ふみ 「旦那様、母上様のお加減はもうよろしいのですか」

 

 そこには笑顔のふみがいた。


真之介「ああ、お陰で、お伸も元気になった」

ふみ 「それはようございました」

真之介「まあな。しかし、ご苦労だったな。今日はすっかり世話になった。それに

   しても、町方の者が相手では勝手が違ったであろう」

ふみ 「ええ。でも、色々楽しかったですわ」

真之介「楽しかった?」

ふみ 「はい、面白い話も、聞けましたし…。あ、申し訳ありません。母上様がお

   悪いのに楽しいだなんて…」

真之介「いやいや、深刻な顔しているより、楽しむ余裕があった方がいい。母もそ

   の方が気が楽と言うものだ」

ふみ 「その様におっしゃっていただきますと、嬉しいですわ」

真之介「それにしても、今日の奥方の振る舞いにはちと驚かされた」

ふみ 「旦那様を見習いました」

真之介「はて、何やら、悪い事をお教え致したようで」

ふみ 「はい、その通りにございます」


 一同がどっと笑う。


真之介「では、お疲れになられたことで。早く帰って休まれるがよい」

ふみ 「旦那様は?」

真之介「私は今夜はここに泊まる」

ふみ 「えっ」


 士分も旗本から上のお目見得以上は他家に泊まることは禁じられている。将軍家に何か事あらばすぐに駆けつけなければならない。だが、お目見得以下の御家人は特に禁じられてはいない。


真之介「やはり、気になるでな」

ふみ 「では、私の事は気にならないのですか」

真之介「いや、決して、その様な意味では」

ふみ 「ならば、私も泊まります」

真之介「それは…」

ふみ 「いけませぬか」

真之介「いや、気を使うであろうと思って、我が家の方がゆるりと休めると思う

   が…。着替えはどうする」

ふみ 「明日、久に持って来させます」

 

 思ってもみなかった展開に、真之介が戸惑っているところへ、お弓が降りて来た。


ふみ 「母上様、もうよろしいのですか」

お弓 「ええ、本当にふみ様のお陰です。何とお礼を申してよいやら」

ふみ 「まあ、そのような水くさい事をおっしゃられなくとも、明日もお手伝い致

   します」

お弓 「それは心強い限りです」

ふみ 「それなのに、旦那様と来たら。ちょっと旦那様」

 

 と、真之介の部屋で話の続きをすることに。


ふみ 「あの、私がこちらのご実家にお泊まり致しますと、何か不都合な事でもご

   ざいますの」

真之介「その様なものがある訳なかろう。ただ、ここは商家だ。勝手も違うし気を

   使うだろうと思ったまでだ」

ふみ 「いえ、よそのお宅に泊まることなど、子供の頃に坂田のおば様のところ

   と、佐和殿の屋敷に泊ったことがあるくらいです」 

 

と、何やら嬉しそうな素振りを見せるふみだった。


真之介「さようか。ならば、よろしいように」

ふみ 「ありがとうございます。そう言えば、私の他にこのお部屋に泊まった者は

   いますの」

真之介「それは子供の頃、隣の拮平に藪医者、何でも屋の万吉とか。ああ、かっぱ

   寺の坊主も。それで、夜暗い中での枕投げについ熱が入り、母に怒られたも

   のだ」

ふみ 「大人になられてからは」

真之介「大人になってからはない」

ふみ 「あの、よく下世話に言う、女を引っ張り込むとか…」

真之介「これ、そのような物言いをするでない。父上に知られたら、それこそ…」

ふみ 「父の前では申しません。それで」

真之介「そのような事を致したことはない」

ふみ 「あの、女中とか」

真之介「滅多な事を申すでない。店の主人がその様な事をしていては下の者に示し

   が付かぬ。これはあの拮平ですら、決してやらぬ事だ」

ふみ 「では、あのお敏は」

真之介「拮平が気に入ってることは確かだが、手は出しておらぬ。最もあのお敏な

   ら、ぴしゃりとはねつけると思わぬか」

ふみ 「そうでした、何やらお敏に悪い事を言ったようで…」

真之介「それはな、お疲れになられたのだ。疲れていると、つい余計な事を言って

   しまう。そうだ、生姜湯でも飲まぬか。お伸もあれで元気になったで」

 

 あれは月の障りで、その時にお伸が生姜湯を飲む事を知っていたにすぎない。そう言えば、ふみも今朝から同じくで、いつになく気持ちが高ぶっていた。


ふみ 「では、そう致しましょう」


 生姜湯を飲めば、自分も少しは落ち着けるかもしれない。

 だが、その夜、ふみはなかなか寝付けなかった。義実家とはいえ、他家に泊まっているのだ。それもここは二階。この部屋の下は客間。その客間の天井が今は体の下にある。それを思うと何か不思議な気がしてならないのだ。


ふみ 「旦那様、もうお休みになられましたか」

真之介「うぅん」

 

 と生返事が帰って来る。


ふみ 「あの、ちょっと」

真之介「やはり、落ち着かないか」

ふみ 「いえ、その、それでお伸殿の婿になられる方は…」

真之介「明日くらい、やって来るだろ」

ふみ 「明日ですか…」

 

 だが、翌日一番に本田屋へやって来たのは、兵馬だった。

 そして、真之介に詰め寄る。 


兵馬 「兄上、これは一体、どういうことなのです」

真之介「どうもこうも、このような次第になりまして」

兵馬 「そんな、これではあまりにも!」

 

 真之介は急いで兵馬を外に連れ出す。その方が兵馬にとってもいいはずだ。


兵馬 「兄上、どこまで、行かれるのです!」

真之介「この辺りなら、いいでしょう」


 人気のない神社にやって来た。


真之介「どうぞ、お話を」

兵馬 「この度のことは一体どう言うことなのですか。どうして、この様な惨いこ

   とをなさるのですか!」

真之介「何が惨いのですか」

兵馬 「聞きました。お伸殿に婿を娶って店を継がせるとか。善之介殿がおられる

   のに、どうしてこのような事になるのです。それでは善之助殿もお気の毒で

   はないですか」

真之介「その善之介が、店の主人が嫌で絵描きに専念したいとか申しまして、それ

   で、お伸が婿を娶ることになったような訳です」

兵馬 「えっ、それでは善之介殿もひどいじゃないですか。自分のやりたい事のた

   めに、妹にそんな重荷を背負わせるなんて、ひどすぎます」

真之介「兵馬殿、惨いとか、ひどいとかおっしゃられますが、婿を娶って店を継ぐ

   事がそんなにひどい事でしょうか」

兵馬 「ひどいですよ。女は嫁に行くのが一番幸せなのです。それも男兄弟がいな

   いのならともかく、兄がいるのに、どうして妹が嫁にいけないのです。どう

   して妹が兄の犠牲にならなければいけないのです」

 

 と、憤懣やるかたない兵馬だった。


真之介「では、店がつぶれてもよいのですか」

兵馬 「……」

真之介「商売とは、食うか食われるかです。商いの才がなければ、店はつぶれてし

   まいます。才のない息子に見切りを付け、娘に婿を娶り店を継がせることは

   それほど珍しい事ではありません。店を開けてさえいれば、客が来て物が売

   れる訳ではありません。どの店もそれなりの努力をしているのです。そうで

   なければ続いて行きません」

兵馬 「しかし、しかしですよ。本田屋には兄上がいらっしゃるではないですか」

----それを、お前が言うか…。

兵馬 「今までもそうであったように、兄上がこのまま補佐していけば、善之介殿

   を補佐して行けば、お伸殿は嫁にいけます」

真之介「それは一時しのぎにしかすぎません。家の主人も一人なら、店の主人も一

   人です。そして、最後の決断をするのが主人です。良くも悪くも決断が出来

   ないような主人では、番頭に店を乗っ取られてしまうのが落ちです。現にそ

   の様な店も見てきました。商才のない長男をそのままにしているようでは、

   もうその先は見えてます」

兵馬 「でも…。それがわかっているのなら、もっと他に方法があったのでは!」

 

 半士半商のくせに。いや、姉を娶ったればこそ、侍の末席にいられると言うに。それを由緒ある旗本の嫡男の言うことに、すべからく反論するとは、如何に姉婿とはいえ思い上がりも甚だしい。

 と、兵馬のその目は語っていた…。


真之介「兵馬殿、子は親を選んで生まれて来る訳ではありません。生まれて見れば

   兄がいたからと言って、その中で生きて行くしかないのです。さらに、何事

   もなく気楽に生きていける人間がどれほどおりましょうか。皆、何かしらの

   重荷を背負って生きているのです」

兵馬 「でも、この度の事はお伸殿一人にあまりに重荷を背負わせすぎです」

真之介「いえ、あれでお伸は意外としっかりした娘です。自分の立場もわかってお

   りますし、薄々感じていたようです。ですから、店を継ぐことも自然に受け

   入れました」

兵馬 「それは周囲から納得させられたからではないですか、それしか道がないよ

   う仕向けられたからではないですか」

真之介「はぁ、兄二人が身勝手な故ですか。それなら一番悪いのは私と言うことに

   なります。私があのまま呉服屋の主人でいれば、弟は好きな絵を描き、妹は

   どこぞへ嫁にいけると言うことですね。では、私が元の呉服屋に戻りましょ

   うか」

兵馬 「い、いえ、それは…。そう、もし、そうなったら、姉上はどうなるので

   す」

真之介「今の私は形だけでも侍です。それが元の商人に戻るとすれば。いくら何で

   も旗本の姫に呉服屋の嫁に来ていただく訳には参りません。お戻り願うしか

   ありません。まあ、暮らし向きは立ち行く様には致しますが」

 

 兵馬は余計な事を言ってしまったと後悔していた。


兵馬 「いえ、それは、それは例えばの話で…。その様なことは、決して、あって

   はならぬ、ことです。しかし、あまりにお伸殿がお気の毒で、つい…」


 そして、兵馬は苦渋に満ちた顔で、絞り出すように聞いてくる。


兵馬 「相手は、もう、決まったのですか」

真之介「はい、決まっております」

 

 兵馬からため息がもれた。


----誰が、お前にお伸をやれるか…。


 先日、善之介から二人だけで話したいと呼び出された。

 実家でこの二人が人を遠ざけて話し込んでいれば、いつも聞き耳を立てているお妙でなくとも、何かあったのではと思われるに違いない。そこで、今はお初が身を寄せているお喜代の小料理屋の二階で会うことにした。

 やはり、お初の事も気になっていた。だが、久しぶりに見るお初は生き生きとしてきれいだった。女とは、幾つになっても男によってこんなにも変わるものかと改めて驚いたものだが、やがて、そんな感傷もすぐに吹き飛ぶ。


善之介「ですから、早めた方がいいのでは」

----あの野郎…。


 何と、兵馬がお伸を狙っていると言う。


善之介「兄さんはあの時は自分の事で頭がいっぱいで、そこまで気が回らなかった

   だろうけど、最初の顔合わせの時から兵馬様はお伸の事が気になってたみた

   い。まあ、あの年頃だもの気持ちはわかるさ。でも、その後は取り立てて何

   もなかったからよかったけど。この頃ね、兵馬様、よくうちにお見えになる

   の。あれは絶対、お伸が目当て。そのうち、側室にって事にならなきゃいい

   けど。でもさ、一番はお伸だよ。私もお伸がそれでいいって言うのなら何も

   言わないけど、お伸は全くその気はないって。だけど、正式に三浦家から話

   があれば、兄さん断われる?」

真之介「……」

 

 町人が旗本からの要請など、先ず、断れない。それでなくとも、その姉を妻にしていれば尚更である。

 確かにあの顔合わせの時、そんな気持ちの余裕はなかった。また、兵馬も男としての自信もなかったのだろう。それが登紀によって自信が持てたのだ。だが、お伸は固いガードに守られている。そこに今の妻との出会いがあり、結果デキ婚となった。

 しかし、妊娠と言う現実は兵馬にとっては、後継ぎの誕生云々より、耐えがたい事でしかなかった。つわりに嫌悪感を覚え、それがやっと治まったかと思えば今度はものすごい食欲。


兵馬 「あんなの、最早、女ではありません!」

真之介「子を産むと言うことはそれだけ大変なのです。子供のために二人分の栄養

   を取らなくてはいけないのです」

兵馬 「そうですか。兄上はこれまた随分とお詳しいですね。さては、どこかに、

   隠し子でも?」

真之介「兵馬殿。妹が生まれたのは私が七歳の時です。その時の母の様子を覚えて

   おります。よろしいですか、後継ぎが産まれるのです。兵馬殿も父になられ

   るのです。少しは落ち着きなされませ」

 

 その後、姿を見せなくなったと思っていたら、改めてお伸に目を向けたと言う訳なのか。この時ばかりは妻帯した事も自信につながったのだろう。

 旗本も次男三男ともなれば、町人の娘を正室に迎えることがある。そのほとんどが嫁の実家の財力に期待しての事だが、侍に嫁ぐと言うことは、娘にとってもステータスである。

 だが、長男の場合、やはり正室ともなれば家同士の結婚であり、特に三浦家の場合、娘がにわか武士に嫁ぎ、さらにはその妹を正室とすれば、それこそ格落ちとなってしまう。だが、側室であれば何の問題もなく、姉の嫁ぎ先の暮らし振りを見ている兵馬にとって、お伸の財力も魅力なのだ。


真之介「へえ、じゃあ何か、お前は妹のために店の主人の座を降りると…。それ

   にしても、お前がそんなに妹思いだったとはなぁ」

善之介「そんなんじゃないさ。私は兄さんみたいに、妹のためにどこかの侍の髷を

   切ってしまう様な男気なんて持ってないさ。また、商人に向いてないっての

   も、誰より自分が一番よく知ってるさ。それを兄さんが侍になるって言うか

   ら後を引き受けたけど、いずれお伸が婿を娶る時までって思ってた。端から

   中継ぎのつもりよ。だけど、まだちょっと早いよね。でもさ、そんなこと

   言ってる間に話が持ち込まれたらどうすんのさ」 

真之介「わかった。兵馬の方は何とかするから、今一度、おっかさんやお伸と話

   を」

 

 そして、話し合いの結果。お伸とその婿が店を継ぐ。差し当たっては仮祝言のみ。善之介は家を出ると言うことになった。

 ただ、ここに思わぬ誤算が生じた。

 本田屋が娘に婿を娶って店を継がせると世間に公表してしまえば、兵馬も迂闊に手は出せまいとの目論見だった。そして、その話は瞬く間に拡散される。

 娘一人に婿八人とは、よく言われる例えだが、この八人とは人数の単位と言うより、それほど多いという意味である。だが、お伸の場合、婿希望者がまさに殺到した。冷やかし半分もあったが、そのほとんどは真剣なもので、中には暴走する者もいた。それだけ、商家の次男三男が冷遇されていると言うことだった。

 だが、もうそれももう終りだ。兵馬にも話は伝わったし、自宅警備も強化する。

 それにしても、ふみと兵馬の違いは何だろうと思ってしまう。同じ親から生まれた姉弟と言うのに、兵馬にはどうにも人を思いやる気配がない。ふみは家の窮乏を救うために、にわか武士のところへ輿入れして来た。真之介はそんなふみの心情を受け止め、それなりに気も使い、また、ふみも旗本の娘である事を鼻にかけるでもなく、母やお伸にも気遣いをしてくれる。

 それに引き換え、兵馬が如何に妊娠という事態を初めて目の当たりにしたとは言え、その現実にびびりまくり、逃げ回ると言うのは…。いくら、後継ぎが産まれると言っても、聞く耳すら持たない有様なのだ。


お初 「男なんて、そんなものですよ」

 

 と、お初はこともなげに言う。


お初 「普通は子が出来れば喜びますけど、産むのは女ですから男にとっては所詮

   人事でしかないんですよ。女房が妊娠中に浮気する男がいるでしょ。それも

   待ち望んだ妊娠ならともかく、兵馬様ご自身がまだ子供なのに、そこへいき

   なり子が出来たと言われても、まだ、その実感すらないのですよ」

 

 そう言えば、まだ二回しかやってないのにとか言っていた。


お初 「でも。お侍なのですから、もう少し落ち着いた方かと思ってました」

 

 とにもかくにもこれで一件落着とはなったが、この後、誰よりも重荷を背負って行くのは、兵馬と同い年のお伸の婿なのだ。

 真之介は巡り合わせの不思議さに思いを馳せていた…。


 ちょうど、その頃拮平は本田屋の前にいた。そして、またもお伸のもとに突撃すべく機を伺っていたその時だった。またも、仲人と共にやって来た婿候補…。


----あれは!?



 














 





















 













 








 



 








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