まっくろ屋さんと鳥

絶望&織田

忙しない鳥

今にも降りだしそうな空の下。


一匹の烏が少女を見下ろしています。


病院の屋上には少女がいました。


少女は真っ黒な黒髪を吹き付ける冷たい風になびかせ、眼帯をしていない利き目で眼下の地上を金網越しに見下ろします。


空虚な瞳に映るのは道行く人でも車でもありません。

少女は過去を振り返って見ていました。


母の再婚相手の笑顔を、母や自分に振るわれる暴力を、汚された体を。


少女に希望はなく絶望だけが彼女の内側を蝕んでいた。


少女は金網をよじ登ると縁に立って、再び世界を俯瞰しました。


少女には怯えや恐怖もなくただ傍観しています。


そんな折、声がかけられます。


「どうされたのですか?」


少女が振り返ると帽子からスーツ、靴に至るまで真っ黒な人が立っていました。

少女の興味は薄れ再び俯瞰すると、飛び降りようと一歩踏み出した矢先。


「私も御一緒してもよろしいでしょうか?」


と、人に言われた。


「…………」


少女から答えはなく、踏み出した片足は空に浮いたまま制止していました。



「それをするほど辛いことならきっと、きっと言葉にできないことでしょう。ですが考えてみて下さい。貴女を必要としている人がこの世界にはごまんといるのです。貴女がこれから出会うだろう人、貴女の友人知人、家族」


家族というフレーズに少女の片足がかすかに震えた。

それを尻目に人の言葉は続いた。


「乗り越えろ、とは言いません。地に足をつけて一歩ずつ、で良いんです。転んだりつまづいたらうずくまっても良いんです。泣いたって喚いたって良いんです。貴女の一歩で貴女がいなくなったら悲しいじゃないですか……貴女には立派な足があるじゃないですか、ただ歩き続けて欲しいと思います。必ず……止まない雨はないんですから」



人の言葉につられてか、ポツポツと雨粒が地上に降り注ぎました。


少女の頬を伝って雫が落ちました。


雫はすぐに見えなくなってしまいます。


少女の足は酷く震えて、微かに小さく短い単語を発すると──。


少女は鳥になりました。


鳥は重力に引かれて落ちていく。


ほんの数秒で地上に真っ赤な翼が広がり、落ちようようとしていた。


少女の脳裏には沢山の映像が浮かんでは消えていきました。


その中で父と母と少女がいました。


三人は父の野鳥観察から山へと来ていました。


そんな時、少女がはしゃいで山中を走り迷子になった。


道中、巣から落ちた雛鳥が「生」を叫んでいた。


少女は優しく両手で雛鳥を掬い上げると包み込んで泣き出した。


そして、しばらくすると父と母が現れて少女を抱き締めた。


三人は泣き出した。


三人で「生」を確かめ合うように。


泣き止むと少女は雛鳥を巣へと返して別れを告げた。



少女が回想を終えると短い言葉を口にした。


──生きたい。


今さら遅いかも知れないけれど、と。


少女は「生」を叫び涙した。

同時に鈍い音が頭蓋に響いた。


少女の四肢から感覚が消えていく。


見上げた灰色の空が薄れてぼやけ暗闇が視界を包んだ。







「人間って奴は人生を飛んだり跳ねたり歩いたり走ったり世話しない鳥なんだよまぁ今回だけだ最初で最後、チャラにするのはな」


そう、烏は真っ黒な人に言った。


そして烏は鎌を持った死神の姿になると真っ黒な人に言って鎌を忌々しく睨んだ。


「あと、あの娘の暖かかった両手が冷たくなるのはどうにも我慢できないんでな」


死神は手にもった鎌をへし折るとポイっと捨てて烏の姿になって飛び去った。


「感謝します」


まっくろな人はそう言って帽子を脱いで一礼した。





灰色の空から光が差し込み少女を中心に広がり青空を描いていった。


心臓がゆっくりと動き出す。


少女の四肢に感覚が戻り、鈍い痛みが身体中に駆け巡り「生」を告げた。



サイレンの音。


赤色灯。


ざわめき。


ストレッチャーの音。


そして、視界に母親の泣きじゃくって叫ぶ声。


少女は微笑して答えた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

まっくろ屋さんと鳥 絶望&織田 @hayase

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ