7・悟りを得た



 ディラテルス レベル41

 全長10メートルほど。全身に羽毛がびっしりと生えたティラノザウルスであり、プテラノドンのようなくちばしが付いている。歯は生えていなかった。

 マークは青。

 食用になるようだが、高レベルの原獣だ。逆に、俺たちのほうが食べられてしまう。

 俺はそっと剣を握った。メグミも同じように、もう片方の手で剣を握っている。

 襲ってきたら勝ち目はゼロ。無駄な事なのは分かっている。一目散で逃げたところで、その長い二本足で追いつかれる。

 緊張。心臓の音がうるさく響いていく。

 だが、俺たちの周囲にいるカルバは、突如現れた巨大原獣に対して無警戒だった。

 慌てて逃げることもなく、暢気に居眠りをしているし、湖の水を飲んでいる。

 ディラテルスの顔がこっちに来た。メグミが落とした笛をクチバシで挟んだ。

 それを、メグミの手へと持ってきた。

 彼女に渡すと、真摯な目でメグミのことを見つめた。


「メグミに惚れたらしい」

「いやいや、笛の音に惹かれてやってきたんですよ」


 セーラが「はぁー」と大きく息を吐いた。


「大丈夫そうっスね、うちらをパクッて食べる気はないようです」

「もっと聞きたい?」


 メグミが、警戒しながらも、ディラテノスのクチバシにふれていった。上下に撫でていく。

 ディラテルスは、されるままになっている。


「分かった。なんの曲がいいかな。リクエストはない?」


 俺に聞いた。


「なんでも弾けるのか?」

「なんでもは無理だけど、多少なら。よく路上ライブをやってたんだ」

「お手製の笛で?」

「いや、購入したギター。でも、笛も吹けるよ。それでメグミと出会ったんだ」


 懐かしむように遠くを眺める。


「じゃあ、思い出の曲を聞かせてくれ」

「それでいいなら」


 メグミが口に笛を付けると、ディラテルスは後ろに下がっていき、カルバを潰さないようにしながらゆっくりと座った。

 音を奏でると、ディラテノスは目を閉じていく。

 暫くすると寝息が聞えてきた。


 ※


「ありがとうございますっス!」


 ディラテノスは去って行った。セーラは、ずっと手を振り続けていく。


「いやあ、助かったっスねぇ。まさか、こんなに早くに目的地に到着するとは思わなかったっス」


 朝。目が覚めてから、軽く身支度をして、出掛けようとすると、ディラテノスが俺たちの前を塞いだ。

 しゃがんで、乗っていいと合図をした。

 その言葉に甘えることにした。

 乗り心地は悪かったが、自動車で突っ走るほどに速かった。

 バイラスビーストを見つけるたびに、ディラテノスはわざわざその場所まで行って、足を使って片付けていた。


「この辺りにユニークビーストや、高レベルのバイラスビーストがいないのは、ディラテノスさんが、ザコの内にやっつけているからでしょうね。ここの守護神っス」

「そんなありがたいやつを、食べちゃあいけないな」

「そうですよねぇ、なんでサーチが青になっているんだか。いなくなれば、バイラスビーストが増えるでしょうし、倒してはいけない原獣っス」

「倒せもしないけどな。ともあれ、ディラテノスに感謝だ」


 お陰で、2日かかる予定だったアイラ樹林まで半日もせずに着く事ができた。


「メグミの笛にもな」

「習っておいて良かった」


 メグミは、笛を投げようとしていた。


「捨てるのか?」

「うん。気まぐれで作っただけだし。こんなものいくらでも作れる」

「貰っていいか?」

「こんなのでよければ。欲しいなら、ちゃんとしたのを作るけど?」

「いや、これでいいよ」


 愛利の土産に良さそうだ。喜ぶかは分からないけど、なにもあげないよりはマシだろう。どういう経由でこの笛が役に立ったかと話のネタにもなる。

 俺は、貰った笛をバッグにしまった。


 ※


 猿が覗いていた。

 木と木で隙間がないほど密集された森の茂みからだ。

 一匹ではない。

 木の上から、何匹もの猿が俺たちのことを見ていた。

 テガシナザルだった。

 ずっと、誰かが来るのを森の入り口で待ち続けていたのだろうか。

 猿たちに表情はなかった。声もなかった。ただ、俺たちのことを大きな目をして眺めている。

 敵意はなかった。怯えてもいない。

 その顔は、すべてを悟っているかのようだった。

 近づいていくと、一匹の猿が後ろを向いた。真っ赤な尻が見えた。長い腕を伸ばして木から木へと渡っていく。そして枝にぶら下がったまま、振り向いて、俺たちの様子をうかがっていた。

 先頭にいる猿の所に来ると、猿はさらに先を進んでいく。案内してくれるようだ。残りの猿たちは、俺たちに距離を取りながらも、ぐるりと囲んで、木の上を二本の手で歩いていた。

 まるで神輿で担がれているような気分になった。

 暫くして、広場に出た。

 鼻がひん曲がりそうな激臭がした。周辺の草木が腐っている。

 広場中に、土でできた小さな山がびっしりとある。

 何十とある山の下には、何かが埋まっているようだ。

 猿たちの墓場、なのだろう。

 その広場に、猿たちは集まってくる。

 そして、その先にいる人物を崇めるかのように、深々と頭を下げていった。

 石の上に、人がいた。

 座禅を組んでいる。

 十代後半ぐらいの若い男。

 

「人、か?」


 声も若かった。

 いや、若いのではない。

 見たことのある顔だ。

 どこかで出会ったのではない。なったことのある顔だ。

 日本人の平均顔。

 エムストラーンに初めて来て、チュートリアルでなっていたのと同じ姿。

 彼は一切、自身の姿をカスタマイズしていない。

 ディフォルトの顔、そのままだった。


「畝川総司だな」


 俺は剣を向けた。


「そうだ」


 迷い無く肯定した。


「ここが良く分かった」

「猿だよ」

「猿?」

「一匹のテナシナザルが、ネオジバングにやってきた。これを持ってな」


 彼の前に、壊れたエムデバイスを投げた。

 見なかった。見なくても分かっていると言うかのように。

 身動き一つしない。


「猿はどうなった?」

「死んだ」

「死んだか」


 声の響きに、悲しみが交じっていた。


「悲しむことはない、今すぐその猿と会わせてやろう」


 メグミは、剣を喉元に向けた。


「俺を殺せば、こいつが目覚める」


 畝川は、座禅を組んだままだ。目はつぶってはいない。

 彼の目線の先にあるのは、巨大な生き物。

 何メートルもある巨漢猿。百貫でぶというほどの脂肪の塊だ。その猿の口は、顔ではなく腹にあった。

 サーチしてみるも、新種なのか、誰も発見していないのか、登録されておらず、名前が表示されなかった。

 あるのは、レベル18。

 賞金額は70000ギルス。

 そして、黄色のマーク。

 ユニークビーストだった。


「ミニクキモノ。俺は奴をそう名付けた」


――醜き者。


 そう名付けられたユニークビーストは、畝川の魔法によって氷付けにされていた。

 生きている。目が動いており、俺たちのことを眺めていた。


「俺にできるのは、氷の魔法で動きを封じることだ。この場から一歩でも動けば、魔法が切れてしまう。そうすれば、氷が溶けて、ミニクキモノが動き出す。奴は真っ先に俺を殺す。その後に、猿どもを血祭りにする」


 だから動くわけにはいかない。猿を守るためにずっとこの場で、魔法をかけ続けて、僧侶のように座っているしかなかった。


「何週間、何ヶ月か、幾度、日が昇り沈んだのか、俺には分からない」

「アンタが地球から姿を消して三週間だ」

「まだ、それしか経ってなかったのか」


 彼にとって、何年もの月日に感じていたのだろう。


「俺にこいつを倒すすべはない。俺の魔法が切れるか、助けが来るか、どっちかだ。後者の可能性は低かった。だから、猿どもに逃げろと言った。なのに猿は逃げなかった。逃げる奴は卑怯者であり、死ぬ時は一緒だと覚悟を決めたように、俺の後ろで、俺のことを崇めている。神になった気分だ」


 自嘲した笑みを浮かべる。


「俺は、あの醜い猿と同じ、醜い人間であるというのに。そうだ。こいつは俺だ。俺はもう一人の俺と向き合ってきた」


 長い呼吸をして、畝川は言葉を続けた。


「考える時間はいくらでもあった。他にできる事といえば、瞬きと屁をこくことぐらい。だから何週間と、もう一人の俺を見ながら、考え続けてきた」

「何か得るものでもあったか?」

「悟りを得た」

「悟りとはなんだ?」

「何もなかった、ということだ」


 ピンとくるものではなかった。


「醜いものは醜い。美しいものは美しい。醜いものは美しく、美しいものは醜い。どれも同じだ。全ては私の思い込みだった」

「良く分からないが、己のしでかしたことに反省したのか?」

「愚かだった」

「今更だ」


 メグミは睨み付ける。剣はまだ畝川の喉元にあった。

 それを、首につけた。


「俺は醜い。それは自分が醜いと思い込んでいる俺がいただけだった。それに気付かず、美しい女を醜くくして、悦に入っていた」

「罪の意識を持とうが、お前が殺した人は帰ってはこない」

「罪の意識があろうとも、それは罪の意識を感じたと思い込んでいる俺がいるというだけだ」

「反省してないのか」

「思い込めば反省はできる。憎しみ、絶望、恐怖、快楽。それらの感情は、作ろうとして作られる。まやかしに過ぎない」

「ふざけるな!」


 メグミは剣を引いた。喉から血の線が浮かびあがり、暫くしてつぅーと零れていった。


「おい!」


 俺はメグミの肩を掴む。


「虫酸が走る」


 掴んでいた手を払い、畝川に背中を向けた。


「軽く怪我させただけだ。今は殺すわけにはいかない」


 首から血が垂れているというのに、畝川は反応を示さなかった。


「畝川、永住者か?」

「違う」

「自首するか?」

「それが望みならば。俺は運命に委ねる。逃げることはしない」

「そいつは残念だ。永住者か逃げようとするなら、あんたを殺すことになっていた」


 そう口にしながらも、内心では、殺さずに済みそうで、ほっとしていた。


「殺すのは、こいつの方だな」

「できるか?」

「できる。それが俺の仕事だ」


 俺は、ユニークビーストの前に来る。氷の向こうで、奴が俺を睨んでいた。

 その目は、怯えの色を浮かべている。

 俺は、ニヤリと笑った。


「ユニークビーストだ。歓迎する」

「イブキさん、大丈夫っスか? アイリスさん呼んできたほうが……」

「何週間も氷付けになっていたんだ。体力が低下している。すぐにでも、セーラに美味いもん食わせてやるぞ」

「でも……」

「相変わらず心配性だな。俺は一人じゃないんだ。だろ?」


 メグミの方を向く。


「嫌とも言えない」


 メグミは畝川を一瞥し、舌打ちをして、俺の隣に来る。


「俺は左。メグミは右だ。二人同時に攻撃するぞ」

「了解」

「セーラは、後ろにいる猿たちに危ないから離れろと伝えろ」

「うっ、うっス!」


 セーラは言う通りにする。


「水属性の魔法使いか?」


 畝川に尋ねた。


「ああ」

「魔法力は残ってるか?」

「分からんが、傍観者になるつもりはない」


 加勢すると伝えていた。


「分かった。だが、あんたに何かあっても助けたりしない。どさくさに紛れて逃げたら、問答無用で斬る」

「それでいい。俺はこいつの死を見届けたい。逃げたりはしない」


 信じても良さそうだ。


「よし、じゃあ、魔法を解いてくれ」

「すでに」

「あん?」

「解いている」


 畝川は立ち上がっていた。何週間ぶりなのだろう。ふらついていた。それでも、両手を出して、ミニクキモノに向けて、何か呪文のようなものを唱えている。

 ミニクキモノを封じていた氷が溶け出していた。パキパキと音を上げながら、ヒビが次々と出来ていき、ミニクキモノの体が大きく震えていった。


「ケェェェガァァァーーっ!」


 氷が砕かれた。

 その勢いで、俺たちに向かって襲いかかってきた。

 ……と思いきや。


「クケッケッケッケッーっ!」


 くるりと踵を返して、大急ぎで森の奥へと逃げ出した。


「あっ、まてっ!」


 その行動は、畝川は予測していたようだ。


「ブリザード!」


 氷の塊をミニクキモノに飛ばす。ミニクキモノの片方の足首が氷結し、勢いよく転倒した。



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