第二巻 1話『悟りと復讐』

プロローグ


 猿だった。

 異様に長い腕をしている。

 身長は70センチほどだが、腕は一メートルはあった。それに、手の指の一本一本が――骨がないのか――ヘビの尻尾のようにウネウネとしている。

 その長い腕と手を使って、枝から枝へと、数メートルもの距離があろうと、飛び跳ねることもなく悠々と渡っていた。

 逆に足は短い。

 栄養分が両腕に吸い取られ、下半身には行き渡らないのか、枯れた草のように萎れている。その二本の足で立とうとしても、全身の体重に押しつぶされてしまうだろう。

 地上を歩く時は、伸ばした手を地面に付けて、ブランコのように胴体をブラブラとさせながら進んでいた。

 猿は雑食のようだ。食用となる果実や葉を取ったり、木に止まった鳥を狩り、幹の穴にいる虫を細長い指でほじくったりしている。

 エムストラーンの南の大地にあるアイラ樹林は、猿にとっては食料の楽園だ。

 一生涯、樹上で暮らしても不自由しない生活だ。

 猿は、地球にいる猿と比べたら、奇形扱いされる不格好な形をしていた。

 それに、顔面が潰れていた。実際に潰れているのではなく、その様な顔をしているのだ。

 醜かった。

 その気味の悪さに、普通の人なら目を背けたくなるほどに。

 自分よりも醜い生物がこの世界に存在するのかと驚いた。

 だがアイラ樹林には、何千という醜い姿をした猿たちがいる。

 皆平等に醜ければ、その顔も普通となる。

 だから猿たちは、自分たちの醜さに気にすることはない。

 醜いと、大勢の猿が一匹の猿をバカにすることもない。


――そんな顔をして、恋愛なんて出来ると思ってるんだ。気持ち悪い。


 女たちに、そんなセリフを言われることもなかった。

 羨ましかった。

 非常に。


――醜い猿たちが羨ましい。


 男のように、何十億もの人間の中でたった一人が、醜いわけではないのだ。

 この世が猿のように醜い世界なら良かった。

 もし、そうなら男の人生も大きく変わっただろう。

 自分が、この醜い猿になれたら、どれだけよかったことか。

 だけど。

 世の中には上には上がいるように、下には下がいることを男は知った。

 アイラ樹海の奥深くに来ると、吐き気が込み上げるほどの異臭がした。

 その凄まじさに、男はマントで鼻を塞いだ。

 地面が柔らかかった。何かを潰したかのような、嫌な感触だ。

 猿だった。

 男の足にあったのは、体を食いちぎられた無残な死体だ。

 一匹ではなかった。

 目の前の光景に、男は言葉を失った。

 常緑の大木を囲んだ小さな広場に、百匹以上もの猿の死骸が草花のように広がっていた。

 全てが、南側に頭を向けている。

 その先にいる何者かに、ひれ伏しているようだった。


「クケクケクケクケクケ」


 死骸の絨毯の中から猿の泣き声がした。笑っているかのようだが、そうではない。死にかけた、か細い声で猿は救いを求めていた。

 男は回復魔法を持ってはいない。手当ができる道具も持ってない。飲み水があるだけだ。治療はできない。したところで、猿の命は一時間もないだろう。

 代わりに、腰にある護身用の短剣で猿を刺した。

 悲鳴は消えた。

 死に向かおうとする苦痛を一瞬で終わらせることで、救ってやることぐらいしかできない。

 そういう仕事は、男は得意だった。

 さらに先を歩くと、四匹の猿がいた。

 生きていた。傷一つしていない。

 三匹の猿は、森の奥にいる何かにむかって、祈祷するような動きをしていた。

 先頭の猿は、恐怖心で震えながらも、ジッと座っている。

 生贄のようだ。

 その周囲には、果物やら動物の死体があった。

 メス……なのだろう。

 毛だらけではあるが、一応、胸らしき膨らみはあった。

 人間でいう、処女の娘だ。

 男には同じく醜い猿であるが、オスたちが彼女と交尾するべく殺し合いをするほどの美少女なのだろう。

 猿の儀式は終わったようだ。樹木に登って、そそくさと逃げていった。

 生贄となった猿だけを残して。

 身動きが取れないように、ローブのようなもので体を縛られていた。

 恐怖心で体が震えていた。泣いてもいるのだろう。


「クケッケッケッケッケッケ」


 そんな不気味な声を上げていた。

 暫くして。

 カサカサと森が騒がしくなった。枝木が折れていき、鳥たちが逃げていった。

 猿の形をしたバケモノが覗いた。それは顔だけでも、生贄の猿より二回りは大きかった。

 立ち上がれば五メートルはあるバケモノだ。

 長い腕に潰れた顔。

 不揃いとなった目に、ひん曲がった鼻、口が付いていなかった。全身の毛は、所々に円形のハゲが出来ていた。

 ぶくぶくに太った肥満体だ。木に登ることも、足で歩くこともできない。

 猿のバケモノは、俯せの状態で、両手を前に出して、這うようにして進んでいた。

 生け贄の前に来ると、巨大な猿はのっしりと起き上がる。

 へその部分に、横に広がった穴があった。

 それが開くと、上下に尖った牙がびっしりと付いていた。

 柔らかい舌にのど仏。牙は歯なのだろう。

 その間に、猿の腕が挟まっていた。

 口だ。

 その巨大な猿は、腹に口があった。

 吐かれる息は、気絶しそうなほどの悪臭だ。

 生贄のメスザルの足元に、生温かい水たまりが出来ていた。

 猿のバケモノにとっては、人気絶頂のアイドルの放尿を鑑賞しているようなものなのだろう。


「クケェクケェクケェ」


 失禁したことに、嬉しそうに笑っていた。

 舌を伸ばして、生贄の体を舐めていく。エムストラーンの生物にも性欲があるようだ。射精寸前の男のような恍惚した表情になっていた。

 バケモノは、生贄の猿を舌でなぶりものにしながら、死骸で染まった広場を眺めている。

 自分のことを忌み嫌っていた猿どもを平伏させ、尤も美しいメス猿を犯そうとしているのだ。

 これ以上の喜びはない、という達成感があった。

 気味が悪かった。

 醜い猿以上に醜いバケモノだ。

 バケモノ猿の股間に突起物があった。生殖器なのだろう。猿の全長でこれっぽっちだ。短小といっていい。

 モノとしては一口ソーセージほどに極度に小さくも、5メートルものバケモノ猿が、50センチほどのメス猿を犯すのだ。

 メスザルにとっては、ゴーヤをツッコまれるような巨大なものだ。

 バケモノ猿は、メスザルの恥部をツバで濡らしていく。

 そして、メスザルの体を上げると、欲情の塊に向けて一突きした。


 ザクッ!


 できなかった。


「ウオゥウオゥウオゥウオゥーっ!」


 猿のバケモノは股間に手を抑えて、身悶えをする。

 メスザルは、何が起こったのかわからずキョトンとしていた。縛られていたロープは切れている。

 その近くには、バケモノのイチモツが落ちていた。

 それを男は足で潰した。


「逃げろ」


 人間の言葉は理解できないはずだ。それでも、男が何をしたのか、何を言いたいのか、把握できたようだ。

 メス猿は、ペコッと頭を下げてから、バケモノ猿から逃げていった。

 猿だろうと、お礼を言うぐらいの知能をもっていた。地球上の猿よりも頭が良さそうだ。

 なんで助けたりしたのか。

 自らを危険に踏みこんだのか。

 自分が咄嗟に起こした行動に驚きつつも、答えは考えるまでもなく出てきた。

 それは単純に、バケモノ猿があまりにも……。


――自分に似ていたからだ。


「ウオッー! ウォッ! フゥゥーー、フゥゥーーーっ!」


 イツモツを失ったバケモノ猿は、

 ギロリ。

 と、歯を噛みしめて、男のことを睨んだ。

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