エピローグ・それぞれの姿

1・いっそ、エムストラーンに永住しちまおうか



「浅田さん、どうしたんです、それ。大丈夫です、かっ!」


 ダークドクロの戦いで受けた怪我は、地球に戻っても完全に治ることはなかった。傷の跡がいくつか残ってしまった。

 肩から肘までザックリと斬られた跡は、死んで火葬されるまで刻まれたままだろう。シャワーを浴びるとあちこちが染みるので、数日間は濡れタオルで体を拭くしか無さそうだ。

 鏡で確認する限りではたいした傷ではないと思うのだけど、目立ってしまうようで、周りの人にビックリさせていた。


「ちょっと仕事でヘマしちゃいましてね。見た目ほど痛くないんですよ」


 名誉の負傷だ。

 生きている実感を与えてくれた。


「ところで、浅田さん。家賃のことですけど、今はしっかりと働いているようですし、ちゃんと払ってくださいますよ、ねっ」


 ああ、そうだ。

 これがあった。

 大家に言われるまで、肝心なことを失念していた。

 スロット課金で30万以上の借金を抱えてしまったので、エムストラーンでお金を稼ぐことができなくなっている。

 財布の中は4630円。これが全財産。一週間も持たないだろう。

 このままでは家賃を払うことができない。

 それに、電気代などがストップされてしまう。

 来月には必ず払います、と口にはした。大家も俺が働いていると分かって、その嘘を信じてくれた。

 だけど、期限内に払える可能性はゼロ。

 このままでは家を追い出されてしまう。

 どうしたものやら。


「いっそ、エムストラーンに永住しちまおうか」

「ダメっスよ」


 セーラは、手でバッテンを作った。


「ヴェーダの巨像は安全なんだろ。少しのあいだでも、そこで寝泊まりしてもいいか?」

「木から落ちても知らないですよ。やめてくださいよ。お金がなくても、ちゃんとちきゅーで生活するんです。ヴェーダの巨像に行くにも、そんな理由ではうちは許可しません。妖精の恥っス、恥ずかしいっス、すっげー、恥ずかしいっス」


 セーラは恥ずかしいを連発する。


「はぁ、少なくとも、食事に関してはアイリスがおごってくれると約束してくれたから、餓えずに済むのが救いだ」


 さすがに生活費まで、アイリスに援助してもらうわけにはいかないか……。

 この一か月、どうやって切り抜けたらいいか頭を抱えてしまう。


「あー、そのことっスけど……」


 セーラは視線を逸らしていく。


「ルルさんから連絡が来まして、アイリスさんにトラブルが発生してしまい、少なくとも一週間はエムストラーンに行けなくなったそうです」

「マジか……」


 死刑宣告をうけたようなものだ。


「嘘なら良かったってぐらいに大マジっぽいっス。セーラにご飯食べさせてあげられなくてごめんなさいって、すっごい謝罪してましたもん」


 俺じゃなくて、セーラにのようだ。


「まさかあいつ、俺とデートしたくないから逃げたんじゃないだろうな」

「それはないっスよ。なんだかんだで、アイリスさんも楽しみにしてましたもん。家庭の事情でなにかあったようっスねぇ、ほんと申し訳なさそうにしてました」

「なぁ、セーラ」

「なんすか?」

「金貸してくれない?」

「妖精はお金を持つことは出来ないっスよ……。一週間ぐらい、アイリスさん抜きで、自分でなんとかしてください」


 絶望的になる俺に、それぐらい出来るでしょと、呆れ顔になっていた。



「エムストラーンへ行くのは、肉体を切り離されて、精神や魂などの意識的なもの、つまりは幽霊のような存在になるのではないかと思っていたんだ。エムストラーンは死後の世界であり、結界の外にある無限といるバイラスビーストの正体は、死んだ人間の悪しき魂ではないかと予想したことがある。だけど、肉体を切り離されているなら、一吹くんがダークドクロでの戦いでできた無数の傷が、地球上の肉体でも付いたままなのが説明がつかない。精神の傷は、肉体の傷と共鳴しあっているのかもしれない。そうでないのかもしれない。肉体と精神の両方がエムストラーンに運ばれるなら、なぜ我々は自在な姿になることができるのか。髪を失った者が、植毛剤やマッサージなどの苦労が嘘のように、簡単に生やすことができるんだ。地球上では信じられないことだ」


 S大学の学食。

 久保さんが喜んでと食事をおごってくれたのはいいけど、エムストラーンの講義を長々と聴くことになってしまった。


「魔法力によるものじゃないですか?」


 俺は、カツ丼を食いながら言った。

 久保さんはコーヒーだけだ。殆ど口につけていない。だからこそ、口だけがもの凄い勢いで動いている。


「性転換も魔法力、転送機も魔法力、スロットも魔法力、エムドライブも魔法力。魔法力とはなんて都合のよいものか。だがね、その言葉で説明が付いたとは言えない。私は認めたくない。たしかに魔法というものは我々の世界には存在しない、未知のエネルギー源だ。地球で抜きんでいるのは科学技術であるけど、エムストラーンの魔法力を使えば、我々が持っている携帯を、向こうでは別のデバイスとして活用できるなど、我々の科学技術をも凌駕するシステムを作ることができている。マンガのような空想科学が起こる世界なんて私には信じられないよ。やはり、エムストラーンは精神的な世界のような気がするんだ」


 久保さんの長話を頷きながら聞いているけど、食欲よりも睡眠欲のほうが強くなりつつあった。

 セーラなんて、通信が届く場所にあるにも関わらず、この状況を察知してしまい出てくる気配がなかった。


「きぁああああああーーーーっ!」


 女性の甲高い悲鳴がした。俺をこと見た途端、トレイにのせたラーメンのスープをこぼすほどのビックリしていた。

 厚いメガネをかけた女性だった。S大の生徒だろう。

 長い髪を左右に結んでおさげにしている。かなりの爆乳だ。薄着色のセーター越しからでも、大きく揺れている。


「一吹さんじゃないですか。なんでこんなところいるんですかっ! うわぁ、向こうと同じ顔だぁ、なんか感激しちゃう!」


 まるでアイドルグループに会ったかのようなはしゃぎようだ。

 学食にいる生徒たちが「え、だれ?」「有名人?」と騒ぎ出したので気まずかった。


「芹沢くん、落ち着きたまえ。たしかに彼が一吹くんだが、彼を恥ずかしがらせている」

「あ、はい。ごめんなさい、こっちでははじめまして。芹沢唯奈せりざわゆいなだけど、向こうの名前で呼んでくれて構わない」

「えっと、もしかして君は……」

「もしかしなくてもって、分かるわけないか。向こうとこっち、まったく違うから、ええと、わたしは……」


 スマホを取り出して俺に画面を見せる。


「クククク、ついに腐爛した性嗜好の持ち主である我が下僕の真実の姿を目撃してしまったようだな」


 ナッシュがいた。


「ゼノンでいいんだな。初めまして、浅田一吹だ」

「はい、ゼノンの正体はこんなブスなんで、あはは、失望したでしょ?」

「いや、カワイイよ。見た目と違うからビックリした」

「ですよね。裏のフレンドと表で会うのは、ネフレと会った時よりも、イメージの違いにビックリしちゃう。シゲルなんか、わたし以上に実物みてビックリするんじゃないかな」

「裏とは逆に、ひょろっとしているとか?」

「んーん。そのイメージとは逆に筋肉ムキムキ。といってもアイツは、エムストラーンに行ってから、筋肉の素晴らしさに目覚めたって、ジム通い出して体を鍛えるようになったんだ。今じゃあ、ラクビー部の男子と腕相撲して勝てるほど凄い体になっている」


 トレイをテーブルにおいて、ボディービルダーのポーズを取った。


「それは見てみたい」

「会わせたいけど、必修が午前だけだから帰っちゃった」


 それは残念だ。

 会ってみたかったと思った自分に軽く驚いた。

 少し前なら、誰一人として会いたくなく、家の中に閉じこもっていたのだから。


「どうかした?」

「ん、いや……」


 若い女性を相手にしても抵抗なく喋れている自分がいた。

 嬉しい変化だ。

 自分の中に自信が芽生えている。

 今の俺なら空凪に会ったとしても、特に気にすることなく笑顔で振る舞えそうだ。


「ゼノンは、メガネかけてたんだ」

「視力最悪なんで、小学校の頃からメガネないと生きていけない毎日。向こうだと、メガネなしで見えるんで、初めて来た時の感動は、まずそれだった。ああ、普通の人ってこんなに見えるんだって。相席いいですか?」

「いいよ」と言った後に「いいですよね?」


 久保さんに聞いた。


「もちろんだとも」


 ゼノンは、俺の隣に座った。


「もしかして、お二人の邪魔しちゃった?」

「それは腐った意味で聞いている?」

「違う違う、大事な話をしてたかなと思って」

「一吹くんとはエムストラーンについて語り合っていた。実に有意義な時間を過ごしているよ」


 一度捕まったら長話が待っているから、生徒から避けられているのだろう。良い相手を見つけたと、もっと喋りたい気持ちでウズウズとしている。

 俺にとっては、眠気との戦いになっていたが、食事をおごって貰っているだから文句は言えない。


「むしろ来てくれて助かった」


 久保さんに聞えないよう小声で言うと、ゼノンは「やっぱ被害者になっていたか」と、クスクスと笑った。

 その笑い方は、エムストラーンのときの彼と同じだった。


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