希望が鎖す、夜の別称:33



 でも私、ストルさんにもツフィアにもすぐ帰るって言っちゃったの、とおろおろするリトリアを宥めながら、エノーラは迷う素振りのない足取りで砂漠の城を進んでいく。

「遅かったとか、なにがあったのとか聞かれたら、私に引き止められたって言いなさい。それで大丈夫だし、間違ってはいないでしょう? ナリアンくんもよ。そう言いなさいね」

「で……でも、あの」

 行く先を知らず歩きながら、来た道を何度も振り返るリトリアは、不安げなナリアンと視線を交わしては、立ち止まりたそうにもじもじとした。それを分かっていて。珍しいまでの強情さで説明もせず歩んでいくエノーラに、ジェイドは苦笑して、ふたりの背をやんやりと手で押した。

「いいから、今はエノーラに従って。……ジェイドが無理矢理引き止めましたって、言ってもいいから」

「……なにが起きたの?」

 はい、と頷きはせず。まだ躊躇いながらも、先導するエノーラに追随する歩みを再開したリトリアは、不安を押し込める瞬きをしながらジェイドに問いかけた。ナリアンも、文句をぐっと我慢した顔つきでリトリアに従っている。一行の中ではニーアだけが、事態をうっすらと把握し、それでいて事実であることを恐れるように口をつぐんで羽根を揺らしていた。

 ジェイドは推測だよ、と前置きをした上で、ため息混じりに囁いた。

「敵に動きがあった。事態が悪化したってことだよ」

「悪化させないようにしたのよ、砂漠の筆頭。……これ以上、あの男の手にかわいこちゃんを連れ去られてなるものですか」

「うーん、その通りではあるんだけど、エノーラが言うと全部私怨に聞こえるのがすごいよね」

 ある意味才能だと思う、と肩を震わせるジェイドに、当たり前じゃないの私ったら天才だから、と誇るでもなく平然と言い放って。エノーラは廊下の先に現れた人影の名を呼び止めた。

「ロゼアくん、待った。メーシャくん、レディとラティは? 近くにいる? 呼んできて?」

「え? ……エノーラさん、ジェイドさんっ? リトリアさんに、ナリアンまで……」

「ロゼアくん、深呼吸してごらん。あなたはツフィアに教えられ、チェチェリアに鍛えられた魔術師の目を持つと聞くわ。……落ち着けないだろうけど、せめて深呼吸をしながら、見てごらん」

 急ぎなの、ごめんね呼んできて、と錬金術師に囁かれ、メーシャは無言で頷いて走り去っていく。またね、とすれ違うナリアンに声をかけていくのが可愛らしい。そっと口元を緩めて笑いながら、エノーラは強張った表情をしているロゼアに向き合った。その前には『扉』がある。各国を繋ぐものとは違う。

 厳密に言えば『扉』とも違うそれは、空間を歪め、魔術的に閉鎖された場所へと繋げるだけの。見かけが同じ、ただの仕掛けだった。ロゼアくん、と静かな声で錬金術師がそれを指差す。

「それは、あなたが探す地下牢への入り口ではないわよ。よく見て。……というか砂漠、独房と反省室と地下牢が別々にあるってなに? あなたたち、そんなに隔離しておかないと反省しないの? 問題起こしすぎじゃない? なんなの紛らわしい」

 せめて出入口には分かりやすく札でもかけておきなさいよ、と、振り返りながら怒られて、ジェイドは苦笑しながら肩をすくめた。

「要望は陛下に伝えておきますが……こういう無駄な手間をかけないように、同行していたと思うのですが? ラティ?」

「ええぇええ! 会った瞬間に怒られるとかなに悲しい……よく分からないけどごめんなさい……?」

 息も切らさず走ってきたラティが、筆頭とエノーラ、ロゼアを見比べて、首を傾げながら言葉を口にする。

「このへんでちょっと待っててね、これは違うからねって言わなかったっけ……? どうしたの……?」

「……はい。すみませんでした、俺が……メーシャは、止めてくれたんですけど」

「あー……。うん、いいよ、いいよ。こっちこそ、ごめんね。不安だもんね。ごめんね、休むより動いてたほうが良かったね」

 そういうことか、と納得した顔で頷いて、ラティは筆頭に向き直ると、判断を誤りました、と口にした。はい、分かりましたと苦笑して、ジェイドは悪戯っぽくロゼアに問いかける。

「やはり、『お屋敷』から誰か呼びましょうか?」

「……結構です」

「筆頭、ロゼアくんをいじめないの!」

 これだから男子はっ、という顔をして、レディが走り寄ってくる。ラティは緊急だと見て、呼びに来たメーシャ共々置いてきたらしい。レディもメーシャもぜいぜいと息を切らし、落ち着こうとしているのに、ラティはけろっとした顔でそれぞれの姿を見比べた。

「それで、なんですか? この顔ぶれ。嫌な予感がする……筆頭がくっついて一緒にいることでさらに嫌な予感が加速する……」

「ラティ? なにか普段から不満があるなら、言ってくれて構わないんですよ」

「ええぇ……? 陛下が拗ねるから、もっと定期的に城に戻ってきてください、というか居てください……。私たちもたまに、あれ? うちの筆頭ってほんとに実在していたっけ? そういう設定になってるだけじゃなかった? とかなるし……」

 改善できるよう努力します、と笑顔で囁くジェイドの姿は、誰から見ても疑わしい。しかし、滞在したくない訳ではないらしい。陛下の様子を見ておかないといけないことは分かりましたしね、とため息をつく筆頭魔術師は、不在の間にハレムにとある部屋が新設されかけていた事態を重く受け止めてはいる、らしかった。

 とりあえず今回のことが終わったら事後処理もありますし、しばらくは居ますよ。多分、と付け加えられた小声を聞かなかったことにして。分かりましたと頷いたラティは、レディとメーシャの息が整ったのを確認すると、改めて筆頭に問いかけた。

「それで、用件は?」

「異変が起きているようですので、落ち着くまでリトリアとナリアンをお願いします。詳しくはエノーラから聞くように」

「あのね、こっちの動き、バレてるから」

 もうすこし前置きから入って欲しい、という目をして、しかし諦めてもいるのだろう。ちょっと待ってね、も眉を寄せて己の混乱を宥め、ラティは深く息を吐いて首を振る。

「つまり……つまり、シークにこちらの動きがつつ抜けになってて、エノーラが起きたこともリトリアちゃんがいることも知られている。合ってる?」

「合ってるわ。だから、『扉』は使えないし、リトリアちゃんの移動も止めてもらったわ。……さて」

 ソキちゃんのことよね、と今にも零れ落ちそうな水面を見つめる気持ちで、慎重に、エノーラはロゼアに囁いた。

「確認するわよ、ロゼアくん。あなたにも居場所は分からない。そうね?」

「はい……」

「分かったらすぐに教えて。罠だから」

 あとリトリアちゃんと手を繋いでいて、と告げると、少女がきょとんとした目で首を傾げる。

「わたし?」

「そう。ここから、さらに連れ去られる可能性があるのは、ロゼアくんとリトリアちゃん。あなたたち二人なの。だから、一緒にいて。……繋がりのある予知魔術師ならともかく、二人を同時に引きずるともなれば魔力発動の規模が違うし、数秒だとしても時間がかかる。……数秒あれば私が防いでみせるし、逆探知だってできる。万一連れ去られたとしても、すぐに辿り着いてみせるわ」

「ええと、それじゃあ……あの、よろしくね、ロゼアさん」

 照れくさそうに笑ったリトリアが、ロゼアの手をきゅっと両手で握り締める。こちらこそ、と返すロゼアの穏やかな笑みがひきつったのは、リトリアの首飾りが目に入ったからだった。半透明の貝殻で作られた、花びらを模した飾りが一枚、金の鎖の先端で揺れている。それを凝視して、え、と言ったロゼアに、リトリアはぱちぱちと瞬きをした。

「なぁに? ……あ、これ? あの、頂いたものなの……」

「だ、誰か、ら……いえ、どなたが、リトリアさんに、それを……?」

「え? えっと、あのね、ソキちゃんの、お父さん」

 ロゼアが声にならない呻きを響かせて天を仰ぐ。ジェイドは口に手を押しあてて、ひたすら笑いを堪えていた。ふむ、と首を傾げたエノーラが、二人からやや距離を置いて頷く。

「あ、続けて続けて。私のことは気にしないで」

「……リトリアさん、本当ならすぐにでも、このまま、とお願いしたいことなんですが……」

「え、え……えっ? だ、だめ、そんな、私にはツフィアとストルさんがいるし……! ソキちゃんだっているし……っ?」

 堪えきれなかったのだろう。ぶふっと笑いに吹き出したジェイドが、やはり二人からすこし距離を置いた場所に移動する。あっ、そうよねここは若い二人に、二人きりじゃないけど、と笑いながら、ラティとレディも見守るように距離を置く。えっ、えっ、と真っ赤な顔でおろおろするリトリアと親友たちに、ロゼアは不思議そうな顔で僅かばかり首を傾げ。

 しかし、こちらが先だと思ったのだろう。大事なことなんです、と真剣な顔で、リトリアに囁きかけた。

「このことが落ち着いたら、すぐ、『お屋敷』を訪ねてください。このネックレスをつけて。俺の名前を出してくれてかまいませんし、その……それを、リトリアさんに贈った方の、名前、も……今は言わないで、その時に、担当の者に伝えてくださいお願いします……」

「はーい? 分かりました」

「そうだよね……。リディオ様じゃないことは確かだけど、この場でその名前が出たら大事故っていうか……リトリア、絶対に行ってね。俺からもお願いね」

 はぁい、と首を傾げながらリトリアが返事をする。なんなんだろう、とその顔には書いてあるが、ロゼアは説明したくなさそうで、ジェイドにも今この場で騒ぎを追加する趣味の持ち合わせがなかった。というか、なんでこのひとは俺の言いたいことを理解できているんだろう、と改めて疑惑の目を向けてくるロゼアに、ジェイドは楽しげな笑みでハドゥルに聞いてごらん、と言った。

「……父の知り合いなのですか?」

「うん」

 にっこり笑って肯定して、それ以上を告げないでいるジェイドに、ラティがため息をついて首を振り、あのね、と教えようとした瞬間だった。うにゃああああっ、と怒り狂った蜂蜜の声が、唐突に叩きつけられる。

「ロゼアちゃ! だめですううううう! ロゼアちゃんのおててぎゅうは! ソキの! ソキのなんですうううう! うやややゃやっ! だめえええ!」

 ぱっ、と。眩く、砂金のような魔力が散る。突然、そこにあらわれたソキは、ロゼアとリトリアの間に体をねじ込み、だめだめふんにゃにゃああああっ、と少女を両手でぐいぐい押しやり、なんとかロゼアと離そうとしている。は、え、とロゼアとリトリアが口々に声を漏らす。嘘でしょ、と愕然と呟いたのは、エノーラだった。

「私たち……四人がかりで警戒してたのに、それを突破したの……? ……というか、罠張ったのはこっちだけど、見事に釣れすぎじゃない……? びっくりするほど簡単に捕まえられたわ……?」

 ソキの隠蔽は、妖精すらも欺いていたらしい。シディもルノンも、ニーアも、ソキの案内妖精からもぎょっとした視線が向けられ、ジェイドの肩でましろいひかりが、びっくりしきって毛羽立っている。とと、とっ、と慌ててロゼアから手を話して数歩距離を取り、リトリアが予知魔術師の名を呼んだ。

「ソキちゃん……? いつから、どうやって……ここに?」

「ソキのだもん! ソキの! ロゼアちゃんはソキの! リトリアちゃんと見つめ合ったりしたらだめなの! だ、だめ……だめだもん……ソキががんばってたですのに、なんということなんです……これはもしや、もしかして……うわさにきく、うわ」

「おいで、ソキ」

 最後まで言わせず、ロゼアがうるうるに涙ぐむソキをひょいっと抱き上げる。ロゼアちゃあああぁっ、と半泣き声をあげてひしいいいぃいいいっとばかり抱きつく姿は、普段のソキのものだった。異変があったようには思えない。服も、靴も、その他の外見も、いなくなった時のままである。ほっとしながら頬、首筋、額、と手を滑らせて確認するロゼアの腕の中で、ソキはぐじぐじ鼻をすすって訴えた。

 ロゼアちゃんはソキのだもん。ソキの。ソキのなんですよ。ねえねえ、ロゼアちゃん。

「そうでしょう? ロゼアちゃん、ソキのでしょう?」

 おへんじは、ねえねえ、と甘くねだられて。『傍付き』は微笑んで、『花嫁』に頷いた。

「そうだよ、ソキ」

 砂金のような魔力が、一粒。零れ落ちる。リトリアは悲鳴じみた声で、ロゼアに向かって手を伸ばした。ソキがなにをしようとして、成したのか、リトリアには理解できる。それは目を隠し耳を塞ぎ意思を眠らせる行為にも似ている。支配だ。ロゼアの意識が檻に閉ざされる寸前、鍵を開くように触れようとして。けれど、その指先は絡め取られる。男の手に。

「……よくできました、ソキちゃん」

「うふん! ロゼアちゃんは、ソキの! シークさんのじゃないですぅ、ソキの。ソキのロゼアちゃん、なんでぇ」

「そうダね……。あぁ、ひサしぶリだネ、リトリアちゃん?」

 予知魔術師の、ありとあらゆる感知を欺く隠蔽を解き放ち、男がそこに立っていた。歪んだ響きの男に抱き寄せられて、リトリアは動けない。なにが起きているのか分からない。なんで、なに、とうわ言のように自失して呟くリトリアを、盾にするように抱き寄せなおして。予知魔術師ふたりを瞬く間に手中に収めてみせたシークは、ゆったりとした、余裕のある笑みで周囲を睥睨した。

 敵意を露わに取り囲む、一人の魔法使い、三人の魔術師たちなど相手にもならないと。手中に落とした予知魔術師たちを、見せびらかすような微笑みだった。その背後で。寝ぼけているように、霞みがかった表情になるロゼアに抱かれながら、ソキはぱちくり瞬きをしていた。人形めいた硬質な輝きを保つ、冬薔薇の瞳。そこに、じわじわと滲みだすように。砂金のような燐光が宿って行く。

 それを、まだ、誰も知らないでいる。




 だいじょうぶですよ、ロゼアちゃん。

 ぜったい、ソキが、まもってあげるですからね。


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