希望が鎖す、夜の別称:30



 『扉』は使えないままだった。リトリアは言葉魔術師の妨害によるものだとハッキリと告げたが、同時に、それは弱まっているとも口にした。ただし、それがもう必要ないからか、他に魔力を使っているからなのかは、分からない。ツフィアは苦しげに、待っている時間は恐らくないでしょう、と囁いた。待てばもう回復することが分かっても、今日とも明日とも知れぬ状態だ。

 行くならもう、今すぐでなければいけない。間に合わなくなる、というのが、全ての魔術師の一致した意見だった。なにが起こる、と分かった魔術師はいない。砂漠での調査に赴かず、各国に残っていた占星術師たちは一様に、口を揃えてこう言った。星がなにも囁かなくなった。まるで、未来を見失ったかのように。選択肢の多さに途方に暮れるように。

 ひとつだけ確かなことは、もう時間を無駄にはできないこと。行かなければ、いますぐに。その言葉たちに背を押され、王の承認と命令を得て、リトリアはツフィアと共に『学園』へと舞い戻った。髪に魔力の淡い燐光を絡みつかせながら談話室に駆け戻ったリトリアは、誰かなにを言うより早く、力強い希望に満ちた声で、行こう、と言い放った。

 大丈夫、私がみんな連れて行く。一度だって、二度だって、何度だって。飛んでみせる。私が道をつくるから、だから。助けに行こう、ソキちゃんが待ってる、と背を伸ばし、まっすぐに前を向くリトリアを、ツフィアは眩しげに見つめていた。

「魔力のことは、心配しないで。私だけなら枯渇してしまうけど、ツフィアが助けてくれるし……あの、楽音の陛下がね、レディさんか、ナリアンくんに助けて頂きなさいって。……私に、魔力を供給して欲しいの。お願い」

「俺がするよ」

 レディが言葉に迷うより早く、ナリアンが一歩進み出て返事をする。ナリアン、と思わず名を呼ぶロゼアに笑って、俺でなきゃ、と風の魔法使いは、未だ未熟な魔術師のたまごは言った。

「レディさんより、俺が適任。……そうですよね、寮長」

「そうだな。お前の判断は、冷静で正しい」

 レディは責任者として動かなければ、ロゼアを連れて行くことができない。ナリアンでは、その代わりはできないのだ。メーシャはロゼアの手首に巻き付いた糸の端をくるくると指先で弄びながら、華やかな笑みでナリアンに、じゃあ先に行って待ってるね、と言った。

「終わったら来てよ。それまで、ロゼアのことも……ソキのことも、ナリアンの分、俺に任せてね」

「うん。頼むね、メーシャくん。ロゼア。……リトリアさん、勝手に決めてごめん。俺で、いいかな?」

 ニーアが、無言で妖精たちの輪から抜けて、ナリアンの傍らに飛んでくる。そうしてくれることに、改めて愛しげな笑みを浮かべるナリアンに。リトリアは一度、しっかりと頷いた。

「ええ、もちろん。風の魔法使い。……魔力を、吸い上げられるの、痛くはないけど……怠くて、辛くて、大変だと思う。私はそれをあなたに強いる。……いい?」

「もちろんだよ、予知魔術師さん。……万物を吹き抜ける風が、俺と君の力になる。強く、どこまでも、君の背を押して運んでいく。……いいよ。ありがとう。俺に、君を、みんなを……助けさせて」

「必ず!」

 さあ皆、準備して。助けさせて、とリトリアは言った。砂漠の倒れ伏す魔術師と人々。王と国。そして、連れ去られたソキちゃんを。助けに行くの、いま、私たちみんなでいくの。さあ、と促すリトリアの言葉を引き継いで、寮長が声を張り上げた。

「予めの取り決めの通りに動け! 決して単独行動はせず、二人以上で作業にあたれ! ……魔術師や、城の者たちは、恐らく一箇所に集められている筈だ。ジェイドが目覚めて動いている、とソキからは聞いている。彼の筆頭がいるのなら、最悪でも状態維持はしてくれている筈だ……! 魔術師は、エノーラ、キムルの保護と回復を最優先! あとは状態を見て現場で判断していい。なにがあっても、俺が全ての責任を追う。気負わず、できることを、やれるようにやってこい! 無理はするな!」

「……寮長、私も行く」

 談話室の入り口から、歩みながら声をかけたのはラティだった。ロゼアは驚いてその姿を見る。体調が悪く、ロゼアたちとは別室でずっと伏せっていた、と聞いていたのだが。その足取りはしっかりとしていて、なにより、長剣を腰に佩いている。動きやすそうな上下に、ローブを羽織っていることだけが、魔術師の気配を漂わせているだけの。非番の騎士を思わせる姿である。

 寮長は渋い顔で体調は、と言葉短く問い、ラティは普段と同じに動けます、とだけ返した。数秒の沈黙。ため息をついて。寮長はレディの名を呼び、連れて行け、と言った。

「ロゼアと、メーシャを……守ってやれ。重ねて言うが、無理はするなよ。……今以上には、無理はするな」

「あなたこそ。……ねえ、大丈夫よ、シル寮長。私達の筆頭がいる。……知ってる通りにあのひと、ふり切れた愉快犯みたいな性格なさってるけど、誰かを損なわせたりするひとじゃない。ロリエスはね、いるわ。無事じゃないとは思うけど、でも、いる。……助けてくるからね。必ず、助けてくるからね」

 任せてくれて、ありがとう、と囁いて。騎士はきびきびとした仕草でロゼアに歩み寄ると、言葉より先に、ぱっきりとした仕草で頭を下げた。

「ごめんなさい、ロゼアくん。……ソキちゃんのこと。私の、渡したナイフを、ソキちゃんがどう使ったか聞きました。……そんなつもりなかった、と言うのは簡単だけど、ごめんなさい。怖かったでしょう」

「……はい」

「うん。……謝罪や贖罪ではないけれど、一緒に行くからね。砂漠の城のことだもの。任せてね」

 よろしく、と差し出された手を握って、ロゼアはよろしくお願いします、と言った。ほっとした笑顔になって、ラティはそれにしても、と滞空する妖精たちを眺めて言う。

「……あなたたちも行くの? ソキちゃんのリボンちゃんは分かってると思うけど、今の砂漠、妖精には厳しめだよ? 辛いと思う」

『分かっています。でも……いいえ、だからこそ、ボクたちも行くんです。ラティ』

 代表して告げたのは、シディだった。ひとの魔術師にはできなくとも、ボクたち妖精なら。祝福を贈って浄化し、清め、安定させることができるでしょう。助けられますよ、とシディは言った。それに、とシディは、どこかほろ苦く笑って。

『今度こそ。ボクは逃げずに、行かなければ。……そう、思うんです。それに……ロゼアが行くんですから、ボクもついていきたい。理由は、単純に、それだけでもいい。……分かっています。ラティ、ありがとう』

「ううん。大変なの、分かっていて、ならいいのよ。私が止められることでもないし。……私たちの国の為に、来てくれてありがとう、妖精たち」

『いいえ、我らが同胞よ』

 君にもいま、どうか、祝福あれ、とシディが告げる。魔力のきらめき。若草のような爽やかな香りが空間に満ちる。その香りのおこぼれに触れながら、リトリアはツフィアに促され、運ばれてきた椅子にすとんと腰を下ろした。ほんのすこしでも体力を温存しておきなさい、と告げられるのにくすすと笑って、リトリアはくすぐったげに肩をすくめる。

「ツフィアったら、かほごさん。うふふふ」

「笑いごとじゃないのよ、リトリア。あなた、これからどんなに無理をするのか分かっているの?」

 予知魔術師の魔術は『扉』での転移を可能とさせるが、それは膨大な魔力の消費をも意味している。ソキが複数回の移動を可能としたのは、単純に魔術の使い方がリトリアより桁外れに上手いからであり、妖精を伴っていたからであり、単独での行動だったからだ。先に花舞に移動した時は、ソキとリトリアは力を合わせて、さらに妖精たちにも助けてもらった為に、うんと楽であっただけなのだ。

 リトリアだけでは、結果は同じでも、過程が随分違うのである。現に、楽音にツフィアとふたり、砂漠から行って『学園』に帰ってきただけでも枯渇しかけている魔力に、リトリアが気がついていない訳がないし、ツフィアが把握できない訳もない。疲労から来る息切れをかみ殺して、顔をあげて。それでも、とリトリアは誇り高く微笑んだ。

「わたし、今できるせいいっぱいが、これなのよ、ツフィア。できることを、できる限り、やるの。陛下も……それで良いって仰ったでしょう? 王命なのよ、ツフィア。聞いていたでしょう? だからね」

「あれは、言わせた、というのよ、リトリア」

 頭が痛そうな声で嗜めるツフィアに、リトリアはうふふ、と幸せそうに笑った。ツフィアと、こんなことを、他愛もない言葉たちを。交わせることが心底幸せでならない、という笑みだった。ツフィアは叱りつける気持ちをすっかり挫かれた苦笑で、それでも、なんとか、ため息混じりに忠告する。

「あなたまさか、戻ってから、あんなことばかりしている訳ではないのでしょうね?」

「し、して……してない……ちょ、ちょっとしか、してないもの!」

 誤魔化すのが下手すぎる。微笑んで、ツフィアはリトリアに手を伸ばした。ふにふに、頬を突くと、やぁ、とくすくす甘い笑い声がこぼれていく。

「いつもはしていないもの。本当なのよ、ツフィア。本当なの!」

「そう? じゃあ、いつもはどんななの?」

「え、えっと……えっと、えっと……。ちがうの……ち、ちがうの! ちょっと待ってね、あの、あの……」

 目を思いきり泳がせるリトリアに、ツフィアはただ微笑みを深めてみせた。欲しい許可を楽音の王、魔術師としてのリトリアの主君からもぎ取るべく、予知魔術師が行使した手段は花舞の女王に対するものと同一だった。いいって言って、それで良いって早く言って、お兄様はやくはやくっ、と年下全開で迫られて、ツフィアの認識が正しければ、楽音の王はまあ楽しそうにでれでれとしていた。

 妹にめいっぱい甘えてワガママを言われて、仕方なくいうことを聞いてあげる兄役を堪能しきっていた。だからこそ、後を引く問題にはならなさそうではあるのだが。いつの間にこんなに、甘えたりねだったりが得意になってしまったのだろう。首を傾げるツフィアに、リトリアは不思議そうに瞬きをした。

「なぁに、ツフィア。どうしたの? 考えごとしてるでしょう。なに?」

「うん? ……あなたのことよ」

「わたしのこと? ……ふふふ! なに? なぁに?」

 なんでもないわ、と誤魔化して、ツフィアはリトリアの顔色を見た。いつかのように青褪めておらず、不安げにもせず、視線はまっすぐにツフィアを見て輝いている。もう、なに、とはにかんでくすぐったそうにする薔薇色の頬を、ツフィアは安堵をこめて撫で下ろした。

 くすぐったい、と甘えた声でリトリアは笑う。思わず口元を緩めた所で、頭の痛そうな声がした。

「……いちゃいちゃしてるとこ悪いがな、リトリア、ツフィア。準備が整った。行けるな?」

「体調を確かめていたのよ。……さ、リトリア。行けるわね」

「うん! 任せてね!」

 ぴょんっ、とばかり椅子から立ち上がって、リトリアは談話室を見回した。すこし不安を残した、苦笑している、緊張に強張った、祈りをこめた切実な、いくつもの、いくつもの表情を目の裏に焼き付けるように、瞬きをして。リトリアは数歩離れた所で待機していたレディとロゼア、ラティとメーシャの元へ駆け寄ると、大丈夫だからね、と言って拳を握った。

「行こう、ロゼアくん!」

「はい。よろしくお願いします、リトリアさん。……頼むな、ナリアン」

「任せてよ、ロゼア。……頼んだよ、メーシャくん」

 うん、任せてね、と応えてメーシャが笑う。それぞれに。意志と言葉を受け渡して、魔術師たちは『扉』へと向かった。


 その先に。

 なにが待つのか、知らぬまま。


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