希望が鎖す、夜の別称:22



 目覚めたロゼアはぼんやりとしながらも、突進してきたソキを慣れきった仕草でふんわり受け止めた。ふにゃっ、うにゃっ、ぐずっとなきながら擦り寄られるのにも、頭を抱き寄せて額に頬をくっつけて目を閉じる。重みと、香りと、ぬくもりを腕いっぱいに閉じ込めて堪能したあと、ロゼアは緩やかに満ち足りた息を吐き、ソキその服はどうしたんだ、と言った。

 真っ先に問いたださなければいけないところはそこなのか、と妖精は隠さず天を仰いでため息をついた。もしかしたら、ソキが無体を働かされた可能性を潰すためなのかも知れないが、別にそれは他の状況確認が終わって落ち着いてからでも十分間に合う筈のことである。ソキはロゼアにぴったり体をくっつけたまま、メグミカちゃんがねぇ、と自慢げな声でこしょこしょと囁く。

 お風呂に入っただのお手入れをしただの、妖精にしてみれば必要のない報告を囁くソキの声を、暫くじっとして聞いて。ロゼアは、そっか、と呟いて体から力を抜いた。じゃあ、一眠りしたらお着替えしような、と告げるロゼアに、なにがじゃあなのか説明してみせろこの独占欲の化身がと怒鳴りつけたい妖精とは違い、ナリアンとメーシャは心から安心したようである。

 よかったロゼアだね、いつものロゼアだね、と視線を交わし合って涙ぐんでいるので、どこもかしこも重症である。妖精がため息をついている間に、ロゼアは体力が尽きたのだろう。眠ろうな、とソキを抱いたまま囁き、ぽんぽん、と背を幾度か叩くうちに意識を落としてしまった。ソキはロゼアにもにゃもにゃとなにかを、恐らくは起きているだのなんだのと訴えていたものの、ロゼアにくっついているのと、がっちり抱かれていて離れられないので、無理だったのだろう。

 程なくして、くぴっ、くぴぴっ、すぴいいぃっ、と健やかにも程がある寝息が響いてきて、妖精はよろよろとした動きで寝台へと降り立った。これは、疑いようもなくロゼアである。間違いなくロゼアであると確信していたが、念の為に魔力に目を走らせる。魔術師のたまごの、身の内の魔力は穏やかだった。多少は波打つように感じられるも、一息ごと、鼓動ごと、ゆるゆると穏やかに落ち着いて行っている。

 さすがはソキさん、とシディが感心しきった声で頷いた。目覚めた瞬間こそ危惧する程であったものが、ソキがびとんっ、とくっついてからは呆れるくらいに落ち着いてしまっている。失われたもの、傍にあるはずのものが、欠けたものを取り戻し、ひとつになった安堵で満ちるがごとく。これならもう大丈夫でしょう、と微笑むシディに、個人的な感情でのみ同意しにくいものを感じながら。そうね、と妖精はうっとおしげに頷いた。

 つまりこれは本当に、ただのロゼアである。くぴくぴっ、ふにゃあにゃっ、とだらしのない笑顔で鳴き声めいた寝言を零すソキを見ているだけでも、間違いのないことだった。さりげなく寮長を庇いながら見守っていた白魔術師たちも、やれやれと顔を見合わせてすっかり警戒を解いてしまっていた。

 とりあえず珍しいから眺めておこっかー、とほのぼのとロゼアの寝顔を眺めるナリアンとメーシャに、妖精は呆れた顔で問いかける。

『アンタたち、やらなきゃいけないこととか、やってたこと、ない訳なの? ……というか、『学園』の魔術師たちがゆかいな大惨事を起こしてたのはなんだったの? アンタたちは関与してないってこと?』

「先輩たちと、レディさんのこと、ですか?」

『メーシャ……ふりでもいいから、すこし悩んで、もしかして感を出してあげような……』

 結果が同じなら、救いにもフォローにもならない、ただの時間の無駄である。しかし、それでもと苦笑するルノンに、メーシャは華やかな笑みで言い直した。

「うーん……あ、もしかして……? 先輩やレディさんのこと、ですか?」

『なにこの無駄に満ちた無駄なやり取り。アタシの時間を浪費させないでちょうだい』

 だいたい、本人たちがいまいないんだから問題ないだろうがと腕組みして羽根をぱたつかせながら、妖精は嫌な顔をして部屋の扉を振り返った。幸い、そこには誰の気配もないのだが。あの振り切れた偶像崇拝もどきのまま、あの場所に居続けられるのも想像したいことではなかった。

 なんでたかだか数日であんなに精神が摩耗するのよソキでもあるまいに、と眉を寄せる妖精に、メーシャは突然だったからかな、と静かな声で囁いた。

「ほんとに急、だったんですよ。『扉』が使えなくなって……誰も、どこにも行けなくなって、この状況で、どこからも情報が手に入らなくなって。寮長では復旧が叶わないというし、できるひとは皆、砂漠で倒れたままだし……リトリアさんがなんとかしようとはしてくれたけど、魔力切れで倒れてしまうし……」

「あっ、だめっ! 言っちゃだめ……!」

 ソキを医務室の前まで送り届けた時点で、他に用があると離れていたリトリアが、腕いっぱいにシーツや薬を持って部屋へ入って来た所だった。アンタどうしてそういうトコどんくさいのかしら、と呆れた視線を向け、妖精は気が付きたくない事実に気が付きかけて額に手を押し当てた。もしかして、どんくさいのが予知魔術師の特徴なのではないだろうか。

 リトリアは身体的にそこそこ健全に育った筈だが、ソキとは違う理由で運動性能がややどんくさい。そしてここぞというタイミングで、やはりとろくさくてあれこれ逃すのである。頭を振って息を吐き、妖精は室内をちょこまか動き回るリトリアに、保護者どうしたのよと問いかけた。

 えっと、とリトリアは立ち止まり、頬を染めて手をもじもじとこすり合わせる。

「ツフィアね、いま忙しいのですって。談話室にいるわ。呼んでくる?」

『……大人しくしてなさいとか言われないの? アンタはなにをちょこまか動き回ってるのよ……魔力枯渇したんですって? なにしたの?』

 かつてはリトリアの案内妖精でもあったので、心配なことは心配なのである。ソキのようにくっついて回らないのは、リトリアが一応、『学園』を卒業した一人前の魔術師だからであり、年齢的にも大人と呼んで差し支えないものだからであり。在学中から、思えばロゼアのようにべたべたとひっついて離れなかった、ストルとツフィアがうっとおしかった為である。

 ロゼアのようになにを言っても余裕の表情で笑うのも腹立たしいが、あからさまに嫉妬だの独占欲だのを出してくるストルも、同じくらいに面倒くさい。アタシこれから砂漠の男には関わるのやめようかしらとうんざりする妖精に、リトリアは、えっと、と口ごもって視線をふよふよと漂わせた。

「ツフィアはね、あの……大人しくしていないと駄目よって。なるべく、医務室に居なさいって。だからね、あの、なるべく医務室の……医務室にいる時間が長い……お仕事を……」

『アンタね、それ安静にしてなさいっていう意味でしょう? 室内にいれば起きて動き回っていても良いとかいう意味じゃないんでしょう?』

「だっ、だってぇ……! 私だけなにもしないでいるの……落ち着かなくて……。ちょっとだけ! ちょっとだけなの! それにほら、いまは、備品の補充しかしていないから……!」

 でもツフィアには言っちゃだめっ、あっ、お部屋から出てソキちゃんをお迎えに行ったのもなるべくなら内緒にしてっ、と頼み込んでくるリトリアに、妖精はふんと鼻を鳴らして言い放った。

『言いつけるに決まってるでしょう馬鹿なの?』

「だ、だめだめ! 内緒にして……! えっと……えっと、じゃあ、ほら、寝間着に着替えて、寝台の上に戻るから……!」

『ねえ、リトリア? アンタ、ソキよりは多少マシだけど、ソキよりは多少マシでしかないんだから、考えてから発言なさい? なんでそのドジでうかつで粗忽なとこ直らなかったのかし……ら……。……ストルの趣味かツフィアの趣味だわ。ああぁああやだやだ! これだから砂漠出身者は!』

 どちらと言えば恐らく、ストルの趣味である筈である。アタシの魔術師の周りにはそういうのしかいないのかしら、あぁあああやだやだ、ほんとやだ、と呻いて息を吐く妖精を横目に、リトリアはそそくさと、ロゼアの隣の寝台へ戻って行く。それを白んだ目で睨むように確認し、妖精はそれで、と腕組みをしながらリトリアに問いかけた。

『アンタ、なにをして魔力を枯渇させたの? 今はもう大丈夫そうだけど……』

 リトリアの魔力は安定して、満ちていた。ソキを迎えに来た時も顔色は良く、元気に見えたので、本人の自白がなければ分からなかった程である。そんなに心配する程じゃないのよ、ツフィアったら過保護なの、と幸せそうにはにかんで、とろける声でくすくすと囁いて。リトリアは、だから内緒にしてね、とナリアンとメーシャに重ねて頼んでから、えっと、と視線をさ迷わせた。

「その……いきなり、『扉』が使えなくなったでしょう? でもわたし、ソキちゃんみたいな発想ができなくて……わたし一人でも動けるようにってすれば、なんとかなったのかも知れないけど……あの、どうにか、安定状態に戻せないかしらとか、一時的にでも複製するだとか、できないかなって……思って……」

『思って? 上手く行かなかったってこと?』

「だ、だって……フィオーレがあんな状態でしょう? せめてね、花舞にだけでも繋げておかなくちゃって、思ったのよ。そうしないと、きっと、大変なことになるだろうし……もうなってる気しかしないけど……」

 つん、つん、と人差し指を突き合わせていじいじと呟くリトリアに、妖精は目を細めてゆっくりと首を傾げてみせた。少女の予想はひどく正しい。そしてリトリアの言葉が言い訳めいていることから、単に上手く行かなかった、失敗した、とは別の事故が起こった可能性が高い。リトリア、本当になにをしたの、と重ねて問う妖精に、予知魔術師はもごもごと口を動かして。

 観念したように、えっと、としょぼくれた声を押し出した。

「つまりね、あの……エノーラさんか、キムルさんが、いれば、いいんでしょう……?」

 どちらも、稀代の錬金術師である。複製が可能なのはエノーラのみであるが、『扉』の不調の調整、復旧作業などは、キムルの方が得意とされている。エノーラは感覚で直すからである。直せるタイミングで叩いたらいけた、と言い出すエノーラより、これがこうなったらこういう風にしてこう、とある程度筋道を立てて説明できるキムルの方が信頼性の高い、という話ではあるのだが。

 なんとなく嫌な予感を感じながら、そうね、と促してやった妖精に。リトリアはちょんとくちびるを尖らせて、つん、つん、と人差し指を突き合わせながら、だからね、と言った。

「召喚できないかなって、思って……。召喚っていうか、だから、その……エノーラさんか、キムルさんが、偶然、『学園』に戻って来ていただとか、そういう仮定を過去に書き込んで、それであの……行けたり……しないかしらって……」

『……思いついたから、やってみようとしたのね?』

 なるべく、優しく、穏やかに、を心がけて問いかけた妖精に、リトリアはうんと言って素直に頷いた。それは軽度の過去改変であり、禁呪だの禁忌だの呼ばれる類のものである。思い付きでほいほい実行していいものではないし、実行できるものでもない。ねえなんでそういう発想に至っちゃったのどうしてなの、と問う妖精に、リトリアはだってぇ、としょぼくれた声を出しながら、手で顔を覆った。

「なんか……あの時は……できる気がしたの……。今はしないの……」

『ツフィアが、アンタを医務室に閉じ込めて、大人しくしていなさいって言った理由がよぉーく! 分かったわ! 馬鹿っ!』

「だってぇえ……! なんだか、何回かそんなことをした気がするような、気が、しちゃったんだもの……!」

 恐ろしいことを言うんじゃないっ、と叱り飛ばして、妖精は額に手を押し当てた。ツフィアがリトリアを寝かせておきたかった理由は、その発想の飛躍から、重度の精神疲労を危惧した為に違いない。妖精でもそう思う。『扉』の不通という現象が、予知魔術師になんらかの影響を与えているのかも知れなかった。万能たる魔術師。奇跡の申し子たちに。なにかを。

 過去や未来や繰り返し朽ち果て消え続いていく、数多の世界の欠片が、そっとなにかを囁いたのか。あるいは、流星のように目の前を掠めて行って。それに手を伸ばしてしまっただけなのかも知れず。

『……まあ、アンタも昼寝でもしなさいよ。ソキが起きたら話があるから』

「はなし? わたしに?」

『アンタによ。『学園』の魔術師たちに、ソキから報告がいくつもある。でも、その中でも、アンタにはとびきりの話と、役目がある』

 詳しくは、そこで寝てるソキが忘れて服の中でくしゃんくしゃんになってるであろう書状に書かれているから、起きるまで待って、と息を吐く妖精に。リトリアはくすくす笑い、はぁい、と言って寝台に横になった。予知魔術師はそうして、ゆっくり、安心した息を吐く。よかった、と言って。リトリアは、戻って来たソキを、とろけるような目で見つめて。

 よかった、よかった、よかったね、と囁いて、笑って。ことり、と重りを一つ外したように、やさしい眠りに転がり落ちた。


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