あなたが赤い糸:119


「だ、だからね! あの! あのね! ……も、もし、もしもよ? 色んなことが上手く行って、砂漠の国が助かって、欠片の世界がこのまま続いていくようになった時に……。だ……誰かが、苦しくて……みんな、幸せじゃなかったと、したら」

 もう一回って言っちゃうかも知れない、とリトリアは手で顔を覆って呟いた。恥じらいにか、耳まで真っ赤に染まっている。それをしげしげと見つめて、わざわざ下から顔を覗き込んで。シークはけろっとした声で、いいんじゃない、と言った。

「キミが満足するまでやればいい。いいよ。付き合ってあげる」

「……あの。でも。私利私欲なの……いけないと、思うの」

「はじめから、キミのその私利私欲を、ボクたちは希望だの理想だの呼んでいる訳なんだけど?」

 えっ、と言ってリトリアが顔をあげた。涙ぐんで、赤く染まった顔のまま、おろおろと左右を、談話室の面々を見回していく。ひとりひとりと視線を重ねて、言葉はなく確認して。混乱しながらも、とうとう、それが本当だと分かると、リトリアはぷるぷると震えながらツフィアに抱きつき、胸に顔をうずめて鼻をすすりあげた。あからさまに面白くない顔をするストルに、ツフィアがふっと口元だけで勝ち誇る。

 その権利争いを極力見なかったことにした顔で、エノーラはため息交じりに問いかける。

「……できる?」

「やる。……できる、やる!」

「リトリア。はい、でしょう?」

 はぁい、と鼻を啜りながら、リトリアがツフィアに口を尖らせて返事をする。ツフィアは笑うだけで、エノーラに言うのでしょう、とは窘めなかった。ストルがその光景に、すぅ、と目を細めて息を吐く。ああこの三人は絶対、なにがあっても、何回繰り返してもこうなんだろうなぁ、と心底思いながら、エノーラはじゃあそれで、と言って問答を一端打ち切った。

 時間切れだ。今日は帰ってまた時間作ってくるから、と言うエノーラに、リトリアは涙を拭いながら、またね、と声をかける。短くとも、ここにもまだ未来があると、信じ切った響きをしていた。またね、と繰り返してエノーラは笑う。予知魔術師。この少女は、確かに。魔術師たちの希望。理想を抱いて行くだろう。




 睡眠薬をいつも飲ませるのも心苦しいものがあるのだけれど、と微笑みながら目の前で小瓶を揺らされるようになったので、エノーラの睡眠不足と過労は一週間で速やかに解消された。錬金術師の酷使と、また彼らの動きになにか思う所があったのだろう。白雪の女王はエノーラを眠らせている間にキムルを呼び出し、自白剤を吐くまで飲まされるのとおしゃべりするのどっちがいい、という二択を突き付けて、あっさり事態を把握してしまった。

 そこは吐いてでもなんかこう秘めておくべきじゃなかったの、と寝起きの頭を抱えて絶叫したエノーラに、そうは言ってもねぇ、とキムルは遠い目をして首を横に振った。白雪の女王の目が、ごく冷静かつ本気であった為である。恐らくあれは、吐いたら吐いたで別の手を行使していたに違いない。五体満足で怪我ひとつなくいるのだから判断の正しさを褒めて欲しいものだね、と告げれば、エノーラは口ごもって視線をさ迷わせた。彼の女王は、やると決めたら本当にやる。武力行使だろうが、薬漬けだろうが。

 かくして、あっさり魔術師の企みが五王に露見して一週間。エノーラはなんの尋問も受けず、拘束もされず、『学園』へ再び降り立った。談話室へ向かえば先日と同じ顔触れが机を囲んでおり、あれはもしかして夢だったのかと逃避しかけるが、キムルの苦笑と出迎えてくれたリトリアの、なんとも言えない気まずそうな、もじもじとした手の動きで察してしまった。残念な現実である。

「……えっ? 待って? 陛下方、なんて仰ったの?」

「えっと……明日に劇的な奇跡が起こることを信じて『扉』の分離再接続の研究も、停止することなく、そこそこ良い感じに進めておいて欲しいけど、打開の可能性が高い方に労力を割るのに反対する理由はないって……。あと、あの、隠し事しちゃだめって……。それとね、その……大体の計画が定まったら、実行する日をね、教えてねって。その日にお祭りするのですって」

 エノーラは隠すことなく、微笑みながら頭を抱えて蹲った。最後の一言で分かってしまった。告げたのは間違いない、エノーラの主君。白雪の女王、そのひとである。まつり、おまつり、ふふっ、と笑うしかない灰色の声でとりあえず笑ってみたエノーラの肩を、気持ちは分かる、という顔をしたシークがやんわりと叩いて慰めた。

「ほら……財とかね、残しておいても仕方がないだろう?」

「ねえそういう問題じゃなくない? そういうもんだいじゃなくない?」

「楽音は演奏会するらしいね。生前葬とかなんとか言ってたけど」

 滅びを前向きに受け入れてもらえるにも程がある。逆に乱心なさってるんじゃないのそれ、と呻くエノーラに、リトリアがするりと視線を地に伏せた。エノーラは、期待を込めてその顔を見る。予知魔術師の横顔は、言葉にならない残念さに満ちていた。

「あの……て、抵抗……抵抗? をね、されたね、王もいらしたの。星降の陛下とか」

「待って待ってお願い待って。抵抗になんで疑問符がついたのあの方はなんと仰ったのっ?」

「……えぇー、やだーっ! って」

 それは疑問符もつく。仕方がない。エノーラは、療養として一室に閉じ込められていた一週間、己の主君がやたらと楽しそうに、あちらこちらへ飛び回っていた理由を、心の底から痛感した。恐らく、五国を巻き込む規模の祭り。その準備の為である。他は、と一縷の望みをかけて促すエノーラに、シークとレディ、ツフィアとストルから聞き分けの悪い子を見る視線が送られる。

 え、えっと、と指先をもじもじこすり合わせながら、リトリアはぽそぽそとした声で呟いた。

「花舞の陛下は、お花がそんなにたくさん間に合うかなって。急いで準備をするけれど、せめて半年くらいは欲しいなって」

「うふふふそうよね葬儀にも祭りにもお花必要ですものねうふふふふ泣くものか。砂漠は?」

「はぁ? じゃあもういいだろ? ジェイドとシーク帰せよ寂しいだろ! 俺が! って」

 エノーラは無言でシークを見た。すごい勢いで顔を逸らされる。決して視線を合わせようとしない男の耳が、赤く染まっていた。にや、と笑って、エノーラはよかったじゃないの、と言ってやった。

「お家に帰りたかったんでしょ? よかったわね。砂漠の陛下、なんて?」

「そういう意味ではなかったんだけどね……。……ああ、うん。内緒」

 その、内緒、が。あまりに幸せそうでなければ、エノーラは良いから教えなさいよ、と絡んで行けたのだが。言葉魔術師の笑みがあまりに、自分だけで思い出を大切にしていたがるものだったので、諦めてやることにした。深く、息を吐いて立ち上がり、エノーラはなんとも言えない気持ちで口を開く。

「ねえ私の半年の苦労ほんと必要なくない? 泣いていい?」

「……キミが、あれほど憔悴するくらい努力して、それでもなお、錬金術師たちが協力せずに他の可能性を求めた。その半年の成果が、これだよ。……ありがとう。よく頑張ってくれたね」

「うっ、男に褒められても嬉しいだなんて……どういたしまして……そうよ私、本! 当! に! 頑張ったもの!」

 その結果が前向きな五王の乱心であるとするならば、いまひとつ喜びきれないものがある。市民の皆様にどう説明するつもりなのかしら、と呻くエノーラに、内情に精通しきっているリトリアが、ぱちぱち瞬きをしながらしどろもどろに言った。

「せ、洗脳とか……調教とか、いいのではないかしらって……。あ、あの、市民の皆様をね! あのっ、説明して、分かってもらえば一番なんだけど、暴動とか、とても困るし、もうどうしようもないから……分かって、くれなかったら……手段を選ばないって」

 エノーラは再び、勢いよく両手で顔を覆って絶叫した。

「陛下手段を選ばないにも程があります陛下陛下ぁあああああああずるい私も調教して欲しい!」

「うーん。乱心じゃないんだよなぁこれ……」

「あのね? 睡眠薬って調教ではないの?」

 きょとん、とした顔をしてリトリアがとんでもないことを言った。うんボクにはちょっと答えられないことかなー、とシークが流していると、無言かつ無表情で立ち上がったエノーラが口元に手をあてて考え込む。数回の瞬きと呼吸。悲鳴をかみ殺した呻きで両手を祈りの形に組み合わせ、エノーラは跪いて動かなくなった。使い物になるまで、それから二時間かかったという。

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