あなたが赤い糸:29
シュニーはジェイドに好きになってもらう為に可愛くなったんだから、可愛いのでどうしようじゃないのっ、可愛かったら可愛いでほめたりなでたりぎゅっとしたりしないといけないでしょっ、という主張がもう可愛くて冷静になれない。怒りに怒った『花嫁』からの説教を甘んじて受けつつ、ジェイドは内心で天を仰いだ。
嫌いになっちゃった、という勘違いは解消されたようでなによりである。けれども、顔を見せるなり怒った顔でジェイドを呼び、だっこだっこぎゅってしてなでなででしょっ、と要求してくることがもう可愛い意味が分からない。怒っていた、というか、怒っているのではないのだろうか。
しかし分からないのはジェイドだけであるらしい。世話役や元『傍付き』たちから良いから傍に行って言うとおりにしなさいとせっつかれ、ジェイドはやや疎外感を感じながらも求められるままにした。『学園』に行っている間に勘違いを正してくれたのはありがたいが、怒りがそのままになっているのはなぜなのか。
じぇいどっはやくしてくれなきゃだめでしょっ、とぷんすか怒るシュニーがあんまり可愛くて、言うことを聞かざるを得ないというのもあった。嫌いになられた、ではなく。嫌い、というのも、また違うらしいことに安心しながら、ジェイドはシュニーの隣に座り、求められるままに『花嫁』を腕に抱き上げた。
シュニーは怒りに怒りながらジェイドにぎゅううっと抱きつき、体をくっつけて、んもおおおおっ、と声をあげ。それから延々と、ジェイドが好き、可愛いのはジェイドに好きになってもらう為に可愛いの、どうしようじゃなくて褒めてぎゅっとしてかわいいかわいいしないとだめっ、という、大体三種類の主張を繰り返している。
「わかったぁっ? じぇいど! きいてるっ? おへんじは!」
「うん……。うん、分かった。分かったよ、シュニー。分かった」
興奮して耳元で叫ばれる声が、ふわふわしていて可愛い。怒っているのにジェイドにぎゅっと抱きついたまま、絶対に離れようとしないやわらかな体が可愛い。もおおっ、と頭を肩にぐりぐりこすり付けてくるたび、ふわりと花の香りがする髪が、ましろい綿毛のようで可愛い。
うるうるに涙を溜めて、シュニーは怒ってるんだからぁっジェイド大好きっ、と訴えてくる瞳が可愛い。あああぁあ、と呻いてシュニーを抱きしめ、ジェイドはもうむり、と辛そうな声でこぼした。
「シュニーかわいい……」
「そうなのシュニーはかわいいの! ジェイドのかわいいなの! ぎゅっとして! もっとっ!」
「むり……ごめん……。あのな、もっとぎゅっとしたら、シュニー痛いだろ」
じゃあ撫でたり褒めたりしないとだめでしょおおおっ、と怒られる。ジェイドは言われるままに、シュニーの柔らかな髪を撫で下ろし、頭を抱き寄せてため息をついた。腕の中いっぱいに幸せがあった。可愛くて、いとおしくて、息が詰まる。失いたくない、と思った。
「……ごめんな、シュニー。もう不安にさせたりしないように、頑張るから、許して……?」
「むぅ……。仕方ないから、許してあげる。……えらい?」
「偉い、すっごく偉い。可愛い。ありがとう。可愛い……あぁああシュニーかわいい……むり……」
なにが無理って、外泊届けが受理されなかったが為に、このあと『学園』に帰らなければいけないことが、である。土日まで待て、というお達しだ。ジェイドの事情を鑑みて、授業を置いて買い物にいく所までは認めてくれたのだが、泊まりは許されなかったのである。
離れるのやだ、帰りたくない、とシュニーをぎゅうぎゅう抱きしめながら呻いていると、苦笑しきった元『傍付き』の男が歩み寄り、ジェイドの肩をやわらかく叩く。
「ジェイド。シュニーさまが潰れてますよ」
「あ」
ぱっと腕を放すと、しあわせそうに顔を赤くしたシュニーが、脱力気味に体を預けてきた。潰さないようにそろそろ腕を回しなおしてくっつくと、シュニーはとろけるように笑ってジェイド、すき、と呟き落とす。ジェイドは無言で天を仰いだ。かわいい、むり、かわいい、しか言葉が出てこない。
元『傍付き』の男はにっこり笑って、ジェイドとシュニーをべりっと剥がした。だめでしょおおおおっ、と怒るシュニーに申し訳ありませんと微笑んで告げ、男はふらふらしながらも一人で立ちなおすジェイドに、やや同情的な視線を向けた。
「ジェイド、大丈夫ですか? ……気分は?」
「えっと……シュニーがかわいいです……」
「うん、ちょっと遠回りして帰りましょうか。送ります」
ぽん、ぽん、と肩を叩かれながら穏やかに背を押されて、ジェイドはやや眩暈を感じながらも頷いた。頭の奥があまくしびれている。強い香りを吸い込んでしまったように。意識がじん、として痺れている。瞬きをして、深呼吸をして、ようやく意識がすこし、輪郭を取り戻した。
触れていたい。自分のものにしたい、と欲する意識をねじ伏せる。落ち着かせる。『花嫁』の魅了に、酔って飲み込まれかけたことを自覚して、息をする。すみません、と悄然とするジェイドに、男はいいえと苦笑して首を振った。恐らく自覚的に誘惑していた筈ですので、ある程度は致し方ない反応ですよ、と。
えええぇっ、と思い切り不満そうな声をあげるシュニーは、頬を膨らませて男をにらんだ。しかし待てど暮らせど、ゆーわくしてないもの、という否定は帰ってこない。シュニー、と苦笑して、ジェイドは『花嫁』に手を伸ばした。また明日ね、と囁いて頬を撫でる。
触れた指先があまくしびれるほど。しっとりとした、磨き上げられた肌だった。誘引する質であると、知っていてなお。手を引くのをためらった。深呼吸をして手を離したジェイドに、シュニーはやや頬を膨らませて言った。
「明日ね、ジェイド。おはようって、ぎゅってしてね。ぎゅってしてくれないと、おはようはだめなんだから」
「わかった……。好きだよ、シュニー」
「うふふ。ジェイドすき。だいすき。おやすみなさい」
『花嫁』らしく寝台に座ったままで見送るシュニーに笑いかけ、ジェイドは男の先導で部屋を抜け出した。いつもとは違う廊下を通って歩き、落ちかける夕日に目を細めて息を吐く。帰らなければいけない時間までには、まだだいぶ余裕があった。それはジェイドも、男も、分かっていた。
早く連れ出されたのは、だからお叱りの為だとばかり思っていたのだが。男は言葉に迷うそぶりで、時折雑談を投げかけてくるだけだった。ただ、知らない廊下をジェイドは歩いていく。空気はひんやりとしていて、音は遠く、乏しかった。
深部だ、とじわじわと気がついた事実に、ジェイドは足を止めたくなる。『お屋敷』の深部、普段は『傍付き』が踏み込むことのない、『運営』であっても一部しか立ち入ることを許されない区画へと来ていた。花開くように作られた建物の、中心。深く。広々とした廊下には誰の姿もなく、窓から差し込む光はどこか淡く弱々しい。
男はやがて、ひとつの扉の前で足を止めた。扉を開くことはなく。そこへ手を突いて身を屈め、心底気乗りしていない様子でため息がつかれる。
「……怒らないで教えてほしいのですが」
「はい……?」
「ジェイドはいま十ですよね。もう半年もすれば、年明けで十一になる?」
その通りです、とジェイドは頷いた。正確な誕生日を記憶から失って久しく、『お屋敷』方式に従って年齢を重ねることにしているので、それに習えば年明けで十一になる。男はそうですよね、と力なく頷いた。
「本来ならこちらで状態を把握しているものなのですが、あなたは『学園』の魔術師……ですから、仕方がない……仕方がないことなんです……」
「……大丈夫ですか?」
「心配されると心が痛むのでお気になさらず。……怒らないで教えてほしいのですが」
二回目である。うろんな目で引き気味に頷くジェイドに、男はふっ、と達観した笑みを浮かべて言った。
「精通しましたか?」
「……は?」
「ああ、そうか……ちなみに性教育はどこまで受けて」
意味が通じているかどうかから疑わないで欲しかった。ジェイドはなんの感情にか赤くなった顔を隠すように蹲り、しばらく言葉を発せなかった。男はしみじみと申し訳ながるまなざしでジェイドを見つめ、やがて穏やかな笑みでしゃがみこむ。
ぽん、と慰めるように肩に手が置かれた。
「じゃあ、今日はここまで。帰りましょうか」
「なんなんですか辱めですか……」
「必要なことなので、申し訳ないですが……したら教えてくださいね」
絶対に教えたくない。力なく首を振って拒否するジェイドに、その気持ちは心底理解できる、という顔つきで、しかし男は許さなかった。どうしてもひとつだけ、しておかなければいけない教育が残っている、と告げられる。シュニーさまを傷つけない為に。知らなければいけないことが、あるのだと。
シュニーの為であるなら、それは拒否しきれないことだった。よろけながら立ち上がり、ジェイドは男に手を引かれて歩き出す。扉の向こうになにがあったのか、聞くことはなく。はじめて、大人になりたくない、と思いながら『学園』へ帰った。
その扉の向こうにあるものを。知らなければいけない、と定められたものが、なんであるのかを。『傍付き』が、なにを得てなにを失って、そうして『花嫁』の傍に居続けるのかを。ジェイドが知ったのは、それから三年後のことだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます