あなたが赤い糸:28


 ふてくされた気持ちで机に肘を突き、ジェイドは行儀悪くぬるまったお茶をすすった。シュニーが貢がれた一品を、そのまま横流しされたものである。ちょっとびっくりするくらい美味しい。渋みのまったくないほのかな甘みを感じさせる飲み口で、喉を通ると淡い花の香りが広がっていく。

 値段については考えないことにした。どうせ自分では買わないものだ。シュニーがあれが飲みたい、とジェイドにねだってくれたら、その時は手に入れようと思うだろうが。残念なことにジェイドのあいらしい『花嫁』は、諸事情により、こちらの懐具合を完全に把握している。値の張るものをジェイドにねだることは、まずない。

 シュニーがジェイドに求めてくることと言えば、主にお金ではどうすることもできないことばかりである。もっと傍にいて欲しいだとか、手紙をたくさん欲しいだとか、本を読んで欲しいだとか、ぎゅっとして欲しいだとかだっこして欲しいだとか。物を欲しがるのは『旅行』帰りの飴くらいで、それだって懐が痛む程度のものではないのだ。

 俺の『花嫁』ちょっと可愛すぎじゃないのかな知ってた、知ってたし分かってたけどあああ、と言葉にならず頭を抱えるジェイドの隣では、ふてくされる気分になった元凶が、まだ腹を抱えて笑っている。かれこれ十五分は笑っている。開始五分でいったん落ち着いたかと思いきや、ぶり返してずっと笑っている。

 時々咳き込んでむせて、それでもまだ諦めずに笑っているので、発作的なものすら感じさせた。心配した学び舎の先輩たちが心配そうにどうしたのと問いかけてくるのに、ジェイドはややしんだ目で事の次第を説明した。つまり、シュニーが可愛くて挙動不審でいたら、不満を溜め込んだ当の本人が怒って喧嘩になったのだ、と。

 先輩たちは一様に優しい目で頷き、仲直りしておいでね、と言って離れて行った。有用な助言は、今のところもらえてはいない。なにがツボに入ったのか、ジェイドの友はまだ笑っている。いい加減うっとおしくなってきたので、ジェイドは息を吐いてその頭をひっぱたいた。

「シーク、うるさい。もう絶対お前に相談なんてしないからな……」

「だって、すっごく深刻な顔をしテるかラ、な、なにかと思えば喧嘩したって……!」

 はじめて喧嘩しタノ、と問いかけられて、ジェイドはしぶしぶ頷いた。笑いすぎて浮かんだ涙を拭いながら、それは不安にもなるよネエ、とシークは理解ある表情で深呼吸をした。まだ顔が笑っている。もう一度、今度は容赦なく頭をひっぱたいてから、ジェイドはやりなおし、と同い年の後輩に言った。

「また発音不安定だった。三箇所。してるから、したの、なるよね」

「……キミったら本当に面倒見がいいんだから……」

 呆れつつも哀れみよりの視線を向けられたので、ジェイドは笑顔で後輩をひっぱたいた。シークはなにが楽しいのかけらけら声をあげて笑ったあと、素直にその言葉を繰り返す。発生は滑らかで、歪まなかった。よし、と頷いてやると、シークはまた楽しそうに肩を震わせ破顔する。

 シークは異界の迷子であるのだという。大戦争の後、魔術師と幻獣たちは世界を分割した。その、分割された元の世界がシークの出身地だ。魔術師と幻獣の世界。五つの欠片、と呼ばれるジェイドたちの世界と、根幹を同じくした異世界である。

 通常、行き来ができるものではない。行き来できないように、魔術師たちは世界を分割したのだから。だからこそ、シークがこちらにいるのは事故である。なにかあった、という訳ではない。ただ朝食を買いに出かけようとして、家を出た。特別なことのない日常の繰り返し。

 異変は、世界に満ちる魔力がひどく不安定であったことと、幻獣たちが不安げにしていたこと。でもそれは、明日の天気が荒れるかも知れない、というくらいのこと。警戒することではなかったのだという。ひとつだったものを無理に叩き割った影響で、世界には様々な歪みが残っている。いつものこと、として終わる筈だった。

 瞬き。呼吸。一瞬の、吐き気を伴う眩暈。段差を踏み外したように、足元が『ずれた』のを感じたのだという。耳の奥にはシークを案じて呼ぶ幻獣たちの声が残っていた。まだその音の響きが消えない間に、吸い込む息も、漂う魔力も、目に映る景色も、編み上げていく言葉も。世界のなにもかもが変わってしまった。

 砂漠と白雪の国境で、シークは商隊に拾われた。混乱と恐怖でうまく言葉も話せないでいたシークを、彼らは国境警備の兵へ預けたのだという。兵たちは親身になって、根気よくシークの話を聞き、そして魔術師が呼ばれた。シークの話す全てを信じたわけではなくとも、魔術師向きの案件だ、とされた為である。

 審議判定の炎でシークの言葉が正しいとわかるや否や、少年は有無を言わさず『学園』に放り込まれた。異界の魔術師を受け入れる場所が五国にはなく、年齢的にも王宮魔術師として迎え入れるのが難しかった為である。生活様式や、言葉の問題もあった。

 世界は分断されている。戻る手段を探すにせよ、すぐに帰れない以上は、こちらに慣れなければ生きていけないと判断された為だった。かくしてシークが、季節はずれの新入生として『学園』に現れたのは秋のこと。ちょうどジェイドがシュニーを『旅行』へ見送り、精神的に暇を持て余して煮詰まっていた頃のことだった。

 ジェイドとシークが、世話係と世話をされる相手、として引き合わされたのはすぐだった。幸い、言葉は通じない訳ではなく、奇妙な訛りのように歪んで響く程度の違いしかない。一般常識についてはほぼ差がなく、教育の水準も同程度。年齢と性別が同じ相手であるから、打ち解けるのは早かった。友人になるのも。

 だから友人として、一応はまっとうに。シークは、朝の出勤から戻ってくるなり、この世の終わりのような顔をして机に突っ伏したままピクリとも動かず、授業時間になっても立ち上がることさえしないジェイドのことを心配して、相談に乗るよ、と声をかけたのだ。

 ジェイドの『花嫁』のことは聞いて知っていたから、予定外の『旅行』に行ってしまっただとか、また『運営』に小言を言われ続けただとか、そういうことだとばかり思っていたのだが。うん、と呟き、弱々しく顔をあげたジェイドの第一声が、シュニーが、だった。次の言葉が、怒った、である。

 最近のジェイドは、シュニーに対しての挙動が多少不審であったらしい。それはジェイドも自覚する所で、理由は、シュニーが可愛くて落ち着かなくてどきどきしてなんだか恥ずかしいから、であって。決してシュニーが嫌いになった訳ではなく、そんなことあろう筈もなかったのだが。

 おはよう、と言って。あんまり近いと、どうしていいか分からなくなるので、いつもよりほんの少し距離を置いて隣に座った。その瞬間であったのだという。ジェイドはシュニーがきらいになっちゃったの、と大泣きされ、そんなことないと否定すればだって最近ちゃんと目を合わせてくれないし遠くに座る、と訴えられた。

 ごめんね、シュニーがあんまり可愛くてどうしていいか分からなかったんだ、と告白しても、シュニーの涙が止まることはなかった。ぐずぐず泣きながら、シュニーが可愛いのはジェイドの為だもの、と怒られる。でもシュニーが可愛いのでジェイドがやならもうかわいいのやめるっ、やめるもの、と言うシュニーが泣き止むことはなく。

 世話役が爆笑をこらえながら、落ち着かせておくので『学園』にお帰りになられては、と送り出すまで、ジェイドは悄然とうなだれるばかりだった。なにせ抱き上げようとしても、ジェイドがやならしゅにがまんするっ、と大泣きしてばたばた暴れられるので、触れることすら叶わなかったのである。

 構ってくれない寂しさと嫌われたかも知れない不安と、反抗期が混ざって爆発して怒っているだけだから、夕方には必ず会いに来てね。これで会いに来てくれなかったら、ほんとに嫌われたと思って枯れちゃうかも知れないから絶対ね、と騒ぎを聞きつけ顔を出した当主の少女に忠告され、ジェイドは『学園』に戻って来たのだった。

 ひととおりの説明を聞き終えて、シークは難しい顔をして首を傾げる。シークの感覚からしてみれば、それは喧嘩と呼ぶより、なにか違うものであるような気がするのだが。

「……まあ、ジェイドが悪いことニは変わらない気がするから。謝るんだよ?」

「分かってるよ。分かってる……シーク、一カ所。ことには」

 微妙そうな顔で、ことには、と繰り返し、シークは息を吐きだした。ジェイドの世話焼きはもう反射的なもので、一々意識して指摘している訳ではないのだろう。心ここにあらずといった表情でぼんやりしながら、溜息ばかりついている。

 見ていると、あああぁあ、と呻いてまた机に突っ伏したので、シークは機嫌よく口元を和ませた。こんなにしょげているのは、シュニーがはじめての『旅行』に出て以来のことである。その表情をじっくりと眺めて堪能してから、シークは外出許可を取るべく椅子から立ち上がる。授業は一日くらいなら挽回できるだろう。

 お花と飴でも買って持って行っておあげよ、と囁けば、ジェイドは力なく頷き。のろのろと茶器を引き寄せ、すっかり冷めた中身を飲み干した。


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