あなたが赤い糸:17

 じゃあまず結論から言うと今年の新入生に俺の息子がいるんだけどね、と言われて、妖精は話を遮った。とてもではないが頭が追いつかない。ジェイドの元に現れた同胞の気配を、シークは奥さん、だと言ったのに。それを否定する言葉のないまま、息子、新入生、と繋げられてもとてもではないが理解が追いついて行かない。

 ふらふらと机の上に降り、立っていられもせず座り込みながら、妖精はふるふると首を横に振って呻く。

『あなた……妖精と婚姻を……? 息子って、その……どうやって……? それとも、なにかの暗喩? ちょっと、よく、分からないの……』

 婚姻だけならば、可能だろう。妖精と魔術師は、魔力というものを媒介にした同胞である。大きな枠で捉えれば、魔力を持つ者、という同種族である。過去に例がない訳でもなかった。しかし、それは婚姻までだ。次代を存在させた、という話を妖精は聞いたことがなかった。秘匿とはいえ限度もあるだろう。噂すら聞かないことは考えられない。

 あるいは魔力を持って作り上げたなにかをそう呼んでいるのかとも思うが、今年の新入生、と男は言った。まず間違いなく、『学園』への新入生のことだろう。案内妖精に導かれていった、人の中から生まれる突然変異。魔術師。それは、妖精との結晶である筈がない。この世界は壊され、閉ざされている。そうであるからこそ、もう魔術師は、人の間からしかうまれないのだ。

 混乱する妖精に笑いかけ、ジェイドは組んだ手に頬を寄せるよう首を傾げた。

「俺の妻は、それはもうとびきり愛らしく美しく可愛らしいひとだったけど、妖精ではなかったよ。妖精みたいに可愛かった、というか、妖精より可愛かったけど。俺の妻は世界一可愛い」

『……そ……え……ええ、と……? その……その、方との、息子さん、が?』

「今年の新入生。ウィッシュっていうんだ、俺が名前付けたんだけどね」

 なんていうか妻そっくりに育ってた可愛かった、とゆるみきった顔と声で囁かれて、妖精はぎこちなく頷いた。ああ、うん、よかったわね、としか言葉が出て行かない。説明をしてもらっているのに、ますますよく分からなくなってしまった。困って鉱石妖精の服をくいくいと引っ張れば、苦笑気味に息を吐きだされ、言葉を引き継がれる。

『それはどうも、おめでとうございます。新しく魔術に目覚めた我らが同胞に祝福あれ。……それで? それがあなたの、無断侵入その他諸々に対する理由なのだとしたら、もうすこし筋道をもって説明して頂きたい』

 まさか、我が子を魔術師として目覚めさせたことに対する報復とでも言うつもりなのですか、と。鉱石妖精の瞳は不審と怒りに燃え、ジェイドのことを睨みつけていた。ジェイドは呑気に指折り、なにかを数え。んー、と理解しているのか、していないのかも定かではない曖昧な声を響かせ、眉を寄せた。

「そうだな……じゃあ、やっぱり最初から説明しようか。そこからするのが一番、理解には早いと思うんだよね。まず、俺の出身は花舞なんだけど、そこにはもう三十年くらい帰ってない。今後も帰る予定はないし、もう帰れないんじゃないかなって思ってる」

『……あなた、いまいくつ?』

 妖精の目には、二十そこそこ、くらいにしか見えないのだが。魔力を持つ魔術師は、その最盛期を持って肉体の成長、老化がごくゆるやかになることがある。個人差があるので全員とは言えないが、年相応の落ち着きを持っていない目の前の男は、確実にそうである筈だった。

 訝しく問う妖精に、ジェイドは三十六、とさらりと言い放つ。

「砂漠に来たのは五歳だったかな……。ウィッシュは俺が十五の時の子だから、今二十くらいだと思う。……二年半しか、育てられなかった。俺のいとしい、可愛い子……。俺はね、ずっと信じてた。『お屋敷』が約束を守ることを」

『……約束?』

「幸せにするっていうこと、だよ」

 そのたった一つの約束の為に、俺はあのこを手放した。十数年、ずっとそれを信じてた。でもそれが嘘だったんだから、彼らは責任を取るべきだ、と。あくまで声を荒げることはなく。穏やかに、落ち着いた口調でそう囁いて、ジェイドは妖精たちに問いかけた。さて教えてあげるその前に、君たちはあの場所のことをどれくらい知っている。

「『お屋敷』のこと、『花嫁』のこと。……たぶん、あんまり知らないでいるとは思うけど」

『……ソキが、なにか。特別な生まれ育ちをしていることなら、分かるわ』

 未だに妖精は、ソキがひとりで立ったり歩いたりしている所を見たことがない。移動は常にロゼアが抱き上げ、ソキも周囲も、全くそれをよしとしている。

『花嫁、と呼ばれているのも知っているわ。砂漠の花嫁。ソキのことよね?』

「そう。『砂漠の花嫁』。いつか金銀財宝と引き換えに、他国の貴族豪商、時には王家へ嫁いでいく者のことを、砂漠ではそう呼んでいる。あの『お屋敷』は、その養育機関。伝説の、とすら謳われる、国家公認の人身売買組織……と、口汚いのなんかは言うね」

 あの場所で育てられる少年少女を見ただろう、とジェイドは言った。誰も彼もが愛らしく、美しく、華憐であった筈だ。そういうのばかりを集めて育てている。

「……まあ、『お屋敷』については、あとでちゃんとどこかで話を聞いた方がいいよ。俺はあの場所で働く人たちにだいたい嫌われてるし、俺も嫌いだし、だからどうしても否定的になる。否定的な言葉で、印象を決めてしまわない方がいい」

『そうするわ』

「ああ、そうして。……さて。話そうか。俺があの場所を初めて訪れたのは、俺が五歳の時。供を連れて、花舞から旅をした。それをしなければいけない理由が、俺にはあった。旅立ちの半年前に、俺の祖父が死んだからで、その遺品を届ける為で、俺が選ばれたのは……俺の母、祖父の一人娘より、俺の方が、彼の面影があったからだ」

 いまでも。俺の顔を見て、泣きだしそうに笑って。ああ、と吐息を零した老婆の、その言葉を。表情を。覚えている。俺はね、と静かな声でジェイドは言った。

「かつてあの場所から嫁いだ『砂漠の花婿』の、孫として……遺言と遺品を、届けに行ったんだよ」

 今はもう、憎しみすら感じるあの場所で、はじめて。言葉を交わした時の想いを。それでも、捨てることができないでいる。忘れることも、できないでいる。ずっと信じていたかった。愛して、愛されて、そうして送り出された祖父のように。この子もそうされるのだと。幸せになるのだ、と。

 祈って。抱き上げた幼子を手放した。あの日の希望が、潰えた今でも。どうしても。




 嫁いだ砂漠の宝石が、子を成すことは稀である。男であっても、女であっても。恋をして、愛しく思ったとしても、その体はあまりに弱く、脆くできている。生まれた元よりそういう性質であったものを、そのままに育てられて嫁いでいく。子を成すことはできても、産むことができず。産むことが叶っても、生きることができず。花は枯れてしまう。

 ごくごく稀に生き延びるのは、だからこそ、やはり花婿だった。彼らは十数年に一度の確立で、生まれ育った『お屋敷』へ戻ってくる。殆どが遺骨の一部を。あるいは言葉を。物を。己の血を引く者に託して、戻ってくる。ジェイドも、そうして戻ることを託されたひとりだった。ジェイドだけに託された遺言と、品が、僅かな供と共に幼子を旅立たせた。

 その人に会えたらこうして、と伏した祖父に言われたままに。ジェイドは通された部屋にやってきた老婆の前で、両手をぱっと広げて笑って見せた。ほら、幸せになったでしょう。自慢げに。告げられたそのままに。願いを叶えてみせたでしょう、と誇らしげに。戻ってくる筈がなかった言葉を、意思を、幸福を携えて。ジェイドはそれを成し遂げたのだ。

 滞在は幸福だった。『お屋敷』はジェイドたちを賓客として丁寧に持て成した。ジェイドの顔を見に来るのは祖父より年上の者が多かったが、父親くらいの年齢の者も、もっと年若い者も顔を出し、誰もが興奮を隠せない様子で話を聞きたがった。嫁いだ『花婿』がどんな風だったか。どういう風に笑っていたのか。話していたのか。その一生を。

 包み隠さず、覚えている全てをジェイドは提供した。同じ問いを繰り返されても、飽きることなく言葉を告げた。誰もがそれを喜んだ。一月もの逗留を感謝に包まれて過ごし、ありがとう、気を付けて、と送り出され、ジェイドは『お屋敷』を後にした。異変が起きたのは、その後のことだった。

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