あなたが赤い糸:14

 シークにはそれで伝わったらしい。決められた、いけないと言われていることをするから悪いひと、なのだそうだ。具体的にはなにも告げず。その説明だけをして、シークはくるくる話題を変えて、ソキの興味を他へと移した。つたない説明でもそう感じ、妖精は息を吐き出す。

 交わされる言葉は他愛ないものばかり。それでいて慎重に、魔術師の秘匿とされることは隠され、幼子の好奇心を上手に満たすことばかりだった。魔術師がいつもなにをしているのか、お休みの日はなにをしているのか、どんな本が好きなのか。たくさん教えて頂いたです、ときらきらした目で、こうふんして、ソキはそれを鉱石妖精に語った。

 シークは、ソキが聞くことをなんでも教えてくれるのだという。そのなんでも、が質問の正確な答えでないことは、上手に誤魔化されていて気がついていないに違いない。鉱石妖精が疑いをもってしっかりと問いただしても、砂漠の愉快犯王宮魔術師の言葉は毒にも薬にもならず、ただ幼子を楽しませる以上のものにはなっていなかった。

 夢で会うのも、言葉を交わすのも、秘密。その約束がなければ。

「それでぇ、なんで妖精ちゃんを妖精ちゃんって呼んでるの? って聞かれたです。妖精ちゃんがかわいーから、ちゃんなんですよって言ったです。妖精くんは、妖精くんだもん。それでね、ソキの妖精ちゃんはとっても素敵に飛ぶんですよって自慢をしておいたです。そしたらね、シークさんね、うーんって考えて名前をつけなかったんだねって。あのね、妖精さんには本当の名前、というのがあってね、でもでもお迎えに行く魔術師さんがつけるお名前もほんとうはあるです」

 ソキはそんなの知らなかったです、とぷっと頬を膨らませて拗ねられて、妖精は思わず苦笑した。その習慣を、告げなかったのは事実だが。

『……本当は、というか。だってあなた、わたしをずっとそう呼ぶでしょう? 特別困ったりもしなかったでしょう?』

 そして、妖精本人も。呼び名に対する強い希望があった訳ではなく。結果として呼び名は『妖精ちゃん』という響きで固定され、以後、半年。話題にされるのも今更の気持ちが強かった。やぁあんおなまえつけるうう、とだだっこそのものの声で、ソキはちたちた手足を動かし、妖精をじぃっと見つめた。

「おなまえ……ソキの妖精ちゃんのおなまえ……!」

『あのね? 残念なことだけど、呼び名は『妖精ちゃん』で浸透しているのよ……』

「ぷっ! ぷぷぷぷぷぅっ! 妖精ちゃん、どうしてソキにおなまえつけてていわなかたですか! ゆゆしきことですううぅ! たいだというやつじゃないのですううう!」

 怒られても、なにせそう呼ばれ始めて半年である。妖精にもどうすることもできないのだ。それくらい、案内妖精と魔術師の結びつきは強いものである。それに、考えてみればそんな話題を出す暇もなかった。なにせ案内妖精として魔術師の告知をした数秒後には、ロゼアちゃんソキねえまじちしさんになったです、と報告されたからだ。

 そこからは怒涛だった。なにが起きたのか詳しく思い出せないし、思い出したくもない。主にロゼアが怖かったせいで。入学手配が間違いだったことですこし落ち着いたが、そこから、名前をつけて、なんて言い出せる雰囲気になることは、終ぞなかった。それに、ただの呼び名である。妖精としての名ではないので、こだわりもない。

 だから別に今まで通り『妖精ちゃん』でかまわないのよ、と告げると、ソキからは猛抗議が、鉱石妖精からはやや駄目な子を見守るまなざしを向けられた。いやんいやいやおなまえつけるううっ、とちたちたしているのに、はいはいそうね残念だったわね今からは難しいからもう諦めましょうね、と言い聞かせた。

「んー、んんーっ……! じゃあ、じゃあ、妖精くんのおなまえかんがえるぅ……!」

『考えてくれるのは嬉しいですが、名前をつけて呼んでいただいても、反応できないと思います』

 ソキの案内妖精ではないからである。ぶんむくれたソキは寝台をころころ転がりだし、端から落ちかけた所で、待ち構えていたロゼアが抱き上げた。ソキはふんがいしながらロゼアにぎゅむっと抱きついて、あれこれとなにかを訴えている。その、体力がつきかけて眠そうな声に苦笑しながら、妖精は寝台から浮かび上がった。

 なるべくロゼアの視界を避けてソキに寄り、また明日ね、と耳元へ囁く。こくんと頷いたソキがロゼアにくっついてうとうととするのを見守り、妖精は砂漠の城へと飛んだ。眠っている相手に夢で会う為には、術者もまた、眠らなければならない。けれども今は日中。昼寝の習慣を持たない魔術師は当然起きている筈である。

 どういうことなのかを問いただすには、絶好の機会だった。



 へいかへいかシークがよーじょにちょっかいだしてますへいかへいかあぁああっ、というフィオーレの叫びが砂漠の城に響き渡って、しばし。妖精はなんともいえない顔で、集まった魔術師たちを見下ろしていた。場所は王の執務室である。そうであるから当然のように、砂漠の王そのひとも室内にはいた。

 筆頭に愉快犯と名高いジェイドを、筆頭補佐にこちらも愉快犯そのものであるシークを得ている為に、今日も砂漠の王の顔色は悪かった。お前いい加減にしろよほんっといい加減にしろよって昨日も一昨日もその前だって言ったよなほんと聞いてねぇよなふざけんなよお前さぁ、と胃の痛みで青ざめた顔で、延々と不機嫌に呻いている。

 そんな状態の王を正面に。周囲を陛下ほんとごめん止められなくて、と反省している同僚たちに取り囲まれ、ばーかばーかっときゃんきゃん叫んでかみついてくるフィオーレを横におきながら、ちっともこれっぽっちも反省した様子がなく。ふあぁ、とのんきに欠伸さえしながら、シークは悪戯っぽい微笑みで、主君の顔をのぞき見た。

「胃薬、飲みました?」

「お前誰のせいで俺が毎日毎日胃薬と頭痛薬の世話になってると思ってんだよお前だよお前お前このクソ愉快犯無断進入その他諸々だけでもなんでだよ意味わかんねぇよとは思っていたけど反省しない上に幼女に手を出すとかなんなんだよ相手の同意は得てでのことだろうなそうじゃなかったら斬首すんぞ斬首あああああもおおおおどこの家のなんていう名前の幼女だよ言ってみろシーク!」

「いけませんよ、陛下。ボクが胃痛担当だとしても、頭痛担当はジェイドでしょう? 責任をボクひとりに押し付けないでください」

 コイツなんで俺の国にいるんだろうくじ引きで俺が当たりひいたからだよ知ってる、と過去の運の良さを心底悔やみきったまなざしで、砂漠の王が胃の辺りを手で押さえ、動かなくなった。それを心底幸せそうなゆるんだまなざしで見守り、ほう、と満足しきった息を吐き出して、シークは機嫌よく口元を和ませる。

「ふふ。あ、言っておきますが陛下? 誤解ですよ、誤解。手は出していません」

「……手以外のなにを出したか言ってみろよ」

 へいかへいかこいつはんせいしないわるいやつ、ぜんぜんはんせいしないわるいやつっ、ときゃんきゃん訴えるフィオーレにうるさいと耳を手で塞ぎながら、砂漠の王はうんざりしたまなざしをシークへ向けた。それにシークは、顔色が悪いですね、と心配ではなく嬉しそうな呟きを落として。やんわりと目を細めて、笑った。

「それに、手を出されたのはどちらかといえばボクの方だ」

「わかったもういい。これ以上俺の胃が痛くなる前に斬首だ斬首誰かシークの体押さえてろ」

「はいはい、ちゃんと説明しますよ。もう」

 最近の陛下は気が短くていらっしゃる、と残念がられて、砂漠の王はお前らのせいだよ理解しろよと頭を抱え、えずくように呻いた。

「知ってのとおり、ボクは言葉魔術師だ」

 声は。言葉は。なにか不思議な風合いを持ち、凛として響き渡った。一瞬にして空気を染め替え、室内からざわめきが、音という音が消し去られる。気圧されたように黙り込む魔術師たちの中。知ってる、とつまらなさそうに返す王の声だけが響いた。普段通りの声だった。王の声だった。

 それに、確かに救いを得ているように。機嫌よく、シークはにこりと微笑んだ。

「言葉魔術師に関しての文献は殆どが消失し、そして今を生きるボクは自分の能力、適正、様々な詳細を語らない」

「知ってる。……それが?」

 なんの関係があるんだ、と睨む王に苦笑して。シークは己の首と、呼吸を繰り返す胸の上に、そっと手を押し当て。目を伏せて。くるしく、祈るように囁いた。

「言えるかな。……お願い、頼むよ。すこしだけ」



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る