あなたが赤い糸:13
月日はゆるやかに、またたく間に過ぎていく。
妖精はソキの部屋に置かれた暦表を眉を寄せながら見つめ、溜息を吐きそうになる唇を指先で抑えた。十月、である。夏至の日の、二月ほど前。四月の末、ソキとはじめて巡り合ってから、もう半年が経過していた。あっという間の半年で、妖精は改めて確認した暦表を何度か見直すくらいであったのだが。
それにしても。
「……ようせいちゃ? ねえねえ、どうしたですー? よーうーせーいーちゃぁーん」
『ソキ。あの……あのね、あのね……』
正直、眩暈がして言葉を繋げることができない。半年。確かにその間、妖精も言い出さなかったし、不自由はなかったのだ。今も、ソキにはそれを不便がる様子もなく、寝台の上に座り込んで目をぱちくりさせている。同情に満ちたまなざしで沈黙している鉱石妖精は、あえて叱るつもりも、助けるつもりもないのだろう。
慰めるように肩を撫でられて、妖精は羽根をぱたつかせ、鉱石妖精の体を押しやった。触れられることに悪感情はないが、ソキの見ている前ですると、きゃぁっと声を上げて顔を赤らめ、きらきらした目で見つめられ都度誤解が加速していくので、謹んでほしい。
案の定、妖精が視線を落とした先、ソキは顔に両手を押し当て恥ずかしげに目元を隠している、と思いきや、思い切り指が開いた状態で好奇心に満ちた瞳を妖精たちへと向けている。やっぱりきゃぁんです、ソキには分かっちゃったです、とふんふん興奮した様子で呟かれるのに、眩暈がひどくなった。瞬きをする。
意識があっちへこっちへ逸れやすい幼子であるから、放置しておけばひとつ前の質問は思い出されないだろう。だからこそ、誤解を今日こそどうにかすべきか、口をついて出た疑問に答えるかをしばし、考えて。妖精は深く、深く息を吐きながら、ソキの目の高さへと舞い降りてやった。
『……なまえ?』
口に出すと、中々心に来るものがあった。ソキは目をぱちくりさせ、こて、と首を傾げかけて。自分で質問したことを思い出したのだろう。あっ、ああぁーっ、とびっくりしたような声を出して、手をぱちんと打ち合わせた。そうです、そうです、そうなんですううっ、と興奮した蜂蜜色の声が、秋口の空気にほわほわ漂っていく。
「あのねぇ、シークさんに教えて頂いたです! 妖精ちゃんには、じつは、お名前があるです! ソキにぃ、教えてくれなくっちゃいやいやんですうう!」
『……あなた。あの魔術師と、親しいの?』
定期観察に来るなり、前置きもなく妖精ちゃんのお名前なぁに、と問われたのでなにが起きたのかと思ったのだが。砂漠の国の愉快犯魔術師の仕業であったらしい。城で顔を合わせた時には、まだ反省札がくっつけられたままだったので、『お屋敷』との関係は未知数である。
ソキが顔を合わせて会話もしたとなると、悪化した、とは考えにくかったのだが。ソキは、あっ、と声をあげて、ぱっと両手で口を塞いでしまった。
「しまったです……。ないしょ、ないしょのお話だたです……シークさんとソキの、ふたりの、ひみつー、というやつなんです……。おしゃべりしちゃたです。どうしようです……!」
『あ、待って。待って。嫌な予感しか? しないわ?』
「ようせいちゃ? よーせいくんもぉ、ないしょ、ないしょ。しーですよ。しーっ!」
くちびるをつん、と尖らせ、言ったらだめだめっ、とあいらしく求められる。絆されてしまう、抗いがたい魅力に苦笑しながら、妖精たちは寝台を閉ざす天蓋の、垂れ下がる薄布の向こうを見た。そこへ人影を落とすようなうかつなまねは、せず。けれどもひしひしと、ロゼアの不機嫌が伝わってくる。
しぃーっ、と言い聞かせてくるソキの人差し指をそっと撫でながら、妖精はいっそ哀れむような気持ちで、幼子へ問いかける。
『シークとは、どこで会ってなんの話をしたの……?』
「なぁーいーしょぉー、な、ん、で、すぅー。ソキとぉ、シークさんはぁ、ひみつのなか、なんでぇ、夜に眠るとお会いできるんだもん」
内緒と秘密という言葉の意味を見失いかけながら、妖精は力なく、そう、と呟き頷いた。夢渡りか、あるいは別の魔術による影響だろう。まったく、いくら安定しているとはいえ、『学園』にも行かない未熟な魔術師に対してなにをしているのか。妖精は息を吐き、額に手を押し当てた。
『その秘密は悪いことよ。いけない子。……ロゼアに怒ってもらわないといけないかしら?』
「ああぁあー! やーっ! やうー! やううううっ! ロゼアちゃんにないしょっ、なぁいしょぉーっ!」
『……じゃあ、私にはそっとお話できるわね? 大丈夫よ。私は、ロゼアには言わないわ』
ただし、シークには文句を言うし当然のように砂漠の王宮魔術師にも注意するし、王にも報告はするのだが。ソキは疑いというものを知らないような素直さでこっくりと頷き、じゃあ妖精ちゃんにはないしょを言うです、と呟いている。妖精たちは不機嫌が漂ってくるあたりをそろって眺め、目配せをして頷きあった。
妖精は、ロゼアには言わない。鉱石妖精が伝えるだけである。紙と万年筆さえ借りられれば、書き文字は、魔力なくとも読めるものだ。あとで筆記具を貸してくださいね、と鉱石妖精の求めに不思議そうにしながらも頷き、ソキは好奇心にめいっぱいきらめく瞳で、あのねあのね、とこしょこしょ、妖精たちへ囁いた。
「あのね、眠ったんですけどね。ソキは知らない場所にいてね、とってもとっても困っちゃたです。だからね、ソキはけんめいにロゼアちゃんロゼアちゃんどこどこぉ? って言ったです。知らない場所で動くのいけないです。だからロゼアちゃんを呼んだです。ソキえらいでしょぉ? ほめて?」
『……え? これはもしかして説明がはじまってるの……?』
そして、褒めないことには続きが聞けない仕様である。寝台の上で褒めてほめてと自慢げにふんぞりかえるソキをなんともいえない気持ちで見つめ、恐々と、妖精はああうんそうね偉いわね、と言ってやった。唖然とする気持ちが強く、全く気持ちがこめられなかったのだが、言葉だけでも向けられたことでよしとしたのだろう。
ソキは満足げにふすんっと鼻を鳴らすと、それでねえ、と語りだした。
「ソキはけんめー! にぃ、ロゼアちゃんどこどこぉお迎えに来てくださいですソキはここにいるですうロゼアちゃぁああーって呼んでたんですけどぉ、そしたらね、せっかく眠っているものをそう呼んで起こすものじゃないよって」
『……言われたのね? シークに?』
そうなんですぅ、と説明ができたことにこの上なく自慢げな顔をして、ソキはこっくり頷いた。妖精は額に手を押し当てて沈黙し、半ば絶望的な気持ちで首を振る。シークがどうこう、ではなく。ソキの説明能力の、あまりの低さに。事前に夢の中で対面していた、という情報を持っていて、なお分かることが殆どない。
なにをどう聞いていけば推理に足る情報を引き出せるのかも分からない妖精の傍らで、鉱石妖精がなるほど、と呟いた。
『やはり、ロゼアは魔術師なんですね。彼の目から見ても』
その情報だけは知りたくなかった。頭を抱えたまま、やわらかな寝台の上にぼとりと落下した妖精に、ソキのきゃんきゃんはしゃぎきった声が聞こえてくる。そうなんですぅだからねでもねロゼアちゃんにはまだないしょなのっ、とちからいっぱい鉱石妖精に主張するソキに、内緒ごとは声を潜めなくては意味がないという概念は存在していないに違いない。
おまけに、鉱石妖精の声はロゼアに聞こえていないので、ソキがないしょではしゃいでいるようにしか受け取れないだろう。妖精はそろそろと顔をあげて布の向こうをうかがい、そっと微笑んでなにも感じ取らなかったことにした。拗れている砂漠の魔術師事情にも、ロゼアの不機嫌極まりない感情にも、首なぞ突っ込んでたまるものか。
心を無にして、妖精はソキを確認することに集中した。鉱石妖精が手を変え品を変え、あらゆる角度からソキの夢を詳しく語らせようとしているので、それを任せることにして。ふわふわ、あっちへこっちへ飛んでいくソキの説明をなんとか繋ぎ合わせると、砂漠の城でシークに会った次の日から、ほぼ毎日、その夢を見るのだという。
場所は、砂漠の城のどこかであるような、ソキの眠る部屋であるような、全く見知らぬ場所であるような、覚えがあるようなないような所。夢とは往々にしてそういうものであるから、妖精たちは特にそれをおかしいとは思わなかった。問題はそこでソキがシークに会い、いらぬ知識をあれこれ仕入れてはひみつひみつと楽しそうにしていることである。
話をする、のだという。魔術師についての講義かと思いきや、そういう話題は殆どなく。ソキがまず聞いたのは、わるいひとの、わるいことは、なにがわるいのか、ということであるらしい。あなた相手に分かるようにも質問しなさいよ、と、つい口を挟んでしまった妖精に、頬がぷくっと膨らんだ。
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