あなたが赤い糸:10


 彼なら今怒られてるよ、と男は言った。無残に踏み荒らされた勿忘草の瞳を、それでもなお、穏やかに和ませて。

「ただ、反省の色がまるでないから……そうだな、一時間もすれば戻るとは思うよ。待つ?」

 妖精はおずおずと頷いて、男の向かう机の上に舞い降りた。ソキのきゃあきゃあした追求を逃れて訪れた砂漠の城。魔術師たちの集う執務室は、午後の陽光に満ちて眩い程に明るかった。男はどうぞ、と言って真新しい針刺しを転がし、小皿に花びらと砂糖菓子を置いてくれた。飲むものもいるね、と呟き、ちいさな陶杯にミルクが満たされる。

 妖精を持て成すのに慣れた男だ、と思う。もちろん、『学園』に導かれ卒業して王宮魔術師になるのだから、触れ合うことが初めてである、ということはないのだが。付き合うことに慣れている雰囲気を感じた。男は妖精がおずおずと砂糖菓子を手に取った所までを見守り、足りなかったら言ってね、と言って視線を外してしまった。集中は、手元の紙に下ろされている。

 あたかも歌詞を書き写すがごとき滑らかさで、万年筆がインクの軌跡を描いていく。ソキのようにきゃっきゃとあれこれ話しかけられないのは久しぶりだと思いながら、妖精はかすかに、残してきた鉱石妖精を不安がった。寝起きのソキは案の定、鉱石妖精を見ると頬を染め、妖精ちゃんのときめきですうううっとだいこうふんした。大変だった。

 鉱石妖精は落ち着いた口調と微笑みでソキと言葉を交わし、一応、恐らく、なんとなくは、誤解だということを理解してくれた、と妖精は思っているのだが。なぜか今日は朝から鉱石妖精とぽそぽそ、ないしょのおはなし、をしていて内容を教えてくれないので不安が残る。ろくでもないことをしそうな、されそうな気が、していた。

 幾重にも圧し掛かった心痛で、妖精はため息をついた。そんな風にソキと仲良さげにしている鉱石妖精であるのに、聞けばロゼアを気に入ったらしい。見えないのになんとなく睨まれているような気がするし、面白くなさそうでかわいいですね、とのことだ。妖精が城へ出かける間際には、大胆にもロゼアの肩に腰掛けて、その一挙一動をつぶさに見守っていた。

 妖精がひとを気に入ることは、ままある。それ自体はどうとも思わないのだが、今後、妖精がソキの様子見に行くたびに、ついてくる気配がひしひしとした。妖精が嫌がっても、僕は案内妖精のお役目ではなく自由意志で遊びに行くだけですよ、偶然にも同じ場所に、と言われてしまえば終わりである。

 はやくソキが入学できるようにならないものか。一年、二年ではまず難しいと分かってはいるのだが願わずにはいられない。もしくは、帰ったら鉱石妖精の興味がなくなっていることを祈るばかりだが、一度気持ちを向けたら長いのが、あの種族の特徴である。とてもではないが、数時間で関心が潰えるとは思えなかった。

『……あなたはなにを書いているの?』

 ぐるぐるした気持ちと向き合いたくなくて問いかければ、男は妖精の悩みを見透かしたような微笑で、楽しげに言った。

「反省文かな」

『反省文……?』

「ああ、でも始末書になるかも知れないね。彼ときたらまっ……たく! 反省していないからねぇ……」

 おかげで我らが王は朝から頭を抱えて呻いてらっしゃる、といかにも面白そうに呟く男からも、反省の意思というのは感じられないものだった。妖精は首を傾げながら、改めて室内を見回した。魔術師の執務室というのはどの国であっても似たような作りで、壁には整頓された棚がいくつか、部屋の中心には向き合った机があわせて六つ置かれている。

 そのうち、主を得ているのはひとつだけ。つまり男しか室内にはいないのだった。魔術師は多忙である。日中に机に向かう時間はさほどないものだが、そうでなくとも、もしかすれば事後対応に追われているのかも知れなかった。廊下は慌しく行きかう音と、人々の声であふれている。穏やかな静寂がゆるりと漂うこの場所とは違って。

 男がやたらのんびりとした雰囲気で妖精をもてなしてくれたので、休日なのかしら、と思っていたのだが。違う。これはたぶん、さぼっている。共犯者にされた気持ちで食べかけの砂糖菓子を小皿へ戻し、妖精は不安げに男を見た。

『あなた……と、昨日の、彼。なにをしたの?』

「進入かな」

 悪戯っぽく、こどものように笑って。あまりにあっさりと言った男は、目を丸くする妖精に、くすくすと笑って言い添えた。

「もちろん、無断進入だよ。それに伴う、暗示とかく乱と……まあ、色々。悪いことだね、悪いこと」

 しれっと指折り数え上げる男からは、やはり反省、というものの存在を感じ取ることができない。欠片たりとも。ああぁああっ、と裏返り引きつった声がして、音高く扉が開かれた。立っていたのは少年だった。年の頃は十五か、十六。今年ようやく『学園』を卒業したであろう、年若い魔術師だった。

「聞こえてるからなシーク! おっまえやっぱり反省してなかったな馬鹿ああぁっ!」

「そこで、反省してねぇんじゃねえか、とは言わない君の育ちの良さが可愛いなぁ、と思うよ。フィオーレ」

 ボクらの王の方がよほど口が悪くなるよねぇどうしてかな、とのんびりと述べる男に、ああぁあっ、と髪を掻き乱してフィオーレはしゃがみこむ。その仕草は、なんとなく慣れていた。十は年上であろう男に、日夜振り回されているようだった。しばらく妖精が見つめていると、ぐずっ、と落ち込みきった風に鼻がすすられた。

「もうやだうちの筆頭と筆頭補佐……。なんでこんな性格のが揃っちゃったんだよ……愉快犯と愉快犯が手を組むとかもうただの悪夢だろ……人選どうなってたんだよ……」

「フィオーレ。彼はなにも、面白そうだからという理由で『お屋敷』に無断侵入した訳ではないんだよ?」

 我らが筆頭には彼なりの正当な理由があってのことさ、と男は言った。それを今、陛下に対して説明をしている所だよ。だから長引くし、まあ、反省もしていないし今後も見込めはしないのだろうけれど、と続けられて、フィオーレがよどんだ眼差しで顔を上げる。

「ジェイドが……ジェイドに、理由があったと、して、さぁ……お前は? シーク」

「ボクが? なに?」

「理由!」

 机に肘をついてにこにこと見守られていることに、我慢ならない様子でフィオーレが跳ね起きる。あああもぉお前だからなんでそういう顔ばっかりもおおっ、と身悶える白魔法使いの青年の肩を、通り過ぎる者たちが次々と叩いて行った。頑張れ、と言わんばかりであり。またやってる、と呆れているようでもあった。

 口を挟めず見守る妖精の視線の先。シーク、と呼ばれた男は勿忘草の瞳をうっとりと細め、柔らかく微笑みかけさえしながら、しれっと言った。

「面白そうだったから」

「陛下ああぁああああシークやっぱり愉快犯でした陛下ああああああそれで全然反省してないです陛下陛下あぁああっ!」

 ごしゅじんこいつわるいやつっ、ごしゅじんやっぱりこいつわるいやつっ、ときゃんきゃん吠える子犬を見つめるまなざしで、ふふふ、と満ち足りた笑みを零してシークは万年筆を机に置いた。

「だって考えてもご覧よ? 筆頭から頼みごとがあると呼ばれたと思ったら、『お屋敷』に侵入したいから手伝って欲しい、だなんて言われたボクの気持ちを」

「おまえぜったい、なにそれたのしそうとかいっただろおれにはわかるんだぞ……」

「僕だってね。陛下の信頼を裏切るのは心苦しかったよ? けど、ジェイドにあんな顔されたらねぇ……助けてあげたくもなるだろうよ。誰だってね」

 ということで、はい、反省文と差し出された三つ折りの紙を疑わしげに見つめながら、フィオーレがそろそろと手を伸ばす。その腕を掴んで、ぐい、と引っ張って。顔を間近に寄せ、驚きに見開かれる灰と緑、二色の入り混じる不思議な瞳をじっくりと眺めて。ふ、と唇から零すようにシークは笑った。

「あと、君のかわいい泣き顔が見たかった」

 う、えっ、と狼狽するフィオーレに、シークはまるで他人事の暢気さで言った。大変だねぇフィオーレ。

「筆頭にも僕にも騒ぎ起こされて、どっちもあんまり反省してなくて。困ったねぇ大変だねぇ泣いていいよ?」

「う、うっ、うぅ……!」

 なんの感情にか、じわじわ顔を、耳まで赤くして。震えだしたフィオーレから、シークは満面の笑みで手を離した。はい、行ってらっしゃい、と送り出そうとするシークを涙ぐんだ目で睨み付けて。ぱっと身を翻したフィオーレは、うわぁあん陛下へいかあぁああっ、と走り去っていく。

 は、と幸せにうるんだ吐息が吐き出される。

「あー、かわいい……。僕も十五の頃はあんなだった……記憶がないな……。かわいそうにねぇフィオーレ。悪い大人につかまっちゃって」

『……やりすぎると嫌われるわよ』

「ろくでもない大人が本気になる前に、逃がしてあげるのもたしなみかな、と思ってね。……見合いの話もあるし」

 陛下がそうせよと仰られたらボクからは断れないしね、と苦笑して。まあそれはいいんだよ、と男は椅子に座りなおした。

「さて、さっきは一時間と言った訳だけれど。これからもし、ボクが陛下に呼び出されてジェイドと一緒に怒られたりするとなると、申し訳ないけれど今日中に彼が、君と話をする時間は持てないかも知れない。どうしようか」

 なんというか。極めて面倒くさそうにこじれている砂漠の魔術師事情に巻き込まれたくなかったし、巻き込まないで欲しかった。妖精はただ、どうしてあの場所に魔術師が、しかも二人もいたのかを知りたかっただけであって。込み合った事情に首を突っ込みたい訳ではないのだ。

 言葉に迷いながら、別にあなたでもいいのよ、と妖精は呟く。

『どうして、あそこに魔術師がいたのか。それを知りたかったの。……ソキに用事だったのかしら、と思って』

「違うよ。ああ……もちろん、彼女が……いや、後輩になる予定の魔術師のたまごが、あそこにいるのは知ってるさ。でも別に会いに行った訳じゃないし、特別用事があった訳ではないよ。僕も彼も。全然関係ない。……ほんとうに、ちっとも、関係ない、と……言い切ってあげることもできないけど。『花嫁』だからね」

 でも、彼女には関わりのない用事だったんだよ、とシークは言った。そこから先を知りたかったらジェイドに聞くといい。僕から話せることじゃない、と告げて、シークは椅子から立ち上がった。彼方から聞こえてくる足音が、己を呼びに来たのだと分かって。

 まあ、彼の身柄が空いたら知らせてあげるよ、と手を振って、シークは部屋から出て行った。これから怒られるとはとても思えない、余裕のあるゆったりとした態度だった。

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