あなたが赤い糸:09
ソキが練習板で結んだリボンは、案の定へっちょりと歪んでいた。右と左の輪の大きさも違えば、垂れ下がるリボンの長さもまちまちで、全体的になんだか力なくへにょっとしている。ソキはくちびるを尖らせて何度もやり直したが、力の入れすぎだったり、緩すぎたり、一度も綺麗に結びきることができなかった。
あれ、あれっ、とぐずりながら何回も何回もやり直し、最終的にこの板とリボンがソキのことをいじめるですううううっ、と癇癪を起こした所で、練習は中断になった。ソキはロゼアの腕に抱き上げられ、ぽん、ぽん、と背を撫でられながら、ぐずぐずと鼻をすすって涙ぐんでいる。
「ちぁうですこっ、こんなはずじゃなかたです……妖精ちゃんに、いいところを見せるよていだたです……。でき、できるもん……ソキ、リボンむすびだって、ちゃぁんとできるぅ……!」
「うん。そうだな、ソキ」
予想しながら、妖精は待ってみたのだが。やはりロゼアは、できる、とは口にしなかった。えくえくしゃくりあげながらソキが訴えた所によると、この間ロゼアと一緒にやった時は綺麗に結べた、ということである。妖精は微笑みを浮かべて頷いた。ソキは大事な所に気がついていないが、恐らくはこの後も、気がつかせてもらえないに違いない。
歩ける、というのも、似たような雰囲気を感じる。できることなら確かめたかったが、興奮が落ち着いたソキはうとうととして眠たげだ。今度こそ寝てしまいそうである。ようせいちゃ、と名残惜しそうにソキがもそもそ呟いているが、うん、と微笑むロゼアの手つきは完全に寝かせにかかっていた。
絶対に眠らせる、という強い意志を感じて、妖精は無言で花籠から飛び上がる。そっと、そーっと、うとうとするソキに近づき、耳元でやさしく囁いた。
『また来るわ。今日はおやすみなさいな』
「ええぇ……でも、でもぉ……。また来月、なの? ソキはもうちょと、おはなしぃ、あぅ……」
『……じゃあ、また明日。もうすこし、様子を見に来るから。ね?』
おとまりぃ、するです、してほし、ですうぅっ、と納得していない声で文句を言われて、妖精は言葉に迷った。過保護な鉱石妖精が城で待っているせいで、泊まっていく、とすぐ返事をすることができない。ソキは妖精が返事をしてくれるまで起きているつもりのようで、しきりに目をこすっては頬をロゼアに擦り付けている。
はやく返事をしてくれないかな、と言うようにロゼアの目が妖精を見た、気がしたので。妖精は羽根をせわしなくぱたつかせ、聞いてくるわ、と言った。
『その、帰りを待ってる仲間がいて……。泊まっていいか、聞いてくるから』
「んん……? それはぁ、もしか、し、てぇ……妖精ちゃん、のぉ……ときめきなの……? きゃぁんなの……? ふにゃっ? ときめききゃぁんなのっ?」
「ソキ。寝ような。お話は寝て、起きたら、聞こうな」
目をきらぁんっと輝かせて身を起こしかけるソキを、ぐっと抱き寄せて。ロゼアは穏やかな声で、しっかりと言い聞かせた。でも、でも、と声はまたすぐふにゃふにゃと溶けていき、今度こそソキの瞼が下りてしまう。ぴす、ぴす、すぴっ、と寝息が響いてくるのを聞きながら、妖精は無言で額に手を押し当てた。
どうしてあっちでもこっちでも、そんな誤解を受けなければいけないのだろうか。違うのよと告げるにもソキはすでに夢の中である。ロゼアがさりげなく言い添えたことを考えると、確認した結果がなんであろうと、とりあえず一度は戻ってこなければならない。明日ではなく。今日。ソキが午睡から覚める頃には。
妖精は天蓋の隙間から顔を出し、窓の外を確認した。夕方と呼ぶには、まだ幾許かの時間があるようだった。急いで戻って王と魔術師に報告して、鉱石妖精に泊まるから先に帰ってと言って、戻ってくることを考えると大変に慌しい。暇をもてました王宮魔術師は話が長い。用事が終わっても、あれこれ引き止められることも多いのだった。
癇癪を起こしてもちたちた暴れても、ソキの魔力に一切の乱れがなかったことを考えると、報告そのものはすぐ終わりそうではあるのだが。さあ、どう終わらせていったものだろうか。悩みながらも気持ちを焦らせ、ぱっと飛び立って行こうとする妖精の背に、穏やかな声がかかる。
「すこし、長めに眠らせておきますから……お気をつけて」
『……ねえ、あなた。ほん、とう、に、わたしのことが分からないの……? 逆に嘘でしょう……?』
しかし妖精が目の前まで近づいて手を振っても、ロゼアの焦点が合わないのである。天蓋から垂れ下がる、布の隙間あたりを眺めていて、呼びかける妖精の声にも気がついたそぶりはない。見えず、聞こえず、触れられない。魔力を持つ者以外には。世界にあるその法則は、確かにあるまま、妖精をひとという存在から隠していた。
妖精はロゼアの目の前でしばらく行ったり来たりを繰り返し、顔や肩に触ろうとしては失敗して、呆れと恐れの入り混じった息を吐きだした。どうやらロゼアは勘だけで、妖精のいる方に目を向けたり、話しかけたりしているらしい。生まれたばかりの幼子の中には、ごく稀に妖精を目にする者もあると聞くが。それとも全く違うものだろう。
どうか魔術師として目覚めませんように、と祈りながら、妖精はソキの寝台を抜け出て飛び立った。なにせ魔術師になってしまえば妖精は見えるし、声は聞こえてしまうし、触れられるようにもなってしまうのだから。ソキの傍から摘み上げられ、ぽいっと遠ざけられてしまような気がして、妖精はふるふると羽根を震わせた。
面白そうなので僕も行きます、と言った鉱石妖精に眩暈を感じている間に、王と魔術師は許可を下してしまったらしい。気が付いた時には、なにかあったら呼んでねー、とのんきに手を振る魔術師たちに見送られ、妖精は来た道を逆戻りしていた。手はしっかりと繋がれている。
それで、どこから入るんですか、と『お屋敷』を見下ろしながら問う鉱石妖精に、ため息をつきながら問いかけた。
『どうして手を繋ぐの……。迷子になんてならないったら』
『もう暗いでしょう。はぐれたら大変ですよ』
『ねえ。わたしの言うこと聞いている? 迷子に、ならない。ならないのよ?』
鉱石妖精は振り返り、にこ、と笑いかけてそうですね、と言った。そうですね、と言ったのに。ぎゅっと手に力が込められて、離される気配が遠ざかる。無言でぶんぶん腕を振る妖精に、はいはい、と宥めるような声が向けられた。
『それで、どこから中へ入るんですか? 早くしないと、君の魔術師が目を覚ましてしまうのでは?』
『あっちの、窓をいつも開けてくれているの……ねえ、また誤解されるから。手を離してってば……』
そういえば、王と魔術師の誤解がとけたかどうかを、確認しないで来てしまった。困って眉をさげる妖精に、鉱石妖精はちら、と視線を投げかけ、口元を淡く緩めて微笑んだ。
『大丈夫ですよ。さ、行きましょうか』
『……あなたもしかして、わたしの話を聞く気がないの? そうなの? そうなのね?』
『まさか。誤解されるのが嫌、ということでしょう?』
通じてはいるらしい。ほっとして頷く妖精に、また、機嫌が良さそうに鉱石妖精は笑いかけた。
『誤解はされません。大丈夫です』
『……ん?』
ぐい、と手が引かれる。向こうの窓ですね、と飛んで行かれるので、妖精もついて行かざるを得なかった。なにか噛み合っていない気がするのだが、追及するのに嫌な予感を感じて、妖精は口を噤む。とりあえずソキがまだ寝ていて、眠りにつくまでのあれこれを覚えていなければいいな、と思った。
ふと、視線を感じて。妖精は空で止まった。
『……なにか』
『ねえ、あれ』
視線は、はっきりと。上空へいる妖精たちを捉えている。探すまでもなく、引き寄せられるように分かった。妖精はまっすぐなまなざしで、まなざしの主を見つけ出す。『お屋敷』の、うつくしく整えられた庭を囲む回廊に、ひとりの男が立っていた。顔の区別がつく距離ではなかったが、妖精にはなぜか分かった。ロゼアではない。もっと年上の、男性だった。
鉱石妖精が無言で手を引き、するすると高度を下げていく。その動きも、男の視線は追いかけた。見えているのだ。やがて、顔の区別がつき、声を交わすのに十分な程の近くに辿り着くに至って、妖精はじっと男の瞳、その色を見つめた。今、天から暮れ行く夜のような。黒色の瞳だった。瞬きをする。視線はしっかり、妖精を見ていた。
ああ、と。納得の響きで、声がこぼれていく。
「君たちが案内妖精? ソキさまの」
『……わたしが、そう、だけど、あなた……誰……?』
男が名乗ろうとするより早く、彼方から呼び声が響く。振り返った先、回廊の終わりから、くらい影が男のことを呼んでいた。夕闇の薄暗がりに溶け込んで、その姿が妖精からはよく見えない。見つかっちゃった、とくすくす笑い、男は戸惑う妖精たちに背を向けた。
「俺にここで会ったことは、ソキさまとロゼアには言わないで。聞きたいことがあるのなら、また明日にでも王宮へおいで」
ゆっくり。音のない足運びで歩き出しながら、男は悪戯っぽく振り返って、言った。
「俺はジェイド。迎えに来ちゃった彼が、シーク」
砂漠の国の王宮魔術師だよ、と。星祭りの夜、ロゼアが着ていた上下にとてもよく似た服を着た男は。そう名乗って、ないしょにしてね、と唇に指を押し当てた。
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